2009年12月2日水曜日

プレゼント

 いかにもこの季節らしい、スマートな贈り物だ。いい時代になった。
Looking over the Shoulder of the Creator of “A Christmas Carol”

2009年12月1日火曜日

Rainer Maria Rilke

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.
 永遠のコスモポリタン。しかし、彼には詩があった。私には何がある?

2009年11月29日日曜日

ええかっこしい

 関西語に「ええかっこしい」という言葉がある。何一つまともにできないくせに自分に能力があるかのように見せかけることにかけてだけは長けている奴のことだ。日本にいた頃は、そういう人間は当人がまだ子供の間に選別されてしまって大人の仲間入りをさせてもらえず、社会的淘汰の結果、私が仕事をするような領域からはほとんど消えていたのだが、最近そういう生物がまた私の周りをうろちょろし始めているようで、どうも目障りだ。醜いだけなら当人の勝手だが、みんなのために黙々と頑張っている人たちにも迷惑がかかり始めた。早く私たちの視界から早く消えてほしいものだと思う。

2009年11月27日金曜日

言語政策のジレンマ

Slovakia: The Forbidden Languages
 言語政策の難しさは、程度の差こそあれどの国家にもつきまとうのだが、EU加盟国の場合はさらにEUの共通理念というものが関わるのでさらに複雑さ・困難さが増す。困難で壮大な実験は続く。
 しかし、最も根本的な問題は、アイデンティティという得体の知れないものをでっち上げてしまった頃から人類が自縄自縛に陥ってしまっていることなのだろう。

2009年11月26日木曜日

かわら塾廃校

 35年の歴史。3000名を超える塾生が学んだ。そのほとんどは欧米人で、多くが教師・研究者だった。民間塾として、20世紀の最後の四半世紀、京都における日本語教育/研究・日本研究の中心地だったといってよい。そこに関わった教師・塾生で、現在世界的に活躍する者も数多い。
 私も20代から30代にかけての新米教師時代の多くの時間をそこで過ごした。京都の町家の畳の上で、教師も塾生も座卓を囲んで座布団の上に背中を丸め、長い時間、談笑し、議論し、喧嘩をした。
 人間としても教師としても研究者としても、若き日の私を創り、現在の私という人間のかなりの部分を育ててくれた場であった。授業後塾生たちと朝まで京都の街で飲み、そのまま翌朝の授業に一緒に出かけるというようなことを続けていた時代もあるし、ひとり住み込んで毎日仕事をしていた時代もある。
 国籍・宗教・文化・領域を超えて、世界中から集まったみんなは、若く、激しく、そして猛烈に勉強した。勉強しない奴は相手にされなかった。私はアリストテレスから現代量子論、ジェンダー理論まで、すべてそこで出会った世界中の専門家たちから手ほどきを受けた。
 もう、あんな場所が日本のどこかに出現することは二度とないだろう。
 建物は消えるが、そこで育った者たちの間に育まれた精神は消えることはない。渡辺征三郎塾長の育んだその精神は国境・世代を超えて間違いなく継承されていく。陳腐に聞こえるかもしれないが、掛け値なしにそう思う。

2009年11月25日水曜日

狂信

The Serbian Charade
 時折、どのように考えればそのような話になるのか、と耳を疑いたくなることがある。この問題もその一つだ。頭を冷やせ、と言ったぐらいでは到底治りそうもない、この手合いを一体扱えばいいのだろう。

2009年11月24日火曜日

異文化の中で生活するということ

Moving house needn't leave you speechless
 引越しに限らない。銀行。役所。病院。。。その文化の中で生まれ育ったものでもストレスの多いものだ。外国人には本当に大変だ。
 解決策はただ一つ。その文化を熟知した親切な友人を見つけること。親切なだけではだめである。優秀であることが第一条件だ。
 最悪のケース?極めて親切で極めて無能な友人に間違って頼ってしまった場合である。XD

日高敏隆氏死去

 優秀な研究者であったと同時に、戦後の日本において、生き物たちの多様な世界を一般の人々に分かりやすく伝え続け、日本のたくさんの生き物好き少年たち――恥ずかしながら私もその端くれだった――の心を育てた人だった。
 私も自分の「先生」たちが次々とあの世に旅立つ年齢になった。

2009年11月22日日曜日

ゴッホの書簡

"I saw a magnificent and very strange effect this evening. A very large boat laden with coal on the Rhône, moored at the quay. Seen from above it was all glistening and wet from a shower; the water was a white yellow and clouded pearl-grey, the sky lilac and an orange strip in the west, the town violet. On the boat, small workmen, blue and dirty white, were coming and going. Carrying the cargo ashore. It was pure Hokusai. It was too late to do it, but one day, when this coal-boat comes back, it'll have to be tackled."
 1888年7月31日付、弟Theoに宛てた書簡。
 書籍なら325ポンド。しかしこのサイトならすべて読むことができる。人類の宝の一人の内的世界を誰もが訪れることができる。すべての関係者に敬意を表したい。

