2008年3月4日火曜日

クジラを殺して食べること

 基本的には生理的な話である。僕はイヌやネコやサル同様、餓死の瀬戸際にでも立たない限り、クジラを食べない。人間に近すぎて気持ちが悪いという単純な理由だ。
 そんなことよりもここ20年ほどずっと私がおもしろいと思ってきたことは、原則的に国際協調路線を採り、波風を立てないように、事を荒立てないように、特に西欧諸国よりの国際関係を築いてきた日本が、なぜここまで頑ななのか、だ。
 今日は日本の新聞の中ではいつも比較的広い視野を持った論陣を張っている東京新聞までがいきり立っている。反捕鯨行動 不法な妨害は許せない
 「過激派」はどこにでもいる。その行動が違法ならそれとして法的手段に訴えればよい。捕鯨の是非の問題とは別次元の話だ。なぜ捕鯨権の擁護に話が摩り替わってしまうのか。
 自国を非難されるとすぐ傷つく類の幼稚な「愛国心」、利権業界からの圧力、族議員どもの暗躍、省エゴ、などもっともらしい理由はいくらでも挙げられるが、そんな程度のことは戦後の日本は60年以上に渡ってすべて乗り越えてきたはずだ。
 これは私が現在美しい解答を見出せずにいる1ダースほどの問いの一つである。

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