2018年6月17日日曜日

2018年6月16日土曜日

思考力

このような精緻な思考ができる知識人が多数生き残っている社会はいずれ立ち直るだろう。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。

Why We Don’t Read, Revisited

2018年6月12日火曜日

Think twice, then, before you head out to the South Seas.

Authenticity。魅惑に満ち、そして人を誤らせる怖ろしい言葉。

What are we?

2018年6月11日月曜日

死とどのように向き合うか

良い書評である。いろいろと考えさせてくれる。現代の日本人はどのように死を捉えているのだろう。

Have we forgotten how to die?

森鷗外「鷗外漁史とは誰ぞ」

2018年6月10日日曜日

The work of life is to turn whatever happens to constructive ends.

Michael Dirdaがワシントンポストでこういう書物にこういう書評をしなければならないというところに米国の現在が表れている。

Aristotle’s lisp, why Socrates loved dancing and other tales of ancient thinkers

2018年6月9日土曜日

小林正樹論

非常に水準の高い議論がなされている。難を言えば、技術論に傾きすぎていて、評者に歴史知識がなさそうな点だ(例えばthe sudden tapping of one defendant’s head。叩いたのは大川周明であり叩かれた人物は東条英機である。評者は大川も東条もよく知らないようだ。)。

しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。

History from a High Angle

Sofia Pride

今年のSofia Prideがさっき私のアパートの下を通り過ぎた。このアパートの前はよくいろいろなデモやパレードが通るが、このパレードの活気は格別だ。今年は外国人らしいドラムグループのレヴェルがとても高く、年々質量ともに上がってきている。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。

2018年6月8日金曜日

ISAIAH BERLIN

In our modern age, nationalism is not resurgent; it never died.そして、人種差別もそうだとバーリンは言う。

移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。

IN MEMORY OF ISAIAH BERLIN

2018年6月7日木曜日

「不毛地帯」

山崎豊子の原作は言わずと知れた名作である。

このドラマもかなり良くできている。私は17時間休みなしにぶっ通しで最後まで観た。

外国に住む日本研究者の卵たちはこの辺りから入るのも一つのやり方だ。切り口がたくさん見つかるだろう。

不毛地帯

2018年6月5日火曜日

三島由紀夫「太陽と鉄」

まずこの人は三島の他の作品を読んでいないように見える。また、この人は日本の思想史を知らない(彼の言及した「絶対矛盾的自己同一」も何のことかさっぱりわからないであろう)ばかりでなく西洋思想史でさえこの人にとっては古代ギリシャではなくSusan Sontagあたりから始まっているように見える。

この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。

米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。

ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。

In the Fascist Weight Room

2018年6月4日月曜日

2018年6月1日金曜日

アリストテレス

現代におけるアリストテレスの意義。学生時代によく読んだ。もう一度読み直してみたい。

Why read Aristotle today?

2018年5月31日木曜日

Stephen Greenblatt

ますます健在のようだ。読んでみたい。

Uneasy Lies the Head

Tyrant: Shakespeare on Power

2018年5月30日水曜日

JÜRGEN HABERMAS

例えば彼のような巨人の後継者が今どこかに現れているか?
なお意気軒高な彼の言説を聴いていて、逆に「哲学の死」のようなものをひしひしと感じざるを得ないのは私だけだろうか。

JÜRGEN HABERMAS: “FOR GOD’S SAKE, SPARE US GOVERNING PHILOSOPHERS!”

芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」

2018年5月29日火曜日

David Graeber

現在の世界が重大な問題を抱えていることはよくわかっている。そしてその解決策として現在提唱されている理論のいずれにも問題があることもよくわかっている。本当に一度大崩壊しないと突破口は見つからないのだろうか。

Bullshit Jobs: A Theory by David Graeber review – the myth of capitalist efficiency

森鷗外「ぢいさんばあさん」

2018年5月28日月曜日

Barbara Ehrenreich

死のその瞬間まで闘いをやめない人がここにいる。
“It’s one thing to die into a dead world and, metaphorically speaking, leave one’s bones to bleach on a desert lit only by a dying star. It is another thing to die into the actual world, which seethes with life, with agency other than our own, and at the very least, with endless possibility.”

