2009年4月28日火曜日

Slavoj Zizek

My Own Private Austria
相変わらず刺激的。
 日本の「親子心中」などの事例をも視野に入れれば、この問題はフロイト的に扱うよりも「保護」という概念をめぐって考察したほうがより生産的なように思う。

きょうのLiaison

ガザ写真展終了、募金ありがとうございました。

2009年4月27日月曜日

NightJack

NightJack
 ブログの持つ到達点の可能性の一つがここにある。
 お見事。

ダイナミズム


NGC 4676: When Mice Collide(NGC 4676: When Mice Collide)
 大宇宙のダイナミズム。私の精神も共振する。

きょうのLiaison

OKAMOTOフェアトレードのまちめぐり
「インドネシアの染と織」~バティックを中心に

2009年4月26日日曜日

書籍のATM

Revolutionary Espresso Book Machine launches in London
 これは確かに革命である。

James WoodそしてIan McEwan

James Wood writes about the manipulations of Ian McEwan
 現在私が最も評価する存命の批評家が現在私が最も評価する存命の作家を論じている。そして期待通りの果実が得られる。良質の知性に出会う喜び。

2009年4月22日水曜日

IMAGES OF A LOST WORLD

East Germany, Up Close and Personal
 当時のブルガリアにも通ずるものがたくさんあるような気がするのだが、いかがだろうか。

World Digital Library

 UNESCOがサポートするオンライン図書館
 どんどん活用してほしい。それがまたこのライブラリの発展につながってゆく。

2009年4月20日月曜日

若松孝二

『天使の恍惚』(1972)を観た。政治と暴力とセックス。若松ならではの映像世界が展開する。映画史において「個的闘い」を繰り広げてきた彼はもっと研究されてよい監督である。なおこの作品に関しては山下洋輔トリオの演奏も特筆に価する。

きょうの山崎元

グリーン車のハゲとボクシング会場の美女
 彼のブログはここのところまじめなエントリが多かったのだが、久しぶりにニヤリとさせてもらった。この人は相変わらず魅力的だ。
 人間には2種類ある。こういう視点を面白がるタイプと、「それは人/時/場合によるでしょう。」という反応をするタイプである。
 前者の私は後者が苦手である。

きょうのLiaison

春爛漫

2009年4月18日土曜日

Eve Kosofsky Sedgwick死す

 Eve Kosofsky Sedgwick, a Pioneer of Gay Studies and a Literary Theorist, Dies at 58
 世界に衝撃を与え続けた研究者だった。僕がたくさんの刺激をもらった研究者でもあった。58歳。早すぎた。

2009年4月15日水曜日

批判理論と否定弁証法の併置

Adorno’s proposition consists in retaining (simultaneously and at the same time going beyond) Kant’s negative critique as well as Hegel’s dialectical negativity. One joins Kant’s critical gesture, which is a gesture of separation, of limitation of the pretensions of reason, with the Hegelian dialectical negativity shorn of its affirmative absoluteness. One retains Hegelian negativity as purely negative negativity. This is why Adorno’s doctrines, and more generally what will be called the Frankfurt School in the 1960s, which is called “critical theory,” are called by Adorno, “negative dialectics,” placing critical theory and negative dialectic side by side, surpassing Kant and Hegel.(Alain Badiou,Adorno's Negative Dialectics and Wagner)

「知の到来」

"Rather, knowledge comes to us through a network of prejudices, opinions, innervations, self-corrections, presuppositions and exaggerations, in short through the dense, firmly-founded but by no means uniformly transparent medium of experience."(Theodor Adorno)

 お若い方々。これが分からないと一生浮かばれませんよ。

節約

Language shows the resurgence of being kechi
 ね?けちなのは僕だけではないでしょ?
 それにしても、節約というものに対する考え方は文化や時代によっても様々に異なるだろう。ブルガリアの人々とも議論してみたい。あ、特にГабровоの人たちともね。:)

The End of Philosophy

The End of Philosophy
 思考が浅すぎる。哲学を云々するならそれだけの勉強をしてからにすべきである。いやしくもNYTimesのコラムニストならその程度の畏怖は持っておいてもらいたい。

2009年4月13日月曜日

出版

More than 65% of published books in Bulgaria are written by local authors
 この数字がすべてを物語る。もちろん自分で金を出す限り誰にでも自慰、いや自費出版の自由はある。そして誰にでもそれをもらったそばからゴミ箱に捨てる自由がある。後者の行為を行う人が増えてくれば知的水準も徐々に上がっていくのではないか。

日本語弁論大会・教師会総会・教師会セミナー

 激動の日々はまだまだ続く。。。しかし、この人たちならすべて乗り越えて行くだろう。

きょうのLiaison

KOBE6ピース66日間パズルラリーあと9日。

降参。。。

 ずっと忙しくて書くのが遅れたが、9日の誕生日のsurprise partyには本当に驚かされた。僕と毎日のように会っているはずの何十人もの人々が10日も前から僕だけにはひた隠しにして準備してきていたというのだから驚く。
 私はあまり言葉を連ねて感謝を述べるという種類の人間ではないので敢えてしないが、私は本当にたくさんのすばらしい仲間に支えられてここで生きている、そして生きて行くのだ、ということを改めて感じさせられた夜だった。
 パーティ、電話、メール、Facebook。。。
 一人一人に言いたい。みんな、本当にありがとう。

