2009年1月19日月曜日

大学のraison d’être

The Last Professor
 しかし根本的な問題は、これはStanley Fishレヴェルの学者だからこそ言える話であるということだ。大学で教える者たちの「講義」の(経験値で言えば)80%は「おしゃべり」に過ぎない。楽しませてもくれないから「おしゃべり」以下かもしれない。彼らの大多数はアリストテレス以来のAkademiaの歴史とは全く没交渉な生き物たちだ(その卑近な例はFishの記述を受けて翌日Boston Globeに投稿されたThe lasting value of the humanitiesだろう。こういう輩がHumanitiesをだめにし続けている。全くもっておめでたいとしか言いようがない)。そいつらと長時間・長期間付き合わされる学生たちの身になれば、そんな風に時間を無駄遣いするよりも何か資格もどきのものをニンジンとしてぶら下げるニセモノの「教育」の門前に駆け込みたくなるのも理解できないわけではない。
 この愚に人類が気づくには数世紀かかるかもしれない。

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