2018年5月31日木曜日

JÜRGEN HABERMAS

例えば彼のような巨人の後継者が今どこかに現れているか?
なお意気軒高な彼の言説を聴いていて、逆に「哲学の死」のようなものをひしひしと感じざるを得ないのは私だけだろうか。

JÜRGEN HABERMAS: “FOR GOD’S SAKE, SPARE US GOVERNING PHILOSOPHERS!”

2018年5月30日水曜日

芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」

David Graeber

現在の世界が重大な問題を抱えていることはよくわかっている。そしてその解決策として現在提唱されている理論のいずれにも問題があることもよくわかっている。本当に一度大崩壊しないと突破口は見つからないのだろうか。

Bullshit Jobs: A Theory by David Graeber review – the myth of capitalist efficiency

2018年5月29日火曜日

森鷗外「ぢいさんばあさん」

Barbara Ehrenreich

死のその瞬間まで闘いをやめない人がここにいる。
“It’s one thing to die into a dead world and, metaphorically speaking, leave one’s bones to bleach on a desert lit only by a dying star. It is another thing to die into the actual world, which seethes with life, with agency other than our own, and at the very least, with endless possibility.”

Mind Control

2018年5月28日月曜日

藤田嗣治(つぐじ)、藤田嗣治(つぐはる)、Léonard Foujita、Fujita、レオナール・フジタ、レオナルド・フヂタ・・・

若い頃から私はなぜか彼に惹かれてきた。その多彩な作品はその一つ一つがそれぞれの意味で私の胸を打ってきた。

精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。

しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。

激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。

Foujita: Imperial Japan Meets Bohemian Paris

2018年5月26日土曜日

芥川龍之介「トロツコ」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介トロツコ冒頭部分析完了。

Roland Barthes

学生時代に何度もチャレンジした思想家の一人だった。よく理解できず悔しい思いをしたのを覚えている。

In the Snatches of Free Time: On Collecting Roland Barthes

2018年5月25日金曜日

井上尚弥

また勝った。10年以上無敗だった相手チャンピオンがまるでアマチュアのように見える試合だった。

これで3階級制覇。数年前この人が初めて世界チャンピオンになった時に私はここで予言した。今後10年、世界にこいつを倒す者は出ないだろうと。そして、その予測をはるかに超える力強さでこの人は進化し続けている。

全17階級の全ボクサーの実力を格付けする「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」最新版では第5位に上がった。まだ上はある。しかしその前に、今年の秋に開催される、世界の四つのボクシング主催団体の各級のトップ選手がトーナメントで世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)でチャンピオンになる必要がある。楽しみはまだまだ残っているのだ。

当初「怪物」という呼称を嫌っていた彼は、さっきの試合後のインタビューで初めて自らを「怪物」と呼んだ。確かに、文字通り「怪物」以外の形容が思いつかない。ご覧あれ。

本物と偽物

本物と偽物。

この記事を読んで、恥ずかしい、しかしとても興味深い出来事を思い出した。

ほぼ40年前、コペンハーゲン大に留学中だった私はデンマーク政府奨学金から毎月少しずつ貯めた少額の金を持って1か月のヨーロッパ貧乏旅行に出ていた。ほとんどの食事はパンとチーズと水だけ、宿をとる金もなくほとんどの夜を国際夜行列車での移動で過ごす旅だった。しかし、ちょうどソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった時期で多くのNATO軍兵士とコンパートメントを共有して色々な議論をしたことをはじめとして、後にも先にもあれほど数多くの貴重な体験を積んだ旅はなかった。

その中のウィーンでの記憶である。地図もガイドブックも持たず旅を続けていた私は、行きずりのバッグパッカー仲間からいい美術館があると聞いてそこへ出かけることにした。ウィーン美術史博物館というような名称だった。

中を歩き始めて仰天した。文字通り立ち去り難い思いにとらわれるような作品に満ちていた。芸術に触れて感動に打ち震えるという経験が本当にあるのだと感じた。

しかし、何しろ実質的には生れて初めてのヨーロッパ美術との出会いである。美術の教科書で見た名作の数々を見て回るうちにふと疑問が生まれてきた。これほどの名作群がこんなところ(その時点ではこの美術館の名声を知らなかった。その上極寒の2月、開館直後の時間で他の入館者はほとんどいなかった。)に一堂に揃っているはずはない、「美術史」博物館という名称から考えてここは美術の歴史を学ぶようなところでこれらは模作なんだろうと考えたのだ。模作でもこれだけの感動を覚えるのだから本物に出会ったときにはどんなことが起こるんだろうと、急遽その後の旅程をルーブル・プラド・ローマ・アムスなどに変更したほどだ。

あの名作群は本物だったのだと知ったのは旅の後コペンに戻って図書館で(まだインターネットはない時代だった。)調べた時である。

あのウィーンでの感動は、本物の作品だったからなのか?もしあれらがこの記事に出てくるような極めて精巧な模作ばかりだったとしても同じ感動をもたらすのだろうか?

それはわからない。しかし唯一つ言えることは、あの出来事以降、どんな芸術に接する際にも、他者がほめるものであってもけなすものであっても、私は自分の眼や耳だけを信じて目の前の作品に向き合うようになったという事だ。

2018年5月22日火曜日

芥川龍之介「続西方の人」

沈黙と饒舌

私の辞典は世界で最も饒舌な辞典になろうとしている。
それは「声」に満ち満ちている。膨大なテクスト群が産み出す喧騒。
一方、それを編む私の中の緊張に満ちた静謐。
この逆説。

People crave silence, yet are unnerved by it

芥川龍之介「西方の人」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介西方の人冒頭部分析完了。

2018年5月21日月曜日

Philosophically, intellectually—in every way—human society is unprepared for the rise of artificial intelligence.

テクノロジーが哲学を必要とする時代の到来。それはAIに始まったことではない。人類が遺伝子操作と原子力を手に入れた時から始まっている。

How the Enlightenment Ends

2018年5月20日日曜日

原点0

森山 威男 Quartet, jazz inn LOVELY, 2012年8月10日, My Favorite Things

森山威男のドラム。
私は普段クラシックしか聴かないが、名演にはジャンルを超えて人を原点0に立ち帰らせてくれる力がある。

2018年5月18日金曜日

The tools we use to help us think—from language to smartphones—may be part of thought itself.

The Mind-Expanding Ideas of Andy Clark

とても難しい。しかしとても面白い。

私はこれまで『Agora日本語読解辞典』を私の生きがいであるとか命であるとか人生そのものであるとかいうような言い方で位置付けてきた。しかしどんな言い方をしようと、これではこの辞典を自己とは別個の他者として前提していることに変わりはない。

ところが、私は掛け値なしに目覚めている時間のほぼ90%をこの辞典に使っているし、夢の中でもほぼ毎日この辞典を作っている(そして目覚めのまさにその瞬間「セーブ」をしていなかったことに愕然とするということを繰り返している)。文字通り寝ても覚めても私の脳は辞典に占められている。今や私の生は他者や外的世界はおろか「自己」と向き合うことよりも質・量ともに圧倒的にこの辞典と向き合うことに占められているのだ。こうなってくると「向き合う」という自他関係の中にこのことを位置づけることに自ずと不自然さが生まれてくる。

「私」が、私の脳が、この辞典と内的に――外的にではなく――リンクし始めている。いま私はその原始的・萌芽的段階に入りつつあるとさえ言えるのかもしれない。私の脳そのものがインターネットに直接接続すれば辞典づくりはもっと楽になるだろう。この記事を読んでふとそんなことさえ想像した。

夏目漱石「明暗」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石明暗冒頭部分析完了。

2018年5月17日木曜日

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

辞書を創るということは一つの自立した新しい世界を創造しようとするかのような幻想である。怖ろしく魅惑的な幻想である。それは眩暈のするような誘惑に満ちている。しかし、どこまで行ってもそれは最後まで幻想のままである。そのことを忘れてはならない。

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

2018年5月15日火曜日

森鷗外「青年」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外青年冒頭部分析完了。

A dead body or a statue cannot be set up in the upright posture without support. You must live even to stand.

How Posture Makes Us Human:The philosophy and science of standing up straight.

東洋思想の主流にはこのような視線は存在しない。古代インドには存在したのだろうか。「姿勢」と人間性。私はこれまでほとんどこの角度から考えたことはなかったが、これは西洋思想と東洋思想との間にある大きな相違点の一つだろう。

2018年5月9日水曜日

芥川龍之介「邪宗門」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介邪宗門冒頭部分析完了。

Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo

Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo

1.使用している写真に問題がある。
(1)使用されている写真が交通機動隊のものである。
(2)映っている機動隊員は警視庁ではなく京都府警である。
こんな幼稚園レベルのミスをJapan Todayが犯すはずはないので、これはブルガリアメディア側の問題である。
2.「The police supposed that it was a suicide, local police reported.」こんなことを警視庁が軽々に言うはずはないので確認が必要であるにもかかわらず行っていない。
3.ブルガリア外務省への確認取材を行っていない。

ブルガリアが報道の自由を獲得して30年近くになる。しかし、よく思うのだが、この国にジャーナリズムが生まれるのは一体いつのことになるのだろうか。

よその国の国内問題なのであるからほっとけばいいという考え方もあるのかもしれないが、こと日本に関する無知は国際関係の観点から看過するわけにはいかない。1.と2.に関しては在ブルガリア日本国大使館が指摘すべき事柄である。

木洩れ陽に蜘蛛の巣破り走るかな

木洩れ陽に蜘蛛の巣破り走るかな

幸せは目覚めの瞬間の春の朝

幸せは目覚めの瞬間《とき》の春の朝

2018年5月5日土曜日

碧の香を夢に現に走りけり

碧《あを》の香を夢に現《うつつ》に走りけり