2009年12月31日木曜日

大局観

大晦日に考える 日本人の見えざる変化
 少々荒削りでもよい、反論の余地が少なからず残ってもよい。こういう節目の時にこそ、稀有壮大な話がほしい。
 いつもながら、その期待に東京新聞の社説だけは応えてくれる。

2009年12月25日金曜日

声の力

郡山市立郡山第二中学校(金賞) 課題曲「YELL」
 何も特別な音楽教育を受けた特別な中学生たちではない。普通の市立中学校の生徒たちだ。
 それが、この合唱のすばらしさはどうだろう。
 先生の指導もすばらしいのだろう。生徒たちの表情も声の出し方もとても自然で、それでいて極めて高い音楽性を達成している。
 すばらしい。

狂言の恐ろしさ

 たとえば「猿座頭」。所詮は狂言だ、面白おかしく笑っていればいいと言う人がいるかもしれないが、私は痛々しくて今日は最後まで見られなかった。身体においても言葉においても、私はハンディキャップにつけこんで人をだますげすどもを憎む。

2009年12月24日木曜日

アントニーとクレオパトラの最期

Threshold to Cleopatra's mausoleum discovered off Alexandria coast
 研究というもののすごさを再認識するとともに、もしこれが事実なら、プルタークへの評価が一層高まるだろうと思う。

2009年12月23日水曜日

夜明け


(Credit & Copyright: Anthony Ayiomamitis (TWAN) )
 Cape Sounion。2,400年前のポセイドン神殿に朝日が昇る。
 最初から最後まで、下らない事件や下らない者たちに鼻面を引き回されたような感しか残っていない私の2009年が終わろうとしている。
 この写真を本当に美しいと思う。私は朝日にもなれないしポセイドン神殿にもなれない。しかし少なくとも、げすどものほうではなく、朝日やポセイドン神殿のほうにできるだけ近いところで生きてゆこう、と新しき年を前に誓う。

2009年12月22日火曜日

よかったよかった。

 みなさん、喜んでください!今年もサンタクロースが来てくれるようです!
 暗いニュースばかりの私の身の回りでも、これは最高のニュースです。
 私は子どもでも美女でも勇敢な男でもないけれども、何とか2009年も生き延びることができそうなので、今年も僕の靴下に何か入れてくれるかもね。:)
 では、ニュースをお読みください。

Exclusive Statement during Bulgarian Government Meeting

Novinite.com reports today exclusively from the secret meeting of the Bulgarian Government, held earlier at the Council of Ministers building in Sofia.
By popular demand and due to the global economic crisis that has recently struck Bulgaria, it has been voted that the budget normally allotted for bringing Santa Claus to Bulgaria will be frozen.
Nevertheless, the Prime Minister read an exclusive statement by Santa Claus, who declares that he will come to Bulgaria on his own expenses and will bring a lot of presents, joy and smiles not only to the kids but also to the beautiful Bulgarian women and to the brave Bulgarian men who managed to survive the 2009 crisis year.
Novinite.com is the only news agency to cover the unique event, as Santa Claus, an English-speaking gentleman, is a committed reader of the media and knows that Novinite.com is the most influential from among all media in the country.
Happy Holidays and sincere wishes for millions of GOOD news in 2010 form your fully dedicated and professional team of Novinite.com! :)

2009年12月20日日曜日

まるかいてブルガリア

 ちょっと離れているうちに、私はますます世間から遠ざかりつつあるようだ。。。そして、私の精神のためには、そのほうがどうやらよさそうだ。
 まるかいてブルガリア

2009年12月18日金曜日

分析

At Japanese Cliffs, a Campaign to Combat Suicide
 日本における自殺の問題が極めて重大な問題であることは言うを俟たない。肝要なのは、緻密で深い分析に基づいた構造的な対策である。しかしNYTimesでさえこの程度の浅薄な記事しか書けないようでは、解決までの道のりは遠いと言わざるを得ない。経済的・心理学的説明だけで解決しないことは長年の失敗の蓄積を見れば容易に判る。そうではなく、歴史的・宗教的・社会的・文化的、その他あらゆる側面からの検討を進め、それらを総合してゆかなければ、この問題へは取り組めない。それほどまでに構造的な問題なのだ、これは。

2009年12月16日水曜日

喧嘩

羽毛田宮内庁長官を「少し」応援する
 今日の山崎さんも正論を吐いている。列島を一歩出たらほとんど見向きもされないような瑣末な問題を私は一々日本のメディアで追っているわけではないので詳細は知らないが、しかし、政治家や官僚がどんどん喧嘩するというのは基本的には悪いことではあるまい。ただし皆さん、納税者に食わせてもらっている方々である以上、どうせ喧嘩を始めるのなら首をかけてやっていただかないと困る。納税者は痴話喧嘩に現を抜かせるためにあなた方に月給を払っているわけではない。

2009年12月15日火曜日

経済原則

Ancient Tablets Decoded; Shed Light on Assyrian Empire
 すばらしい。まとまった解読成果を早く読みたい。
 それと共にここにも行政の問題があることを知る。同じ経済至上主義の原則に立ったとしても、その地に今すぐダムを作るという経済原則に従うか、100年後200年後の国家・地域経済に資する長期的なコスト・アンド・ベネフィット原則に立つか、という選択はトルコ政府に残されていることを知るべきである。

2009年12月14日月曜日

人間としての醜さ

 今朝の出勤途中、黄色の安全服を着て道路清掃をしていたロマ系ブルガリア人女性に向かって、ブルガール系ブルガリア人の若者たちが雪玉を投げつけていた。
 彼らは私には投げつけなかった。そのことにほっとする私の醜さは、あの馬鹿者どもの醜さとさほど変わらないものだ。

2009年12月13日日曜日

会議の思い出

会議の思い出
 私は会議というものはほとんど大学の教授会しか経験がないので、そうか、企業の会議というものはそんなにつまらないものなのか、と改めて教えられた。教授会は退屈だという教員は多いのだが、僕には実はそれほど退屈なものではなかった。議決権所有者は全員が研究者だから、あらゆる議論が知性の勝負の場となる。教授会初心者の時代の数年は喧嘩っ早い性格も手伝って山崎さんの言う「正統派」的行動、つまりしょっちゅう発言する、ということもしていたが、10年を過ぎたあたりから、実はものごとは会議自体ではなくほとんどそれ以外の場で決まっていくということが分かり始め、ここぞという場面でしか発言をしないように変わっていった。そして教授会を同僚たちのおつむの中身を評価する包括的機会として捉えるようになっていった。誰かが発言すれば、それが取りも直さずそいつのおつむの程度の評価資料になる。ああ、こいつ、成長したな、とか相変わらず馬鹿だな、とか、ああ、やっぱりこの人は今日も鋭いことを言うな、とか、そういうことを考えながら座っていた。大学運営に少し関わり始めた頃からは、それらの評価結果を、誰にどんな仕事をお願いするか、ということを決定する際の重要な参考にした。
 自分の人生の一つの重要な場としてあれほど長年慣れ親しんでいた教授会というものから離れてはや3年が過ぎようとしている。会議というものが、議論というものが、大げさに言えば研究者生命を賭けた知性のぶつかり合いというものが、どういうものだったかを忘れ始めている自分を見出す時、人生というものは変わる時には本当にがらりと変わってしまうものだ、と苦笑を禁じえない。しかし、かと言ってノスタルジアを感じているわけでもない。この人生においては、話し合えば解決できる、というような程度の「問題」など、実は問題の内には入らない、ということを悟り始めているからでもあろう。

2009年12月12日土曜日

16,000語突破

ブルガリア語―日本語―ブルガリア語フリーオンライン辞典」の見出し語数がいつのまにか16,000を超えてることに気づいた。もう1,000語単位の区切りでいちいち感慨を催すような段階ではなくなったということだ。これからは1万語の区切りごとに感激させていただくことにする。

2009年12月9日水曜日

Студентски Празник

 ブルガリア中の大学が休みになる「学生の日」。ソフィア大学日本専攻の学生たちは今年も一泊旅行に繰り出した。私は光栄にも今年も招待教師の中に入れていただいた。教師として大変名誉なことだ。学生諸君からの厳しくかつ温かい評価を通じてしか教師という生物は成長しないようにできている。この大学で教える最後の年度。最後の学生旅行。最後まで一生懸命私と付き合ってくれている学生諸君に敬意を表する。
 旅行自体も、Златиをリーダーとする学生諸君の運営ぶりに感心した。計画段階から終了まで、完璧だったといってよい。教師たちは完全に「お客様」――文字通りそうであった。またそうであるべきなのだが。――としてただ旅を楽しんでさえいればよかった。
 最後の年度に、学生たちのすばらしい成長を見せていただいた。これで安心して大学を去ることができる。
 諸君、ありがとう。

2009年12月2日水曜日

プレゼント

 いかにもこの季節らしい、スマートな贈り物だ。いい時代になった。
Looking over the Shoulder of the Creator of “A Christmas Carol”

2009年12月1日火曜日

Rainer Maria Rilke

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.
 永遠のコスモポリタン。しかし、彼には詩があった。私には何がある?

2009年11月29日日曜日

ええかっこしい

 関西語に「ええかっこしい」という言葉がある。何一つまともにできないくせに自分に能力があるかのように見せかけることにかけてだけは長けている奴のことだ。日本にいた頃は、そういう人間は当人がまだ子供の間に選別されてしまって大人の仲間入りをさせてもらえず、社会的淘汰の結果、私が仕事をするような領域からはほとんど消えていたのだが、最近そういう生物がまた私の周りをうろちょろし始めているようで、どうも目障りだ。醜いだけなら当人の勝手だが、みんなのために黙々と頑張っている人たちにも迷惑がかかり始めた。早く私たちの視界から早く消えてほしいものだと思う。

2009年11月27日金曜日

言語政策のジレンマ

Slovakia: The Forbidden Languages
 言語政策の難しさは、程度の差こそあれどの国家にもつきまとうのだが、EU加盟国の場合はさらにEUの共通理念というものが関わるのでさらに複雑さ・困難さが増す。困難で壮大な実験は続く。
 しかし、最も根本的な問題は、アイデンティティという得体の知れないものをでっち上げてしまった頃から人類が自縄自縛に陥ってしまっていることなのだろう。

2009年11月26日木曜日

かわら塾廃校

 35年の歴史。3000名を超える塾生が学んだ。そのほとんどは欧米人で、多くが教師・研究者だった。民間塾として、20世紀の最後の四半世紀、京都における日本語教育/研究・日本研究の中心地だったといってよい。そこに関わった教師・塾生で、現在世界的に活躍する者も数多い。
 私も20代から30代にかけての新米教師時代の多くの時間をそこで過ごした。京都の町家の畳の上で、教師も塾生も座卓を囲んで座布団の上に背中を丸め、長い時間、談笑し、議論し、喧嘩をした。
 人間としても教師としても研究者としても、若き日の私を創り、現在の私という人間のかなりの部分を育ててくれた場であった。授業後塾生たちと朝まで京都の街で飲み、そのまま翌朝の授業に一緒に出かけるというようなことを続けていた時代もあるし、ひとり住み込んで毎日仕事をしていた時代もある。
 国籍・宗教・文化・領域を超えて、世界中から集まったみんなは、若く、激しく、そして猛烈に勉強した。勉強しない奴は相手にされなかった。私はアリストテレスから現代量子論、ジェンダー理論まで、すべてそこで出会った世界中の専門家たちから手ほどきを受けた。
 もう、あんな場所が日本のどこかに出現することは二度とないだろう。
 建物は消えるが、そこで育った者たちの間に育まれた精神は消えることはない。渡辺征三郎塾長の育んだその精神は国境・世代を超えて間違いなく継承されていく。陳腐に聞こえるかもしれないが、掛け値なしにそう思う。

2009年11月25日水曜日

狂信

The Serbian Charade
 時折、どのように考えればそのような話になるのか、と耳を疑いたくなることがある。この問題もその一つだ。頭を冷やせ、と言ったぐらいでは到底治りそうもない、この手合いを一体扱えばいいのだろう。

2009年11月24日火曜日

異文化の中で生活するということ

Moving house needn't leave you speechless
 引越しに限らない。銀行。役所。病院。。。その文化の中で生まれ育ったものでもストレスの多いものだ。外国人には本当に大変だ。
 解決策はただ一つ。その文化を熟知した親切な友人を見つけること。親切なだけではだめである。優秀であることが第一条件だ。
 最悪のケース?極めて親切で極めて無能な友人に間違って頼ってしまった場合である。XD

日高敏隆氏死去

 優秀な研究者であったと同時に、戦後の日本において、生き物たちの多様な世界を一般の人々に分かりやすく伝え続け、日本のたくさんの生き物好き少年たち――恥ずかしながら私もその端くれだった――の心を育てた人だった。
 私も自分の「先生」たちが次々とあの世に旅立つ年齢になった。

2009年11月22日日曜日

ゴッホの書簡

"I saw a magnificent and very strange effect this evening. A very large boat laden with coal on the Rhône, moored at the quay. Seen from above it was all glistening and wet from a shower; the water was a white yellow and clouded pearl-grey, the sky lilac and an orange strip in the west, the town violet. On the boat, small workmen, blue and dirty white, were coming and going. Carrying the cargo ashore. It was pure Hokusai. It was too late to do it, but one day, when this coal-boat comes back, it'll have to be tackled."
 1888年7月31日付、弟Theoに宛てた書簡。
 書籍なら325ポンド。しかしこのサイトならすべて読むことができる。人類の宝の一人の内的世界を誰もが訪れることができる。すべての関係者に敬意を表したい。

2009年11月21日土曜日

“inappropriate” と “unacceptable”

Words that think for us
 短い記事だが、鋭い指摘である。最後の結論はあまりにもおめでたいものでがっかりしたが。
 筆者は、“improper” や “indecent”で形容されていた事態が、現在では“inappropriate” や “unacceptable”で表現されることが多くなっており、その傾向は1980年代のpolitical correctnessの決まり文句あたりから顕著になったと見ている。
 しかし、根源にあるのはそんな表層の問題ではないような気がする。筆者がそれをモラルの言葉の衰退と関連付けていることからも分かるように、これは大きな物語の崩壊という文脈で考えたほうがいいのではないか。ここでいう大きな物語とは、広い意味で「正しさ」と言い換えてよい。何を正しいと考えるのが「正しい」のか、何を美しいと感じるのが「正しい」のか、何を善いものと判断するのが「正しい」のか、である。とすると、これはポストモダンであるということになる。
 私は少し前から、なぜ現代日本がこんなに軽々とポストモダンの流れの中を漂い続けるのかを考えている。それが、“inappropriate” や “unacceptable”で表されるものと同型だと思われる「世間」の問題(その最新ヴァージョンは「KY」だろう)なのか、「許せない」で表現されるような独我論の問題なのかを考えている。しかし、最近考えているのは、「世間」の話も「許せない」の話も恐らく共に独我論の問題なのではないか、ということだ。「他者」がまったく存在しない、という意味の独我論である。
 12月の「日本に関する懇談会」のテーマは「いじめ」である。そこに向けて、この角度からもう少し考えを進めていってみようと考えている。

絶世の美女NGC 253


NGC 253: Dusty Island Universe
Credit & Copyright: Star Shadows Remote Observatory and PROMPT/CTIO
(Steve Mazlin, Jack Harvey, Rick Gilbert, and Daniel Verschatse)(写真クリックで拡大)
美しいものというものは大抵そうだが、明るく輝きつつも、少なからぬ得体の知れなさというものがつきまとう。

2009年11月15日日曜日

epoché

 真の意味で何かを探求したいのなら、本当に自らの経験を吟味し、理解したいのなら、その前に、自然的な態度に基づく判断を中止することだ。
 これが、フッサールから僕が学んだエポケーということの意味だ。

2009年11月14日土曜日

我々は過去を変えることができる。

 Waking the dead
 Eagleton, Benjamin, Freud, Brecht.役者が揃い、読者に「思考せよ。」と迫る。
 
 忘却と闘うこと。それだけが過去を変え、現在を在らしめ、未来を創る。 

星の誕生


 美しい。

コンビ

 といってもいいのだろう。Isaiah BerlinはHenry Hardyの献身的な編集作業がなければ、これほどまでに現在研究される思想家にはなっていなかっただろうということを知った。
 玉を見出すことのできた者も幸福であるし、見出し、研磨をしてくれる者を得た玉のほうも幸福である。
Isaiah Berlin, Beyond the Wit

2009年11月12日木曜日

選択と喪失

Some of the Great Goods cannot live together. That is a conceptual truth. We are doomed to choose, and every choice may entail an irreparable loss.(Isaiah Berlin)

きょうのLiaison

移転のお知らせ
脱出

Dan Sperber

 私の好きな学者の一人だが、最近彼がブログをやっていることを知った。論文同様に、或いは論文の時よりも生き生きと、彼の知性が伝わってくる。例えばこれを見よ。
 Grieving animals?

