2009年12月13日日曜日

会議の思い出

会議の思い出
 私は会議というものはほとんど大学の教授会しか経験がないので、そうか、企業の会議というものはそんなにつまらないものなのか、と改めて教えられた。教授会は退屈だという教員は多いのだが、僕には実はそれほど退屈なものではなかった。議決権所有者は全員が研究者だから、あらゆる議論が知性の勝負の場となる。教授会初心者の時代の数年は喧嘩っ早い性格も手伝って山崎さんの言う「正統派」的行動、つまりしょっちゅう発言する、ということもしていたが、10年を過ぎたあたりから、実はものごとは会議自体ではなくほとんどそれ以外の場で決まっていくということが分かり始め、ここぞという場面でしか発言をしないように変わっていった。そして教授会を同僚たちのおつむの中身を評価する包括的機会として捉えるようになっていった。誰かが発言すれば、それが取りも直さずそいつのおつむの程度の評価資料になる。ああ、こいつ、成長したな、とか相変わらず馬鹿だな、とか、ああ、やっぱりこの人は今日も鋭いことを言うな、とか、そういうことを考えながら座っていた。大学運営に少し関わり始めた頃からは、それらの評価結果を、誰にどんな仕事をお願いするか、ということを決定する際の重要な参考にした。
 自分の人生の一つの重要な場としてあれほど長年慣れ親しんでいた教授会というものから離れてはや3年が過ぎようとしている。会議というものが、議論というものが、大げさに言えば研究者生命を賭けた知性のぶつかり合いというものが、どういうものだったかを忘れ始めている自分を見出す時、人生というものは変わる時には本当にがらりと変わってしまうものだ、と苦笑を禁じえない。しかし、かと言ってノスタルジアを感じているわけでもない。この人生においては、話し合えば解決できる、というような程度の「問題」など、実は問題の内には入らない、ということを悟り始めているからでもあろう。

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