2009年11月21日土曜日

“inappropriate” と “unacceptable”

Words that think for us
 短い記事だが、鋭い指摘である。最後の結論はあまりにもおめでたいものでがっかりしたが。
 筆者は、“improper” や “indecent”で形容されていた事態が、現在では“inappropriate” や “unacceptable”で表現されることが多くなっており、その傾向は1980年代のpolitical correctnessの決まり文句あたりから顕著になったと見ている。
 しかし、根源にあるのはそんな表層の問題ではないような気がする。筆者がそれをモラルの言葉の衰退と関連付けていることからも分かるように、これは大きな物語の崩壊という文脈で考えたほうがいいのではないか。ここでいう大きな物語とは、広い意味で「正しさ」と言い換えてよい。何を正しいと考えるのが「正しい」のか、何を美しいと感じるのが「正しい」のか、何を善いものと判断するのが「正しい」のか、である。とすると、これはポストモダンであるということになる。
 私は少し前から、なぜ現代日本がこんなに軽々とポストモダンの流れの中を漂い続けるのかを考えている。それが、“inappropriate” や “unacceptable”で表されるものと同型だと思われる「世間」の問題(その最新ヴァージョンは「KY」だろう)なのか、「許せない」で表現されるような独我論の問題なのかを考えている。しかし、最近考えているのは、「世間」の話も「許せない」の話も恐らく共に独我論の問題なのではないか、ということだ。「他者」がまったく存在しない、という意味の独我論である。
 12月の「日本に関する懇談会」のテーマは「いじめ」である。そこに向けて、この角度からもう少し考えを進めていってみようと考えている。

絶世の美女NGC 253


NGC 253: Dusty Island Universe
Credit & Copyright: Star Shadows Remote Observatory and PROMPT/CTIO
(Steve Mazlin, Jack Harvey, Rick Gilbert, and Daniel Verschatse)(写真クリックで拡大)
美しいものというものは大抵そうだが、明るく輝きつつも、少なからぬ得体の知れなさというものがつきまとう。

2009年11月19日木曜日

きょうのone village one earth

新店舗地図

2009年11月15日日曜日

epoché

 真の意味で何かを探求したいのなら、本当に自らの経験を吟味し、理解したいのなら、その前に、自然的な態度に基づく判断を中止することだ。
 これが、フッサールから僕が学んだエポケーということの意味だ。

2009年11月14日土曜日

我々は過去を変えることができる。

 Waking the dead
 Eagleton, Benjamin, Freud, Brecht.役者が揃い、読者に「思考せよ。」と迫る。
 
 忘却と闘うこと。それだけが過去を変え、現在を在らしめ、未来を創る。 

星の誕生


 美しい。

コンビ

 といってもいいのだろう。Isaiah BerlinはHenry Hardyの献身的な編集作業がなければ、これほどまでに現在研究される思想家にはなっていなかっただろうということを知った。
 玉を見出すことのできた者も幸福であるし、見出し、研磨をしてくれる者を得た玉のほうも幸福である。
Isaiah Berlin, Beyond the Wit

2009年11月12日木曜日

選択と喪失

Some of the Great Goods cannot live together. That is a conceptual truth. We are doomed to choose, and every choice may entail an irreparable loss.(Isaiah Berlin)

きょうのLiaison

移転のお知らせ
脱出

Dan Sperber

 私の好きな学者の一人だが、最近彼がブログをやっていることを知った。論文同様に、或いは論文の時よりも生き生きと、彼の知性が伝わってくる。例えばこれを見よ。
 Grieving animals?

Jane Austen

 死去する1817年、恐らくリンパ腫系の病に苦しんでいた頃、彼女は8歳になる姪に新年の挨拶を送る。
 “Ym raed Yssac,I hsiw uoy a yppah wen raey.”
 彼女の作品を読んで、200年近くも前に亡くなった作家の、人間のコミュニケーションへの問題へのその近代/現代的な洞察の深さに驚嘆する者には、死の床にあるといってもいいような状態の、42歳の誕生日を迎えたばかりのAustenの、早熟の姪に対する愛情に溢れたユーモアと茶目っ気を読み取ることができるだろう。
 ある物事に真剣に取り組むと同時に、その物事自身、またそれに真剣に取り組む自分自身をも揶揄の対象にすること。それをイロニーと呼ぶなら、Jane Austenは私のイロニーの大先輩である。