Jane Austen

 死去する1817年、恐らくリンパ腫系の病に苦しんでいた頃、彼女は8歳になる姪に新年の挨拶を送る。
 “Ym raed Yssac,I hsiw uoy a yppah wen raey.”
 彼女の作品を読んで、200年近くも前に亡くなった作家の、人間のコミュニケーションへの問題へのその近代/現代的な洞察の深さに驚嘆する者には、死の床にあるといってもいいような状態の、42歳の誕生日を迎えたばかりのAustenの、早熟の姪に対する愛情に溢れたユーモアと茶目っ気を読み取ることができるだろう。
 ある物事に真剣に取り組むと同時に、その物事自身、またそれに真剣に取り組む自分自身をも揶揄の対象にすること。それをイロニーと呼ぶなら、Jane Austenは私のイロニーの大先輩である。

2009年11月11日水曜日

JAL問題と労働者の権利

 山崎さんが正論を展開している。
 OBの年金は強制削減すべきではない
 初めてこの話を聞いたときは、どうせすぐ潰れる話だろうとたかをくくっていたのだが、山崎さんの口調を見ると、どうもそうでもないらしい。いつから、こんな当然の話を一生懸命主張しなければならないような国になってしまったのか。日本の知性も落ちたものである。

2009年11月10日火曜日

「言語習得」の開始

Birgit Mampe, Angela D. Friederici, Anne Christophe and Kathleen WermkeのNewborns' Cry Melody Is Shaped by Their Native Language(Current Biology11月5日号)は、新生児の泣き声のパターン分析から、胎児期の最終期3ヶ月間に既に言語習得が開始されているらしいということを明らかにした。
 経験則では恐らくそうだろうとは思っていたが、検証された意義は大きい。

2009年11月9日月曜日

ベルリンの壁崩壊20周年

 20年前の今日だった。
 20 years after the Berlin Wall's fall: An East European looks back
 The Washington Timesらしく愚かしいまでにバイアスのかかった記事だが、ようやくブルガリアにも新しい世代が出現しつつある、という指摘には同意する。
 国外で鍛えられた者たちが戻り、新世代が社会を動かすようになる時代、10年から20年後、この国は見違えるような国になっているだろう。それをこの眼で見たいと私は思う。

2009年11月8日日曜日

Lévi-Strauss先生

 亡くなって一週間が過ぎた。色々な追悼記事が出揃ってきた。
 「世界は人類なしで始まった。そして間違いなくそれなしで終わりを迎えるだろう。」
 Tristes Tropiquesの中の一節である。彼に対していろいろな批判を行うことは可能だ。しかし、このスケールの大きな構えの中でこそ彼にしか可能ではなかった様々な研究が生まれてきたということ。それが最も重要なことだと思う。

「新聞」の将来

「新聞の通信簿」(経済記事担当)を振り返る
 山崎さんの言うとおりだろう。
 しかし、ことは新聞に限った話ではない。話を敷衍していけば、それが、柄谷行人が20年前に指摘したような、100年ほど前の日本における「知識人」と「大衆」の時代の終焉の繰り返しなのか、それとも本当に大文字の「物語」の時代が終わろうとしているのか、まだ私にはわからない。
 しかし、組織ではなく個々の人物そのものが評価される時代、そういう時代が訪れようとしていることだけは間違いないだろう。

2009年11月6日金曜日

日本語は「変わる」のか?

Is Technology Dumbing Down Japanese?
 「変わる」ということの定義にもよるだろう。しかし、この列島の中心部で用いられてきた言葉は幾多の激動期を経てもなおその核心部分を変えていないと私は思う。そうでなければ、辞書をひきながらでも曲がりなりにも1300年前のテクストが読めるはずがない。この言語が経験してきたいくつかの大きな試練を考えれば、ケータイ小説やeメールがもたらしていると言われる「変化」など、少なくとも、大陸文化の流入、明治維新、第2次世界大戦での敗北、などの諸々の大変動と同レベルのものだろう。
 言語としての存亡の危機を何度も乗り切って1300年を生き抜いてきた言葉は、そう簡単には死なない。

「外国で活躍する日本人」

という馬鹿なタイトルに敢えてした。
 決して大言壮語することなく、批判にもじっと耐え、しかし最後にはいい仕事をする人が、私は好きだ。自分がそうありたいと思いながら叶わぬ夢だからであろう。
 「異文化環境」という一言で済ませられぬ厳しさの中に敢えて飛び込んでいき、さらにこれまで以上の力を発揮するということは並大抵のことではない。しかし、それに挑戦し続けている/続けた者は大勢いる。スポーツの世界なら、それは野茂であり、中田であり、イチローであり、松井である。
 松井のMVPに心からの称讃を送りたい。

多様性というもの

Apples, Apples, Apples
 1905年、アメリカ合州国には6,500種のリンゴがあった。それが現在のマーケットではたった11種が市場に出回るリンゴの90%を独占している。中でもRed Deliciousという品種が市場の半分近くを占めている、とKLINKENBORGはいう。
 「堕落した資本主義」とか「市場原理主義の横暴」とかいった青臭いことを言うつもりはない。KLINKENBORGもさすがにそんな馬鹿なことは言っていない。
 資本主義というものは本来そういうものだ。均質化と効率化と無限の膨張。それしかない。それがなければ資本主義ではない。
 だからといって、世界が彼の国や日本のように成り果ててしまっていいかというと、断じてそうではない。
 ここで、KLINKENBORGよりも有利な立場にいる、つまり超高度資本主義国に住まないという贅沢をしている私が言いたいのは、でもうちはうちのリンゴを食べる、なぜならばうちのリンゴがうちの者にとっては一番おいしいリンゴだから、という論理は本当に消えてしまっていいのかということだ。
 リンゴ・ナシ・ハチミツ・ヨーグルト・タマゴ・・・・・・・・ありがたくいただく、ありとあらゆる食べ物に必ず「うちの」「おじいちゃんの」「おばあちゃんの」という修飾語がついてくる国に暮らし、しかしリンゴをまるかじりできなくなった歯を持て余している私の感想である。

Ex-patと哀愁

 今届いたハーグのOPCWの春具さんのメルマガの最新号「哀愁のヨーロッパ」で、ex-patと「哀愁」の関係が、50年ほど前人種差別を嫌いヨーロッパに大挙移住したアフリカ系アメリカ人ジャズミュージシャンたちを例に述べられている。少し長いが引用する。
 「ともかく、デクスター・ゴードンもバド・パウウェルもデューク・ジョーダンもみんなヨーロッパにおいては ex-patであり、alienなのであった。そしてわたくしも小橋さんもオランダに数年腰をかけているだけという非愛国者なのであり、合法的に滞在してはいるが宇宙人なのであります。そしてその気分は、大宰府へ流された菅原道真、鬼界島へ送られた俊寛僧都と似ている。エックスパットというのは、わたくしもふくめて、ここは仮の住まいでほんとうの住まいはどこかほかにあると思っている、すなわちじぶんの居場所がわからない異国在住者なのであります。
 その無常は、デクスター・ゴードンの傑作「Our Man in Paris」や「Something Different」のソロの行間から聴き取れるではないか。パリにいながら、彼の精神はマンハッタン57丁目のクラブを思い出している。コペンハーゲンでギグをしながら、ニューヨークのジャズ仲間とのセッションを思い出している。激しいブローはそれらをふっきらんとするばかりであります。デクスター・ゴードンを主役にした「Round Midnight」という映画がありましたが、あの映画が綴ったように、ローカルなミュージシャンたちにどんなに敬われても、異国にひとりでいる寂しさはぬぐえない。それは道真が梅の木を眺めて都を思い、(風流のレベルは違いますが)わたくしが運河の落ち葉を見て龍田川を思いだすのと似ている。またそれは邦人ビジネスマンが本社の人事をいつも気にしているのにも似ています。エックスパットは、程度の差はあれ、常にこのような屈曲したメンタリティを持って外国暮らしをしているのではないか。そしてそれこそがモダンジャズ・ファンがヨーロッパのジャズに聴く「哀愁」だったと思うのであります。」
 私は現在でもある程度そうだが1年後には名実ともにex-patになる。季節もまさに秋、私も「哀愁」の中にある。ただ、その哀愁は上に述べられた類のノスタルジーや根無し草的な哀愁ではない。つまりどこかに根拠地があるべきで、それを奪われた、或いは(失って)持たぬが故の哀愁、という種類の哀愁ではない。うまく説明できないのだが、上記のような「相対的孤独」とは異なる「絶対的孤独」の感覚、とでも呼ぶべきものからもたらされる「哀愁」なのだ。もちろんどのような境遇にあろうとも人は原理的に常に既に絶対的孤独の中にある。「無常」は私の、或いはあなたの身の上にだけあるのではない。
 恐らく現在の私はそれが日々、刻一刻、魂に刻み込まれるような生を送っている、ということなのかもしれない。

2009年11月4日水曜日

レヴィ=ストロース死す

Anthropologist Levi-Strauss dies
 先生が亡くなった。先生、長い間ありがとうございました。

2009年10月30日金曜日

Michael Kenna

Japan
 この人はあの列島の古層におけるある層を的確に捉えているように思う。写真を見ているとそう感じる。

2009年10月29日木曜日

移動

 比重のある時間が、多義的な古い夢のように君にのしかかってくる。きみはその時間をくぐり抜けるように移動をつづける。たとえ世界の縁までいっても、君はそんな時間から逃れることはできないだろう。でも、もしそうだとしても、君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。
(村上春樹『海辺のカフカ』2002)

カフカの夢

 ・・・僕は最後の決着をつける、というよりも、見届けるために、田舎の小さなローカル線(か、ひょっとしたらトラムかもしれない。二両編成だ)に乗って、ある駅に向かっている・・・
 ・・・降りる準備で、小さいくせにずいぶん重いリュックを再び背負う、というよりも、結構混んでいるので他の乗客の迷惑にならぬように背負い直すのに気を使うのだ。背中のほうのどこからか無言の一本の手が伸びて背負うのを手助けしてくれる。振り返ると、さっきの(なぜ「さっきの」なんだろう。僕はなぜ彼女を知っているんだろう?)年配の女性だ。顔を見ずに、うつむいたまま僕は小声で礼を言う・・・
 ・・・間違えて、一つ手前の駅で降りてしまい、あわててまたすぐに同じ電車に飛び乗る・・・
 ・・・都知事「やれやれ。やっぱり二つあったのか。そんなことじゃねえかと思ってたよ。それで?今ひとまず片をつけておいて、あれが戻ってきてから改めて精算するか、それとも、つけにしといて、最後に全部まとめて帳尻を合わせるか?どっちにする?」・・・
 ・・・あとですべてまとめて精算すればいいだろう、いずれにしろ片がついていないことは他にもいくつか残っている・・・

Happy Life Years

HAPPY LIFE YEARS IN 148 NATIONS 2000-2009
 日本国籍所持者でありブルガリア在住ではあるが、このデータは少なくともこの僕にはまったく当てはまらない。なぜならば、僕にとってはこれからの50年がTruly Happy Life Yearsであり、これまでの50年は所詮その準備期間に過ぎなかったからだ。XD

2009年10月25日日曜日

かに星雲


M1: The Crab Nebula from Hubble
Credit: NASA, ESA, J. Hester, A. Loll (ASU); Acknowledgement: Davide De Martin (Skyfactory)(写真クリックで拡大)
 「爆発」という現象においてはミクロのレベルもマクロのレベルも大した違いはないということがよく分かる。使用された三色は研究上便宜的に付けられているそうだ。言葉は要らない。映像の威力。

2009年10月22日木曜日

きょうの山崎元

日本郵政はいったいどうなるのか?
 やはりこの人は、こういう問題に関して発言する時が最も鋭いし、まっとうであるし、私は好きである。
 その主張に関しても同意する。
 問題は――世の中はほとんどそういうものだということは認めた上で言うのだが――その本質を理解できる/する/しようとする者は少ない、さらにそれを実行に移せる者はもっと少数だということだ。
 彼ぐらいの人物は、ブログなんかで遊んでいないで、早く国家行政に携わってもらいたい。その時期はもうそろそろではないかという予感のようなものはあるのだが。

2009年10月13日火曜日

2009年10月11日日曜日

労働組合

連合は労組の本分に返れ
 日本経済新聞の社説に時折出てくる、まっすぐな社説が今日も出た。
 健全な労働組合が常に正論を展開しないところに発展はない。
 そういえば社会主義の大先輩のここブルガリアの労働組合はどうなのだろう。あまり話を聞かない。大学の教職員組合のこともあまり耳にしない。ましてや大学の非常勤講師の組合などは、そもそも存在さえしていないのではないか。

2009年10月10日土曜日

ブルガリアにおけるムスリム

Bulgaria Muslims Number Close to One Million

 国内での彼らの「見え方」が気になる。私の交際範囲の狭さだけが原因ではあるまい。
 きのうもモスクが二つ、一夜のうちに燃え落ちた。
 ロマの人々への対応も含めて、早いうちに国家として積極的な政策を打ち出さなければ、いずれ大きな付けを払うことになるだろう。

