さすがはTerry Eagleton。よりによって「生の意味」というような臭気芬々たるテーマをどう料理するつもりかと思っていたら、そもそも「意味」とは何か、「生」とは何か、では「生の意味」とは何か、というところから論じてゆく。
生の意味というものがどんなものであろうと、その価値を何らかの目的のための手段としてはならない。生の意味とはその価値自体が目的となるようであらねばならない。
ただ日々の実践あるのみ。だとすると、現在の私は、これまでの人生で最も意味のある生を送っていると、言うことができるかもしれない。
しかし、そういう風に嘯くことも目的論の罠に嵌ってしまっているということだろう。
語る勿れ、ただ行え。
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