2009年11月11日水曜日

JAL問題と労働者の権利

 山崎さんが正論を展開している。
 OBの年金は強制削減すべきではない
 初めてこの話を聞いたときは、どうせすぐ潰れる話だろうとたかをくくっていたのだが、山崎さんの口調を見ると、どうもそうでもないらしい。いつから、こんな当然の話を一生懸命主張しなければならないような国になってしまったのか。日本の知性も落ちたものである。

2009年11月10日火曜日

「言語習得」の開始

Birgit Mampe, Angela D. Friederici, Anne Christophe and Kathleen WermkeのNewborns' Cry Melody Is Shaped by Their Native Language(Current Biology11月5日号)は、新生児の泣き声のパターン分析から、胎児期の最終期3ヶ月間に既に言語習得が開始されているらしいということを明らかにした。
 経験則では恐らくそうだろうとは思っていたが、検証された意義は大きい。

2009年11月9日月曜日

ベルリンの壁崩壊20周年

 20年前の今日だった。
 20 years after the Berlin Wall's fall: An East European looks back
 The Washington Timesらしく愚かしいまでにバイアスのかかった記事だが、ようやくブルガリアにも新しい世代が出現しつつある、という指摘には同意する。
 国外で鍛えられた者たちが戻り、新世代が社会を動かすようになる時代、10年から20年後、この国は見違えるような国になっているだろう。それをこの眼で見たいと私は思う。

2009年11月8日日曜日

Lévi-Strauss先生

 亡くなって一週間が過ぎた。色々な追悼記事が出揃ってきた。
 「世界は人類なしで始まった。そして間違いなくそれなしで終わりを迎えるだろう。」
 Tristes Tropiquesの中の一節である。彼に対していろいろな批判を行うことは可能だ。しかし、このスケールの大きな構えの中でこそ彼にしか可能ではなかった様々な研究が生まれてきたということ。それが最も重要なことだと思う。

「新聞」の将来

「新聞の通信簿」(経済記事担当)を振り返る
 山崎さんの言うとおりだろう。
 しかし、ことは新聞に限った話ではない。話を敷衍していけば、それが、柄谷行人が20年前に指摘したような、100年ほど前の日本における「知識人」と「大衆」の時代の終焉の繰り返しなのか、それとも本当に大文字の「物語」の時代が終わろうとしているのか、まだ私にはわからない。
 しかし、組織ではなく個々の人物そのものが評価される時代、そういう時代が訪れようとしていることだけは間違いないだろう。

2009年11月6日金曜日

日本語は「変わる」のか?

Is Technology Dumbing Down Japanese?
 「変わる」ということの定義にもよるだろう。しかし、この列島の中心部で用いられてきた言葉は幾多の激動期を経てもなおその核心部分を変えていないと私は思う。そうでなければ、辞書をひきながらでも曲がりなりにも1300年前のテクストが読めるはずがない。この言語が経験してきたいくつかの大きな試練を考えれば、ケータイ小説やeメールがもたらしていると言われる「変化」など、少なくとも、大陸文化の流入、明治維新、第2次世界大戦での敗北、などの諸々の大変動と同レベルのものだろう。
 言語としての存亡の危機を何度も乗り切って1300年を生き抜いてきた言葉は、そう簡単には死なない。

「外国で活躍する日本人」

という馬鹿なタイトルに敢えてした。
 決して大言壮語することなく、批判にもじっと耐え、しかし最後にはいい仕事をする人が、私は好きだ。自分がそうありたいと思いながら叶わぬ夢だからであろう。
 「異文化環境」という一言で済ませられぬ厳しさの中に敢えて飛び込んでいき、さらにこれまで以上の力を発揮するということは並大抵のことではない。しかし、それに挑戦し続けている/続けた者は大勢いる。スポーツの世界なら、それは野茂であり、中田であり、イチローであり、松井である。
 松井のMVPに心からの称讃を送りたい。

多様性というもの

Apples, Apples, Apples
 1905年、アメリカ合州国には6,500種のリンゴがあった。それが現在のマーケットではたった11種が市場に出回るリンゴの90%を独占している。中でもRed Deliciousという品種が市場の半分近くを占めている、とKLINKENBORGはいう。
 「堕落した資本主義」とか「市場原理主義の横暴」とかいった青臭いことを言うつもりはない。KLINKENBORGもさすがにそんな馬鹿なことは言っていない。
 資本主義というものは本来そういうものだ。均質化と効率化と無限の膨張。それしかない。それがなければ資本主義ではない。
 だからといって、世界が彼の国や日本のように成り果ててしまっていいかというと、断じてそうではない。
 ここで、KLINKENBORGよりも有利な立場にいる、つまり超高度資本主義国に住まないという贅沢をしている私が言いたいのは、でもうちはうちのリンゴを食べる、なぜならばうちのリンゴがうちの者にとっては一番おいしいリンゴだから、という論理は本当に消えてしまっていいのかということだ。
 リンゴ・ナシ・ハチミツ・ヨーグルト・タマゴ・・・・・・・・ありがたくいただく、ありとあらゆる食べ物に必ず「うちの」「おじいちゃんの」「おばあちゃんの」という修飾語がついてくる国に暮らし、しかしリンゴをまるかじりできなくなった歯を持て余している私の感想である。

