2017年12月10日日曜日

粉雪の舞(ひ)夜を白く染めにけり

2017年12月7日木曜日

見出(みいだ)せるものまた数多(あまた)森の午後(ひる)
長長き戦(いくさ)終はりて小春かな

2017年12月6日水曜日

先生と呼ばれぬ時代(とき)の始まりき

2017年12月5日火曜日

坂道を駆け上りてのち終はりけり

2017年12月3日日曜日

真《まこと》とはロートレックの無常なり

2017年12月1日金曜日

捨つるのは犬に喰はるる自由なり

2017年11月30日木曜日

渇愛を拭ひ去るとは雪の森

2017年11月28日火曜日

人倒る我動かずて霜降月

2017年11月27日月曜日

積雪に電飾寂し年果つる

2017年11月26日日曜日

落ち葉道凍つる森にも生命(いのち)満つ

2017年11月24日金曜日

氷江も下は流れり時のごと

2017年11月21日火曜日

森に雪我一人なり一人ならず

2017年11月13日月曜日

落葉《らくえふ》に踏み惑ひけり森の径《みち》

2017年11月9日木曜日

Agora Sofia日本語辞典』の見出し項目数が29万を超えた。

2017年9月23日土曜日

Agora Sofia日本語辞典』の見出し項目数が28万を超えた。

2017年8月6日日曜日

 大学というところには「鬼」がいる。
 それは「学問の鬼」「研究の鬼」というやつである。大学人のうちの、おそらく0.1%程度の割合で、彼らは現実に存在する。
 彼らは、文字通り24時間学問研究に没頭している。研究室でも、講義中でも、会議中でも、通勤途中でも、食事中でも、睡眠中でさえも、学問のことばかり考えている。彼らの中には、自分が納税者から、あるいは何らかの組織から給与をもらって仕事をしているという意識さえ持たぬ者もいる。よって、そういう彼らは公務員・組織の一員・教員・社会人・家庭人などというアイデンティティさえ持たぬ。結果として、往々にして「人の道に外れた」行為をしでかすことになる。要するに、この世ならぬ者である。「世間」に生きる「ひと」ではない。そういう意味で「鬼」なのである。
 しかし、その「鬼」の中から、時に人間業とは思えない仕事をするやつが出てくる。大学が学問の府である以上、大学はそういう生き物を「飼う」ところでもなければならない。学問という檻の中に閉じ込めて「ひと」の世界に一切出さぬよう用心してでも、大学には「鬼」を飼い続ける義務がある。私はそういうことをずっと言ってきたし、どこかにも書いたこともある。それは、「ひと」としては軽蔑していても「鬼」としては畏怖し続けた少数の先輩たちを擁護しているつもりであった。
 「ひと」でいられなくなり「鬼」になるのか、そもそも「鬼」だから「ひと」でいられないのか。それはわからない。しかし、今は、他人ごととしてではなく、こう思う。「飼う」必要も「擁護」する必要もないかもしれないが、何としても「鬼」は学問内に、異界に、閉じ込めておかねばならない。間違っても学問の外に「鬼」を放ってはならない。「世間」に出してはいけない。「ひと」と接触させてはならない。

2017年8月2日水曜日

夏ソフィア我にも魔の血流れ居り

2017年8月1日火曜日

Agora Sofia日本語辞典』の見出し項目数が6月21日に27万を超えた。
嗚咽とふ言葉の意味を知り初めき

2017年3月12日日曜日

使者のごと春告ぐる雪のあたたかさ

2017年2月13日月曜日

還暦や零下十度に春日見ゆ

2017年2月9日木曜日

Agora Sofia日本語辞典の見出し項目数が260,000を超えた。