2018年9月30日日曜日

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」小津安二郎(1932)

小津のカットはすべてがそれぞれ一幅の絵画である。だから「絵本」だ。音声が入らない分、サイレントではそれが一層際立つ。すべてのアングル、すべての構図が計算されつくした上で確定されてゆく小津の芸術だ。名画が観るたびに新たな発見をもたらすのと同様に、この作品にも常に新たな発見がある。
その他、脚本、キャスティング、小道具、謎かけを含むユーモアなど、すべての点において、日本のみならず世界的なレベルにおいてサイレントの最高傑作の一つと言ってよい。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」

2018年9月25日火曜日

「赤線地帯」溝口健二(1956)

溝口の遺作。名声を得るためであるかのような一連の作り物から離れ、ようやく自分の撮りたかったものを撮った感があるというのが第一印象。脚本、セット、小道具、お得意のロングショットをはじめとするカメラワーク、そして何よりも女優陣の生き生きとした名演。文句なしの名作。

「赤線地帯」

2018年9月23日日曜日

『レモンのような女』「私は私 ―アクチュアルな女―より」実相寺昭雄(1967)

テレビドラマ故制約も多かろう。キャストも含めひどい出来。映像だけがずば抜けて面白い。奇才実相寺の面目躍如。

『レモンのような女』「私は私 ―アクチュアルな女―より」

2018年9月21日金曜日

Googlebotその他

現在『Agora日本語読解辞典』の作業がほとんど止まっている。もう四日目になろうとしている。Googlebot、それからMicrosoft・Bing・Semrushなどのボットのアクセスがずっと続いているからだそうだ。いい迷惑である。しかたなくオフラインの仕事に専念しているが、アップデートが進まないのは実に困る。それだけこの辞典の価値が認められてきた証拠だと慰めてくれる人もいるが、Googleなんかに教えてもらわずともこの辞典の価値は作っている当人が十分に知っている。
この辞典は100年先を見据えて作っている。検索ランキング上位になど来なくてよいし、今の時代の人に理解されたいとも、またできるとも思っていない。
検索でもAIでも何でも勝手にやればよいが、おおもとにいる人間の100年計画の邪魔をするな。

「残菊物語」溝口健二(1939)

世界的に極めて評価の高い作品だが、私はもう一つ感心しなかった。筋書きがありきたりなのは時代を考えると仕方がないが、まず主役が大根であることは致命的。全体に歌舞伎を見せておけば外国人はじめ素人はみんな騙せるとでも思っているかのような安直さのようなものを感じる。金と腕力ででっち上げた大作というのは言い過ぎか。お得意のワンシーンワンショットをはじめとするカメラワークと、森赫子をはじめとする脇役陣の名演は評価できる。

「残菊物語」

2018年9月18日火曜日

「名刀美女丸」溝口健二(1945)

出来不出来の落差のはげしい溝口のなかでも最悪の部類に入る作品。敗色濃厚の戦争末期という事情はあるにせよ、およそ芸術的なところが認められない。それをすべてわかっていてそれでも作ってしまうところが溝口らしいといえば溝口らしい。僅かに三木のカメラと山田の存在感が救い。

「名刀美女丸」

2018年9月17日月曜日

三島由紀夫「盗賊」

Agora日本語読解辞典』において、三島由紀夫盗賊抜粋分析完了。

「一人息子」小津安二郎(1936)

今日感じたことを一つ。
この作品に限らず小津の作品にはいずれも「自然」がない。狭義の「自然」、人物の言動、どこにもありのままの自然さが存在しない。すべて、小津という芸術家が切り取り、配置し、動かし、しゃべらせている。ここでは人物も「風景」なのだ。
ありのままの「自然」を楽しみたければそこに直接向かえばよい。視覚的・聴覚的な快楽はそこから得られる。一方で「芸術」が芸術家が「自然」と向き合い、対話するところから生まれてくるものだとすれば、絵画も音楽も映画も文学もその作家が「自然」との対峙から新たに生み出すものである。そこにこそ芸術の存在価値がある。
小津の映画作品は紛れもなく芸術である。小津には駄作がない。モーツァルトやピカソに駄作がないのと同じだ。それは創るものすべてが芸術作品だからである。彼の初のトーキー作品である本作は、そのことを最も如実に物語るものという点においては、彼の最高傑作である。

「一人息子」

2018年9月16日日曜日

「鶴八鶴次郎」成瀬巳喜男(1938)

私は成瀬はまだあまり観ていないので大きなことは言えないのだが、邦画四天王の一人と言われるにしては、他の3人が抜きん出ていて、成瀬には今のところこれと言ったところが見当たらない。この作品にしても長谷川・山田・藤原の名優トリオの水際だった演技に圧倒され続けてそれで終わりという印象だ。ただ誰かがどこかにこの作品では「並ぶ」という言葉がキーワードだと書いていたように思う。それを頭に置いてもう一度観るとなるほどと思う。ここまで手が込んでいるとすれば成瀬は意識的にそれをやっているのかもしれない。私はもう少し成瀬に関して勉強するべきかもしれない。

「鶴八鶴次郎」

2018年9月13日木曜日

「瀧の白糸」溝口健二(1933)

結末こそ原作より一般向けに改変しているが、原作の泉鏡花義血侠血」の魅力を十分に生かした展開になっている。脚本・撮影・キャスティング・スピード。どれをとっても最高水準。サイレント時代の溝口の代表作で、世界的にもサイレントの最高峰の一つに位置付けるべき作品である。
それにしてもサイレントの大女優入江たか子の存在感は圧倒的である。

「瀧の白糸」

2018年9月12日水曜日

「淑女は何を忘れたか」小津安二郎(1937)

小津のトーキー2作目。サイレント時代から徐々に形成されてきた小津ならではの世界がほぼ確立し始めてきた感がある。このあと小津は出征する。
脚本、カメラ、キャスティング、衣装、小道具、すべてにおいてちょっと文句のつけようがない。戦後の小津のより有名な作品群の方がかえっておとなしくまとまって見えてしまうほどのインパクトをこの作品には感じる。

「淑女は何を忘れたか」

2018年9月11日火曜日

大坂なおみ

全米オープン優勝の快挙。試合中も試合後も真のチャンピオンとして振舞ったのは彼女の方だった。女子テニス界は完全に時代が変わったのだということを印象づけた一日だった。それにしても米国はどんどんおかしな国になってきている。

『Agora日本語読解辞典』34万ページ

Agora日本語読解辞典』が34万ページを超えた。

2018年9月10日月曜日

「螢火」五所平之助(1958)

この類のものは原作の魅力に寄りかかり過ぎて映画そのものの力に欠けるものが多いので、これもあまり期待せずに見たのだが、予想以上に完成度の高い作品に仕上がっているように思う。五所唯一の時代劇作品らしいが、もっと撮ってほしかった。それから、何といっても淡島千景の名演が印象に残る。

「螢火」

芥川龍之介「蜜柑」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介蜜柑冒頭部分析完了。

2018年9月9日日曜日

ファシズムと高等教育

米国が以前からこのような勢力を胚胎していることは知られているが、しかし、現実に事態がこのような所まで来てしまっていることは極めて憂慮すべきことである。

Fascism and the University

2018年9月8日土曜日

「怒りの街」成瀬巳喜男(1950)

舞台劇がそのまま映画になっているというのが第一印象。わざわざ映画作品にする価値があるのかは疑問。戦後間もない世相を垣間見ることの出来る資料的価値はある。

「怒りの街」

徳富蘆花「熊の足跡」

Agora日本語読解辞典』において、徳富蘆花熊の足跡冒頭部分析完了。

2018年9月7日金曜日

「ふるさとはどこですか」

これを聴くたびに眼がしらが熱くなる。私だけかも知れない。

「ふるさとはどこですか」

音楽と快楽。音楽の快楽。

完全に袋小路に陥っている。脳科学の発展を待つしかないのかもしれない。

Musical pleasures

2018年9月6日木曜日

森鷗外「大塩平八郎」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外大塩平八郎冒頭部分析完了。

想ひ出は地層の如し国離る

帰国を決意して。
 想ひ出は地層の如し国離る

「黒い雪」武智鉄二(1965)

一見不条理劇のようで、巧みにまとめられていてわかりやすい。軍用機のジェット音が非常に効果的に使われる。

「黒い雪」

顧みて悔いばかりなり秋は来ぬ

発つ時を考え始めて。
 顧みて悔いばかりなり秋は来ぬ

戻らぬは戻らぬものと夏過ぎぬ

一つの時代の終わらんとするにあたりて。
 戻らぬは戻らぬものと夏過ぎぬ

2018年9月4日火曜日

「宴 」五所平之助(1967)

最初の挿入曲を聞いた瞬間に凡作とわかる作品。キャスティングは相当豪華だが、2.26事件をロマン主義的に描く常套手段に終始する。原作・脚本がひどいとこうなってしまう。岩下志麻の存在感だけが収穫。

「宴 」

2018年9月3日月曜日

「13号待避線より その護送車を狙え」鈴木清順(1960)

ドタバタアクション。筋立てもキャスティングもひどいもので、清順も初期にはこんな程度だったのかと認識した。ただし、タイトルのつけ方(内容とはそぐわないが)、様々な移動手段の駆使、何か所かの映像の新規さ、とややユニークさは認められる。

「13号待避線より その護送車を狙え」

2018年9月2日日曜日

Samuel Huntington

これもFRANCIS FUKUYAMAの議論の明快さの一例。

Huntington’s Legacy

「女のみづうみ」吉田喜重(1966)

筋立ても運びも支離滅裂。しかし、映像と音楽は文句なく素晴らしい。これぞ喜重のヌーヴェルヴァーグ。

「女のみづうみ」