2007年10月17日水曜日

論文の助数詞はなぜ「-本」か。

 きのうДаринと昼飯を食いながらこの話が出た。ネットに下記のような説明があった。少し視点を変えて考えてみると一挙に視界が開けるような感じを味わうことがある。おかげで今回もそういうεὕρηκα を経験することができた。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1127379.html

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

こんにちは、中俣です。
面白い問題ですね。
日本語の助数詞「本」については
認知言語学者のGeorge Lakoffが"Women, Fire and Dangerous things"の中で触れていましたが、そこでは「ホームラン一本」や「背負い投げ一本」といった例も挙げられていたと思います(後者についてはちょっと定かではなく、読んだときに私が疑問に思ったことなのかもしれませんが)。ただ、Lakoffの分析はイメージ・スキーマを用いた共時的なもので、中国語の量詞「本」との関係や通時的な視点はありませんでした。

論文や小説を「本」で数えるのは二通りの説明が可能で、「巻物の形」説と、内容(Story Line)を細長いものとみなす(論文をPDFなんかで表示することを考えるとわかりやすいと思います)説です。
しかし、中国語の「本」を考慮すると、元々中国で「巻物の書物」を「本」で数えていて、それが中国ではそのまま「書物」を表す助数詞になり、日本では「巻物のような形状」を表す助数詞になったのかもしれませんね。
(もっともStory Line説もそれなりに有力ではあるのですが)

研究者としては憶測でものを言うのは慎むべきことなので、ちょっと古代中国語と古代日本語の漢文の比較研究をやっている友人がいるので、聞いてみたいと思います。何か進展があれば報告いたしますので、あまり期待しないで待っていてください。

KOMADA, Satoshi(駒田聡) さんのコメント...

 へえ。Lakoffでもそんな視野狭窄に陥るんだ。ピント外れも甚だしい。
 ところで、その「二通りの説明」というのは誰が言ってるんですか。巻物なら(少なくとも日本には)「‐巻」があるんだからそれも合わせて説明できなければ説明とは呼べないし、「内容を細長いものとみなす」というのは後講釈ですね(それもずいぶんあとの。2000年?)。原理的な説明になっていません。
 例に出て来る「巻物」というのはとても新しい媒体ですね。紙の発明以前の時代の木簡・竹簡の一本一本を紐で(?)繫いだ形の象形文字が「冊」だということを学生時代に聞いたことがあります。
 いずれにしろ、そもそも漢語の助数詞の話なのに漢語の世界をまず調べなかった愚を反省しています。ほんとに頭が悪い、我ながら。