2009年11月30日月曜日

ええかっこしい

 関西語に「ええかっこしい」という言葉がある。何一つまともにできないくせに自分に能力があるかのように見せかけることにかけてだけは長けている奴のことだ。日本にいた頃は、そういう人間は当人がまだ子供の間に選別されてしまって大人の仲間入りをさせてもらえず、社会的淘汰の結果、私が仕事をするような領域からはほとんど消えていたのだが、最近そういう生物がまた私の周りをうろちょろし始めているようで、どうも目障りだ。醜いだけなら当人の勝手だが、みんなのために黙々と頑張っている人たちにも迷惑がかかり始めた。早く私たちの視界から早く消えてほしいものだと思う。

2009年11月27日金曜日

言語政策のジレンマ

Slovakia: The Forbidden Languages
 言語政策の難しさは、程度の差こそあれどの国家にもつきまとうのだが、EU加盟国の場合はさらにEUの共通理念というものが関わるのでさらに複雑さ・困難さが増す。困難で壮大な実験は続く。
 しかし、最も根本的な問題は、アイデンティティという得体の知れないものをでっち上げてしまった頃から人類が自縄自縛に陥ってしまっていることなのだろう。

2009年11月26日木曜日

かわら塾閉塾

 35年の歴史。3000名を超える塾生が学んだ。そのほとんどは欧米人で、多くが教師・研究者だった。民間塾として、20世紀の最後の四半世紀、京都における日本語教育/研究・日本研究の中心地だったといってよい。そこに関わった教師・塾生で、現在世界的に活躍する者も数多い。
 私も20代から30代にかけての新米教師時代の多くの時間をそこで過ごした。京都の町家の畳の上で、教師も塾生も座卓を囲んで座布団の上に背中を丸め、長い時間、談笑し、議論し、喧嘩をした。
 人間としても教師としても研究者としても、若き日の私を創り、現在の私という人間のかなりの部分を育ててくれた場であった。授業後塾生たちと朝まで京都の街で飲み、そのまま翌朝の授業に一緒に出かけるというようなことを続けていた時代もあるし、ひとり住み込んで毎日仕事をしていた時代もある。
 国籍・宗教・文化・領域を超えて、世界中から集まったみんなは、若く、激しく、そして猛烈に勉強した。勉強しない奴は相手にされなかった。私はアリストテレスから現代量子論、ジェンダー理論まで、すべてそこで出会った世界中の専門家たちから手ほどきを受けた。
 もう、あんな場所が日本のどこかに出現することは二度とないだろう。
 建物は消えるが、そこで育った者たちの間に育まれた精神は消えることはない。渡辺征三郎塾長の育んだその精神は国境・世代を超えて間違いなく継承されていく。陳腐に聞こえるかもしれないが、掛け値なしにそう思う。

狂信

The Serbian Charade
 時折、どのように考えればそのような話になるのか、と耳を疑いたくなることがある。この問題もその一つだ。頭を冷やせ、と言ったぐらいでは到底治りそうもない、この手合いを一体扱えばいいのだろう。

2009年11月25日水曜日

異文化の中で生活するということ

Moving house needn't leave you speechless
 引越しに限らない。銀行。役所。病院。。。その文化の中で生まれ育ったものでもストレスの多いものだ。外国人には本当に大変だ。
 解決策はただ一つ。その文化を熟知した親切な友人を見つけること。親切なだけではだめである。優秀であることが第一条件だ。
 最悪のケース?極めて親切で極めて無能な友人に間違って頼ってしまった場合である。XD

2009年11月24日火曜日

日高敏隆氏死去

 優秀な研究者であったと同時に、戦後の日本において、生き物たちの多様な世界を一般の人々に分かりやすく伝え続け、日本のたくさんの生き物好き少年たち――恥ずかしながら私もその端くれだった――の心を育てた人だった。
 私も自分の「先生」たちが次々とあの世に旅立つ年齢になった。

2009年11月23日月曜日

ゴッホの書簡

"I saw a magnificent and very strange effect this evening. A very large boat laden with coal on the Rhône, moored at the quay. Seen from above it was all glistening and wet from a shower; the water was a white yellow and clouded pearl-grey, the sky lilac and an orange strip in the west, the town violet. On the boat, small workmen, blue and dirty white, were coming and going. Carrying the cargo ashore. It was pure Hokusai. It was too late to do it, but one day, when this coal-boat comes back, it'll have to be tackled."
 1888年7月31日付、弟Theoに宛てた書簡。
 書籍なら325ポンド。しかしこのサイトならすべて読むことができる。人類の宝の一人の内的世界を誰もが訪れることができる。すべての関係者に敬意を表したい。

2009年11月22日日曜日

“inappropriate” と “unacceptable”

Words that think for us
 短い記事だが、鋭い指摘である。最後の結論はあまりにもおめでたいものでがっかりしたが。
 筆者は、“improper” や “indecent”で形容されていた事態が、現在では“inappropriate” や “unacceptable”で表現されることが多くなっており、その傾向は1980年代のpolitical correctnessの決まり文句あたりから顕著になったと見ている。
 しかし、根源にあるのはそんな表層の問題ではないような気がする。筆者がそれをモラルの言葉の衰退と関連付けていることからも分かるように、これは大きな物語の崩壊という文脈で考えたほうがいいのではないか。ここでいう大きな物語とは、広い意味で「正しさ」と言い換えてよい。何を正しいと考えるのが「正しい」のか、何を美しいと感じるのが「正しい」のか、何を善いものと判断するのが「正しい」のか、である。とすると、これはポストモダンであるということになる。
 私は少し前から、なぜ現代日本がこんなに軽々とポストモダンの流れの中を漂い続けるのかを考えている。それが、“inappropriate” や “unacceptable”で表されるものと同型だと思われる「世間」の問題(その最新ヴァージョンは「KY」だろう)なのか、「許せない」で表現されるような独我論の問題なのかを考えている。しかし、最近考えているのは、「世間」の話も「許せない」の話も恐らく共に独我論の問題なのではないか、ということだ。「他者」がまったく存在しない、という意味の独我論である。
 12月の「日本に関する懇談会」のテーマは「いじめ」である。そこに向けて、この角度からもう少し考えを進めていってみようと考えている。

絶世の美女NGC 253


NGC 253: Dusty Island Universe
Credit & Copyright: Star Shadows Remote Observatory and PROMPT/CTIO
(Steve Mazlin, Jack Harvey, Rick Gilbert, and Daniel Verschatse)(写真クリックで拡大)
美しいものというものは大抵そうだが、明るく輝きつつも、そこには少なからず得体の知れなさというものがつきまとう。

2009年11月16日月曜日

epoché

 真の意味で何かを探求したいのなら、本当に自らの経験を吟味し、理解したいのなら、その前に、自然的な態度に基づく判断を中止することだ。
 これが、フッサールから僕が学んだエポケーということの意味だ。

2009年11月15日日曜日

我々は過去を変えることができる。

 Waking the dead
 Eagleton, Benjamin, Freud, Brecht.役者が揃い、読者に「思考せよ。」と迫る。
 
 忘却と闘うこと。それだけが過去を変え、現在を在らしめ、未来を創る。 

星の誕生


 美しい。

コンビ

 といってもいいのだろう。Isaiah BerlinはHenry Hardyの献身的な編集作業がなければ、これほどまでに現在研究される思想家にはなっていなかっただろうということを知った。
 玉を見出すことのできた者も幸福であるし、見出し、研磨をしてくれる者を得た玉のほうも幸福である。
Isaiah Berlin, Beyond the Wit

2009年11月13日金曜日

選択と喪失

Some of the Great Goods cannot live together. That is a conceptual truth. We are doomed to choose, and every choice may entail an irreparable loss.(Isaiah Berlin)

きょうのLiaison

移転のお知らせ
脱出

2009年11月12日木曜日

Dan Sperber

 私の好きな学者の一人だが、最近彼がブログをやっていることを知った。論文同様に、或いは論文の時よりも生き生きと、彼の知性が伝わってくる。例えばこれを見よ。
 Grieving animals?

Jane Austen

 死去する1817年、恐らくリンパ腫系の病に苦しんでいた頃、彼女は8歳になる姪に新年の挨拶を送る。
 “Ym raed Yssac,I hsiw uoy a yppah wen raey.”
 彼女の作品を読んで、200年近くも前に亡くなった作家の、人間のコミュニケーションへの問題へのその近代/現代的な洞察の深さに驚嘆する者には、死の床にあるといってもいいような状態の、42歳の誕生日を迎えたばかりのAustenの、早熟の姪に対する愛情に溢れたユーモアと茶目っ気を読み取ることができるだろう。
 ある物事に真剣に取り組むと同時に、その物事自身、またそれに真剣に取り組む自分自身をも揶揄の対象にすること。それをイロニーと呼ぶなら、Jane Austenは私のイロニーの大先輩である。

JAL問題と労働者の権利

 山崎さんが正論を展開している。  OBの年金は強制削減すべきではない  初めてこの話を聞いたときは、どうせすぐ潰れる話だろうとたかをくくっていたのだが、山崎さんの口調を見ると、どうもそうでもないらしい。いつから、こんな当然のことを一生懸命主張しなければならないような国になってしまったのか。日本の知性も落ちたものである。

2009年11月10日火曜日

「言語習得」の開始

Birgit Mampe, Angela D. Friederici, Anne Christophe and Kathleen WermkeのNewborns' Cry Melody Is Shaped by Their Native Language(Current Biology11月5日号)は、新生児の泣き声のパターン分析から、胎児期の最終期3ヶ月間に既に言語習得が開始されているらしいということを明らかにした。
 経験則では恐らくそうだろうとは思っていたが、検証された意義は大きい。

2009年11月9日月曜日

ベルリンの壁崩壊20周年

 20年前の今日だった。
 20 years after the Berlin Wall's fall: An East European looks back
 The Washington Timesらしく愚かしいまでにバイアスのかかった記事だが、ようやくブルガリアにも新しい世代が出現しつつある、という指摘には同意する。
 国外で鍛えられた者たちが戻り、新世代が社会を動かすようになる時代、10年から20年後、この国は見違えるような国になっているだろう。それをこの眼で見たいと私は思う。

Lévi-Strauss先生

 亡くなって一週間が過ぎた。色々な追悼記事が出揃ってきた。
 「世界は人類なしで始まった。そして間違いなくそれなしで終わりを迎えるだろう。」
 Tristes Tropiquesの中の一節である。彼に対していろいろな批判を行うことは可能だ。しかし、このスケールの大きな構えの中でこそ彼にしか可能ではなかった様々な研究が生まれてきたということ。それが最も重要なことだと思う。

2009年11月8日日曜日

「新聞」の将来

「新聞の通信簿」(経済記事担当)を振り返る
 山崎さんの言うとおりだろう。
 しかし、ことは新聞に限った話ではない。話を敷衍していけば、それが、柄谷行人が20年前に指摘したような、100年ほど前の日本における「知識人」と「大衆」の時代の終焉の繰り返しなのか、それとも本当に大文字の「物語」の時代が終わろうとしているのか、まだ私にはわからない。
 しかし、組織ではなく個々の人物そのものが評価される時代、そういう時代が訪れようとしていることだけは間違いないだろう。

2009年11月7日土曜日

日本語は「変わる」のか?

Is Technology Dumbing Down Japanese?
 「変わる」ということの定義にもよるだろう。しかし、この列島の中心部で用いられてきた言葉は幾多の激動期を経てもなおその核心部分を変えていないと私は思う。そうでなければ、辞書をひきながらでも曲がりなりにも1300年前のテクストが読めるはずがない。この言語が経験してきたいくつかの大きな試練を考えれば、ケータイ小説やeメールがもたらしていると言われる「変化」など、少なくとも、大陸文化の流入、明治維新、第2次世界大戦での敗北、などの諸々の大変動と同レベルのものだろう。
 言語としての存亡の危機を何度も乗り切って1300年を生き抜いてきた言葉は、そう簡単には死なない。

「外国で活躍する日本人」

という馬鹿なタイトルに敢えてした。
 決して大言壮語することなく、批判にもじっと耐え、しかし最後にはいい仕事をする人が、私は好きだ。自分がそうありたいと思いながら叶わぬ夢だからであろう。
 「異文化環境」という一言で済ませられぬ厳しさの中に敢えて飛び込んでいき、さらにこれまで以上の力を発揮するということは並大抵のことではない。しかし、それに挑戦し続けている/続けた者は大勢いる。スポーツの世界なら、それは野茂であり、中田であり、イチローであり、松井である。
 松井のMVPに心からの称讃を送りたい。

2009年11月6日金曜日

多様性というもの

Apples, Apples, Apples
 1905年、アメリカ合州国には6,500種のリンゴがあった。それが現在のマーケットではたった11種が市場に出回るリンゴの90%を独占している。中でもRed Deliciousという品種が市場の半分近くを占めている、とKLINKENBORGはいう。
 「堕落した資本主義」とか「市場原理主義の横暴」とかいった青臭いことを言うつもりはない。KLINKENBORGもさすがにそんな馬鹿なことは言っていない。
 資本主義というものは本来そういうものだ。均質化と効率化と無限の膨張。それしかない。それがなければ資本主義ではない。
 だからといって、世界が彼の国や日本のように成り果ててしまっていいかというと、断じてそうではない。
 ここで、KLINKENBORGよりも有利な立場にいる、つまり超高度資本主義国に住まないという贅沢をしている私が言いたいのは、でもうちはうちのリンゴを食べる、なぜならばうちのリンゴがうちの者にとっては一番おいしいリンゴだから、という論理は本当に消えてしまっていいのかということだ。
 リンゴ・ナシ・ハチミツ・ヨーグルト・タマゴ・・・・・・・・ありがたくいただく、ありとあらゆる食べ物に必ず「うちの」「おじいちゃんの」「おばあちゃんの」という修飾語がついてくる国に暮らし、しかしリンゴをまるかじりできなくなった歯を持て余している私の感想である。

Ex-patと哀愁

 今届いたハーグのOPCWの春具さんのメルマガの最新号「哀愁のヨーロッパ」で、ex-patと「哀愁」の関係が、50年ほど前人種差別を嫌いヨーロッパに大挙移住したアフリカ系アメリカ人ジャズミュージシャンたちを例に述べられている。少し長いが引用する。
 「ともかく、デクスター・ゴードンもバド・パウウェルもデューク・ジョーダンもみんなヨーロッパにおいては ex-patであり、alienなのであった。そしてわたくしも小橋さんもオランダに数年腰をかけているだけという非愛国者なのであり、合法的に滞在してはいるが宇宙人なのであります。そしてその気分は、大宰府へ流された菅原道真、鬼界島へ送られた俊寛僧都と似ている。エックスパットというのは、わたくしもふくめて、ここは仮の住まいでほんとうの住まいはどこかほかにあると思っている、すなわちじぶんの居場所がわからない異国在住者なのであります。
 その無常は、デクスター・ゴードンの傑作「Our Man in Paris」や「Something Different」のソロの行間から聴き取れるではないか。パリにいながら、彼の精神はマンハッタン57丁目のクラブを思い出している。コペンハーゲンでギグをしながら、ニューヨークのジャズ仲間とのセッションを思い出している。激しいブローはそれらをふっきらんとするばかりであります。デクスター・ゴードンを主役にした「Round Midnight」という映画がありましたが、あの映画が綴ったように、ローカルなミュージシャンたちにどんなに敬われても、異国にひとりでいる寂しさはぬぐえない。それは道真が梅の木を眺めて都を思い、(風流のレベルは違いますが)わたくしが運河の落ち葉を見て龍田川を思いだすのと似ている。またそれは邦人ビジネスマンが本社の人事をいつも気にしているのにも似ています。エックスパットは、程度の差はあれ、常にこのような屈曲したメンタリティを持って外国暮らしをしているのではないか。そしてそれこそがモダンジャズ・ファンがヨーロッパのジャズに聴く「哀愁」だったと思うのであります。」
 私は現在でもある程度そうだが1年後には名実ともにex-patになる。季節もまさに秋、私も「哀愁」の中にある。ただ、その哀愁は上に述べられた類のノスタルジーや根無し草的な哀愁ではない。つまりどこかに根拠地があるべきで、それを奪われた、或いは(失って)持たぬが故の哀愁、という種類の哀愁ではない。うまく説明できないのだが、上記のような「相対的孤独」とは異なる「絶対的孤独」の感覚、とでも呼ぶべきものからもたらされる「哀愁」なのだ。もちろんどのような境遇にあろうとも人は原理的に常に既に絶対的孤独の中にある。「無常」は私の、或いはあなたの身の上にだけあるのではない。
 恐らく現在の私はそれが日々、刻一刻、魂に刻み込まれるような生を送っている、ということなのかもしれない。

2009年11月4日水曜日

レヴィ=ストロース死す

Anthropologist Levi-Strauss dies
 先生が亡くなった。先生、長い間ありがとうございました。