2009年10月6日火曜日

ガスを吹き飛ばしながら突き進む銀河

ガスを吹き飛ばしながら突き進む銀河
 いいね、これ。いまの私はこういうのを見せてもらうと少し気が晴れる。

皆さん、ちゃんと歯は磨きましょう

歯磨きでがんリスク3割減 1日2回以上が効果的
 それから、やはり定期的に歯医者でもチェックを受けましょう。
 この年で早くもどんどん歯を失いつつある私の、心からのお願いです。:)

2009年9月26日土曜日

仲間

 ユーラシア大陸を西に向かって横断するトルコ航空便。
 たまたま隣席に座った白人男性が一心不乱に岩波文庫の般若心経に読み耽っている。そこで日本語で話しかけてみる。ところがなんと日本語は話せないとドイツ語で答えてくる。びっくりした私は、英語に切り替え、でもお前は(一瞬で同類と見て取ると実際突然こんな口調に変わる。それは相手も同じこと)、いま岩波文庫の般若心経を読んでいたではないかと言う。すると彼も英語に切り替えてくれて、実は俺はミュンヘンの大学でサンスクリットを教えているのだが、今は京都で開かれていたサンスクリット学会の帰りで、京都の本屋で買った般若心経(或いは併載されているもう一つの経典だったかもしれないが)を、漢字はまったく読めないのだが、巻末のサンスクリット原典を頼りに「味わっている」のだ、と言う。おお、ここにも仲間がいた。
 12時間の長旅は充実した対話の時間となり、名刺を交換し、再会を約してイスタンブール空港で別れる。
 私は生きている、動いている、と感じることのできるのはこういう時である。
 

きょうのLiaison

フェアトレードのまち岡本 ~うりぼうと一緒にお散歩しましょ~
one village one earthフェアトレード&国際協力セミナー第一期終了しました。

2009年9月25日金曜日

きょうのLiaison

「プロジェクト17」ショッピングバッグ
Disappeared 「女の赤ちゃんを守れ!」絵画展 始まっています。

One-in-four Japan women 'elderly'

One-in-four Japan women 'elderly'
 女性の4人に1人、男性の5人に1人が65歳以上だということをもっと積極的に活かす社会(観)が、そろそろ必要な時がきた。

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm
 進化上の問題か、教育の問題か。少なくとも私だけの欠点ではないことが明らかになったようで。。。

I think, therefore I earn

I think, therefore I earn
 哲学という固有の領域自体が優れているということだけではないだろう。ここで重要視されている分析力・明確な思考・コミュニケーション力などを鍛えるには哲学が最も適した領域であるということなのだろう。いかなる領域であれ、それらが極めて重要な能力であることは言うをまたないし、他の領域でも涵養することのできる能力だ。

2009年9月24日木曜日

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study
 それはそうだろう、と思う。ただ問題はそれがどの程度長続きするかだ。経験則によれば、残念ながらそれは望み薄のようだ。

2009年9月22日火曜日

主語の複数性或いは関係の存在論

「以上のような形に還元されない命題の最もわかりやすい実例は、数学的な観念を借用している命題である。たとえば、「三人の人がいる」というように、すべて数を断言することは、主語のおのおのに、一つの述語をもまた同時に与えておるかもしれないが、本質的には、主語の複数性を断言するものである。三人という数は、その命題が、一つであればこそ、三人となりうるのであり、一人ずつ人がいることを断言する三命題が並列されているならば、三という数はなくなるから、右のごとき命題はただ、主語-述語形式の命題の和とは考えられないのである。さらに進んで、ある場合には、われわれは、主語間の関係--たとえば、位置、大小、全体と部分の関係--を承認せねばならない。」(ラッセル「ライプニッツの哲学」)
 日本語で最も一般的な言い方である「人が三人いる。」で考えればこのことはより分かりやすくなる。
 なにものかが存在する。なにものかとは何か。人だ。人が存在する。いかにしてか。3人という在り方においてである。

2009年9月20日日曜日

2009年9月15日火曜日

電子辞書

 中国カシオから発売されているE-SF300に『日本語文型辞典』の中国語版『日本語句型辞典』が収録されている。
 自分の辞典が電子辞書に入り、それも中国で売られる時代になった。一種の感慨をもつと同時に、さらに一層の精進を誓う。

2009年9月6日日曜日

ことば・コトバ・言葉

社説:国語世論調査 空気読んで、は通じない
 毎日新聞らしいまっすぐな社説。
 第1言語でのコミュニケーションに齟齬を来すような人は第2・3言語習得においても成功しないことは常識だ。
 言葉でもコトバでもなく、「ことば」の習得が必要だ。

2009年9月3日木曜日

Ian Mcewan, Atonement

 読了。
 色々と印象に残る作品だったが、結末部においては、死を覚悟した作家の、世界への最後の視線の描写に感心した。

2009年8月31日月曜日

「本質」と「ゴシップ」

What They See in Van Gogh’s Ear
 重要なものは本質のみであり、ゴシップに振り回されてはいけない。。。その通りだろう。。。恐らく。
 しかし、最も厄介なことは、ではその「本質」とは何か、が実は怪しげなものであることがままある、ということだ。

2009年8月16日日曜日

沈潜

 ブログのアップが1週間ほど滞っていた理由を書こう。
 夏休みということもあり、ここのところこれまでとは少し傾向の異なった勉強をしている。
 大使館の図書室から借りている丸谷才一の『新々百人一首』を手がかりに、短歌の歴史を少し齧っているのだ。
 入り込んでいけばいくほど、こんな文学世界は世界でも類を見ない種類のものだろうと強く感じる。ことばの迷宮という形容がもっとも相応しい。日本語は『古事記』以来1,300年基本的には変わっていない。眩暈のするようなこのことばの世界を知らずして日本語を論じることはできないということがよく分かった。そのことは現代の「日本」に関しても聊かも変わらない。
 もう時間の無駄遣いはやめ、孤独の中で、当分は日本語そのものと向き合う姿勢を維持することにする。

きょうのLiaison

PeopleTreeカタログ2009秋冬号

2009年7月31日金曜日

きょうのLiaison

8月のピックアップコーナーは『marieJ』

ノスタルジア

 大使館で借り出して丸谷才一『新々百人一首』を読み始めた。
 日本にいた頃には手にとってさえみなかった類の書物である。
 読んでいて、ノスタルジアというものが時間的なものだけではなく空間的なものでもあるということに気づく。
 そして、極めて個人的な、孤独な作業であることにも。

2009年7月30日木曜日

きょうのLiaison

夏のひびき 始まりました。

浅田次郎短編集『鉄道員(ぽっぽや)』(1997)

 「鉄道員(ぽっぽや)」「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」の四作が特によい。この短編集は「クール・ジャパン」ファンの若い人にもぜひ読んでもらいたい。

Theodor Adorno

Kafkaをthe solipcist without ipseity(自我を持たぬ唯我主義者)と評す。Adornoは時折りこういう極めて短い言葉によって我々をまどろみから覚醒させてくれる。

死刑執行

Three killers are sent to the gallows
Japan executes death row inmates
 捕鯨と並んで、僕が日本人に関してよく理解できない性向の最大のものである。秋にスタートする予定の懇談会ではテーマに取り上げて議論したい。

「男女の違い」

Why Girls Have BFFs and Boys Hang Out in Packs
 別に驚くべきことではないはずなのだが、この調査を実施した研究者のコメントを読んで安心する自己を発見して驚く。

2009年7月29日水曜日

ブルガリア人の他者観

Bulgarians Prefer Roma to Some Emigrants - Poll
Open Society Institute report sees racism in Bulgaria
 一応私も日本人だから、日本人観が興味深かった。家族の一員としてや自分の子供の同級生として一番歓迎されないのが日本人だそうだ。一方で隣人や上司としてなら構わないという。アフリカ系やアラブ系に対する強い嫌悪感を考慮に入れると、日本人の場合も彼らが接触する機会が少ないということが人種的偏見と深く結びついているようだ。これはブルガリア人に限らない現象だ。

怠惰

「どの程度まで人間が怠惰なのかは考えもつかないことである。人間が生きているのは、ただ眠り、無為に生き、じっとしたままでいるためであるかのようだ。というのは人間は、餓死を避けようとして必要な運動をするために、かろうじて決心をつけられるからである。未開人たちが彼らの境遇を好み続けているのは、何よりもこの心地よい無為のためである。人間を不安にし、用心深くし、活動的にする情念は、社会の中ではじめて生れる。なにもしないということは、自己保存の情念についで、人間の最初の、しかももっとも強い情念である。よく眺めていれば、われわれの間にあってさえも、おのおのが働くのは休息にたどりつくためであり、さらにわれわれを勤勉にしているのは、怠惰なのであるということがわかるであろう。」(ルソー『言語起源論―旋律および音楽的模倣を論ず』)

T. Coraghessan Boyle

Ash Monday
 この作品は一種独特の「香り」のようなものを放つ。作品の内容のせいなのか、この作家の特徴なのか。まだ分からない。

2009年7月24日金曜日

ニセモノ

 この世の中がニセモノに満ち満ちていることは十分分かっているつもりだ。しかし最近のようにこれだけ集中して見せつけられると、気も滅入ろうというものだ。せめて自分も含めて身の周りだけでもそのニセモノ性を減じてゆきたいのだが、それもなかなか思うようにはいかない。
 まあ、今日の元気のなさは43度まで気温も上がったせいもあるだろうが。

きょうのLiaison

すずかけTシャツ、お送りできます。

一万語

 「ブルガリア語-日本語-ブルガリア語オンライン辞典」の見出し語数が一万に達した。
 これも偏に毎日地道に作業を続けている執筆者たちのおかげである。自己顕示のためでなく、またまったく目立たない役割であるにもかかわらず、「あとに続くみんなのために」と黙々と献身を続ける彼らこそ、最も賞賛されるべき存在である。

2009年7月23日木曜日

きょうのLiaison

本日入荷製品7月23日

還らぬものの還ること

She was surprised at how serene she felt, and just a little sad. Was it disappointment? She had hardly expected to be forgiven. What she felt was more like homesickness, though there was no source for it, no home. But she was sad to leave her sister. It was her sister she missed—or more precisely, it was her sister with Robbie. Their love. Neither Briony nor the war had destroyed it. This was what soothed her as she sank deeper under the city. How Cecilia had drawn him to her with her eyes. That tenderness in her voice when she called him back from his memories, from Dunkirk, or from the roads that led to it. She used to speak like that to her sometimes, when Cecilia was sixteen and she was a child of six and things went impossibly wrong. Or in the night, when Cecilia came to rescue her from a nightmare and take her into her own bed. Those were the words she used. Come back. It was only a bad dream. Briony, come back. How easily this unthinking family love was forgotten. She was gliding down now, through the soupy brown light, almost to the bottom.(Ian Mcewan, Atonement)

2009年7月22日水曜日

友情

'I can't answer that. Friendship isn't a problem for women.'
'What do you mean?'
'Just what I say. Friendship is a problem for men. It's their romanticism. Not ours.'
(Milan Kundera, IDENTITY)

きょうのLiaison

ハニーココナッツ

2009年7月21日火曜日

きょうのLiaison

キボコ小学校の子どもたち

「考える」ということ

"Thinking no longer means anymore than checking at each moment whether one can indeed think."(Theodor Adorno)
 この言葉を(私を含めて)そのチェックさえ満足にできない人々に捧げる。

田中博士講演

 週末、昔の同僚のよしみでSofiaで講演してもらうことができた。フィールドワークを少しやってもらうこともできた。これからの共同事業のアイデアも生まれた。田中さん、ありがとう。これからもよろしく。

2009年7月14日火曜日

京都教育大学国文学会・国文学科ホームカミングデーのお知らせ

京都教育大学国文学会・国文学科ホームカミングデー

下記のとおり、2009年度の国文学会・国文学科ホームカミングデーを開催いたします。国文学科卒業生の皆様にはふるってご参加くださいますようご案内申し上げます。

             記

○日時 2009年8月1日(土)午後1時20分~午後7時

○会場 京都教育大学F16講義室

●開会 午後1時20分(受付12時45分より)

●研究発表(発表時間25分、質疑応答15分)

一、〈抵抗〉する文学――「麦と兵隊」論――

              私立東山高等学校非常勤講師  仁禮  愛

二、小集団の読書プログラムについての研究――リテラチャー・サークルを手がかりとして――

                      本学准教授  寺田  守

三、“越境”する文学・文化をどう捉えるか――書物・流通・日本語文学――

                名古屋大学大学院准教授  日比 嘉高


四、授業を聞けない生徒達への処方箋

 奈良県立山辺高等学校教諭  堤 乃扶子 

●国文学会総会・国文学科卒業生の近況報告 午後4時20分~5時

●懇親会 午後5時~7時  於職員会館(参加費3,500円)


   ○問合せ先 メールアドレス:kokubun@kyokyo-u.ac.jp

電話:(075)644―8231(国文学科 谷口)

きょうのLiaison

夏のひびき

2009年7月12日日曜日

幸福の相対性或いは絶対性

アリョーシカももどる。お人好しというのか、彼は、他人におごってばかりいて、自分でなんの内職かせぎもできない男だ。
『食べなよ、アリョーシカ!』ビスケットを一つ、彼にやる。
アリョーシカはにこりとする。
『ありがとう! 自分の分がなくなるでしょ!』
『食べなったら!』
おれたちは、なくなればなくなったで、またかせぐだけの話だ。
そして自分は、ひときれのカルバサを口へほうりこむ---口へ! それを歯で嚙む。歯で! 肉の香りがする! 肉の汁、ほんものの肉汁だ。それが、喉を通り、腹へはいっていく。
それで---カルバサはおしまい。
あとは、あすの集合前にとっておこう。シューホフはそう決めた。
彼は、薄っぺらい、垢じみた毛布を、すっぽりと頭からかぶった。やがて、寝台のあいだの通路に、点呼を待つあちらの大部屋の囚人たちがいっぱいにあふれたが、もうそのもの音に耳をかそうとはしない。
シューホフは、満ちたりた気持ちで眠りに落ちていった。きょう一日、彼はまったくついていた。営倉にも入れられなかった。班が《社生団地》へまわされることもなかった。昼食のときには、うまくカーシャをごまかした。班長はパーセント査定をうまくやってくれた。たのしく壁積みができた。身体検査で鋸のかけらがひっかからなかった。夕方にはツェーザリにかせがせてもらい、たばこも買えた。病気にもかからず、なんとか乗りきれた。
なんの影に曇らされることもない、いや、ほとんど幸福とさえいえる一日が過ぎたのだ。
(ソルジェニツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』)

2009年7月11日土曜日

『雨あがる』

 黒澤明脚本、小泉堯史監督作品(2000年)。
 2000年度日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品。山本周五郎の原作の良さを生かした佳作だが、前年の受賞作『鉄道員(ぽっぽや)』、同じく翌年の『千と千尋の神隠し』と比較してスケールの点で見劣りすることは否めない。
 川止めの宿、貧しい旅人たちの浮かれ騒ぐ場面、その名もない旅人たちを演じる役者たちの演技の中に、寧ろ日本映画の底力を見る。全体の筋の流れを無視してでもあのシーンをもっと強調していれば、間違いなく映画史に残る名場面となっていただろう。

2009年7月10日金曜日

雷鳴

It is late afternoon as I write. There is blundering beyond the tree line. Soon the tuberous blunderheads trundle over the horizon; they begin to “wampum, wampum, wampum” until at last they’re vrooming nearby, just down the valley. Or perhaps they’re harrumphing and oomphing, from the very omphalos of the storm. Onomatopoeia is such a delicate thing. (Verlyn Klinkenborg, How the Thunder Sounds)

逮捕される/捕らわれる/捕まること

No. You have been arrested, but it's not in the same way as when they arrest a thief. If you're arrested in the same way as a thief, then it's bad, but an arrest like this ... . It seems to me that it's something very complicated - forgive me if I'm saying something stupid - something very complicated that I don't understand, but something that you don't really need to understand anyway.(Franz Kafka, The Trial)

2009年7月9日木曜日

Giovanni Arrighi往く

Histories of the Present: Giovanni Arrighi, the Longue Duree of Geohistorical Capitalism, and the Current Crisis
 彼も私の大切な先生の一人だった。

Do You Speak Bulgarian?