Ex-patと哀愁

 今届いたハーグのOPCWの春具さんのメルマガの最新号「哀愁のヨーロッパ」で、ex-patと「哀愁」の関係が、50年ほど前人種差別を嫌いヨーロッパに大挙移住したアフリカ系アメリカ人ジャズミュージシャンたちを例に述べられている。少し長いが引用する。
 「ともかく、デクスター・ゴードンもバド・パウウェルもデューク・ジョーダンもみんなヨーロッパにおいては ex-patであり、alienなのであった。そしてわたくしも小橋さんもオランダに数年腰をかけているだけという非愛国者なのであり、合法的に滞在してはいるが宇宙人なのであります。そしてその気分は、大宰府へ流された菅原道真、鬼界島へ送られた俊寛僧都と似ている。エックスパットというのは、わたくしもふくめて、ここは仮の住まいでほんとうの住まいはどこかほかにあると思っている、すなわちじぶんの居場所がわからない異国在住者なのであります。
 その無常は、デクスター・ゴードンの傑作「Our Man in Paris」や「Something Different」のソロの行間から聴き取れるではないか。パリにいながら、彼の精神はマンハッタン57丁目のクラブを思い出している。コペンハーゲンでギグをしながら、ニューヨークのジャズ仲間とのセッションを思い出している。激しいブローはそれらをふっきらんとするばかりであります。デクスター・ゴードンを主役にした「Round Midnight」という映画がありましたが、あの映画が綴ったように、ローカルなミュージシャンたちにどんなに敬われても、異国にひとりでいる寂しさはぬぐえない。それは道真が梅の木を眺めて都を思い、(風流のレベルは違いますが)わたくしが運河の落ち葉を見て龍田川を思いだすのと似ている。またそれは邦人ビジネスマンが本社の人事をいつも気にしているのにも似ています。エックスパットは、程度の差はあれ、常にこのような屈曲したメンタリティを持って外国暮らしをしているのではないか。そしてそれこそがモダンジャズ・ファンがヨーロッパのジャズに聴く「哀愁」だったと思うのであります。」
 私は現在でもある程度そうだが1年後には名実ともにex-patになる。季節もまさに秋、私も「哀愁」の中にある。ただ、その哀愁は上に述べられた類のノスタルジーや根無し草的な哀愁ではない。つまりどこかに根拠地があるべきで、それを奪われた、或いは(失って)持たぬが故の哀愁、という種類の哀愁ではない。うまく説明できないのだが、上記のような「相対的孤独」とは異なる「絶対的孤独」の感覚、とでも呼ぶべきものからもたらされる「哀愁」なのだ。もちろんどのような境遇にあろうとも人は原理的に常に既に絶対的孤独の中にある。「無常」は私の、或いはあなたの身の上にだけあるのではない。
 恐らく現在の私はそれが日々、刻一刻、魂に刻み込まれるような生を送っている、ということなのかもしれない。

2009年11月4日水曜日

レヴィ=ストロース死す

Anthropologist Levi-Strauss dies
 先生が亡くなった。先生、長い間ありがとうございました。

2009年10月30日金曜日

Michael Kenna

Japan
 この人はあの列島の古層におけるある層を的確に捉えているように思う。写真を見ているとそう感じる。

2009年10月29日木曜日

移動

 比重のある時間が、多義的な古い夢のように君にのしかかってくる。きみはその時間をくぐり抜けるように移動をつづける。たとえ世界の縁までいっても、君はそんな時間から逃れることはできないだろう。でも、もしそうだとしても、君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。
(村上春樹『海辺のカフカ』2002)

カフカの夢

 ・・・僕は最後の決着をつける、というよりも、見届けるために、田舎の小さなローカル線(か、ひょっとしたらトラムかもしれない。二両編成だ)に乗って、ある駅に向かっている・・・
 ・・・降りる準備で、小さいくせにずいぶん重いリュックを再び背負う、というよりも、結構混んでいるので他の乗客の迷惑にならぬように背負い直すのに気を使うのだ。背中のほうのどこからか無言の一本の手が伸びて背負うのを手助けしてくれる。振り返ると、さっきの(なぜ「さっきの」なんだろう。僕はなぜ彼女を知っているんだろう?)年配の女性だ。顔を見ずに、うつむいたまま僕は小声で礼を言う・・・
 ・・・間違えて、一つ手前の駅で降りてしまい、あわててまたすぐに同じ電車に飛び乗る・・・
 ・・・都知事「やれやれ。やっぱり二つあったのか。そんなことじゃねえかと思ってたよ。それで?今ひとまず片をつけておいて、あれが戻ってきてから改めて精算するか、それとも、つけにしといて、最後に全部まとめて帳尻を合わせるか?どっちにする?」・・・
 ・・・あとですべてまとめて精算すればいいだろう、いずれにしろ片がついていないことは他にもいくつか残っている・・・

