2018年7月19日木曜日

作者の死

30年前の個人的ノスタルジアの話は別にして、今の私にはポストモダニズムへの関心はもはやない。
しかし、絵画や音楽と異なり「ことば」そのものを扱うという宿命から、文学にはことばに関するチマチマした些末な論争が付きまといがちだ。
その宿痾から自由にならぬ限り、絵画や音楽が永遠に保つであろう価値を文学は早晩失うことになるだろう。

The Author Is Not as Dead as Claimed

2018年7月16日月曜日

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」

渇望

私の場合を考えた。
中学生の時だった。私は外国の思想・芸術(特にクラシック音楽と西洋絵画)と後にはキリスト教に関心を持ち、憧れ、好きになろうと努めた。
その年齢の私自身、周囲の大人たち、また広く日本社会に対する失望から抜け出し、未来の自分を築いてゆくためには、(当時明確に言語化できていたわけではないが)「普遍性」の世界の中に生きなければならないというようなことを感じていた。そして当時の私は漠然と「普遍」への鍵はそれらの物事であるように感じていた。
「外国の思想・芸術、特にクラシック音楽とキリスト教」というのは端的には「ヨーロッパ」ということだろう。
現在私はヨーロッパの片隅に住み、宗教は別として、45年ほど前に私が思い描いた「未来の私」にかなり近い状態にある。そして、依然としてそれ以上のレベルの価値あるものを見出していない。付け加えるとすれば、そこにヨーロッパ思想・芸術と日本思想史・日本文学・日本画などとを比較対照する視点ぐらいだろう。
確かに、それらは長い過程において私が自分で選び取ってきたものだ。そして、それは中学生当時の私の言葉で言えば「なりたい自分」というようなものを追い求めてきた歴史の結果なのだろう。
私はこのままでよいのか。私にはまだ「なりたい自分」というものはあるのか。どうやらそのような感じがしなくもない。しかし、それはまだ何ら具体的な形をとっていないのも事実である。

Desiring to desire

2018年7月13日金曜日

Shoah

様々な議論がある。あり得る。
あなたは「ショア―」を観たか?「イスラエルのアイヒマン」を読んだか? 人はかくも簡単に「悪」に手を染めてしまう。すべてはそこから始まる。

Homage to Lanzmann

2018年7月12日木曜日

Cultural Appropriation論議の前提

私はブルガリアに住み、高度専門労働者としてEU圏のいずれにおいても自由に労働することを保証された61歳の日本人男性である。
「ブルガリア」は「ヨーロッパ」か否か。「日本」は「アジア」か否か。「日本人」は「先進国民」か「後進国民」か。「ヨーロッパ」や「アジア」は強者の側なのか弱者なのか。etc, etc.
私は多数派か少数派か。私は強者の側にいるのか弱者の側にいるのか。
そのアイデンティティのダイナミズムの中でアイデンティティポリティクスは展開する。

The Evils of Cultural Appropriation

2018年7月11日水曜日

HINOMARU

歌詞も曲も稚拙で、しょせん子どもの鼻歌だ。論ずるに値しない。右派・左派両方から賛否両論これで大騒ぎしている国はやはり平和な国である。

Radwimps - HINOMARU Subtitulada al Español

2018年7月10日火曜日

デジタル時代における人類

結局のところ、何か建設的なことを言ってるかというと、何もない。「西洋の没落」がいよいよ現実のものとなるのかもしれない、という、ありがたくもない暗い読後感が残る。
東浩紀がどこかで言っていたように思う。人類はまだインターネットを使いこなせるだけの進化段階に達していないというような意味のことを。それはこういうことを指しているのかもしれない。

Great Books in a Digital Age?

萩原朔太郎「青猫」

Agora日本語読解辞典』において、萩原朔太郎青猫冒頭部分析完了。

2018年7月9日月曜日

「暴力の街」山本薩夫(1950)

社会派の山本薩夫が興行的にも成功した最初の作品としても有名。
敗戦後わずか5年。当時の日本のエネルギーが垣間見える。

「ペン偽らず 暴力の街」

夏目漱石「こゝろ」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石こゝろ冒頭部分析完了。

2018年7月7日土曜日

「夜の女たち」溝口健二(1948)

敗戦後3年しか経っていないという混乱状況のせいか少々説教臭いのが気になるが、溝口はいつも強烈な印象を残す。カメラも素晴らしい。
Yoru no onnatachi (1948) Women of the Night