Mind Control

2018年5月27日日曜日

藤田嗣治(つぐじ)、藤田嗣治(つぐはる)、Léonard Foujita、Fujita、レオナール・フジタ、レオナルド・フヂタ・・・

若い頃から私はなぜか彼に惹かれてきた。その多彩な作品はその一つ一つがそれぞれの意味で私の胸を打ってきた。

精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。

しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。

激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。

Foujita: Imperial Japan Meets Bohemian Paris

夏目漱石「文鳥」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石文鳥冒頭部分析完了。

2018年5月26日土曜日

芥川龍之介「トロツコ」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介トロツコ冒頭部分析完了。

Roland Barthes

学生時代に何度もチャレンジした思想家の一人だった。よく理解できず悔しい思いをしたのを覚えている。

In the Snatches of Free Time: On Collecting Roland Barthes

2018年5月25日金曜日

井上尚弥

また勝った。10年以上無敗だった相手チャンピオンがまるでアマチュアのように見える試合だった。

これで3階級制覇。数年前この人が初めて世界チャンピオンになった時に私はここで予言した。今後10年、世界にこいつを倒す者は出ないだろうと。そして、その予測をはるかに超える力強さでこの人は進化し続けている。

全17階級の全ボクサーの実力を格付けする「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」最新版では第5位に上がった。まだ上はある。しかしその前に、今年の秋に開催される、世界の四つのボクシング主催団体の各級のトップ選手がトーナメントで世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)でチャンピオンになる必要がある。楽しみはまだまだ残っているのだ。

当初「怪物」という呼称を嫌っていた彼は、さっきの試合後のインタビューで初めて自らを「怪物」と呼んだ。確かに、文字通り「怪物」以外の形容が思いつかない。ご覧あれ。

2018年5月24日木曜日

本物と偽物

本物と偽物。

この記事を読んで、恥ずかしい、しかしとても興味深い出来事を思い出した。

ほぼ40年前、コペンハーゲン大に留学中だった私はデンマーク政府奨学金から毎月少しずつ貯めた少額の金を持って1か月のヨーロッパ貧乏旅行に出ていた。ほとんどの食事はパンとチーズと水だけ、宿をとる金もなくほとんどの夜を国際夜行列車での移動で過ごす旅だった。しかし、ちょうどソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった時期で多くのNATO軍兵士とコンパートメントを共有して色々な議論をしたことをはじめとして、後にも先にもあれほど数多くの貴重な体験を積んだ旅はなかった。

その中のウィーンでの記憶である。地図もガイドブックも持たず旅を続けていた私は、行きずりのバッグパッカー仲間からいい美術館があると聞いてそこへ出かけることにした。ウィーン美術史博物館というような名称だった。

中を歩き始めて仰天した。文字通り立ち去り難い思いにとらわれるような作品に満ちていた。芸術に触れて感動に打ち震えるという経験が本当にあるのだと感じた。

しかし、何しろ実質的には生れて初めてのヨーロッパ美術との出会いである。美術の教科書で見た名作の数々を見て回るうちにふと疑問が生まれてきた。これほどの名作群がこんなところ(その時点ではこの美術館の名声を知らなかった。その上極寒の2月、開館直後の時間で他の入館者はほとんどいなかった。)に一堂に揃っているはずはない、「美術史」博物館という名称から考えてここは美術の歴史を学ぶようなところでこれらは模作なんだろうと考えたのだ。模作でもこれだけの感動を覚えるのだから本物に出会ったときにはどんなことが起こるんだろうと、急遽その後の旅程をルーブル・プラド・ローマ・アムスなどに変更したほどだ。

あの名作群は本物だったのだと知ったのは旅の後コペンに戻って図書館で(まだインターネットはない時代だった。)調べた時である。

あのウィーンでの感動は、本物の作品だったからなのか?もしあれらがこの記事に出てくるような極めて精巧な模作ばかりだったとしても同じ感動をもたらすのだろうか?