Happy Life Years

HAPPY LIFE YEARS IN 148 NATIONS 2000-2009
 日本国籍所持者でありブルガリア在住ではあるが、このデータは少なくともこの僕にはまったく当てはまらない。なぜならば、僕にとってはこれからの50年がTruly Happy Life Yearsであり、これまでの50年は所詮その準備期間に過ぎなかったからだ。XD

2009年10月28日水曜日

きょうのLisiaon

organic cruising in OKAMOTO

2009年10月27日火曜日

ゴキブリ、畏るべし。

ゴキブリは磁場が見える:渡り鳥と同様のシステム

2009年10月26日月曜日

きょうのLiaison

フェアトレードって知っていますか?

2009年10月25日日曜日

かに星雲


M1: The Crab Nebula from Hubble
Credit: NASA, ESA, J. Hester, A. Loll (ASU); Acknowledgement: Davide De Martin (Skyfactory)(写真クリックで拡大)
 「爆発」という現象においてはミクロのレベルもマクロのレベルも大した違いはないということがよく分かる。使用された三色は研究上便宜的に付けられているそうだ。言葉は要らない。映像の威力。

2009年10月22日木曜日

きょうの山崎元

日本郵政はいったいどうなるのか?
 やはりこの人は、こういう問題に関して発言する時が最も鋭いし、まっとうであるし、私は好きである。
 その主張に関しても同意する。
 問題は――世の中はほとんどそういうものだということは認めた上で言うのだが――その本質を理解できる/する/しようとする者は少ない、さらにそれを実行に移せる者はもっと少数だということだ。
 彼ぐらいの人物は、ブログなんかで遊んでいないで、早く国家行政に携わってもらいたい。その時期はもうそろそろではないかという予感のようなものはあるのだが。

2009年10月15日木曜日

きょうのLiaison

PeopleTreeチョコレート入荷しました。

2009年10月13日火曜日

Stars Over Easter Island


(Credit & Copyright: Stéphane Guisard (Los Cielos de Chile), TWAN)
 
 これ、なかなかいいね。

きょうのLiaison

『イロドリ展』
福図鑑 る
渋谷宙希 渡邉多津 写真展  脱出

2009年10月11日日曜日

労働組合

連合は労組の本分に返れ
 日本経済新聞の社説に時折出てくる、まっすぐな社説が今日も出た。
 健全な労働組合が常に正論を展開しないところに発展はない。
 そういえば社会主義の大先輩のここブルガリアの労働組合はどうなのだろう。あまり話を聞かない。大学の教職員組合のこともあまり耳にしない。ましてや大学の非常勤講師の組合などは、そもそも存在さえしていないのではないか。

2009年10月10日土曜日

ブルガリアにおけるムスリム

Bulgaria Muslims Number Close to One Million

 国内での彼らの「見え方」が気になる。私の交際範囲の狭さだけが原因ではあるまい。
 きのうもモスクが二つ、一夜のうちに燃え落ちた。
 ロマの人々への対応も含めて、早いうちに国家として積極的な政策を打ち出さなければ、いずれ大きな付けを払うことになるだろう。

2009年10月9日金曜日

きょうのLiaison

『あおのかぜ』 A・O style & G・house合同展示会開催中

2009年10月7日水曜日

きょうのLiaison

あおのかぜ

2009年10月6日火曜日

ガスを吹き飛ばしながら突き進む銀河

ガスを吹き飛ばしながら突き進む銀河
 いいね、これ。いまの私はこういうのを見せてもらうと少し気が晴れる。

皆さん、ちゃんと歯は磨きましょう

歯磨きでがんリスク3割減 1日2回以上が効果的
 それから、やはり定期的に歯医者でもチェックを受けましょう。
 この年で早くもどんどん歯を失いつつある私の、心からのお願いです。:)

