2008年3月7日金曜日

何だか忙しい。

 ここのところ、ほとんどが自分で蒔いた種とはいえ、あれこれと慌しい毎日になってしまっている。もう少し悠々と日々を過ごすはずだったんだけどなあ。おかしいなあ。
 それとも「啓蟄」ということかな。おかしなもので、日本にいた時はそれほど感じることもなかったのですが、ブルガリアに来て初めて実感しているのです。ほんとうに生きとし生けるものがみんな一斉に蠢動を開始した、そんな感じです。

3 件のコメント:

Aozora さんのコメント...

日本人はよく「四季」を誇りに思っているようですが、実は、日本にいたころは、四季を実感するために田舎へ行けばよいと思わずにいられませんでした。通っていた大学は十分都市のはずれにあったから「日本の四季」を味わえたと思いますが、四季に肝心な「移り変わりの過程」自体が日本ではとても見逃しやすいと思いました。
こちらの方はのんびりしているせいか、「移り変わり」が日本より少し長くて、節目として簡単に見られます。周囲の人を見てもそうです。「春だな、いいことありそうだな」と人々の顔に「書いて」いるわけです。日本の都会にはそういうことをほぼ体験していませんが。

KOMADA, Satoshi(駒田聡) さんのコメント...

 「日本には四季があります。」確かにこの台詞は「あなたの国にも松はありますか。」と同じぐらい滑稽だ。
 それはともかく、日本の大都市でも下町に住んでいる人たちなら――わが京都なら町全体――ちゃんと季節の移り変わりや自然に目を向けている人は多いと思うよ。少なくとも僕がかなり例外的な存在だったということは言える。

Aozora さんのコメント...

そうですね。「四季感が薄い」ということよりむしろ「四季」と「四季のステレオタイプ」が現代日本に共存し、その二つは一つであるという捉え方があるのではないでしょうか。
そして、日本だけに限らず、世界の都会人の感覚においては四季のみならず、その他の「自然」も薄くなっているかもしれませんね。日本人はどちらかといえば、米国人などよりはだいぶ四季を意識しているでしょう。