2018年4月25日水曜日

ジジイ

私は61だ。もういいジジイである。しかしやってることは20、30の小僧と寸分変わらない。あの頃は何でもやりたい放題言いたい放題でやっていた。それでよかった。青二才が、と、心ある人からは相手にされなかったからだ。無視されている間は大きな問題にはならない。

しかし、残念ながら61ともなるとそうもいかないようだ。自分の言動がいちいち周囲の意外に多くの人を巻き込んでしまっているらしい。いい意味でならそれも結構なことなのだが、おそらく望ましくない意味でそうなってしまっている場合の方が多い。まさか自分の一挙手一投足がこんなにも周囲に様々な波紋を及ぼしているとは。実に愚かなことだが、最近になってようやくそれに気がつき始めた。本当にこれまでそんなことは意識していなかったのだ。誰にも信じてもらえないだろう。しかし、本当にそんなことは一度も考えたことがなかったのだ。これもほとんど大学の世界しか知らない人生だったせいかもしれない。「学問の鬼」の話を以前書いた。しかし全くもってそんな立派な話ではないのである。

心身ともに枯れてくれば自然におとなしくなってゆき、それはそれでおさまりがついてゆくのだろう。しかし幸か不幸か私は還暦を過ぎてますます元気である。最近の鍛錬の甲斐もあって、身体能力は二十歳の頃と同等のレベルに戻りつつあるとさえ言いたくなる。もしこれで煙草をやめたら一体どこまで元気になるのだろうと恐ろしくなるぐらいだ。「老いてますます盛ん」どころか、まだそれ以前の段階なのだ。

肉体的にも精神的にも発展段階はまだ30の若造なのである。しかし実際には私は61で、そしてその年齢が要求する振舞い方を知らないと来てる。一体どう折り合いをつければいいというのか。

まあいいや。グダグダ言ってても埒があかない。少なくともこれ以上世間様に迷惑をかけまいとするなら、やはり黙々と本来の自分の仕事にひとり専念することだ。

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