谷崎潤一郎「春琴抄」

Agora日本語読解辞典』において、谷崎潤一郎春琴抄冒頭部分析完了。

2018年7月6日金曜日

終わりの始まり

史上最大の瓦解の危機を迎えているEU或いはヨーロッパ全体のムードのなせる業かと考えるのは穿ちすぎだろうか。

Habsburg culture is back in vogue

泉鏡花「義血侠血/義血俠血」

2018年7月3日火曜日

浅田次郎「地下鉄《メトロ》に乗って」

私は時々朗読を聞きながら仕事する。
しかし、この作品はながら仕事ができない。朗読者のレベルも高い。強くお勧めする。

朗読 浅田次郎「地下鉄に乗って」

絵文字の研究

明白なことは、まだ何もまともなことが明らかになっていないということだ。

ACADEMICS GATHERED TO SHARE EMOJI RESEARCH, AND IT WAS 🔥

2018年7月2日月曜日

ベスト8ならず

三度目の正直はならなかった。悔しい。世界のトップはまだ遠い。
しかし、優勝候補のベルギーをあわやというところまで追いつめた。日本は着実に強くなっている。この悔しさをバネにまた4年後に向けて準備を積み重ねればいい。
しかし、やはり悔しい。悔しくて悔しくて眠れそうにない。日本代表を讃えつつ今夜は久しぶりに酔っぱらうことにする。

33万項目

Agora日本語読解辞典』の見出し項目数が33万を超えた。

2018年7月1日日曜日

「発表」というものの恐ろしさ

著作を出版したことのある者でいやしくも自己の限界を知る者は誰でも知っている。
それは末代まで恥をさらすことだ。

Sharp by Michelle Dean review – what do Dorothy Parker, Hannah Arendt and Susan Sontag have in common?

ワセリン

小津が、すべてを計算し掌握し映画を撮っていたことを物語る。

小津安二郎監督 伸ばした手で何を?

有島武郎「一房の葡萄」

Agora日本語読解辞典』において、有島武郎一房の葡萄冒頭部分析完了。

2018年6月30日土曜日

2018年6月29日金曜日

Misery helps, so does muddle and loving books, so does leaving home.

どうしても訳の分からない男。だからこそ、私はこの作家に惹かれるのかも知れない。

Figures in a Landscape by Paul Theroux review – a writer driven by divided loyalties

芥川龍之介「きりしとほろ上人伝」

日本ベスト16に進出

報道陣も西野監督も、まるで大敗北後の会見のような雰囲気である。
しかし、これは局地戦の敗北であり、より高次の文脈では勝利なのだ。国際試合、特にワールドカップは「完全に国際法を遵守しつつ遂行する、誰も殺さない完全に合法的な戦争」である。「清く正しく美しい」高校野球の話ではない。局地戦をあえて捨てることにより、逆により高い次元での勝利を選択するのは当然のことだ。
最後の決め手はフェアプレーポイントだった。これも立派な要素である。日本はこれでワールドカップに出場した20試合のいずれにおいても退場処分を受けていない。20試合連続退場者なしというのはワールドカップ記録で、日本はこれを更新し続けているのだ。日本の戦い方が醜いというのは全く当たらない。

【試合後の会見】西野監督 日本×ポーランド

2018年6月28日木曜日

But human excellence is compatible with neither the pursuit of happiness nor the flight from suffering.

39年前、僕のコペンハーゲンでの比較的孤独な1年の留学生活を支えてくれたのは角川文庫の「若き人々への言葉」だった。
僕の奥底にはその時に出遭ったニーチェが今も息づいている。
この記事を読んでそのことに今更のように気づいた。

Friedrich Nietzsche: The truth is terrible

2018年6月27日水曜日

境界の無化、或いはその試み

ゴッホに、またその中でも“Almond Blossom”に僕が最も心を惹かれる理由が何となく分ったような気がする。
それは境界の無化、或いはその試み、である。日本と西洋、人間と自然、外部と内部、遠景と近景。その境界の曖昧化・無化。それは世界の見え方を一変させる。
しかしそれは、果ては正気と狂気との境界の無化にもつながる、人を不安定な位置に宙吊りにする、極めて危険な状態でもある。

Van Gogh’s Japanese Idyll

2018年6月26日火曜日

性と書物

このエッセイの中で僕に馴染みのあるものは図書館と本屋だけだ。その図書館も本屋も、僕にとってはここに書かれているような場所でも毛頭なかった。
新鮮な驚きに満ちた思いで読んだ。
僕は相当に単純な男らしい。