2009年10月3日土曜日

きょうのLiaison

うりぼうラリー対象商品・farmhouse cafe編

2009年10月1日木曜日

きょうのLiaison

うりぼうラリー対象商品・シサム工房編

2009年9月30日水曜日

きょうのLiaison

インドマイトリの会 写真展 2009 「インドのお散歩」

2009年9月29日火曜日

きょうのLiaison

フェアトレードのまち岡本~vol.2『フェアトレードのまち岡本~うりぼうと一緒にお散歩しましょ~』おしらせ第2弾

2009年9月26日土曜日

仲間

 ユーラシア大陸を西に向かって横断するトルコ航空便。
 たまたま隣席に座った白人男性が一心不乱に岩波文庫の般若心経に読み耽っている。そこで日本語で話しかけてみる。ところがなんと日本語は話せないとドイツ語で答えてくる。びっくりした私は、英語に切り替え、でもお前は(一瞬で同類と見て取ると実際突然こんな口調に変わる。それは相手も同じこと)、いま岩波文庫の般若心経を読んでいたではないかと言う。すると彼も英語に切り替えてくれて、実は俺はミュンヘンの大学でサンスクリットを教えているのだが、今は京都で開かれていたサンスクリット学会の帰りで、京都の本屋で買った般若心経(或いは併載されているもう一つの経典だったかもしれないが)を、漢字はまったく読めないのだが、巻末のサンスクリット原典を頼りに「味わっている」のだ、と言う。おお、ここにも仲間がいた。
 12時間の長旅は充実した対話の時間となり、名刺を交換し、再会を約してイスタンブール空港で別れる。
 私は生きている、動いている、と感じることのできるのはこういう時である。
 

きょうのLiaison

フェアトレードのまち岡本 ~うりぼうと一緒にお散歩しましょ~
one village one earthフェアトレード&国際協力セミナー第一期終了しました。

2009年9月25日金曜日

きょうのLiaison

「プロジェクト17」ショッピングバッグ
Disappeared 「女の赤ちゃんを守れ!」絵画展 始まっています。

One-in-four Japan women 'elderly'

One-in-four Japan women 'elderly'
 女性の4人に1人、男性の5人に1人が65歳以上だということをもっと積極的に活かす社会(観)が、そろそろ必要な時がきた。

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm

Bikinis Make Men See Women as Objects, Scans Confirm
 進化上の問題か、教育の問題か。少なくとも私だけの欠点ではないことが明らかになったようで。。。

I think, therefore I earn

I think, therefore I earn
 哲学という固有の領域自体が優れているということだけではないだろう。ここで重要視されている分析力・明確な思考・コミュニケーション力などを鍛えるには哲学が最も適した領域であるということなのだろう。いかなる領域であれ、それらが極めて重要な能力であることは言うをまたないし、他の領域でも涵養することのできる能力だ。

2009年9月24日木曜日

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study

Reading Kafka 'enhances cognitive mechanisms', claims study
 それはそうだろう、と思う。ただ問題はそれがどの程度長続きするかだ。経験則によれば、残念ながらそれは望み薄のようだ。

2009年9月22日火曜日

主語の複数性或いは関係の存在論

「以上のような形に還元されない命題の最もわかりやすい実例は、数学的な観念を借用している命題である。たとえば、「三人の人がいる」というように、すべて数を断言することは、主語のおのおのに、一つの述語をもまた同時に与えておるかもしれないが、本質的には、主語の複数性を断言するものである。三人という数は、その命題が、一つであればこそ、三人となりうるのであり、一人ずつ人がいることを断言する三命題が並列されているならば、三という数はなくなるから、右のごとき命題はただ、主語-述語形式の命題の和とは考えられないのである。さらに進んで、ある場合には、われわれは、主語間の関係--たとえば、位置、大小、全体と部分の関係--を承認せねばならない。」(ラッセル「ライプニッツの哲学」)
 日本語で最も一般的な言い方である「人が三人いる。」で考えればこのことはより分かりやすくなる。
 なにものかが存在する。なにものかとは何か。人だ。人が存在する。いかにしてか。3人という在り方においてである。

2009年9月20日日曜日

Pirate Coelhoに関するニュース

Pirate CoelhoがPaulo Coelho's Blog内に移動した。

2009年9月15日火曜日

電子辞書

 中国カシオから発売されているE-SF300に『日本語文型辞典』の中国語版『日本語句型辞典』が収録されている。
 自分の辞典が電子辞書に入り、それも中国で売られる時代になった。一種の感慨をもつと同時に、さらに一層の精進を誓う。

2009年9月10日木曜日

きょうのLiaison

記憶の発光 ooyanagimiwa exhibition 始まります。
キボコ小学校の子どもたち 展終了いたしました。

2009年9月7日月曜日

きょうのLiaison

トウフクロTシャツ
The Disappeared
記憶の発光

2009年9月6日日曜日

ことば・コトバ・言葉

社説:国語世論調査 空気読んで、は通じない
 毎日新聞らしいまっすぐな社説。
 第1言語でのコミュニケーションに齟齬を来すような人は第2・3言語習得においても成功しないことは常識だ。
 言葉でもコトバでもなく、「ことば」の習得が必要だ。