Do You Speak Bulgarian?
 その論旨に頷けるところがないでもない。しかし、それがまず言語テストだという思想は貧困である。まずそれを一律に適用すればただでさえ苦慮している優秀な人材の獲得に不利になる。また国家の自律性というならそれは言語テストのごときちゃちなものではなく政治・経済・文化などの総合力で維持すべき筋合いのものだ。
 しかし何よりも問題なのは、近くそれが導入されるようなことにでもなれば、私がブルガリアに住むことができなくなることである。XD

АГОРА СОФИЯ oрганизира лекция на тема “ТРАДИЦИОННА ЯПОНСКА МУЗИКА”

 3年前まで同僚だった田中さんがСофияに来て講演してくれる。友情が続くというのはいいものである。
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アゴラ・ソフィア文化講演会
「日本の伝統音楽」
 民族音楽の領域で日本有数の研究者である田中多佳子・京都教育大学教授による日本の伝統的な諸音楽に関する講演を下記の要領で開催します。入場無料、通訳付で、音声・映像資料を使った分かりやすいものですので、どうぞ奮ってご参加下さい。なお、定員30名ですので、agorasofia@gmail.comか0884 526 419まで、お早めにお問い合わせ・お申し込み下さい。
 ご来場をお待ちしております。
                   記
日時:2009年7月18日(土)10:00~12:00
場所:АГОРА СОФИЯ, гр. София, ул. «Средна гора» 97
ーーー
АГОРА СОФИЯ
oрганизира лекция на тема
“ТРАДИЦИОННА ЯПОНСКА МУЗИКА”
Гост-лектор: Професор Такако ТАНАКА-музиковед в Педагогическия факултет на Педагогическия Университет, гр. Киото. Изследванията й са насочени главно в три области: изработване и модернизиране на музикалните инструменти в Азия, хиндуистки религиозни певчески форми и корейски «Pung-mul» като образователен материал в училищата в Япония.
Лекцията ще бъде придружена с богат аудио-визуален материал. Осигурен е и превод на български език. Заповядайте!
ПРОГРАМА
КОГА: 18 юли 2009г.(събота), 10-12ч.
КЪДЕ: АГОРА СОФИЯ, гр. София, ул. «Средна гора» 97
ЛЕКТОР: проф. Такако ТАНАКА – Педагогически Университет, гр. Киото
Вход свободен
Молим желаещите да участват да заявят присъствието си предварително, тъй като броят на слушателите е ограничен до 30 души. За записвания – agorasofia@gmail.com, 0884 526 419. Очакваме Ви!

2009年7月8日水曜日

出張

 五日間にわたってВелико Търново大学での研究会、二つの勉強会、Варнаの諸教育機関視察を終えて先ほどСофияに戻ってきた。
 いつもそうだが、今回も実に実り多い出張だった。また多くの関係者のお名前を逐一挙げることはしないが、これらの活動を成功させるために大変ご尽力くださったすべての方々に深く感謝する。
 どんどん仲間が増えていき、着実に総合力が上がっていっている様を改めて実感することができた。

きょうのLiaison

アトリエすずかけ新作Tシャツのおしらせ。
お盆休みのおしらせ
カンガでゆかた帯

2009年7月3日金曜日

他者から/への承認の問題

”However much he may tell her he loves her and thinks her beautiful, his loving gaze could never console her. Because the gaze of love is the gaze that isolates. Jean-Marc thought about the loving solitude of two old persons become invisible to other people: a sad solitude that prefigures death. No, what she needs is not a loving gaze but a flood of alien, crude, lustful looks settling on her with no good will, no discrimination, no tenderness or politeness - settling on her fatefully, inescapably. Those are the looks that sustain her within human society. The gaze of love rips her out of it.” (Milan Kundera, Identity)

きょうの山崎元

「レスラー」を観て仕事の意義を考えた
元官僚の友人と会った
 二つとも、いろいろと考えさせられる記事だった。少し時間のあるときにいわゆる「仕事」というものについて少し書いてみたい。

2009年7月1日水曜日

「個」というもの

"Inside the taxi, K. remembered that he had not noticed the supervisor and the policemen leaving - the supervisor had stopped him noticing the three bank staff and now the three bank staff had stopped him noticing the supervisor." (Franz Kafka, the Trial)
 個的存在というものが、そもそも複数的なものなのか、それとも差異から成る「一」なのか、私は知らない。しかし、「いま、ここ」においては、存在は単独でしかあり続けられない。

きょうのLiaison

one vilage one earth フェアトレード&国際協力セミナー vol.6 「森で生まれるフェアトレード・コーヒー」
夏のお洋服バーゲンセール!!

Michel Foucault

"The main interest in life and work is to become someone else that you were not in the beginning"
"...a kind of tool-box which others can rummage through to find a tool which they can use however they wish in their own area... I don't write for an audience, I write for users, not readers."
 今こういう一連のことばを読み返していると、私の人生におけるここ20年ほどの間彼が私にとっていかに大きな存在であり続けたかに改めて思いが至る。

2009年6月30日火曜日

搾取

"There is some reason to fear that the involvement of non-Western peoples in the conflicts of industrial society, long overdue in itself, will be less to the benefit of the liberated peoples than to that of rationally improved production and communications, and a modestly raised standard of living."(Theodor Adorno)

systematized horror

"The world is systematized horror, but therefore it is to do the world too much honour to think of it entirely as a system; for its unifying principle is division, and it reconciles by asserting unimpaired the irreconcilability of the general and the particular."(Theodor Adorno)

『彼岸花』

 小津安二郎1958年作品。
 小津初のカラー作品。そのせいか、あるいは何か他に背景があるのか、オールスターの競演という印象が強く、小津らしさがあまり前面に出ていない。
 しかし、彼の代表作群に比して見劣りのするこの程度の作品でも観る者の眼を釘付けにする。彼はやはり偉大である。

To hug, to kiss, to hand-shake?

To hug, to kiss, to hand-shake?
 楽しい文章だ。握手は挨拶として温かみに欠ける、というKarolinkaは日本的な挨拶の仕方をどう見るだろう。まったく言及のないところを見ると、欧米以外には彼女は関心はないようだが。
 それにしても、よそ者の視点から温かくブルガリアを視る文章を書いてくれていた彼女が近くブルガリアを去るのは残念なことである。

「あの夏、いちばん静かな海。」

 北野武1991年作品。
 ラストの部分は、何か監督がすべて放り出してしまったような印象を受ける作りで、いただけない。
 しかし、日本映画の伝統を踏まえつつもそこにまったく新しい境地を開いた、北野の才能が光る好篇だと思う。

2009年6月27日土曜日

きょうのLiaison

えな衣展

НИКОЛАЙ ГРОЗДИНСКИ

Mustafa
ブルガリア/バルカン的ユーモアに溢れた佳篇。私はこういうものが好きだ。この人のものをしばらく読んでみようかと思う。

2009年6月25日木曜日

Nietzscheのnational identity

“Even by virtue of my descent, I am granted an eye beyond all merely local, merely nationally conditioned perspectives; it is not difficult for me to be a "good European." On the other hand, I am perhaps more German than present-day Germans, mere citizens of the German Reich, could possibly be—I, the last anti-political German. And yet my ancestors were Polish noblemen: I have many racial instincts in my body from that source—who knows? [...] When I consider how often I am addressed as a Pole when I travel, even by Poles themselves, and how rarely I am taken for a German, it might seem that I have been merely externally sprinkled with what is German.”(Ecce Homo

2009年6月23日火曜日

Resignationの説

 鷗外47歳。珍しく激した、しかし孤高を守る思索者の姿。業績比ぶべくもなく、また自分が高みにいるとも思わぬが、若い頃に読んだ時の読後感とは全く違う想いを今抱く自分に少し驚く。

STEPHEN M. KOSSLYN

LEVERAGING DIFFERENCES
 10年前の私は、このようなアプローチは幼稚に過ぎると一笑に付していた。しかし最近の脳科学・認知心理学などにおける研究の進展ぶりを見ていると、いずれこのようなアプローチが主流になるのかもしれないと思い始めている。少なくとも宗教や精神論に騙されて泣きを見る人は減っていくだろう。

The Reader (Der Vorleser)

 Bernhard Schlinkの原作は昔日本語訳で読んでいた。
 昨夜その映画化作品を観た。
 原作の持っていた内省性は薄められ、ナチズム及びそれに「加担」した人々への批判性も弱められている印象は否めない。しかし、根本的な人間存在の底の底まで踏み込もうとするならば――この作品がそのあるべきレヴェルにまで十分到達しているとは言わないが――、このような方向での捉え方もあり得るのではないか、と思わせるような深みにまでは届いている作品だと思う。
 原作の英語訳も読んでみようと思う。

2009年6月22日月曜日

きょうのVERLYN KLINKENBORG

Point of Return
 こんな短い文章で読む者の眼差しを一変させてしまう。本当にこの人はすばらしい。

きょうのLiaison

えな衣展+ぬいぬいWSワークショップ
西宮友の会 友愛セール

being under arrest

"I see you've misunderstood me," said the supervisor who was already at the door. "It's true that you're under arrest, but that shouldn't stop you from carrying out your job. And there shouldn't be anything to stop you carrying on with your usual life." "In that case it's not too bad, being under arrest," said K., and went up close to the supervisor.(KAFKA, Franz, Trial

2009年6月21日日曜日

Please pass on..

Please Pass On! Pictures of the Uprising! Don't Let This Moment Pass Away!!
Please pass this on to everyone you know who cares about democratic reform in a sorely needed part of our world: http://tinyurl.com/IranUprising
Iran:Riot in tehran streets after election day"Death to the dictator!"

2009年6月20日土曜日

きょうのLiaison

カンガの展示

量子論と特殊相対性理論

We believe that everything there is to say about the world can in principle be put into the form of a narrative, or story. Or, in more precise and technical terms: everything there is to say can be packed into an infinite set of propositions of the form "at t1 this is the exact physical condition of the world" and "at t2 that is the exact physical condition of the world," and so on. But the phenomenon of quantum-mechanical entanglement and the spacetime geometry of special relativity—taken together—imply that the physical history of the world is infinitely too rich for that.(David Z Albert and Rivka Galchen,Was Einstein Wrong?: A Quantum Threat to Special Relativity

叙勲

 我々の仲間Дора Барова氏がこのたび日本文学研究・翻訳での功績を讃えられて日本政府から勲章を受け、昨夜大使公邸で贈呈式があった。Дораさん、おめでとう!

2009年6月15日月曜日

発話行為としてのコミュニズム、そして「所有」。

”communism is the speech act of existence as it is ontologically being-in-common. This speech act claims (for) the ontological truth of the common, that is the relation - which ultimately is nothing else than sense....the truth of the common is property. Property does not mean only the possession or the belonging. In a reverse way, one should rather say that possession or belonging may only be truly understood and determined if property is first understood.”(Jean-Luc Nancy,Communism, the Word
 極めて重要なテーゼ。

the place--the picture of it--stays...

"I was talking about time. It's so hard for me to believe in it.
Some things go. Pass on. Some things just stay. I used to think it was my rememory. You know. Some things you forget. Other things you never do. But it's not. Places, places are still there. If a house burns down, it's gone, but the place--the picture of it--stays, and not just in my rememory, but out there, in the world. What I remember is a picture floating around out there outside my head. I mean, even if I don't think it, even if I die, the picture of what I did, or knew, or saw is still out there. Right in the place where it happened."(Toni Morrison, Beloved")

きょうのVerlyn Klinkenborg

What the Land Says
 今日の文章もすばらしい。。。
 学生諸君には「言語」ではなく「ことば」を聴くことのできる人になってほしい。それがしがない言語教師の小さな望みである。

Nation-stateとCommunity

"One frequently hears today that the nation-state will be gradually decomposed by the globalization of capitalism (neo-liberalism). This is impossible. When individual national economies are threatened by the global market, they demand the protection (redistribution) of the state and/or bloc economy, at the same time as appealing to nationaljavascript:void(0) cultural identity. So it is that any counteraction to capital must also be one targeted against the state and nation (community). The capitalist nation-state is fearless because of its makeup. The denial of one ends up being reabsorbed into the ring of the trinity by the power of the other two. Countermovements in the past, such as corporatism, welfare society, and social democracy, resulted in the perfection of the ring rather than its abolition." (KARATANI, Kojin, Transcritique, pp.15.-16.)
 しかし、多国籍(寧ろ国籍横断的と言ったほうがいいだろう)企業を代表とするグロ-バル経済の力と国民国家との闘争はまだ決着がついていないのではないか。

2009年6月14日日曜日

「第4回ルーマニア日本語教師会日本語教育・日本語学シンポジウム」のお知らせ

「第4回ルーマニア日本語教師会日本語教育・日本語学シンポジウム」

発表者募集のお知らせ


 ルーマニア日本語教師会(APJR)では以下の要領で「第4回ルーマニア日本語教師会日本語教育・日本語学シンポジウム」の開催を予定しています。


主催: ルーマニア日本語教師会(APJR)

助成: 独立行政法人国際交流基金

協力: ブカレスト大学外国語学部日本語学科、ブルガリア日本語教師会

招聘講師: 小林基起(鹿児島大学教授)

会期: 2009年9月19日(土)・20日(日)

会場: ブカレスト大学

開催目的: ルーマニア及び隣国の日本語教育に関わっている教師間で研究・活動の成果を発表する機会、そして日本からの招聘講師の講演を聴講する機会を与え、お互いの研究・活動を知り合うことで日本語教育全体の質の向上を図ること。

当シンポジウム開催にあたり、現在発表者の募集を行っています。募集内容は日本語学、日本語教育学に関する分野の研究論文、もしくは日本語教育現場からの実践報告です。


発表応募と論文投稿規定


(注意:発表応募締切日と本文投稿締切日が違いますのでご注意ください。)


1.テーマ:次のいずれかの分野で未発表のもの。

-全国、または隣国の日本語教育機関の現地報告(学習者のニーズ、指導上の問題・課題など)

-日々の教室での活動、試みなどに関する実践的な調査・報告 

-日本語教育に関する研究テーマの発表(学生のニーズ分析、カリキュラム開発、教科書分析、教材開発、教授法など)

-日本語学に関する研究テーマの発表(日本語の形態論・意味論・シンタクス・翻訳論・談話分析など)


2.発表資格:国籍、年齢、所属は一切問いません。ルーマニア日本語教師会(APJR)の会員でなくてもご投稿になれます。


3.使用言語:日本語もしくは英語とします。


4.発表形態

I. 口頭発表:実践研究・報告発表

<時間:発表20分、質疑応答10分、計30分>

II. ポスター発表:ポスター提示による発表です。その場で説明、情報交換を行います。

<提示時間60分。ポスターのサイズA3判4枚以内>

注:利益を目的とした宣伝活動は対象となりません。


5.発表応募方法:応募する際、メール本文欄(あるいは添付ファイル)に発表者の氏名と所属機関、発表の題名と要旨を記入し、メールにてルーマニア日本語教師会(apjromania@gmail.com)までお送りください。要旨は、「予稿集」編集のため和文(500字以内)と英文(300語以内)でご提出ください。

発表応募締切日:2009年8月16日(日)


6.合否通知:査読委員会は審査し、発表者を決定します。8月23日までに結果をお知らせします。

また、発表者はシンポジウム論文集への投稿もお願いします。


7.論文投稿方法:論文を投稿する際はメール本文欄(あるいは添付ファイル)に以下の(1)から(3)までのものを記入し、メールにてルーマニア日本語教師会(apjromania@gmail.com)までご提出ください。

1.