The Bonds Between Sex and Books

2018年6月23日土曜日

優越者の芸術

ここで「悲劇的」という言葉を使うことは多数者・権力の側に立ち、傍観者としての立場を担保することになるだろう。
最終段落の筆者の慎みのある宣言が力強い。

Singing Against the Grain: Playing Beethoven in the #BlackLivesMatter era

2018年6月20日水曜日

隠れキリシタン

400年間日本で受け継がれてきたマリア信仰。

隠れキリシタン 消えゆく祈り

「真の人文学」

酷な言い方に聞こえるかもしれないが、「真の人文学」とはそもそもパトロンを求めるものではないのではないか。「内在的価値」を売り物にしようとすることは本来の人文学とはかけ離れているのではないか。極論すれば、霞を食ってでも研究する、というのが本筋ではないか。現代の大学がその価値を認めないのであれば、自らそれを捨ててはどうか。

Stop Trying to Sell the Humanities

2018年6月19日火曜日

「日本のサッカー」

日本コロンビアに勝利。最高のスタート。コンパクト・連動・スピード。「日本のサッカー」が大きな果実を結んだね。

2018年6月16日土曜日

思考力

このような精緻な思考ができる知識人が多数生き残っている社会はいずれ立ち直るだろう。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。

Why We Don’t Read, Revisited

2018年6月12日火曜日

Think twice, then, before you head out to the South Seas.

Authenticity。魅惑に満ち、そして人を誤らせる怖ろしい言葉。

What are we?

2018年6月11日月曜日

死とどのように向き合うか

良い書評である。いろいろと考えさせてくれる。現代の日本人はどのように死を捉えているのだろう。

Have we forgotten how to die?

森鷗外「鷗外漁史とは誰ぞ」

2018年6月10日日曜日

The work of life is to turn whatever happens to constructive ends.

Michael Dirdaがワシントンポストでこういう書物にこういう書評をしなければならないというところに米国の現在が表れている。

Aristotle’s lisp, why Socrates loved dancing and other tales of ancient thinkers

2018年6月9日土曜日

小林正樹論

非常に水準の高い議論がなされている。難を言えば、技術論に傾きすぎていて、評者に歴史知識がなさそうな点だ(例えばthe sudden tapping of one defendant’s head。叩いたのは大川周明であり叩かれた人物は東条英機である。評者は大川も東条もよく知らないようだ。)。

しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。

History from a High Angle

Sofia Pride

今年のSofia Prideがさっき私のアパートの下を通り過ぎた。このアパートの前はよくいろいろなデモやパレードが通るが、このパレードの活気は格別だ。今年は外国人らしいドラムグループのレヴェルがとても高く、年々質量ともに上がってきている。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。

2018年6月8日金曜日

ISAIAH BERLIN

In our modern age, nationalism is not resurgent; it never died.そして、人種差別もそうだとバーリンは言う。

移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。

IN MEMORY OF ISAIAH BERLIN

2018年6月7日木曜日

「不毛地帯」

山崎豊子の原作は言わずと知れた名作である。

このドラマもかなり良くできている。私は17時間休みなしにぶっ通しで最後まで観た。

外国に住む日本研究者の卵たちはこの辺りから入るのも一つのやり方だ。切り口がたくさん見つかるだろう。

不毛地帯

2018年6月5日火曜日

三島由紀夫「太陽と鉄」

まずこの人は三島の他の作品を読んでいないように見える。また、この人は日本の思想史を知らない(彼の言及した「絶対矛盾的自己同一」も何のことかさっぱりわからないであろう)ばかりでなく西洋思想史でさえこの人にとっては古代ギリシャではなくSusan Sontagあたりから始まっているように見える。

この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。

米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。

ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。

In the Fascist Weight Room

2018年6月4日月曜日

2018年6月1日金曜日

アリストテレス

現代におけるアリストテレスの意義。学生時代によく読んだ。もう一度読み直してみたい。

Why read Aristotle today?

2018年5月31日木曜日

Stephen Greenblatt

ますます健在のようだ。読んでみたい。

Uneasy Lies the Head

Tyrant: Shakespeare on Power

2018年5月30日水曜日

JÜRGEN HABERMAS

例えば彼のような巨人の後継者が今どこかに現れているか?
なお意気軒高な彼の言説を聴いていて、逆に「哲学の死」のようなものをひしひしと感じざるを得ないのは私だけだろうか。

JÜRGEN HABERMAS: “FOR GOD’S SAKE, SPARE US GOVERNING PHILOSOPHERS!”

芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」

2018年5月29日火曜日

David Graeber

現在の世界が重大な問題を抱えていることはよくわかっている。そしてその解決策として現在提唱されている理論のいずれにも問題があることもよくわかっている。本当に一度大崩壊しないと突破口は見つからないのだろうか。

Bullshit Jobs: A Theory by David Graeber review – the myth of capitalist efficiency

森鷗外「ぢいさんばあさん」

2018年5月28日月曜日

Barbara Ehrenreich

死のその瞬間まで闘いをやめない人がここにいる。
“It’s one thing to die into a dead world and, metaphorically speaking, leave one’s bones to bleach on a desert lit only by a dying star. It is another thing to die into the actual world, which seethes with life, with agency other than our own, and at the very least, with endless possibility.”

Mind Control

2018年5月27日日曜日

藤田嗣治(つぐじ)、藤田嗣治(つぐはる)、Léonard Foujita、Fujita、レオナール・フジタ、レオナルド・フヂタ・・・

若い頃から私はなぜか彼に惹かれてきた。その多彩な作品はその一つ一つがそれぞれの意味で私の胸を打ってきた。

精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。

しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。

激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。

Foujita: Imperial Japan Meets Bohemian Paris

夏目漱石「文鳥」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石文鳥冒頭部分析完了。

2018年5月26日土曜日

芥川龍之介「トロツコ」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介トロツコ冒頭部分析完了。

Roland Barthes

学生時代に何度もチャレンジした思想家の一人だった。よく理解できず悔しい思いをしたのを覚えている。

In the Snatches of Free Time: On Collecting Roland Barthes

2018年5月25日金曜日

井上尚弥

また勝った。10年以上無敗だった相手チャンピオンがまるでアマチュアのように見える試合だった。

これで3階級制覇。数年前この人が初めて世界チャンピオンになった時に私はここで予言した。今後10年、世界にこいつを倒す者は出ないだろうと。そして、その予測をはるかに超える力強さでこの人は進化し続けている。

全17階級の全ボクサーの実力を格付けする「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」最新版では第5位に上がった。まだ上はある。しかしその前に、今年の秋に開催される、世界の四つのボクシング主催団体の各級のトップ選手がトーナメントで世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)でチャンピオンになる必要がある。楽しみはまだまだ残っているのだ。

当初「怪物」という呼称を嫌っていた彼は、さっきの試合後のインタビューで初めて自らを「怪物」と呼んだ。確かに、文字通り「怪物」以外の形容が思いつかない。ご覧あれ。

2018年5月24日木曜日

本物と偽物

本物と偽物。

この記事を読んで、恥ずかしい、しかしとても興味深い出来事を思い出した。

ほぼ40年前、コペンハーゲン大に留学中だった私はデンマーク政府奨学金から毎月少しずつ貯めた少額の金を持って1か月のヨーロッパ貧乏旅行に出ていた。ほとんどの食事はパンとチーズと水だけ、宿をとる金もなくほとんどの夜を国際夜行列車での移動で過ごす旅だった。しかし、ちょうどソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった時期で多くのNATO軍兵士とコンパートメントを共有して色々な議論をしたことをはじめとして、後にも先にもあれほど数多くの貴重な体験を積んだ旅はなかった。

その中のウィーンでの記憶である。地図もガイドブックも持たず旅を続けていた私は、行きずりのバッグパッカー仲間からいい美術館があると聞いてそこへ出かけることにした。ウィーン美術史博物館というような名称だった。

中を歩き始めて仰天した。文字通り立ち去り難い思いにとらわれるような作品に満ちていた。芸術に触れて感動に打ち震えるという経験が本当にあるのだと感じた。

しかし、何しろ実質的には生れて初めてのヨーロッパ美術との出会いである。美術の教科書で見た名作の数々を見て回るうちにふと疑問が生まれてきた。これほどの名作群がこんなところ(その時点ではこの美術館の名声を知らなかった。その上極寒の2月、開館直後の時間で他の入館者はほとんどいなかった。)に一堂に揃っているはずはない、「美術史」博物館という名称から考えてここは美術の歴史を学ぶようなところでこれらは模作なんだろうと考えたのだ。模作でもこれだけの感動を覚えるのだから本物に出会ったときにはどんなことが起こるんだろうと、急遽その後の旅程をルーブル・プラド・ローマ・アムスなどに変更したほどだ。

あの名作群は本物だったのだと知ったのは旅の後コペンに戻って図書館で(まだインターネットはない時代だった。)調べた時である。

あのウィーンでの感動は、本物の作品だったからなのか?もしあれらがこの記事に出てくるような極めて精巧な模作ばかりだったとしても同じ感動をもたらすのだろうか?