2009年9月3日木曜日

Ian Mcewan, Atonement

 読了。
 色々と印象に残る作品だったが、結末部においては、死を覚悟した作家の、世界への最後の視線の描写に感心した。

2009年9月2日水曜日

きょうのLiaison

日本と世界のフェアトレード事情
one vilage one earth フェアトレード&国際協力セミナー vol.7『キボコ小学校の子どもたち』上映とお話が終了しました。

2009年8月31日月曜日

「本質」と「ゴシップ」

What They See in Van Gogh’s Ear
 重要なものは本質のみであり、ゴシップに振り回されてはいけない。。。その通りだろう。。。恐らく。
 しかし、最も厄介なことは、ではその「本質」とは何か、が実は怪しげなものであることがままある、ということだ。

2009年8月30日日曜日

きょうのLiaison

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>

2009年8月29日土曜日

きょうのLiaison

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
キボコ小学校の子どもたち 展始まりました。

2009年8月24日月曜日

きょうのLiaison

チラシ

2009年8月16日日曜日

沈潜

 ブログのアップが1週間ほど滞っていた理由を書こう。
 夏休みということもあり、ここのところこれまでとは少し傾向の異なった勉強をしている。
 大使館の図書室から借りている丸谷才一の『新々百人一首』を手がかりに、短歌の歴史を少し齧っているのだ。
 入り込んでいけばいくほど、こんな文学世界は世界でも類を見ない種類のものだろうと強く感じる。ことばの迷宮という形容がもっとも相応しい。日本語は『古事記』以来1,300年基本的には変わっていない。眩暈のするようなこのことばの世界を知らずして日本語を論じることはできないということがよく分かった。そのことは現代の「日本」に関しても聊かも変わらない。
 もう時間の無駄遣いはやめ、孤独の中で、当分は日本語そのものと向き合う姿勢を維持することにする。

きょうのLiaison

PeopleTreeカタログ2009秋冬号

2009年8月8日土曜日

きょうのLiaison

お盆休みのおしらせ(変更)&貸し和室のおしらせ

2009年8月1日土曜日

きょうのLiaison

キテンゲ

2009年7月31日金曜日

きょうのLiaison

8月のピックアップコーナーは『marieJ』

ノスタルジア

 大使館で借り出して丸谷才一『新々百人一首』を読み始めた。
 日本にいた頃には手にとってさえみなかった類の書物である。
 読んでいて、ノスタルジアというものが時間的なものだけではなく空間的なものでもあるということに気づく。
 そして、極めて個人的な、孤独な作業であることにも。

2009年7月30日木曜日

きょうのLiaison

夏のひびき 始まりました。

浅田次郎短編集『鉄道員(ぽっぽや)』(1997)

 「鉄道員(ぽっぽや)」「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」の四作が特によい。この短編集は「クール・ジャパン」ファンの若い人にもぜひ読んでもらいたい。

Theodor Adorno

Kafkaをthe solipcist without ipseity(自我を持たぬ唯我主義者)と評す。Adornoは時折りこういう極めて短い言葉によって我々をまどろみから覚醒させてくれる。

死刑執行

Three killers are sent to the gallows
Japan executes death row inmates
 捕鯨と並んで、僕が日本人に関してよく理解できない性向の最大のものである。秋にスタートする予定の懇談会ではテーマに取り上げて議論したい。

「男女の違い」

Why Girls Have BFFs and Boys Hang Out in Packs
 別に驚くべきことではないはずなのだが、この調査を実施した研究者のコメントを読んで安心する自己を発見して驚く。

2009年7月29日水曜日

ブルガリア人の他者観

Bulgarians Prefer Roma to Some Emigrants - Poll
Open Society Institute report sees racism in Bulgaria
 一応私も日本人だから、日本人観が興味深かった。家族の一員としてや自分の子供の同級生として一番歓迎されないのが日本人だそうだ。一方で隣人や上司としてなら構わないという。アフリカ系やアラブ系に対する強い嫌悪感を考慮に入れると、日本人の場合も彼らが接触する機会が少ないということが人種的偏見と深く結びついているようだ。これはブルガリア人に限らない現象だ。

怠惰

「どの程度まで人間が怠惰なのかは考えもつかないことである。人間が生きているのは、ただ眠り、無為に生き、じっとしたままでいるためであるかのようだ。というのは人間は、餓死を避けようとして必要な運動をするために、かろうじて決心をつけられるからである。未開人たちが彼らの境遇を好み続けているのは、何よりもこの心地よい無為のためである。人間を不安にし、用心深くし、活動的にする情念は、社会の中ではじめて生れる。なにもしないということは、自己保存の情念についで、人間の最初の、しかももっとも強い情念である。よく眺めていれば、われわれの間にあってさえも、おのおのが働くのは休息にたどりつくためであり、さらにわれわれを勤勉にしているのは、怠惰なのであるということがわかるであろう。」(ルソー『言語起源論―旋律および音楽的模倣を論ず』)