執筆者の氏名(日本語及び英語)、所属機関、連絡先(電話番号とE-mailアドレス)
2.

題名(日本語及び英語)
3.

キーワード5語以内(執筆言語によるもの。キーワードは論文にも記載してください。)

論文提出締切日:2009年11月15日(日)


8.論文の分量

I. 日本語原稿:ワープロ打ち、A4用紙1ページ39字程度x35行程度(フォント11)で6枚から8枚程度。(8枚以内に収めること)

II. 英語原稿:ワープロ打ち、A4用紙82字程度x42行程度(フォント10,5)で6枚から8枚。(8枚以内に収めること)

I, IIとも、図表、参考文献などを含みます。


9.シンポジウム参加費

I. 発表者: 

ルーマニア日本語教師会会員及びブルガリア日本語教師会会員:無料

  非会員:40レイ(約10ユーロ)

II. 聴講者:10レイ(約2.5ユーロ)


留意事項:隣国・地方の方への交通費の支払い

 今年は残念ながら交通費が負担できなくなってしまいました。申し訳ありません。ご了承・ご協力お願いします。


 どうぞ宜しくお願いいたします。


ルーマニア日本語教師会会長

Roman PASCA


問い合わせ:ルーマニア日本語教師会(APJR)<apjromania@gmail.com>

Borgesの宇宙

‘One may envision some decades hence a Borges encyclopaedia ...the work of a group of people devoted to the annihilation of the external universe and its replacement with a universe made by a human being, with its own inevitable logic and order. That human being will in time recede as a physical being and achieve the status of an idea. Then those future generations of scholars will forget the existence of English or Argentine or Latin literatures. The world will be Borges.’(D. Balderston, The Literary Universe of Jorge Luis Borges)
 この陳述が当てはまるのは、古今東西ひとりBorgesのみである。

腐敗

 La Tribune: European Union at the Time of Bulgarian Challenge
 腐敗は政府・公安・法的システム・経済界などのマクロ・レヴェルだけでないことは言うまでもない。
 私の周囲にも腐った奴が3、4人いる(なお、彼らを除くすべての周囲の人たちがとてつもなく素敵な人たちであることを急いで付け加えておく)。それがどんな奴らなのかは、日本にずっといる人には到底理解してもらえないだろうが、あんな奴らは日本では少なくとも私の周りには一人もいなかった(私が最も軽蔑していた同僚でさえ、今から思えば彼らよりはるかにましである)。こと彼らに対しては評価のシステムというものがまったく機能していなかったのかもしれない、と百歩譲ったとしても、それにしても、である。なぜこんな奴らがこんな所にまで入り込めるのか。本当にひどい。僕にひどいと言われるのだから相当なものだ。
 一度腐敗したものを新鮮なものに再生させることは不可能だ。腐った部分に倫理的な改心を求めても無駄である。腐った部分は除去し、新鮮なものを投入するしか道はない。
 さて、記事中の写真を見てほしい。これを見て苦笑せずに済む者はいないのではないか。その夜郎自大的な滑稽さは日本のやくざたちの姿にも通じる。
 仲間内だけで仲良く腐り合うのは勝手だが、私たちにまで迷惑をかけるとなると、やはり除去するしかない。

Kayah & Bregovic

Prawy Do Lewego
 これを聴いて、「あ、僕の音楽だ。」と直感する。ひとりでに体が動き、踊り出す。
 この、僕が、である。
 僕は一体どこまで行くつもりなのだろう。
 

2009年6月13日土曜日

きょうのLiaison

発表します!

Kafka, Das Schloss

 FriedaとKとのやり取り。これは対話ではない。私は日本で暮らしていた頃、これとそっくりの、ことばが螺旋状に墜ちてゆくような悪夢をたびたび見ていた。
 現在の私の悪夢は少し違う種類のものだ。激しく言い争っている夢だ。興奮してそれで目が覚める。しかし私にはこの悪夢のほうが前者の悪夢よりはましである。
 その違いの根拠は今のところ一つしか思いつかない。ここでは私と世界とは相互に徹底的に他者であるという事実だ。

Jürgen Habermas

 18日に80歳の誕生日を迎える。70年代に彼の教えを受けたSeyla BenhabibはBlätter誌上で彼を”the relevant contemporary protagonist in the tradition of cosmopolitanism”彼をと位置づけ、
”To me 'cosmopolitanism' means to acknowledge that people are moral persons who have the right to be protected by law, on the basis of the rights owing to them not as citizens or as members of an ethnic group, but simply as human beings. Moreover, cosmopolitanism means that borders between countries are increasingly penetrable in the twenty-first century, and that justice within these borders and justice beyond these borders are interconnected, even if tensions between them can and will arise. With Jürgen Habermas, this position of human rights and cosmopolitanism produced from the very beginning the will to 'include the Other', regardless of national origin.”
と述べる。
 現在の地球人はとてもそんなレヴェルの思考を全体として行うことのできるレヴェルにはない。しかし、50年後か100年後か、或いはもっと時間のかかることなのか、それはともかく、理論・理念としてKantの言うWeltbürgerrechtの現実化を目指すことにしか人類に希望はないだろう。

きょうのLiaison

6月第2週ピックアップコーナー

2009年6月10日水曜日

「アーカイブ」より

「ある意味で一般大衆に対する悪態は「思想家」固有の語り口である。なぜなら思想家の使命、その職業的な目的は、正しい見解(doxa)あるいは世論と反対の「独自の」見解を所有することだからである。ヘラクレイトスとパルメニデスが、ドクサに対決して思考する際に、その見解が本質的にパラ・ドクサ(逆説)であるということを明確に意識していたのもそのためである。この逆説的な性格は、哲学の進展全体を通じて持続される。これと軌を一にして、ターレスの同時代人で最初のヘブライ人の思想家であるアモスは、神によっておのが仕事に定められたとき、神が彼に「わが民に逆らって預言せよ」との任務を負わせになったのだと明言するであろう。すべての預言者は何ものかに反対しての預言者であって、「思想家」もまた然りである。プラトンは、それら最初の「思想家」たちについて具体的に話している著作のあるところで、「彼らはお高くとまってしまって、われわれ一般人を見下し、われわれが彼らの言うことについて行けるかどうかおかまいなしに、それぞれいとも簡単に結論を出してしまう」と言っているが、彼はこれによって、彼らの思想の逆説的な、したがって難解な形式をいとも明瞭に際立たせている。」(オルテガ・イ・ガセット『哲学の起源』)

 私は思想家でもないし古代ギリシャ人でもないが、常にパラ・ドクサを措定する者であり続けたいと思う。この時期だけに、特にその思いを強くする。

2009年6月9日火曜日

「正義」

 その直接の反意語は存在しないだろう。「不正」「不公平」「悪」、その他様々な反対概念が設定され得る。
 そしてきょう、「邪悪」もその一つであることを学んだ。
 有形、無形、あらゆる面から、「邪悪」を打ち倒し正義を勝ち取るために団結した多くの仲間たちに対し、心からの感謝と尊敬を捧げる。
 この仲間たちがいる限り、これからも「正義」は守られるだろう、また、守られなければならない。

きょうのLiaison

Whitenoise 展示中
初夏花盛り

2009年6月1日月曜日

京都教育大学生6人逮捕 集団準強姦の疑い
 苦渋・憤り・落胆・失望・。。。
 被害者や容疑者、責任を取るべき者たちだけが存在するだけではない。こういう時には必ずと言っていいほど、陰でほくそえんでいる者たちがいる。
 この大学は生まれ変わることができるだろうか。

きょうのLiaison

one village one earth フェアトレード+国際協力セミナー vol.5
定住外国人子ども奨学金

2009年5月30日土曜日

Communism, the Word

Communism, the Word
 ここでJean-Luc Nancyが取り上げるPropertyの概念は、日本語使用者の間に見られる縄張り・ウチ/ソトの概念などを別の角度から見る助けになるかもしれない。

きょうのLiaison

one village one earth セミナー第4回インドネシア終わりました。

2009年5月29日金曜日

きょのLiaison

6月のフェルデンクライスメソッド

きょうのLiaison

シティライフ阪神版6月号
バティック展示
自力整体教室のおしらせ

東京室内オペラ

 田中均『虎月伝』ソフィア公演の二日間が昨夜終わった。中島敦『山月記』をベースとした現代オペラ。日本のオペラ演出の第一人者栗山昌良の演出もシンプルな中に能・歌舞伎・中国文芸などの東洋的なものをふんだんにとりいれたもの。
 期待に違わぬすばらしい公演だった。関わった者の一人として、成功を素直に喜びたい。
 ただ、二日間を通して聴衆の少なさに落胆した。この公演はソフィアにまで来る内外の芸術の中では最高峰のレヴェルのものである。今度ソフィアに来るときは、まじめに広報活動を行って、ここの一流の芸術家たちに鑑賞してもらい、相互交感を図る必要がある。

2009年5月25日月曜日

ブルガリア人のペシミズム

Gallup Study: Bulgaria Citizens Most Pessimistic in World
 ブルガリアの人たちが将来に関して現在世界で最も悲観的な見方をしているという話を聞いて、ああそうなんだ、大変なんだねえ、と頷くのは外国人だけだろう。ここの人々の心性の深層を流れるユーモアやしたたかさを知る私には笑い話にか聞こえない。
 ブルガリア人のペシミズムがアフガニスタンやイラクと同程度と言われても、客観的な社会状況は天地ほども違う。むしろ、その社会の構成員の文化や心的特性が決め手になるはずだ。この記事には出てこないが日本もどちらかと言えばペシミステッィクな回答をする人が多い文化だろう。
 データというものは面白いものだ。しかし時には思わぬ愚かさを露呈することもある。
 

Luis Egidio Meléndez

 光とクローズアップ。対象への肉薄。近代の始まりの始まり。

An Examination of the Work of Herbert Quain

Borgesの読者ならおなじみの架空の書の書評もの。短編だが、「時間」、「順序」というものを思考せよという挑戦状が読者の眼前に突きつけられる。

Alain Badiou

On a Finally Objectless Subject
 多忙な毎日の中、約3週間ぶりにBadiouのテクストに戻ってくることができた。
 存命の思想家の中では、一語、一文、一段落、さらには暗黙の含意のレベルにおいてさえ、あらゆる局面で不断に読む者を立ち止まらせる力を持つ随一の思想家だと思う。
 特にいまの私は日本語における「主体」の問題にとり憑かれているため、このテクストは異常な力をもって私に迫る。思考せよ、と。
 立ち止まり、立ち戻り、立ち尽くし、途方にくれる。私はいま幸せである。

2009年5月24日日曜日

戦争と人間

Film on Nanjing massacre shows Japanese soldiers in new light
 戦争犯罪、人道に対する罪。それは厳在する。そのこととそれに関わった/関わらされた個々の人々の内的苦悩とは異なる次元の話である。中国の新しい世代の成熟を頼もしく思うと同時に、それに応え得る日本の新しい世代の成熟を待ちたい。

2009年5月22日金曜日

厄日

 今日の帰り道はひどかった。
 まず強烈な西日の中を歩いていて焼肉にされそうになった。
 それから市電を待っていると、どこからか生卵が一つ飛んできて、数人の人の服が汚された。僕の(珍しく)洗濯したてだったズボンも少し汚れた。手榴弾でなくてよかった。あ、生卵のほうが少し安いか。
 最後は市電の中でハイヒールに踏まれた。暑いので僕は今日は裸足でサンダルだった。指が砕けたかと思った。
 踏まれるといえば、おとといだったか、赤信号だったので歩道で待っていると左折してきたバスの後輪が歩道の上に乗り上げてきて、危うく左足の甲を砕かれそうになった。車は車道を走ってほしいものである。

 受身文の読解テクストとしていかが?