それはわからない。しかし唯一つ言えることは、あの出来事以降、どんな芸術に接する際にも、他者がほめるものであってもけなすものであっても、私は自分の眼や耳だけを信じて目の前の作品に向き合うようになったという事だ。

森鷗外「寒山拾得」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外寒山拾得冒頭部分析完了。

2018年5月21日月曜日

沈黙と饒舌

私の辞典は世界で最も饒舌な辞典になろうとしている。
それは「声」に満ち満ちている。膨大なテクスト群が産み出す喧騒。
一方、それを編む私の中の緊張に満ちた静謐。
この逆説。

People crave silence, yet are unnerved by it

芥川龍之介「西方の人」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介西方の人冒頭部分析完了。

2018年5月20日日曜日

Philosophically, intellectually—in every way—human society is unprepared for the rise of artificial intelligence.

テクノロジーが哲学を必要とする時代の到来。それはAIに始まったことではない。人類が遺伝子操作と原子力を手に入れた時から始まっている。

How the Enlightenment Ends

2018年5月19日土曜日

原点0

森山 威男 Quartet, jazz inn LOVELY, 2012年8月10日, My Favorite Things

森山威男のドラム。
私は普段クラシックしか聴かないが、名演にはジャンルを超えて人を原点0に立ち帰らせてくれる力がある。

森鷗外「かのように」

Agora日本語読解辞典』において、森鷗外かのように冒頭部分析完了。

2018年5月17日木曜日

The tools we use to help us think—from language to smartphones—may be part of thought itself.

The Mind-Expanding Ideas of Andy Clark

とても難しい。しかしとても面白い。

私はこれまで『Agora日本語読解辞典』を私の生きがいであるとか命であるとか人生そのものであるとかいうような言い方で位置付けてきた。しかしどんな言い方をしようと、これではこの辞典を自己とは別個の他者として前提していることに変わりはない。

ところが、私は掛け値なしに目覚めている時間のほぼ90%をこの辞典に使っているし、夢の中でもほぼ毎日この辞典を作っている(そして目覚めのまさにその瞬間「セーブ」をしていなかったことに愕然とするということを繰り返している)。文字通り寝ても覚めても私の脳は辞典に占められている。今や私の生は他者や外的世界はおろか「自己」と向き合うことよりも質・量ともに圧倒的にこの辞典と向き合うことに占められているのだ。こうなってくると「向き合う」という自他関係の中にこのことを位置づけることに自ずと不自然さが生まれてくる。

「私」が、私の脳が、この辞典と内的に――外的にではなく――リンクし始めている。いま私はその原始的・萌芽的段階に入りつつあるとさえ言えるのかもしれない。私の脳そのものがインターネットに直接接続すれば辞典づくりはもっと楽になるだろう。この記事を読んでふとそんなことさえ想像した。

夏目漱石「明暗」

Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石明暗冒頭部分析完了。

2018年5月16日水曜日

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

辞書を創るということは一つの自立した新しい世界を創造しようとするかのような幻想である。怖ろしく魅惑的な幻想である。それは眩暈のするような誘惑に満ちている。しかし、どこまで行ってもそれは最後まで幻想のままである。そのことを忘れてはならない。

The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary

芥川龍之介「杜子春」

Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介杜子春冒頭部分析完了。

2018年5月14日月曜日

A dead body or a statue cannot be set up in the upright posture without support. You must live even to stand.

How Posture Makes Us Human:The philosophy and science of standing up straight.

東洋思想の主流にはこのような視線は存在しない。古代インドには存在したのだろうか。「姿勢」と人間性。私はこれまでほとんどこの角度から考えたことはなかったが、これは西洋思想と東洋思想との間にある大きな相違点の一つだろう。

Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar

Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar

10年前なら驚いたであろうが、10年ブルガリアに住んでみて、さもありなんと思う自分に気づく。
刻印を拭い去ることは可能であるかもしれない。その時間が残されていさえすれば。

”“General AI” does not exist at present, and is probably an incoherent concept: a sloppy extrapolation of individual differences among human beings. Intelligence has to be defined relative to goals and the knowledge needed to attain them.”