T. Coraghessan Boyle

Ash Monday
 この作品は一種独特の「香り」のようなものを放つ。作品の内容のせいなのか、この作家の特徴なのか。まだ分からない。

2009年7月27日月曜日

きょうのLiaison

フリセッタ社のハブラシ

2009年7月26日日曜日

きょうのLiaison

いとうてつやワールド2

2009年7月25日土曜日

きょうのLiaison

いとうてつやワールド

2009年7月24日金曜日

ニセモノ

 この世の中がニセモノに満ち満ちていることは十分分かっているつもりだ。しかし最近のようにこれだけ集中して見せつけられると、気も滅入ろうというものだ。せめて自分も含めて身の周りだけでもそのニセモノ性を減じてゆきたいのだが、それもなかなか思うようにはいかない。
 まあ、今日の元気のなさは43度まで気温も上がったせいもあるだろうが。

きょうのLiaison

すずかけTシャツ、お送りできます。

一万語

 「ブルガリア語-日本語-ブルガリア語オンライン辞典」の見出し語数が一万に達した。
 これも偏に毎日地道に作業を続けている執筆者たちのおかげである。自己顕示のためでなく、またまったく目立たない役割であるにもかかわらず、「あとに続くみんなのために」と黙々と献身を続ける彼らこそ、最も賞賛されるべき存在である。

2009年7月23日木曜日

きょうのLiaison

本日入荷製品7月23日

還らぬものの還ること

She was surprised at how serene she felt, and just a little sad. Was it disappointment? She had hardly expected to be forgiven. What she felt was more like homesickness, though there was no source for it, no home. But she was sad to leave her sister. It was her sister she missed—or more precisely, it was her sister with Robbie. Their love. Neither Briony nor the war had destroyed it. This was what soothed her as she sank deeper under the city. How Cecilia had drawn him to her with her eyes. That tenderness in her voice when she called him back from his memories, from Dunkirk, or from the roads that led to it. She used to speak like that to her sometimes, when Cecilia was sixteen and she was a child of six and things went impossibly wrong. Or in the night, when Cecilia came to rescue her from a nightmare and take her into her own bed. Those were the words she used. Come back. It was only a bad dream. Briony, come back. How easily this unthinking family love was forgotten. She was gliding down now, through the soupy brown light, almost to the bottom.(Ian Mcewan, Atonement)

2009年7月22日水曜日

友情

'I can't answer that. Friendship isn't a problem for women.'
'What do you mean?'
'Just what I say. Friendship is a problem for men. It's their romanticism. Not ours.'
(Milan Kundera, IDENTITY)

きょうのLiaison

ハニーココナッツ

2009年7月21日火曜日

きょうのLiaison

キボコ小学校の子どもたち

「考える」ということ

"Thinking no longer means anymore than checking at each moment whether one can indeed think."(Theodor Adorno)
 この言葉を(私を含めて)そのチェックさえ満足にできない人々に捧げる。

田中博士講演

 週末、昔の同僚のよしみでSofiaで講演してもらうことができた。フィールドワークを少しやってもらうこともできた。これからの共同事業のアイデアも生まれた。田中さん、ありがとう。これからもよろしく。

2009年7月19日日曜日

きょうのLiaison

one vilage one earth フェアトレード&国際協力セミナー vol.6終了しました。

2009年7月14日火曜日

京都教育大学国文学会・国文学科ホームカミングデーのお知らせ

京都教育大学国文学会・国文学科ホームカミングデー

下記のとおり、2009年度の国文学会・国文学科ホームカミングデーを開催いたします。国文学科卒業生の皆様にはふるってご参加くださいますようご案内申し上げます。

             記

○日時 2009年8月1日(土)午後1時20分~午後7時

○会場 京都教育大学F16講義室

●開会 午後1時20分(受付12時45分より)

●研究発表(発表時間25分、質疑応答15分)

一、〈抵抗〉する文学――「麦と兵隊」論――

              私立東山高等学校非常勤講師  仁禮  愛

二、小集団の読書プログラムについての研究――リテラチャー・サークルを手がかりとして――

                      本学准教授  寺田  守

三、“越境”する文学・文化をどう捉えるか――書物・流通・日本語文学――

                名古屋大学大学院准教授  日比 嘉高


四、授業を聞けない生徒達への処方箋

 奈良県立山辺高等学校教諭  堤 乃扶子 

●国文学会総会・国文学科卒業生の近況報告 午後4時20分~5時

●懇親会 午後5時~7時  於職員会館(参加費3,500円)


   ○問合せ先 メールアドレス:kokubun@kyokyo-u.ac.jp

電話:(075)644―8231(国文学科 谷口)