2010年5月26日水曜日

深瀬昌久

British Journal of Photographyが著名な写真家たちにこの四半世紀で最高の写真集を問うたところ、彼の『鴉』が選ばれた。
 様々な解釈や分析が行われている。しかし、プロたちの心に24年間も棲み続けているものは、究極的には、この、美しく雄々しいカラスたち、そのものなのだと思う。
 そこに何か不吉なもの、或いは何か形而上学的なものを読もうとするのは、人の――あるいはひょっとしたら深瀬の――側の問題である。
 このカラスたちは美しい。そして、強い。
 

2010年5月25日火曜日

稀有な時間

A Night on the Plaza
 晩春。ロス。Dudamel。そしてマーラーの1番。
 彼にしては珍しく、「分からない奴には永久に分からない」類の話だった。
 こういう稀有な瞬間というものは、ごくごく稀に訪れるだけでよい。敢えて言えば、ごくごく稀にしか訪れぬものでなければならない。

2010年5月24日月曜日

コミュニケーション

「コミュニケーションを行うことは、旅をし、翻訳を行い、交換を行うことである。つまり、<他者>の場所へ移行することであり、秩序破壊的というより横断的である異説(異本)として<他者>の言葉を引受けることであり、担保によって保証された品物をお互いに取引きすることである。ここにはヘルメス、すなわち道路と四つ辻の神、メッセージと商人の神がいる。」(ミシェル・セール『ヘルメスⅠ コミュニケーション』)
 この「担保」というものが時には「生命」であったり「人生」であったりする。それが「交通」ということの計り知れぬ重要性であり、計り知れぬ恐ろしさである。

2010年5月23日日曜日

Schott's Vocab:A Miscellany of Modern Words & Phrases

Schott's Vocab:A Miscellany of Modern Words & Phrases
万事生真面目に考えすぎる人々のためのささやかな、しかしすばらしい処方箋。

2010年5月18日火曜日

コミュニケーション能力

これから面接に臨む学生のために
 これは何も就職面接だけの話ではない。コミュニケーションというものはそういうものだ。
 山崎さんの書いていることを読んで、「なるほど、そうなのか。」と感心しているような奴は中学ぐらいからやり直したほうがいい。「そりゃ、そうだろう。」と(誤解に基づいてではなく)反応できる奴だけが、より高い次元で鍛えられる資格を得るのだと思う。
 山崎さんの話は就職面接の話だから、面接官への配慮の話が中心を成すが、コミュニケーションとは一体何なのか、本当に賢いということはどういうことか、がよくわかっている面接官の前で、ものごとがよく分かっていない者が、ここで勧められているスキルをスキルとして用いようとした場合、間違いなく逆効果になることは言うまでもない。
 しかし、相対する者同士が互いの実力を見抜き、認め合った上で、それでも双方がしらっと演技しているような場面。そのようなぞくぞくする場面をあなたは経験したことがあるか。それほどのレベルの者が揃った時、彼らの前に敵はいなくなる。
 上記のことに文化の相違はほとんど無関係だということに最近気がついてきた。ブルガリア語で賢い奴は日本語を使わせても賢いし、日本語で賢い奴はブルガリア語でも賢い。
 しかし、問題は、それがよく分かっている人間――それは面接官に限らない、教師をはじめ、指導する立場の者すべてに言えることだ――が極めて少ないことだ。
 そして、より大きな問題は、それが原理的に伝達不可能、つまり教えることのできない種類の能力だ、ということだ。
 私にアドバイスできることはただ一つ。分かり合える相手(それが書物でも人間でも何でも)と付き合うな、自分には歯が立たない相手、つまり「他者」とだけ付き合え、ということだけである。

2010年5月16日日曜日

Google Street View awards 2010
 私は「道」が好きだ。
 「道路」でも「車道」でも「高速道路」でも「歩行者道路」でも「自転車道路」でもない、ただの「道」が好きだ。道に面したこの家にはどんな人生があるのだろうとか、この道の先には何があるのだろう、と思わせてくれるような「道」が好きだ。
 思わせてくれる、ということが大事である、なぜならば、道に面して家に入ってしまったり、道を突き当りまで行ってしまうと、それはもはや道でなくなるからだ。
 私は「道」が好きだ。

2010年5月11日火曜日

「人間らしさ」ということ

After You
ドライバーのマナーに関してはソフィアはひどい。それでも私が初めてここに来た3年前からは格段に良くなっている。筆者が言うことは、ここソフィアでは歩行者や公共交通機関の乗客として振舞っているソフィアっ子たちにより当てはまる。そのマナーの良さは、これは誇ってよい。マナーの良さ、というよりも、みんな「人間」として振舞っている、と言ったほうがいいのかもしれない。私はこの3年間で、人とぶつかったことが2,3度しかない。それも、そのすべてのケースにおいて、言葉とボディータッチによって誠実な謝罪と気配りが示される。見知らぬ他人同士がお互いに「人間」として尊重し合っている。言葉ではうまく説明できない。こればかりは毎日ここで暮らしてみて初めて納得できる性格のものではないかと思う。私は今度日本の都会の中を移動するのを少し恐れているほどだ、と言えば、どれほどの彼我の違いがあるかが少しは分かってもらえるだろうか。

2010年5月10日月曜日

Henri Cartier-Bresson

Slide Show: Henri Cartier-Bresson, Genius at Work
Dominique Nabokov

 Henri Cartier-Bresson。写真を絵画のレヴェルにまで高めた、いや時には絵画を超える瞬間まで創り出した男。

2010年5月4日火曜日

生の意味

 さすがはTerry Eagleton。よりによって「生の意味」というような臭気芬々たるテーマをどう料理するつもりかと思っていたら、そもそも「意味」とは何か、「生」とは何か、では「生の意味」とは何か、というところから論じてゆく。
 生の意味というものがどんなものであろうと、その価値を何らかの目的のための手段としてはならない。生の意味とはその価値自体が目的となるようであらねばならない。
 ただ日々の実践あるのみ。だとすると、現在の私は、これまでの人生で最も意味のある生を送っていると、言うことができるかもしれない。
 しかし、そういう風に嘯くことも目的論の罠に嵌ってしまっているということだろう。
 語る勿れ、ただ行え。

世代間ギャップ

Generation Next
 日本のこの世代――millennial generation――にも、ほとんど同じことが当てはまるように思う。米国と日本との共振性がここにもある。