2018年5月28日月曜日

藤田嗣治(つぐじ)、藤田嗣治(つぐはる)、Léonard Foujita、Fujita、レオナール・フジタ、レオナルド・フヂタ・・・

若い頃から私はなぜか彼に惹かれてきた。その多彩な作品はその一つ一つがそれぞれの意味で私の胸を打ってきた。

精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。

しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。

激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。

Foujita: Imperial Japan Meets Bohemian Paris

0 件のコメント: