2009年9月27日日曜日

仲間

 ユーラシア大陸を西に向かって横断するトルコ航空便。
 たまたま隣席に座った白人男性が一心不乱に岩波文庫の般若心経に読み耽っている。そこで日本語で話しかけてみる。ところがなんと日本語は話せないとドイツ語で答えてくる。びっくりした私は、英語に切り替え、でもお前は(一瞬で同類と見て取ると実際突然こんな口調に変わる。それは相手も同じこと)、いま岩波文庫の般若心経を読んでいたではないかと言う。すると彼も英語に切り替えてくれて、実は俺はミュンヘンの大学でサンスクリットを教えているのだが、今は京都で開かれていたサンスクリット学会の帰りで、京都の本屋で買った般若心経(或いは併載されているもう一つの経典だったかもしれないが)を、漢字はまったく読めないのだが、巻末のサンスクリット原典を頼りに「味わっている」のだ、と言う。おお、ここにも仲間がいた。
 12時間の長旅は充実した対話の時間となり、名刺を交換し、再会を約してイスタンブール空港で別れる。
 私は生きている、動いている、と感じることのできるのはこういう時である。
 

きょうのLiaison

フェアトレードのまち岡本 ~うりぼうと一緒にお散歩しましょ~
one village one earthフェアトレード&国際協力セミナー第一期終了しました。

2009年9月25日金曜日

One-in-four Japan women 'elderly'

One-in-four Japan women 'elderly'
 女性の4人に1人、男性の5人に1人が65歳以上だということをもっと積極的に活かす社会(観)が、そろそろ必要な時がきた。

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm
 進化上の問題か、教育の問題か。少なくとも私だけの欠点ではないことが明らかになったようで。。。

I think, therefore I earn

I think, therefore I earn
 哲学という固有の領域自体が優れているということだけではないだろう。ここで重要視されている分析力・明確な思考・コミュニケーション力などを鍛えるには哲学が最も適した領域であるということなのだろう。いかなる領域であれ、それらが極めて重要な能力であることは言うをまたないし、他の領域でも涵養することのできる能力だ。

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study
 それはそうだろう、と思う。ただ問題はそれがどの程度長続きするかだ。経験則によれば、残念ながらそれは望み薄のようだ。

2009年9月23日水曜日

主語の複数性或いは関係の存在論

「以上のような形に還元されない命題の最もわかりやすい実例は、数学的な観念を借用している命題である。たとえば、「三人の人がいる」というように、すべて数を断言することは、主語のおのおのに、一つの述語をもまた同時に与えておるかもしれないが、本質的には、主語の複数性を断言するものである。三人という数は、その命題が、一つであればこそ、三人となりうるのであり、一人ずつ人がいることを断言する三命題が並列されているならば、三という数はなくなるから、右のごとき命題はただ、主語-述語形式の命題の和とは考えられないのである。さらに進んで、ある場合には、われわれは、主語間の関係--たとえば、位置、大小、全体と部分の関係--を承認せねばならない。」(ラッセル「ライプニッツの哲学」)
 日本語で最も一般的な言い方である「人が三人いる。」で考えればこのことはより分かりやすくなる。
 なにものかが存在する。なにものかとは何か。人だ。人が存在する。いかにしてか。3人という在り方においてである。

2009年9月21日月曜日

2009年9月15日火曜日

電子辞書

 中国カシオから発売されているE-SF300に『日本語文型辞典』の中国語版『日本語句型辞典』が収録されている。
 自分の辞典が電子辞書に入り、それも中国で売られる時代になった。一種の感慨をもつと同時に、さらに一層の精進を誓う。

2009年9月6日日曜日

ことば・コトバ・言葉

社説:国語世論調査 空気読んで、は通じない
 毎日新聞らしいまっすぐな社説。
 第1言語でのコミュニケーションに齟齬を来すような人は第2・3言語習得においても成功しないことは常識だ。
 言葉でもコトバでもなく、「ことば」の習得が必要だ。

2009年9月1日火曜日

「本質」と「ゴシップ」

What They See in Van Gogh’s Ear
 重要なものは本質のみであり、ゴシップに振り回されてはいけない。。。その通りだろう。。。恐らく。
 しかし、最も厄介なことは、ではその「本質」とは何か、が実は怪しげなものであることがままある、ということだ。