2018年6月30日土曜日

2018年6月29日金曜日

芥川龍之介「きりしとほろ上人伝」

日本ベスト16に進出

報道陣も西野監督も、まるで大敗北後の会見のような雰囲気である。
しかし、これは局地戦での敗北であり、より高次の文脈では勝利なのだ。国際試合、特にワールドカップは「完全に国際法を遵守しつつ遂行する、誰も殺さない完全に合法的な戦争」である。「清く正しく美しい」高校野球の話ではない。局地戦をあえて捨てることにより、逆により高い次元での勝利を志向するというのは当然のことだ。
最後の決め手はフェアプレーポイントだった。これも重要な要素である。日本はこれでワールドカップに出場した20試合のいずれにおいても退場処分を受けていない。20試合連続レッドカードなしというのは現在ワールドカップ記録で、日本はこれを更新し続けているのだ。日本の戦い方が醜いというのは全く当たらないと言わなければならない。

【試合後の会見】西野監督 日本×ポーランド

But human excellence is compatible with neither the pursuit of happiness nor the flight from suffering.

39年前、僕のコペンハーゲンでの比較的孤独な1年の留学生活を支えてくれたのは角川文庫の「若き人々への言葉」だった。
僕の奥底にはその時に出遭ったニーチェが今も息づいている。
この記事を読んでそのことに今更のように気づいた。

Friedrich Nietzsche: The truth is terrible

2018年6月28日木曜日

境界の無化、或いはその試み

ゴッホに、またその中でも“Almond Blossom”に僕が最も心を惹かれる理由が何となく分ったような気がする。
それは境界の無化、或いはその試み、である。日本と西洋、人間と自然、外部と内部、遠景と近景。その境界の曖昧化・無化。それは世界の見え方を一変させる。
しかしそれは、果ては正気と狂気との境界の無化にもつながる、人を不安定な位置に宙吊りにする、極めて危険な状態でもある。

Van Gogh’s Japanese Idyll

2018年6月27日水曜日

性と書物

このエッセイの中で僕に馴染みのあるものは図書館と本屋だけだ。その図書館も本屋も、僕にとってはここに書かれているような場所でも毛頭なかった。
新鮮な驚きに満ちた思いで読んだ。
僕は相当に単純な男らしい。

The Bonds Between Sex and Books

2018年6月24日日曜日

優越者の芸術

ここで「悲劇的」という言葉を使うことは多数者・権力の側に立ち、傍観者としての立場を担保することになるだろう。
最終段落の筆者の慎みのある宣言が力強い。

Singing Against the Grain: Playing Beethoven in the #BlackLivesMatter era

2018年6月20日水曜日

「真の人文学」

酷な言い方に聞こえるかもしれないが、「真の人文学」とはそもそもパトロンを求めるものではないのではないか。「内在的価値」を売り物にしようとすることは本来の人文学とはかけ離れているのではないか。極論すれば、霞を食ってでも研究する、というのが本筋ではないか。現代の大学がその価値を認めないのであれば、自らそれを捨ててはどうか。

Stop Trying to Sell the Humanities

2018年6月18日月曜日

Tom Waits - Tom Traubert's Blues

何百回繰り返して聴いただろう。これが詩《うた》である。これが歌である。

Tom Waits - Tom Traubert's Blues

2018年6月17日日曜日

樋口一葉「たけくらべ」

Agora日本語読解辞典』において、樋口一葉たけくらべ冒頭部分析完了。

娘よりメール来りて父の日を知る

父の日。

思考力

このような精緻な思考ができる知識人が多数生き残っている社会はいずれ立ち直るだろう。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。

Why We Don’t Read, Revisited

2018年6月12日火曜日

死とどのように向き合うか

良い書評である。いろいろと考えさせてくれる。現代の日本人はどのように死を捉えているのだろう。

Have we forgotten how to die?

2018年6月11日月曜日

2018年6月10日日曜日

小林正樹論

非常に水準の高い議論がなされている。難を言えば、技術論に傾きすぎていて、評者に歴史知識がなさそうな点だ(例えばthe sudden tapping of one defendant’s head。叩いたのは大川周明であり叩かれた人物は東条英機である。評者は大川も東条もよく知らないようだ。)。

しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。

History from a High Angle

Sofia Pride

今年のSofia Prideがさっき私のアパートの下を通り過ぎた。このアパートの前はよくいろいろなデモやパレードが通るが、このパレードの活気は格別だ。今年は外国人らしいドラムグループのレヴェルがとても高く、年々質量ともに上がってきている。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。

2018年6月9日土曜日

ISAIAH BERLIN

In our modern age, nationalism is not resurgent; it never died.そして、人種差別もそうだとバーリンは言う。

移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。

IN MEMORY OF ISAIAH BERLIN

2018年6月7日木曜日

「不毛地帯」

山崎豊子の原作は言わずと知れた名作である。

このドラマもかなり良くできている。私は17時間休みなしにぶっ通しで最後まで観た。

外国に住む日本研究者の卵たちはこの辺りから入るのも一つのやり方だ。切り口がたくさん見つかるだろう。

不毛地帯

2018年6月6日水曜日

三島由紀夫「太陽と鉄」

まずこの人は三島の他の作品を読んでいないように見える。また、この人は日本の思想史を知らない(彼の言及した「絶対矛盾的自己同一」も何のことかさっぱりわからないであろう)ばかりでなく西洋思想史でさえこの人にとっては古代ギリシャではなくSusan Sontagあたりから始まっているように見える。

この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。

米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。

ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。

In the Fascist Weight Room

2018年6月5日火曜日

気がつけば猫探しをり夏の宵

ゴラは今、よりよい飼い主を求めてトライアルお泊り中。

2018年6月2日土曜日

アリストテレス

現代におけるアリストテレスの意義。学生時代によく読んだ。もう一度読み直してみたい。

Why read Aristotle today?

2018年6月1日金曜日

Stephen Greenblatt

ますます健在のようだ。読んでみたい。

Uneasy Lies the Head

Tyrant: Shakespeare on Power