それはわからない。しかし唯一つ言えることは、あの出来事以降、どんな芸術に接する際にも、他者がほめるものであってもけなすものであっても、私は自分の眼や耳だけを信じて目の前の作品に向き合うようになったという事だ。

森鷗外「寒山拾得」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外寒山拾得冒頭部分析完了。

2018年5月21日月曜日

沈黙と饒舌

私の辞典は世界で最も饒舌な辞典になろうとしている。
それは「声」に満ち満ちている。膨大なテクスト群が産み出す喧騒。
一方、それを編む私の中の緊張に満ちた静謐。
この逆説。

People crave silence, yet are unnerved by it

芥川龍之介「西方の人」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介西方の人冒頭部分析完了。

2018年5月20日日曜日

Philosophically, intellectually—in every way—human society is unprepared for the rise of artificial intelligence.

テクノロジーが哲学を必要とする時代の到来。それはAIに始まったことではない。人類が遺伝子操作と原子力を手に入れた時から始まっている。

How the Enlightenment Ends

2018年5月19日土曜日

原点0

森山 威男 Quartet, jazz inn LOVELY, 2012年8月10日, My Favorite Things

森山威男のドラム。
私は普段クラシックしか聴かないが、名演にはジャンルを超えて人を原点0に立ち帰らせてくれる力がある。

森鷗外「かのように」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外かのように冒頭部分析完了。

2018年5月17日木曜日

The tools we use to help us think—from language to smartphones—may be part of thought itself.

The Mind-Expanding Ideas of Andy Clark

とても難しい。しかしとても面白い。

私はこれまで『Agora日本語読解辞典』を私の生きがいであるとか命であるとか人生そのものであるとかいうような言い方で位置付けてきた。しかしどんな言い方をしようと、これではこの辞典を自己とは別個の他者として前提していることに変わりはない。

ところが、私は掛け値なしに目覚めている時間のほぼ90%をこの辞典に使っているし、夢の中でもほぼ毎日この辞典を作っている(そして目覚めのまさにその瞬間「セーブ」をしていなかったことに愕然とするということを繰り返している)。文字通り寝ても覚めても私の脳は辞典に占められている。今や私の生は他者や外的世界はおろか「自己」と向き合うことよりも質・量ともに圧倒的にこの辞典と向き合うことに占められているのだ。こうなってくると「向き合う」という自他関係の中にこのことを位置づけることに自ずと不自然さが生まれてくる。

「私」が、私の脳が、この辞典と内的に――外的にではなく――リンクし始めている。いま私はその原始的・萌芽的段階に入りつつあるとさえ言えるのかもしれない。私の脳そのものがインターネットに直接接続すれば辞典づくりはもっと楽になるだろう。この記事を読んでふとそんなことさえ想像した。

夏目漱石「明暗」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石明暗冒頭部分析完了。

2018年5月16日水曜日

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

辞書を創るということは一つの自立した新しい世界を創造しようとするかのような幻想である。怖ろしく魅惑的な幻想である。それは眩暈のするような誘惑に満ちている。しかし、どこまで行ってもそれは最後まで幻想のままである。そのことを忘れてはならない。

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

芥川龍之介「杜子春」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介杜子春冒頭部分析完了。

2018年5月14日月曜日

A dead body or a statue cannot be set up in the upright posture without support. You must live even to stand.

How Posture Makes Us Human:The philosophy and science of standing up straight.

東洋思想の主流にはこのような視線は存在しない。古代インドには存在したのだろうか。「姿勢」と人間性。私はこれまでほとんどこの角度から考えたことはなかったが、これは西洋思想と東洋思想との間にある大きな相違点の一つだろう。

Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar

Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar

10年前なら驚いたであろうが、10年ブルガリアに住んでみて、さもありなんと思う自分に気づく。
刻印を拭い去ることは可能であるかもしれない。その時間が残されていさえすれば。

”“General AI” does not exist at present, and is probably an incoherent concept: a sloppy extrapolation of individual differences among human beings. Intelligence has to be defined relative to goals and the knowledge needed to attain them.”

