2007年9月26日水曜日

中秋の名月

 という表現に当たるものがブルガリアにもあるかという質問を寄せてくれた人がいる。
 人間というものは地球上のどこに住んでいようが基本的にはほとんど似たようなものだから、月の美しさを愛でる心性がブルガリアには存在しない、ということは原理的にありえない。しかし、さて表現としてはどうだろう。存在するのだろうか。また他の言語ではどうだろう。教えてください。

6 件のコメント:

  1. ブルガリアの民謡及び文学作品の中では「月」が頻繁に詠まれていますが、何といってもボテフの名詩がその代表的な例です。ここでその一部をご紹介させていただきます。
    Настане вечер, месец изгрее,
    звезди обсипят свода небесен,
    (中略)
    日本語訳
    夜になり、月が出る
    星が空のかなたを輝かせる

    それは何といってもブルガリアの典型的な山の風景を詠った詩です。外にも例が山ほどたくさんあります。
    しかし、そういった月は日本の「お月見」の月と違う捉え方をされているように思われます。名月は単なる季語だけではなくて、18世紀から19世紀の後半にかけて行われた反オスマントルコ運動とも密接な関係があると考えられます。

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  2. ありがとうございます。
    どういう「密接な関係」なのでしょう。「イスラムの半月」とは無関係のものなのでしょうか。

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  3. いいえ、イスラムの半月とは違います。イメージとしてはさほどまとまっておりませんが、運動家の危険に満ちている旅などを見守っているという役割を果たしているように見えます。

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  4.  ほう。日本でも渡世人や落人などの世をはばかる人々は明るい昼でなく主として夜に旅したので、そのような文脈では古来月が(興味深いことに星は極めて少ないのですが)彼らを見守る存在として詩歌に詠まれることが多いように思います。
     そのような意味での比較研究も面白いかもしれませんね。

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  5. そうですね。ブルガリアの民謡の月、1878以前の文学作品の月、その後の文学作品における月のイメージをそれぞれ調べてみると、更に面白い研究になるでしょうね。

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  6.  ほんとだ。研究したいことが多すぎてあと50年の人生しか残されていない僕では賄いきれないだろうから、遺志を継いでいつか研究してね。

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