2009年6月10日水曜日

「アーカイブ」より

「ある意味で一般大衆に対する悪態は「思想家」固有の語り口である。なぜなら思想家の使命、その職業的な目的は、正しい見解(doxa)あるいは世論と反対の「独自の」見解を所有することだからである。ヘラクレイトスとパルメニデスが、ドクサに対決して思考する際に、その見解が本質的にパラ・ドクサ(逆説)であるということを明確に意識していたのもそのためである。この逆説的な性格は、哲学の進展全体を通じて持続される。これと軌を一にして、ターレスの同時代人で最初のヘブライ人の思想家であるアモスは、神によっておのが仕事に定められたとき、神が彼に「わが民に逆らって預言せよ」との任務を負わせになったのだと明言するであろう。すべての預言者は何ものかに反対しての預言者であって、「思想家」もまた然りである。プラトンは、それら最初の「思想家」たちについて具体的に話している著作のあるところで、「彼らはお高くとまってしまって、われわれ一般人を見下し、われわれが彼らの言うことについて行けるかどうかおかまいなしに、それぞれいとも簡単に結論を出してしまう」と言っているが、彼はこれによって、彼らの思想の逆説的な、したがって難解な形式をいとも明瞭に際立たせている。」(オルテガ・イ・ガセット『哲学の起源』)

 私は思想家でもないし古代ギリシャ人でもないが、常にパラ・ドクサを措定する者であり続けたいと思う。この時期だけに、特にその思いを強くする。

0 件のコメント: