2010年5月19日水曜日

コミュニケーション能力

これから面接に臨む学生のために
 これは何も就職面接だけの話ではない。コミュニケーションというものはそういうものだ。
 山崎さんの書いていることを読んで、「なるほど、そうなのか。」と感心しているような奴は中学ぐらいからやり直したほうがいい。「そりゃ、そうだろう。」と(誤解に基づいてではなく)反応できる奴だけが、より高い次元で鍛えられる資格を得るのだと思う。
 山崎さんの話は就職面接の話だから、面接官への配慮の話が中心を成すが、コミュニケーションとは一体何なのか、本当に賢いということはどういうことか、がよくわかっている面接官の前で、ものごとがよく分かっていない者が、ここで勧められているスキルをスキルとして用いようとした場合、間違いなく逆効果になることは言うまでもない。
 しかし、相対する者同士が互いの実力を見抜き、認め合った上で、それでも双方がしらっと演技しているような場面。そのようなぞくぞくする場面をあなたは経験したことがあるか。それほどのレベルの者が揃った時、彼らの前に敵はいなくなる。
 上記のことに文化の相違はほとんど無関係だということに最近気がついてきた。ブルガリア語で賢い奴は日本語を使わせても賢いし、日本語で賢い奴はブルガリア語でも賢い。
 しかし、問題は、それがよく分かっている人間――それは面接官に限らない、教師をはじめ、指導する立場の者すべてに言えることだ――が極めて少ないことだ。
 そして、より大きな問題は、それが原理的に伝達不可能、つまり教えることのできない種類の能力だ、ということだ。
 私にアドバイスできることはただ一つ。分かり合える相手(それが書物でも人間でも何でも)と付き合うな、自分には歯が立たない相手、つまり「他者」とだけ付き合え、ということだけである。

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