2019年8月9日金曜日

過去は悲しい。Schubert Drei Klavierstücke D.946 No.2

過去は悲しい。つらい思い出も、楽しい思い出も、それが永遠に戻らぬという意味で、ひとしなみに悲しい。私が過去を振り返ることを極力避けるのはもっぱらそのためだと言ってもよい。
しかし、リヒテルの弾くこの曲を聴く時だけは別である。過去に向き合うことにどれほど抗おうとも、その十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)の第2エピソードは、次から次へと、これでもかこれでもかと言わんばかりに過去の記憶を脈絡なく私の脳裏に呼び起こす。続いて変イ短調、2/2拍子の第2エピソードの切々たる旋律がそれらすべての過去の二度と取り戻すことのできぬものであることを私に思い起こさせ、そのことが私に深い悲しみをもたらす。そして、それらすべてを包み込むように三度出てくるロンド主題。その主題の最後の出現がひどく混乱した私の心を静め調和を取り戻させようとするうちにこの短い曲は突如終わってしまう。心の平和も調和も実現せぬまま終わる。変ホ長調であるにもかかわらずこの主題にさえ私は癒されぬ悲しみを見出してしまうのだ。いつ聴いても、何度聴いても、この曲のこの演奏は同じ経験を私にもたらすのだ。
しかし、である。恐らく私のこの経験を共有する者はこの世に一人もいないのだろう。私のこの切実な経験もただの感傷としか聞こえないのだろう。どうも、人にはそれぞれ自分だけの旋律、というようなものがあるように思える。合理的な説明というようなものを超えて、それほどまでに芸術というものは個人的なものなのかもしれない。

Richter plays Schubert Drei Klavierstücke D.946 No.2 (Budapest, 1963)

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