2009年5月20日水曜日

『ブルガリア語-日本語-ブルガリア語フリー・オンライン辞典』

『ブルガリア語-日本語-ブルガリア語フリー・オンライン辞典』の掲載見出し語数が8,000語に到達した。これも編集者・執筆者の日頃の地道な努力の賜物であると共に、温かい励ましやコメントを下さる読者の皆さんのおかげでもある。この場を借りてお礼を申し上げたい。
ちなみに、記念すべき8,000語目はнеуспешен(不成功の・失敗した)であった。

2009年5月18日月曜日

Витоша

 きのうは仲間たちと一日楽しんだ。総勢9名でBQQ。そのあとАгораで定例勉強会。10時間も共に時間を過ごし、いろいろなことをする。そのことによってそれぞれがお互いの新しい面を発見し、さらに仲よくなる。こういう機会をもっと増やそう。

美術館ライトアップデー

 16日、EU各国で開催された。私は今年はНационална Галерия За Чуждестранно Изкуствоに行った。夜中の0時まで無料開館されていて、実に多くの市民が訪れていた。バンド演奏・演劇パフォーマンス・フランス文化センターによる正面玄関での映像アートなどが行われていた。
 まずビルマの18~19世紀の仏像、アフリカ美術、日本の浮世絵の各コレクションを観て、正面玄関前のCafeでビールを飲みながら映像アートを楽しんで、すでにお酒の入っている友人たちと行き合わせ、おしゃべりをして、再び建築コンペ会場へ行く。数点の最終候補作品の中で、受賞作品が最もつまらないアイデアだった。ご愛嬌。
 市民も職員もほろ酔い加減で夜中の美術館を楽しんでいた。すばらしい夜だった。

2009年5月13日水曜日

Tochno sega

(Photo by ibox.bg)
 Tochno sega
 Azis i Ustata.
 この破壊力は凄まじい。ブルガリアに来てから2年、(ひそかに)注目し続けてきた人物だが、いよいよ完成度が高まってきた。誰か、彼らの歌詞がアップされているサイトを教えてくれないだろうか。僕のブルガリア語学習のテクストに加えたい。

2009年5月12日火曜日

職業・完璧主義・軽蔑

And it’s very hard to be a perfectionist in your work and at the same time despise that work. (Milan Kundera, Identity)

『砂の女』

 勅使河原宏監督1964年作品。原作者安部公房自身による脚本。極めて水準の高い作品に仕上がっている。武満徹の音楽もすばらしいの一言。
 今見れば特に難解な作品だとは思わないが、原作にしてもこの映画化作品にしても四十数年前には「事件」だった。カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞したのも頷ける。

2009年5月11日月曜日

El Sur

 Jorge Luis Borges自身が最良の作品と呼ぶ短編。
 ブエノス・アイレスと南部の田舎。過去と現在。現実と夢想。。。時間と空間におけるあらゆる二分法が無化される文学空間。

2009年5月10日日曜日

意識の変化?

週のはじめに考える 日本人の『自分探し』
 東京新聞らしい、堅実な社説である。
 しかし、これが日本社会の大変動の始まりなのか、一時的な揺れに過ぎないのか。今度こそはと期待したいのはやまやまだが、経験値から言ってあまり楽観的になれないというのが正直なところである。

量子論の前進

Science, Spirituality, and Some Mismatched Socks
Was Einstein Wrong?: A Quantum Threat to Special Relativity
 世間がのほほんとしているうちに、物理学の最前線はここにまで達している。

2009年5月5日火曜日

きょうのLiaison

G・houseのアクセサリーとボタン展開催中です。

『武士の一分』

 芸達者揃いの中での木村拓哉の好演が光る。ただし筋書きはおめでたいと言えばおめでたい。日本を離れて2年が経とうとしている私には、色々と考えさせてくれる作品ともなった。それは最近見た『おくりびと』や『鉄道員(ぽっぽや)』にも言えることだ。いずれ、そういう中で生まれてきた様々な思考の種は何かに結実させたいと思う。
 

2009年5月3日日曜日

分類と同質化強迫

"That all men are alike is exactly what society would like to hear. It considers actual or imagined differences as stigmas indicating that not enough has yet been done; that something has still been left outside its machinery, not quite determined by its totality."(Theodor Adorno)

 社会に限らない。分類・範疇化というもの自体に内在する問題である。

忌野清志郎

君が代
IMAGINE
傘がない
あこがれの北朝鮮

2009年5月2日土曜日

忌野清志郎死す

 心から冥福を祈る。そして心からの感謝を捧げる。あなたこそロッカーの中のロッカーだった。

2009年4月28日火曜日

Slavoj Zizek

My Own Private Austria
相変わらず刺激的。
 日本の「親子心中」などの事例をも視野に入れれば、この問題はフロイト的に扱うよりも「保護」という概念をめぐって考察したほうがより生産的なように思う。

2009年4月27日月曜日

2009年4月25日土曜日

James WoodそしてIan McEwan

James Wood writes about the manipulations of Ian McEwan
 現在私が最も評価する存命の批評家が現在私が最も評価する存命の作家を論じている。そして期待通りの果実が得られる。良質の知性に出会う喜び。

きょうのLiaison

Liaisonフェアトレード・デー2009
G・houseのアクセサリーとボタン展

2009年4月22日水曜日

IMAGES OF A LOST WORLD

East Germany, Up Close and Personal
 当時のブルガリアにも通ずるものがたくさんあるような気がするのだが、いかがだろうか。

World Digital Library

 UNESCOがサポートするオンライン図書館
 どんどん活用してほしい。それがまたこのライブラリの発展につながってゆく。

2009年4月20日月曜日

きょうのLiaison

読売ライフ神戸版

若松孝二

『天使の恍惚』(1972)を観た。政治と暴力とセックス。若松ならではの映像世界が展開する。映画史において「個的闘い」を繰り広げてきた彼はもっと研究されてよい監督である。なおこの作品に関しては山下洋輔トリオの演奏も特筆に価する。

2009年4月19日日曜日

きょうの山崎元

グリーン車のハゲとボクシング会場の美女
 彼のブログはここのところまじめなエントリが多かったのだが、久しぶりにニヤリとさせてもらった。この人は相変わらず魅力的だ。
 人間には2種類ある。こういう視点を面白がるタイプと、「それは人/時/場合によるでしょう。」という反応をするタイプである。
 前者の私は後者が苦手である。

きょうのLiaison

春爛漫

2009年4月17日金曜日

Eve Kosofsky Sedgwick死す

 Eve Kosofsky Sedgwick, a Pioneer of Gay Studies and a Literary Theorist, Dies at 58
 世界に衝撃を与え続けた研究者だった。僕がたくさんの刺激をもらった研究者でもあった。58歳。早すぎた。

きょうのLiaison

ガザ写真展準備できました。

2009年4月15日水曜日

批判理論と否定弁証法の併置

Adorno’s proposition consists in retaining (simultaneously and at the same time going beyond) Kant’s negative critique as well as Hegel’s dialectical negativity. One joins Kant’s critical gesture, which is a gesture of separation, of limitation of the pretensions of reason, with the Hegelian dialectical negativity shorn of its affirmative absoluteness. One retains Hegelian negativity as purely negative negativity. This is why Adorno’s doctrines, and more generally what will be called the Frankfurt School in the 1960s, which is called “critical theory,” are called by Adorno, “negative dialectics,” placing critical theory and negative dialectic side by side, surpassing Kant and Hegel.(Alain Badiou,Adorno's Negative Dialectics and Wagner)

2009年4月14日火曜日

「知の到来」

"Rather, knowledge comes to us through a network of prejudices, opinions, innervations, self-corrections, presuppositions and exaggerations, in short through the dense, firmly-founded but by no means uniformly transparent medium of experience."(Theodor Adorno)

 お若い方々。これが分からないと一生浮かばれませんよ。

節約

Language shows the resurgence of being kechi
 ね?けちなのは僕だけではないでしょ?
 それにしても、節約というものに対する考え方は文化や時代によっても様々に異なるだろう。ブルガリアの人々とも議論してみたい。あ、特にГабровоの人たちともね。:)

The End of Philosophy

The End of Philosophy
 思考が浅すぎる。哲学を云々するならそれだけの勉強をしてからにすべきである。いやしくもNYTimesのコラムニストならその程度の畏怖は持っておいてもらいたい。

2009年4月13日月曜日

出版

More than 65% of published books in Bulgaria are written by local authors
 この数字がすべてを物語る。もちろん自分で金を出す限り誰にでも自慰、いや自費出版の自由はある。そして誰にでもそれをもらったそばからゴミ箱に捨てる自由がある。後者の行為を行う人が増えてくれば知的水準も徐々に上がっていくのではないか。

日本語弁論大会・教師会総会・教師会セミナー

 激動の日々はまだまだ続く。。。しかし、この人たちならすべて乗り越えて行くだろう。

きょうのLiaison

KOBE6ピース66日間パズルラリーあと9日。

降参。。。

 ずっと忙しくて書くのが遅れたが、9日の誕生日のsurprise partyには本当に驚かされた。僕と毎日のように会っているはずの何十人もの人々が10日も前から僕だけにはひた隠しにして準備してきていたというのだから驚く。
 私はあまり言葉を連ねて感謝を述べるという種類の人間ではないので敢えてしないが、私は本当にたくさんのすばらしい仲間に支えられてここで生きている、そして生きて行くのだ、ということを改めて感じさせられた夜だった。
 パーティ、電話、メール、Facebook。。。
 一人一人に言いたい。みんな、本当にありがとう。

2009年4月9日木曜日

帰還

 一つ齢を重ね、下界に戻る。
 
 お人違いではないと申されるか。
 ならば試みに一太刀浴びせかけてみよ。
 されど返す刀に容赦はなきものと心得られよ。

きょうのLiaison

セミナー『布を楽しみ、アジアに親しむ』at Liaison終わりました。

2009年4月6日月曜日

行方不明予告

明日より二日間、消えさせていただきます。インターネット環境もないところです。極めて緊急の場合以外はケータイもご遠慮下さい。宜しくご理解の程お願い致します。:)

豊田勇造。

豊田勇造60歳6時間60曲フリーコンサート

 あれは何年前だろう。10年近く前の大阪の夜。真横で弾き語りで聴かせてもらった彼の『振り返るには早すぎる』。
 2009.06.06. まだ闘志を失っていない方、闘志を今一度振り絞ろうとしている方、あなたのためのコンサートです。

2009年4月5日日曜日

きょうのVERLYN KLINKENBORG

Native Element
 短いがいつもながらの深み。いまの僕には特に感慨深かった。

安全保障

 やはりこの政府には安心して任せることはできない。遠くから見ていても、危なっかしくて見ていられないようなへまばかりやっている。
Jittery Japan jumps gun on blastoff

2009年4月3日金曜日

『おくりびと』

 3年生のクラスの教材として使えるかと思い、チェックのために見た。
 芸術性は高いとは言えない。アカデミー賞は騙せてもヨーロッパは騙されないだろう。それにおめでたい場面が多すぎる。
 しかし一定の普遍性は持つ。文化の違いを超えて多くの人を泣かせるだろう。
 本木も広末も期待はずれだった。彼らはもっと伸びていなければならない。しかし脇役陣は日本映画の水準の高さを改めて感じさせる曲者が揃っている。他の作品なら主役を張る役者がこの作品では一言も台詞のない遺体としてしか出てこない。
 日本研究の教材としては格好の作品である。やろうと思えばこの作品だけで15週間論じ続けることさえできる。3年生の総仕上げはこれをやることに決めた。

2009年4月2日木曜日

LACAN DOT COM

LACAN DOT COM
 これは人生、知性で勝負!と決めている学生諸君向け。歯応え十分です。

きょうのLiaison

one village one earth

Теодорをはじめ日本の政治に関心を抱く諸君への情報

衆議院外務委員会委員長のブログ&メルマガ。
私は自民党支持者ではないが、結構笑えます。批判精神を十分備えた人向け。子どもお断り。やけどします。
http://www.taro.org/blog/

2009年4月1日水曜日

きょうのLiaison

タイ北部・カレンの女性による草木染め手織り布展 ~PHD協会~

会話における闘争

 3.18.の記述で触れた『明暗』における「勝ち負け」意識の問題に関してJamesonはのちにこう述べる。
 ”This is not, I think, the Hegelian struggle for recognition, which on the German philosopher's view marks the very nature of interpersonality ("each consciousness desires the death of the other one"). Rather, in Soseki's world, some larger network of forces seems to hold these individual subjects in its grasp and to determine convulsive efforts by each of them that are not individually desired.”(Fredric Jameson,Soseki and Western Modernism)
 ここまで来れば主客問題まではあと一歩である。おそらく翻訳を通してでしか読んでいないはずなのにここまで洞察する。さすがJameson。鋭い。
 

Дарин Теневへの問題提起

The "subject" is a unified concept and therefore the result of "interpre¬tation." Nietzsche often stresses that it is a specifically linguistic figurative habit of immemorial standing: "that when it is thought [wenn gedacht wird] there must be something `that thinks' is simply a formulation of our grammatical custom that adds a doer to every deed." (WM II. 13, WP 268) The "insertion of a subject" is "fictitious." (WM II. no, WP 337) (Gayatri Chakravorty Spivak,Translator's Preface)

法を制定する暴力、法を維持する暴力。

 The law of this oscillation [between the violence that posits law and the violence that preserves it] rests on the fact that all law-preserving violence, in its duration, indirectly weakens the lawmaking violence represented by it, through the suppression of hostile counterviolence....
 This lasts until either new forces or those earlier suppressed triumph over the violence that had posited law until now and thus found a new law destined to a new decay. In the interruption of this cycle, which is maintained by mythical forms of law, is the deposition of law and all the forces on which it depends (as they depend on it) and, therefore, finally in the deposition of State power, a new historical epoch is founded. (Walter Benjamin, "Zur Kritik der Gewalt," p.202)

 極めて日常的な次元にもBenjaminの洞察は有効である。私は最近日々これを経験している。

2009年3月30日月曜日

出発点

少年は街を出る
 偶然見つけた。1971年作品。まさかYouTubeにあるとは思わなかった。14、5歳だった僕はレコード盤が擦り切れるほどこの曲を繰り返し聴いていた。38年ぶりに聴くこの素朴この上ない曲がずっと今に至るまで私の内奥に響き続けていたことをきょう確認できた。
 それから映画『パピヨン』。1973年作品。精神の自由というものは命を賭けるに値するものだという信念は高校生でこの映画を初めて見た時ナイーヴな形で僕の中に生まれたと言ってもいい。

J. Robert Lennon

 Five Cats and Three Women
 面白うて、やがて哀しき。。。
 人生なんてこんなもんなんだろう。
 あれよあれよと一気に読ませる。なかなか筆力のある作家だと思う。
 (リンクできないというご指摘をいただいた。使用条件が変わったようだ。ダウンロードしてあるのでご希望の方はファイルを差し上げる。)

2009年3月29日日曜日

きょうのLiaison

ガザ写真展開催します。

信仰というもの

Rutjens, B. et al., "Things Will Get Better: The Anxiety-Buffering Qualities of Progressive Hope," Personality and Social Psychology Bulletin (forthcoming)の実験結果によれば、宗教心が弱い人ほど「進歩」「成長」への信仰を持ちやすいという。ひとは絶対神を持たずともいずれにしろ何らかの「信仰」を持ちやすいという風に考えることもできる。また、日本社会の人々の特徴とされることの多い諸属性――我慢強さ・勤勉・楽観主義など――を、彼らの間での絶対神への依存度の低さという角度から分析してみるのも面白いかもしれない。

抽象機械

”The abstract machines consist of unformed matters and informal functions.”(GILLES DELEUZE and FELIX GUATTARI,Concrete Rules and Abstract Machines

Kojeveの見た日本:Agambenの理解

During a trip to Japan in 1959, Kojeve had maintained the possibility of a posthistorical culture in which men, while abandoning their negating action in the strict sense, continue to separate forms from their contents not in order to actively transform these contents but to practice a kind of "pure snobbism" (tea ceremonies, etc.).(Homo Sacer)

愛。Theodor Adorno.

 アドルノがどこかでこういう気の利いたことを言っているらしい。彼らしくないと思うのは私だけか。
"Love is the power to see similarity in the dissimilar."
"Love you will find only where you may show yourself weak without provoking strength."

