2018年9月17日月曜日

「一人息子」小津安二郎(1936)

今日感じたことを一つ。
この作品に限らず小津の作品にはいずれも「自然」がない。狭義の「自然」、人物の言動、どこにもありのままの自然さが存在しない。すべて、小津という芸術家が切り取り、配置し、動かし、しゃべらせている。ここでは人物も「風景」なのだ。
ありのままの「自然」を楽しみたければそこに直接向かえばよい。視覚的・聴覚的な快楽はそこから得られる。一方で「芸術」が芸術家が「自然」と向き合い、対話するところから生まれてくるものだとすれば、絵画も音楽も映画も文学もその作家が「自然」との対峙から新たに生み出すものである。そこにこそ芸術の存在価値がある。
小津の映画作品は紛れもなく芸術である。小津には駄作がない。モーツァルトやピカソに駄作がないのと同じだ。それは創るものすべてが芸術作品だからである。彼の初のトーキー作品である本作は、そのことを最も如実に物語るものという点においては、彼の最高傑作である。

「一人息子」

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