2018年11月18日日曜日

風土

人は風土に生きている。
11年間のブルガリア時代はリヒテルのショパンに魅せられていた。ブルガリアに行く前はその甘ったるさが趣味に合わなかったショパンだが、冬のソフィア、凍えるアパートでの毎日の生活の中では、リヒテルの名演により、彼らの中にあるスラブの哀愁、哀しみのようなものが日々の生活に極めて似つかわしく感じられ、その美しさにのめりこんでいたものだ。
そして日本に帰国して2週間。スラブ的なものがまったくと言っていいほど感じられないこの地では、生れてはじめてシューベルトの愛らしい悲しみが心に響くことに驚く。ブルガリアを経験する前の日本時代にもブルガリア時代にもやはりその甘さが好みではなかったシューベルトなのに、日本とブルガリアを経験した今の第2の日本時代の私には、初めてシューベルトが自分の音楽の一部になった感があるのである。その背景には風土そのものだけでなく各々の風土の中に生きる/生きた私自身の存在のあり方が深くかかわっていることは言うまでもない。
もちろんこのシューベルトの場合もリヒテルの演奏でなければならない。

Schubert Klavierstuck D.946 n.2

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