2018年5月9日水曜日

芥川龍之介「邪宗門」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介邪宗門冒頭部分析完了。

Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo

Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo

1.使用している写真に問題がある。
(1)使用されている写真が交通機動隊のものである。
(2)映っている機動隊員は警視庁ではなく京都府警である。
こんな幼稚園レベルのミスをJapan Todayが犯すはずはないので、これはブルガリアメディア側の問題である。
2.「The police supposed that it was a suicide, local police reported.」こんなことを警視庁が軽々に言うはずはないので確認が必要であるにもかかわらず行っていない。
3.ブルガリア外務省への確認取材を行っていない。

ブルガリアが報道の自由を獲得して30年近くになる。しかし、よく思うのだが、この国にジャーナリズムが生まれるのは一体いつのことになるのだろうか。

よその国の国内問題なのであるからほっとけばいいという考え方もあるのかもしれないが、こと日本に関する無知は国際関係の観点から看過するわけにはいかない。1.と2.に関しては在ブルガリア日本国大使館が指摘すべき事柄である。

木洩れ陽に蜘蛛の巣破り走るかな

木洩れ陽に蜘蛛の巣破り走るかな

2018年4月28日土曜日

A Man Threatens People with a Gun in the Borisova Garden

私のジョギングコースには当たっていないようだが、まったく物騒な話だ。この話はこの記事できょう初めて知ったのだが、無闇に発砲する奴が公園内を徘徊しているというのに、注意を促す掲示も見当たらなければ警戒に当たる職員も警察官も一人も見かけていない。これも彼らの無能さをよく表している話だ。

護身用に私はいつも棒切れとペッパースプレーを持ってジョギングしているが、無闇に銃をぶっ放すこんな奴が相手ではたまったもんじゃない。

頼むから公園内のジョギングぐらい安心してやらせてくれ。

A Man Threatens People with a Gun in the Borisova Garden

芥川龍之介「神神の微笑」

雪ならで碧に紛るる我が小径

雪ならで碧《あを》に紛るる我が小径

2018年4月25日水曜日

32万項目

Agora日本語読解辞典』の見出し項目数が32万を超えた。

ジジイ

私は61だ。もういいジジイである。しかしやってることは20、30の小僧と寸分変わらない。あの頃は何でもやりたい放題言いたい放題でやっていた。それでよかった。青二才が、と、心ある人からは相手にされなかったからだ。無視されている間は大きな問題にはならない。

しかし、残念ながら61ともなるとそうもいかないようだ。自分の言動がいちいち周囲の意外に多くの人を巻き込んでしまっているらしい。いい意味でならそれも結構なことなのだが、おそらく望ましくない意味でそうなってしまっている場合の方が多い。まさか自分の一挙手一投足がこんなにも周囲に様々な波紋を及ぼしているとは。実に愚かなことだが、最近になってようやくそれに気がつき始めた。本当にこれまでそんなことは意識していなかったのだ。誰にも信じてもらえないだろう。しかし、本当にそんなことは一度も考えたことがなかったのだ。これもほとんど大学の世界しか知らない人生だったせいかもしれない。「学問の鬼」の話を以前書いた。しかし全くもってそんな立派な話ではないのである。

心身ともに枯れてくれば自然におとなしくなってゆき、それはそれでおさまりがついてゆくのだろう。しかし幸か不幸か私は還暦を過ぎてますます元気である。最近の鍛錬の甲斐もあって、身体能力は二十歳の頃と同等のレベルに戻りつつあるとさえ言いたくなる。もしこれで煙草をやめたら一体どこまで元気になるのだろうと恐ろしくなるぐらいだ。「老いてますます盛ん」どころか、まだそれ以前の段階なのだ。

肉体的にも精神的にも発展段階はまだ30の若造なのである。しかし実際には私は61で、そしてその年齢が要求する振舞い方を知らないと来てる。一体どう折り合いをつければいいというのか。

まあいいや。グダグダ言ってても埒があかない。少なくともこれ以上世間様に迷惑をかけまいとするなら、やはり黙々と本来の自分の仕事にひとり専念することだ。

2018年4月24日火曜日

2018年4月9日月曜日

2018年4月8日日曜日

隠らるる所なき樹を栗鼠走る

2018年3月23日金曜日

天も地も一色に染め春の雪

天も地も一色《ひといろ》に染め春の雪