広島。長崎。

 1945.8.6.広島。
 1945.8.9.長崎。
 たった三日しか隔たっていない。その両方の町で被爆した人がいる。
A little deaf in one ear - meet the Japanese man who survived Hiroshima and Nagasaki

2009年3月27日金曜日

居場所

 僕はこれまでの人生において、大げさに言えば、僕にしかできないことしかやってこなかったと自負している。望まれていない所に所属したことは一度もないと自負している。お願いだからここにいさせて下さいと頼んだことは一度もないと自負している。
 いる場所も、する仕事も、付き合う人間も、すべて自分で決める。他の誰にも決めさせない。
 これまでの人生の上で多分最も大きな決断のときが迫っている。そして結論はもう出ている。

A Country Doctor

 私はKafkaの作品中に、子どものころからよく見てきた夢の数々のシーンおよびその類似物を見出して驚くことがある。この作品にもいくつかそういうものがあった。そしてそれは多分私だけのものではないのだろう。
 シュールリアリズム。実存主義。やはり私はその世代なのだ。
 A Country Doctor

2009年3月26日木曜日

нищо…

…и нищо по-бивше。。。それに、「前の」ものは何もない、

от бивши приятели「前の」友人たち以上に。

нищо何もない、

пó нищо. 「何もない」以上に。

(Георги ГОСПОДИНОВ, Балади и разпадиバラッドと崩壊

 нищо(nothing)とは何か。ГОСПОДИНОВのすばらしい作品に出会い、Heideggerを想起する。
”But even if we ignore the questionableness of the relation between negation and the nothing, how should we who are essentially finite make the whole of beings penetrable in themselves and especially for us? We can of course conjure up the whole of beings in an “idea,” then negate what we have imagined in our thought, and thus “think” it negated. In this way we do attain the formal concept of the imagined nothing but never the nothing itself. But the nothing is nothing, and, if the nothing represents total indistinguishability, no distinction can obtain between the imagined and the “genuine” nothing. And the “genuine" nothing itself — isn’t this that camouflaged but absurd concept of a nothing that is? For the last time now the objections of the intellect would call a halt to our search, whose legitimacy, however, can be demonstrated only on the basis of a fundamental experience of the nothing.” (What is Metaphysics?)

人権意識

http://adsoftheworld.com/media/print/duet_icecream_obama
 これはロシアのアイスクリームの広告だが、ここブルガリアでも時々唖然とすることがある。「人種」・「性」・「民族」・「宗教」・「エスニシティ」・・・。大学で教える者の中からでさえ、日本なら仲間から「終身刑」宣告を受けかねない言動がポンポン飛び出す。彼らはすぐに「文化の違い」を言い訳にするが、国連加盟国と言いたいなら世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)ぐらいは小学校で教えてほしいものだ。

2009年3月25日水曜日

ONE HUNDRED YEARS OF SOLITUDE

 少しずつ、少しずつ、大事に、大事に、読んできた。半年以上読み続けてきたことになる。
 そして今、読み終えた。
 読み終えた瞬間、「歴史」が終わった。これまでこの作品に魅せられてきた何百万という人々とともに、私は今限りない哀しみを覚えている。

Nietzscheの「力への意思」

「真理への意思」は取りも直さず「力への意思」である。なぜならば、the so-called drive for knowledge can be traced back to a drive to appropriate and conquer.

Theodor Adorno

"In the end, glorification of splendid underdogs is nothing other than glorification of the splendid system that makes them so."
 これはかなりの警句である。今の私にはとてもよく理解できる真理である。

自然と時間

Time After Time
 自然、時間、体内時計、近代、色々な問題を考えさせてくれて、面白かった。
 忙しい、大変だと言いいながらも5分10分どころか30分程度の単位の大雑把な切り取り方で生活している現在は、家の外で仕事をしている時間を除けば、私は概ね、食べたい時に食べ、寝たい時に寝る、という生活リズムで生きている。日に2回軽食しかとらない日もあれば日に5回も6回も食べる日もあり、睡眠時間など、起きたくなったら起きる、という風だから、結局昨日は合計何時間寝たんだと聞かれてても答えられない日がほとんどだ。目覚ましも数日に一回程度しか設定しない。そんなに不規則な生活でどうするんですか、とよく注意されるが、それでもこの2年近く1、2度風邪を引いた程度の健康な生活を続けている(つもりだ)。
 これですべての義務から解放された時、私の生活がどうなっていくのか。今からとても楽しみである。

2009年3月23日月曜日

真理とは何か。

"What, therefore, is truth? A mobile army of metaphors, metonymies, anthropomorphisms; . . . truths are illusions of which one has forgotten that they are illusions, . . . coins which have their obverse effaced and now are no longer of account as coins but merely as metal." (Nietzsche)

同等でないものを同等化すること

Every idea originates through equating the unequal.とNietzscheは言う。彼は修辞的行為に関してそう言ったのだが、しかしそれは多くのことに当てはまるだろう。おそらく。

法の純粋形式

A pure form of law is only the empty form of relation. Yet the empty form of relation is no longer a law but a zone of indistinguishability between law and life, which is to say, a state of exception.(Georgio Agamben, Homo Sacer)
 言語と付き合っている者には容易に頷けるテーゼであろう。

Theodor Adorno

Freedom would be not to choose between black and white but to abjure such prescribed choices.
 私の好きな彼の言葉の一つ。

2009年3月21日土曜日

京都教育大学日本言語文化専攻のみなさんへ

 卒業する諸君、おめでとう。たくさん来てくれたという既卒生の諸君、ありがとう。浜田先生、ご苦労様でした。
 今夜の追いコンはさぞや盛大なものだったことでしょう。参加できなくて私もとても残念でしたが、いつかまた盛大に同窓会をしようね。

きょうのLiaison

布を楽しみ、アジアに親しむ

2009年3月20日金曜日

きょうのLiaison

Liaison映画鑑賞会 vol.3

ソフィア大学日本専攻の学生たち

 現在彼らはすばらしい成功を収めつつある。どういう意味かは分かる人には分かるだろう。彼ら自身の日頃の努力は言うまでもないが、それに加えて、特に、いや唯一賞賛されるべきは、外からはまったく見えないところで、縁の下の力持ちとして、彼らをずっと支え続けてきたすばらしい先輩たちの献身である。
 頭が下がると言うほかない。脱帽である。

2009年3月18日水曜日

parallax

 柄谷行人のTrancritiqueを読んでいてこの語に行き当たった。
 「観察者の位置変化に応じて観察対象が見かけ上の位置を変えること」というような意味なのだが、ブルガリアに来てから私は自身と世界との関係がこれまでとは全くと言っていいほど変わってしまったことに思いが至る。位置変化を起こしているのは対象だけではない、何よりも私自身の位置が転換してしまっている。時折それに思い当たり、呆然とすることもある。たった2年足らず前のことなのに、その頃の私がどうやって日々を送っていたのか、ぼんやりとなら可能だが確たる感触をもっては思い出すことができない。そのことが実に不思議だ。

勝ち負け

 Fredric Jamesonは漱石の『明暗』における饒舌な会話の連続の中に潜む「勝ち負け」のような捉え方の存在に注目している(Soseki and Western Modernism)。
 しかし、これは漱石やこの作品の特色というよりはむしろ日本語話者の意識の底に特徴的に潜む捉え方ではないだろうか。「勝ち負け」や「損得」、或いは報われたか否か、というような視点から学生に説明すると分かってもらえやすい表現が日本語には特に数多く存在するのではないかと私は以前から感じている。
 まだ思いつきの域を出ない。もう少し考えてゆきたい。

と思ったら。。。

からりと晴れてぽかぽか陽気に変わった。
ブルガリアでは「女心と秋の空」ならぬ「女心と3月の空」という。なるほど。。。

予報通りの

猛吹雪がやってきた。
窓の外を地面とほぼ平行の角度で大粒のいかにも硬そうな無数の雪つぶてが飛ぶ。
春を待ちわびる思いは昨冬以上に強い。

Before the Law

Before the Law
 震撼させられるのは一人Agambenだけではない。Kafka恐るべし...

まことに申し訳ございません。。。

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm
 私の遺伝子に成り代わりまして深くお詫び申し上げます。

村上春樹

 Murakami defies protests to accept Jerusalem prize
 彼の受賞スピーチは正しいことを言っていると思う。それは私の政治的姿勢とも彼の文学を評価していないこととも全く異なる次元の話だ。

2009年3月17日火曜日

古代ローマ帝国のユーモア

 最近発見された紀元3、4世紀頃出版のジョーク集より。
1.
教授と床屋が一緒に旅をした。荷物の番を交代でやることにして寝た。床屋の番の時、彼は退屈のあまり寝ている教授の頭を面白がって剃ってしまった。自分の起きる番になって起こされた教授は自分の頭を撫でてかんかんに起こり出した。
「何て馬鹿な床屋だ。私の代わりに禿げた男を起こしてしまうとは!」
2.
A:あれ?!Cからは君はもう死んだと聞いていたのに!
B:そうですか。でも私はこの通りぴんぴんしていますよ。
A:。。。これは困った。。。どう考えれば良いのだろう。Cは君なんぞより遥かに信頼できる友だ。どっちを信じればいいのだろう。。。

 この高度な哲学。
 私が古代ローマ帝国に関心を抱き続ける理由がお分かりいただけましたでしょうか。

Roland Barthes

 The Private Barthes
 死後30年。最近出版された2作品が論議を呼んでいるようだ。出版する価値があるものだったかどうかは見方が分かれるようだが、歴史に残る哲学者の書き残した文章の話だし、彼ほどの人物ならば公開を意図していない文章ならわざわざ整理して保存はしておかなかっただろうと思う。
 英訳が出れば私も読んでみたい。

きょうのLiaison

Liaisonで着付け教室。
『ふふふの日、ふふふな時間』報告
中国のフォークアート=農民画セミナーat Liaison終わりました。
3月11日の毎日新聞朝刊に農民画展の記事が。。
『中国のフォークアート=農民画展』始まります。

2009年3月16日月曜日

風邪

 この冬一度も風邪を引かなかった。氷点下20度も耐え抜いた。ロシアにガスを止められても生き延びた。それが密かに私の誇りとするところだった。
 それが、昨夜ブカレスト出張から戻り、いきなり発熱した。きょうは一日中ベッドである。読書三昧とはいうものの、体力を失っているのだから長続きしない。うとうと、とろとろの繰り返しだ。情けない。
 これは断じて駒田聡ではない。一両日中に完全に治す。

2009年3月8日日曜日

the inverted world

 ハイデガーによるとヘーゲルは哲学は「転倒された世界だ」と言っているらしい(What is Metaphysics?)。出典未詳なのでヘーゲルの言わんとするところが私にまだ明確になっているわけではないが、私がいつも深く考えもせず濫用している「どこまでも掘り返せ」という常套句を内省してみると、ひょっとしたら私にも新たな視点をもたらしてくれる鍵なのかもしれないと思う。
 掘り返して行ってどこまでも深く進もうとするとき、その深みから地上のほうを見返せば、それは地上を折り返し線としたシンメトリーな図になるのかもしれない。

2009年3月7日土曜日

bricoleur

 今年100歳になったLévi-Straussから若い頃の僕が学んだものは前に触れた「構造」の概念だけではない。このbricoleurということばもそうだった。文化人類学者はエンジニアではなくbricoleurだと彼が書いているのを読んだ時、若い頃の僕は、文化人類学者だけではない、教師もそうだ、と思った。それ以来その信念は変わらない。Derridaからそもそもエンジニア自体が理論的にあり得ないと教えられたのはかなりあとで、教室で「遊び」始めたのもその頃からだ。

Laura van den Berg

Up High in the Air
 一気に読んだ。よく書けている。

日本人というもの

 現任の在ブルガリア領事が近く離任する。
 私は在外公館というものに対して30年間否定的な評価を下してきた。それがこの年になって初めて彼らと一緒に仕事をするようになり、認識を大きく改めた。これまでこのブログで日本人というものを褒めたことが何回かあったが、それらはすべて大使館の第一線で仕事をしている少数の人たちを念頭に置いたものだった。その少数の人たちの一人が現領事であった。
 俺が俺がとでしゃばらず(これがまた多い。。。)、プロ中のプロ(これがまた少ない。。。)としてのプライドを胸に秘め、ただひたすら職務に励み納税者/国民に奉仕する。この公務員として当然の義務を粛々と、完璧に遂行する人だった。このような人が土台をきちんと支えている限り日本という国はおいそれとは壊れない、そういう信頼を与えくれる人だった。日本人というものがあるとすれば、それが持つ美点を体現するような人物でもあった。
 これはセンチメンタリズムではない。個人的な付き合いは一切なかった。厳しい環境に置かれると、人は生物としての本能からか、単なる表面上の交際(厳しい環境下ではこれは尚更無意味なものとなる)でなく真に信頼し得る人をのみ求めるようになる。友人でなくともよい。そういう人が近くに存在するというだけで勇気づけられる。ブルガリアに暮らし始めて1年半になるが私はまだそういう人をごく少数しか見出していない。
 彼の次の活躍の舞台(実はこういう浮ついたことばほど彼に似つかわしくないことばもないのだが)での更なる成功を祈念しつつ、はなむけのことばとする。

2009年3月6日金曜日

おめでた。

Теневиんちで男の子誕生!母子ともに順調だそうです。

カフカ「審判」

"No one else could enter here, since this door was destined for you alone. Now I will go and shut it."(Franz Kafka,Der Prozeß,1925)

"If it is true the door's very openness constituted, as we saw, the invisible power and specific "force" of the Law, then we can imagine that all the behavior of the man from the country is nothing other than a complicated and patient strategy to have the door closed in order to interrupt the Law's being in force. And in the end, the man succeeds in his endeavor, since he succeeds in having the door of the Law closed forever (it was, after all, open "only for him"), even ifhe may have risked his life in the process (the story does not say that he is actually dead but only that he is "close to the end").(Giorgio Agamben, Homo Sacer, 1995)

 扉が「開かれている」ことそのものが法の不可視の権力および特別の「力」を構成するのであれば、外部者はその発効を阻止するために逆にその扉を閉じられたままにしておくことだ。そうすることによってのみその外部者は扉の内側に入ることができる。今の私にはとてもよく分かる命題だ。

2009年3月5日木曜日

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」

Kulturkritik findet sich der letzten Stufe der Dialektik von Kultur und Barbarei gegenüber: nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch, und das frißt auch die Erkenntnis an, die ausspricht, warum es unmöglich ward, heute Gedichte zu schreiben.(Theodor Adorno, Kulturkritik und Gesellschaft
以来ずっと世界中の人々の耳元で囁きをやめないことば。それを理解しよう努め続けていることば。

構造的決定

Beauty Affects Men's and Women's Brains Differently
 最近遺伝子研究を含む、このように構造的な理解を促進するような研究を目にすることが多くなったような気がする。
 教条主義的な決定論に陥る必要はない/ってはいけない――これはいくら強調してもし過ぎることはない重要な条件である――が、様々な面における構造的因子が明らかになってきて、なぜあの人はああなんだろうと途方にくれる状態に陥ることが少しでも減ってくることにつながるのならば、個人のレベルでは精神的には助かることになるだろう、お互いに。

中央集権問題

Grass-Roots Uprising Against River Dam Challenges Tokyo
 地方分権が言われて久しい。今回の出来事も他の要素がかなり絡み合っている節がある。そこまで分析のメスが入っていない。この程度の調査では何も分からない。

2009年3月1日日曜日

Честита Баба Марта!

