2009年2月20日金曜日

споделя

ブルガリア語にсподеляという動詞がある。分ける・分け持つ・共有/参加/シェアする、というような意味の動詞で、例えばсподеля неговата скръбというのは「私は彼の悲しみを共有する/分け持つ」というような意味になる。英語ならI sympathize with him in his sorrow.だろうし、日本語なら「私は彼の悲しみに/悲しみに沈む彼に同情する。」だろう。英語や日本語の表現のほうがクールに聞こえないだろうか。無論どの言語にも様々な言い方があるし、ここで短絡的に乱暴な結論を出す気は毛頭ないが、ある一つの言葉を手がかりとして、その使い手たちの内的世界に肉薄しようという誘惑に時折駆られないでもない。
 感情を共有する/分け持つ、という態度の背後には家族や仲間内での一体/連帯感、強い結びつきのようなものの存在が感じ取れる。ブルガリアの人々の強烈ともいってよい友情・愛情・優しさ・温かさを理解する上でのキーワードの一つではないかと推測する。ブルガリア語を使いこなせていない今の段階では推測とも呼べぬほどのただの思い付きにしか過ぎないが。
 しかし、その紐帯が裏切られたと分かった時の反応の凄まじさも逆に容易に想像できる。

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