2009年4月9日木曜日

帰還

 一つ齢を重ね、下界に戻る。
 
 お人違いではないと申されるか。
 ならば試みに一太刀浴びせかけてみよ。
 されど返す刀に容赦はなきものと心得られよ。

きょうのLiaison

セミナー『布を楽しみ、アジアに親しむ』at Liaison終わりました。

2009年4月6日月曜日

行方不明予告

明日より二日間、消えさせていただきます。インターネット環境もないところです。極めて緊急の場合以外はケータイもご遠慮下さい。宜しくご理解の程お願い致します。:)

豊田勇造。

豊田勇造60歳6時間60曲フリーコンサート

 あれは何年前だろう。10年近く前の大阪の夜。真横で弾き語りで聴かせてもらった彼の『振り返るには早すぎる』。
 2009.06.06. まだ闘志を失っていない方、闘志を今一度振り絞ろうとしている方、あなたのためのコンサートです。

2009年4月5日日曜日

きょうのVERLYN KLINKENBORG

Native Element
 短いがいつもながらの深み。いまの僕には特に感慨深かった。

安全保障

 やはりこの政府には安心して任せることはできない。遠くから見ていても、危なっかしくて見ていられないようなへまばかりやっている。
Jittery Japan jumps gun on blastoff

2009年4月4日土曜日

『おくりびと』

 3年生のクラスの教材として使えるかと思い、チェックのために見た。
 芸術性は高いとは言えない。アカデミー賞は騙せてもヨーロッパは騙されないだろう。それにおめでたい場面が多すぎる。
 しかし一定の普遍性は持つ。文化の違いを超えて多くの人を泣かせるだろう。
 本木も広末も期待はずれだった。彼らはもっと伸びていなければならない。しかし脇役陣は日本映画の水準の高さを改めて感じさせる曲者が揃っている。他の作品なら主役を張る役者がこの作品では一言も台詞のない遺体としてしか出てこない。
 日本研究の教材としては格好の作品である。やろうと思えばこの作品だけで15週間論じ続けることさえできる。3年生の総仕上げはこれをやることに決めた。

2009年4月3日金曜日

LACAN DOT COM

LACAN DOT COM
 これは人生、知性で勝負!と決めている学生諸君向け。歯応え十分です。

きょうのLiaison

one village one earth

Теодорをはじめ日本の政治に関心を抱く諸君への情報

衆議院外務委員会委員長のブログ&メルマガ。
私は自民党支持者ではないが、結構笑えます。批判精神を十分備えた人向け。子どもお断り。やけどします。
http://www.taro.org/blog/

2009年4月1日水曜日

会話における闘争

 3.18.の記述で触れた『明暗』における「勝ち負け」意識の問題に関してJamesonはのちにこう述べる。
 ”This is not, I think, the Hegelian struggle for recognition, which on the German philosopher's view marks the very nature of interpersonality ("each consciousness desires the death of the other one"). Rather, in Soseki's world, some larger network of forces seems to hold these individual subjects in its grasp and to determine convulsive efforts by each of them that are not individually desired.”(Fredric Jameson,Soseki and Western Modernism)
 ここまで来れば主客問題まではあと一歩である。おそらく翻訳を通してでしか読んでいないはずなのにここまで洞察する。さすがJameson。鋭い。
 

Дарин Теневへの問題提起

The "subject" is a unified concept and therefore the result of "interpre¬tation." Nietzsche often stresses that it is a specifically linguistic figurative habit of immemorial standing: "that when it is thought [wenn gedacht wird] there must be something `that thinks' is simply a formulation of our grammatical custom that adds a doer to every deed." (WM II. 13, WP 268) The "insertion of a subject" is "fictitious." (WM II. no, WP 337) (Gayatri Chakravorty Spivak,Translator's Preface)

法を制定する暴力、法を維持する暴力。

 The law of this oscillation [between the violence that posits law and the violence that preserves it] rests on the fact that all law-preserving violence, in its duration, indirectly weakens the lawmaking violence represented by it, through the suppression of hostile counterviolence....
 This lasts until either new forces or those earlier suppressed triumph over the violence that had posited law until now and thus found a new law destined to a new decay. In the interruption of this cycle, which is maintained by mythical forms of law, is the deposition of law and all the forces on which it depends (as they depend on it) and, therefore, finally in the deposition of State power, a new historical epoch is founded. (Walter Benjamin, "Zur Kritik der Gewalt," p.202)

 極めて日常的な次元にもBenjaminの洞察は有効である。私は最近日々これを経験している。