 手作りのマルテニツァを贈ろう!
 でもねえ。みんながмартеницаの手作りを始めちゃったら、毎日この寒空の下一日中道端に立ち通しでмартеницаを売っているあのおばあちゃんたちがかわいそうじゃないの?とすぐ考えてしまう私はとってもブルガリア人ではないかしら?

2009年2月28日土曜日

ドイツ印象主義

 未熟であろうががさつであろうが、私の眼は100年も経って、ようやく彼らに追いついた。

2009年2月27日金曜日

そして人生は続く。。。

 Life goes on...
 時はひとを苦しみや悲しみの中に突き落とし、その只中にそっとしておいてくれることも決してなく、ふたたび運び去る。
 苦しみや悲しみの中にあっても、いやおそらく、だからこそ、人生は続いてゆく。

きょうのLiaison

すずかけ雑貨展本日開催!

2009年2月23日月曜日

『ブルガリア語‐日本語‐ブルガリア語フリーオンライン辞典』

『ブルガリア語‐日本語‐ブルガリア語フリーオンライン辞典』の作業中、лесен(簡単だ・易しい)という語もまだ掲載されていなかった――何かの事故で消えたのでなければ、であるが――ことに気づいた。何と6,369語目にして、である。編者同様やはり相変わらず変な辞典である。

2009年2月22日日曜日

Henry Thoreau

Walking With Henry
 わたしはHenry Thoreauのようなタイプが苦手である。彼らは、極端に言えば、自然愛好者は即自的に善なる者であり、世界・人間のあらゆる面において真理を吐く権利を有するとでも思っているかのように見えることがあるのである。いかに善人でも時折そういう面を見せる人とは、もうそれだけで私は縁を切る。
 そうか。Klinkenborgも気づいているのか。彼自身がそういう落とし穴にはまらないように気をつけている間は彼の書くものは大丈夫だろう。

2009年2月21日土曜日

「不可能性」から出発するということ

Formerly, I viewed human common sense only from the standpoint of my own; now I put myself into the position of another's reason outside of myself, and observe my judgment", together with their most secret causes, from the point of view of others. It is true that the comparison of both observations results in pronounced parallax, but it is the only means of preventing the optical delusion, and of putting the concept of the power of knowledge in human nature into its true place. (KANT, Immanuel, Dreams of a Visionary)
 自己からのみの観点に立つことも不可能なら他者理性の観点に立つことも不可能である。この絶対的不可能性から/の中を歩み出す。この「断念」は重要だと思う。すべてものごとはここに始まる。

2009年2月20日金曜日

споделяその2

споделяという動詞はロシア語にもあるというご教示をいただいた。とすると、その使用者の間に存在すると私が仮定する意識がロシア語或いは広くスラヴ語圏に共有されているという可能性もある。だからといって昨日述べたブルガリア語使用者の意識の問題が消えるわけではない。寧ろ考察の対象範囲が広がったと思う。面白くなってきた。

2009年2月19日木曜日

споделя

ブルガリア語にсподеляという動詞がある。分ける・分け持つ・共有/参加/シェアする、というような意味の動詞で、例えばсподеля неговата скръбというのは「私は彼の悲しみを共有する/分け持つ」というような意味になる。英語ならI sympathize with him in his sorrow.だろうし、日本語なら「私は彼の悲しみに/悲しみに沈む彼に同情する。」だろう。英語や日本語の表現のほうがクールに聞こえないだろうか。無論どの言語にも様々な言い方があるし、ここで短絡的に乱暴な結論を出す気は毛頭ないが、ある一つの言葉を手がかりとして、その使い手たちの内的世界に肉薄しようという誘惑に時折駆られないでもない。
 感情を共有する/分け持つ、という態度の背後には家族や仲間内での一体/連帯感、強い結びつきのようなものの存在が感じ取れる。ブルガリアの人々の強烈ともいってよい友情・愛情・優しさ・温かさを理解する上でのキーワードの一つではないかと推測する。ブルガリア語を使いこなせていない今の段階では推測とも呼べぬほどのただの思い付きにしか過ぎないが。
 しかし、その紐帯が裏切られたと分かった時の反応の凄まじさも逆に容易に想像できる。

Nature and nurture interact.

The DNA of Politics
 二つの意味で面白かった。科学/学問的であろうと努力して、興味深い諸研究の紹介が続く(面白さ1)。しかし。それが終わった途端、突然激しい左翼攻撃のアジに移行する。彼の遺伝子も分析したほうがいい(面白さ2)。

「入り込む」ということ

A foreigner hopes to revive Japan's flagging spirits
 杜氏のような伝統的な世界に限らない。程度の差こそあれ、途方もない長さと密度を持ったあの社会に「入り込む」ことは、これだけの人物でも困難だったし、その困難さは今後も増しこそすれ減ずることはあるまいと想像される。
 奥まで入り込んでゆく、ということはまた同時に、どこまでも遠ざかってゆく、ということでもある。

2009年2月17日火曜日

きょうのLiaison

ふたたび、登場! すずかけ雑貨展
中国のフォークアート=農民画
おいしいスパイス開発物語セミナー大好評でした。
バレンタインデーアクション2009

ホ-ム

 ブダペスト出張から戻ってきた。懐かしい仲間とも会えたし、出張そのものは悪くなかった。仕事の合間にローマ遺跡も見せてもらったし、500年の歴史を誇る「トルコ風呂」にも入れていただいた。
 しかし、たった四日間留守にしただけなのに、帰りの機内でブルガリア語のアナウンスを聞いたとき「あ、懐かしい。」と思った。ソフィアの街並みを見たとき「ああ、帰ってきた。」と思った。
 日頃ブルガリアやソフィアの悪口ばかり言っているくせに、いつの間にかここは私のホームになっているのである。

2009年2月13日金曜日

「国辱」

Bulgarian businessman claims officials demanded kickbacks
 Kamenovの手法も(万一もし彼が清廉潔白だとしても)愚かだし、それに対する政府の反応の仕方も(万一もし彼らが清廉潔白だとしても)いかにもまずい。
 ブルガリアを「しゃがみトイレ」で表象するアーティストのユーモアなんぞにいきり立っている愛国者の皆さん、皆さんが本当に「国を愛している」のなら、怒るべき相手を間違えています。

2009年2月12日木曜日

愛のない結婚

Bulgaria and Russia: a cold marriage
 もう一つ踏み込みが足りないが、まあまあまとまった報告だ。

LAPCHAROENSAP, Rattawut

Farangs
 主人公の内的世界をもっと掘り下げてほしかったとも思うが、しかしなかなかいい作品だ。
 このようなあまり世界の文学の舞台に登場しない社会の文学がもっとでてきてほしいと思う。大傑作でなくても、ゴミでさえなければ、よい。読者の世界を拡大・深化させてくれるようなものがもっとほしい。

漱石『明暗』1916

「朝飯とも午飯とも片のつかない、極めて単純な西洋流の食事を済ました後で、津田は独りごとのように云った。
「今日は病気の報知かたがた無沙汰見舞に、ちょっと朝の内藤井の叔父の所まで行って来ようと思ってたのに、とうとう遅くなっちまった」
 彼の意味は仕方がないから午後にこの訪問の義務を果そうというのであった。」

 この最後の一文のもたらす胸がざわざわするような違和感はなんだろう。

2009年2月11日水曜日

おお、神様!

Born believers: How your brain creates God
 これまで(祟り/テロ/最後の審判/村八分を怖れるあまり?)タブー視されてきた領域にようやく欧米の科学がまじめにメスを入れ始めたことを歓迎する。単にはた迷惑なだけでなく、人類が滅亡しないためにも、そのメカニズムを解明し教育によって原理主義を押さえ込んでゆく必要があるからだ。

きょうのLiaison

おいしいスパイス開発物語セミナーお知らせ

Стара София

Стара София
 ある学生のブログ(PCを変えてから行き方を失った。誰か教えて。)から教えてもらった。なかなかよい。ブルガリア語しか使われていないことは残念だが。

カンケン

漢字検定協会―まさか「私益法人」では
 やっと朝日新聞が取り上げた。「漢字は日本文化の誇りである」というようなおめでたいことを社説で日頃言っている新聞はおそらくだんまりを決め込むつもりだろう。
 この問題の根底に文部科学省との癒着があると疑うことは難しくない。上のナショナリズムとも無縁ではなかろう。少し世間が見える者は最初からこのような世界には近づいてこなかったからいいようなものの、問題は何も知らずせっせと漢字を丸暗記し、対策本・講座に大金を払い、検定料を納め、受かった落ちたと一喜一憂してきた人々である。
 私の領域でいえば、特にノンネイティヴの日本語学習者――ひどいケースでは教師たちも――の多くは「日本語」を勉強することがすなわち勉強だ、或いは資格を取ることは(単なる方便だ、でなく)能力の証だ、という信仰を持っているナイーヴな人たちである。そういう人たちは最後までそういう人生を送っていくのだからそれはそれでいいのだ、という論理もあり得る。しかし弱者を騙して私腹を肥やす者を放置するということは社会的正義として看過できない問題であるはずだ。
 朝日のこの社説は「漢字は日本文化の大切な土台だ。協会は身ぎれいになって出直す時だ。」と結んでいる。朝日でさえこれである。コメントの価値もない。絶望的だ。

2009年2月10日火曜日

constitutive ideaとregulative idea

 Marxは共産主義を前者でなく後者として捉える。マルクスをまともに読んだこともないくせに「マルクス主義は・・・」とやる輩だけでなくまじめなマルクス主義者の多くもどうやら勘違いをしているらしい。
 しかし、では、そのcategorical imperativeはどのように担保されるのか。。。やはり僕はまだまだ勉強が足りない。

I came to feel that I had to state something positive.

"Marx spoke very little of communism, except for the rare occasions on which he criticized others' discourses on the subject. He even said somewhere that speaking of the future was itself reactionary. Up until the climate change of 1989, I also despised all ideas of possible futures. I believed that the struggle against capitalism and the state would be possible without ideas of a future, and that we should only sustain the struggle endlessly in response to each contradiction arising from a real situation. The collapse of the socialist bloc in 1989 compelled me to change my stance. Until then, I, as many others, had been rebuking Marxist states and communist parties; that criticism had unwittingly taken for granted their solid existence and the appearance that they would endure forever. As long as they survived, we could feel we had done something just by negating them. When they collapsed, I realized that my critical stance had been paradoxically relying on their being. I came to feel that I had to state something positive. It was at this conjuncture that I began to confront Kant."(柄谷行人Tranccritique)
 なんとナイーブな、と言うか、率直と言おうか。柄谷が時折り見せるこのような人間臭さが私は好きだ。

きょうのLiaison

梅の季節ですね。

2009年2月9日月曜日

大文字の他者

「冷たそうに燦つく肌合の七宝製の花瓶、その花瓶の滑らかな表面に流れる華麗な模様の色、卓上に運ばれた銀きせの丸盆、同じ色の角砂糖入と牛乳入、蒼黒い地の中に茶の唐草模様を浮かした重そうな窓掛、三隅に金箔を置いた装飾用のアルバム、――こういうものの強い刺戟が、すでに明るい電灯の下を去って、暗い戸外へ出た彼の眼の中を不秩序に往来した。」
"The coldly gleaming texture of the cloisonne vase, the colours of the brilliant pattern flowing on its smooth surface, the round, silverplated tray which had been brought to the table, the cube sugar and cream containers of the same colour, the heavy curtains of bluishblack fabric with a brown arabesque design, the ornamental album with three of its corners set in gold leaf-these vivid images passed in a disorderly manner before his mind's eye even after he had gone out from under the bright light and was walking in the dark outside."

Fredric Jamesonは『明暗』のこの箇所を物質/外的世界対内的世界の図式に基づいて把握しようとしているのだが、私は寧ろ原文からJamesonが別の箇所(このブログ1.24.参照)で指摘しているunfamiliarityの問題を考えた。大文字の他者の世界が漢語の多用により黒々と、またけばけばしく津田の内的世界に痕跡を残す。
それを翻訳で掬い取るためには翻訳者の側に「創作としての翻訳」とも呼ぶべき途方もない能力が要求される。上の原文と下の翻訳を並べてみれば、それがいかに不可能に近いことかがよく分かるはずだ。

2009年2月7日土曜日

Central and Eastern European Online Library

Central and Eastern European Online Library
 せめてこの水準のものを読みたい。他にご存知の方は教えてほしい。

Economic exile

Economic exile Aleksander Todorov's experience of work on British potato farm
 彼のような人もEconomic exileと呼ぶのだろうか。
 若者が夢を追いかけて努力する姿は清々しい。しかし、ブルガリア人の若者がアメリカ合州国でコンピュータを学ぶ学資を稼ぐためにイギリスでジャガイモの袋詰めをしなければならない時代は早く終わってほしい。

2009年2月5日木曜日

CASA LUI HIRAMIE

 ファンの皆様、お待たせしました。4ヶ月ぶりにCASA LUI HIRAMIEが再開されています。ものすごい勢いです。どうやらブカレストあたりも春の嵐の前兆のようで。。。

はあ?

Princesses Preen in a Pauper Economy
 やはり私は引退したほうがよさそうだ。

2009年2月3日火曜日

ピカソ展

 後ろに警備員を従えて、休館日の会場を僕たちだけでゆっくり見せてもらった。
 この企画展の特徴は同一モチーフをピカソが短期間に何枚か明らかにそれぞれ異質な描き方で実験的に描いたシリーズを数シリーズ並べている点にある。それが非常に面白かった。予想以上にレヴェルの高いラインナップだった。
 ブルガリアの人々の友情の厚さ、温かさ、おおらかさ、それから余分の仕事をしてくれた警備員たちに感謝する。

Facebook

 二の足を踏んでいたFacebookだが、学生たちが誘ってくれたのをきっかけに再開することにした。人間嫌いだ人間嫌いだと言い続けていると最後には本当に独りぼっちになりそうになってきたしね。XD
 Komada Satoshi。見つけてね。

2009年2月2日月曜日

Julian Barnesを読みて

 死せる者の砂嚢には
 地図には載らぬ土地の玉石が
 たくさんつまっている

2009年2月1日日曜日

「無意義に効力を持つ存在」

"Geltung ohne Bedeutung (Being in force without significance)" (Scholem)
"the simple form of law (die blosse Form des Gesetzes)" (Kant)

FRONTLINE

 Erikから教えてもらった。
FRONTLINE
 水準が高い。お薦めできる。