2010年4月29日木曜日

Twitterねえ。。。

 山崎さんは「Twitterをしばらく使ってみて思うのは、特に、私のような中年オヤジは、Twitterをやってみるといいのではないだろうかということだ。一投稿が短くて済むので負担が小さいし、短時間で情報が更新されるスピード感と馴染んでおくと、何かといいのではないだろうか。「俺も、一言言いたい」というタイプも、ブログで文章を書くよりも、Twitterの方が反応が早くて楽しいだろう。もちろん、老若男女誰でもいいのだが、我が同世代の人々は、「あれのどこが面白いのか分からない」と言いたがる傾向が強いので、敢えてお勧めしておきたい。」というが(「Twitterをしばらくやってみて」)、それはあなたのような内省もおしゃべりも共に十分にこなせるだけの一流の頭脳だからこそ言えるのであって、凡人は手っ取り早いそういうものにすぐ飛びついて、その世界にどっぷりと漬かってしまい、じっくりとものを考えたりゆっくり勉強したりすることを放棄してしまう、あるいはそういう世界が存在することさえ知らないまま生きているようですよ。僕の周りでもそういうのに時間を使っている――と言うより使われているー―奴らが少数ながらいますが、ほんとに奴らのおつむ、ひどいですよ。

2010年4月21日水曜日

エイプリル・フール

 ちょっと古くなったが、今年、私はこの記事にだまされた。
Bulgaria abandons euro zone dream, to adopt the rouble

 エイプリルフールの古典といえば、これ

 傑作はこれ

Alec Soth

Ash Wednesday, New Orleans
 映像と文字。そのコンビネーションが絶妙だ。報道には、また芸術には、こういう可能性もあった。彼の作品をもっと見たい。

2010年4月17日土曜日

Self-injury in Japan

Self-injury in Japan
 自傷行為というものを私は理解できていない。自殺へのプロセスの一過程、あるいは分岐かと思うこともあるが、自分が自殺への誘惑に駆られたことは何度かあるにもかかわらず手首を切りたいと思ったことは一度もないことを見ても、恐らくまた異なった心理的過程なのだろう。
 痛ましい。

2010年4月16日金曜日

電子書籍

Some Thoughts About E-Reading
 そうだろう。テクストはテクストだ。紙の書籍だろうが電子書籍だろうが、中身だけを問題にする分には両者に変わりはない。しかし、その「中身」というものを「メッセージの内容」という狭義から、彼の言うような広義の意味に拡大して行けば行くほど、問題は変容してくる。
 電子書籍は、本はこれからどうなっていくのだろうか、という程度の問題ではない。読書をする我々が、人間として、どう変容していくのか、という実存的な問題である。

2010年4月15日木曜日

上昇志向というもの

Once drawn to U.S. universities, more Japanese students staying home
 これは、この分析の甘い記事で言うような、企業風土や学費や大学全入時代というような表層の問題ではなく、これもやはり記事の中でインタビューされた若者が使った「草食男子」というはやり言葉に象徴されるような「ポストモダン」の構造的変動なのではないかと思う。上昇・拡大・増加・発展などのキーワードに象徴されるような「近代」の終焉が真っ先に日本に現象として現れてきている、ということではないかと思う。
 きのうのここのTVニュースで、上海からここまでリヤカーを引っ張って歩いてやって来た日本の若者を取材していた。ポルトガルまで行くという。しかし、帰りはさすがに飛行機で帰ると言ってスタジオを笑わせていた。この、何気なくさりげなく、遊び心で大きなことをやる「草食男子」もいる。インタビューを受けている態度もそのことばも、そこら辺のオタクと変わらないものだった。昔の「冒険男」たちとはずいぶん違う。
 少し前から考えていることだが、世界が大きく変わっていく、その踊り場に今の日本はあるような気がする。だからといって今後日本が世界の未来像だなどというおめでたいことを言いたいのではない。「近代」の終焉を演じ始めた現代の日本を研究していけば、おそらく世界が次に向かうべき方向――それは多分日本の今とも違うものだろう――の様々な可能性が見えてくるのではないかと言いたいだけだ。

2010年4月14日水曜日

日本人の腸

ノリや寒天、日本人は栄養に
 日本人の腸は、長いだけではないようだ。日本を出て3年しか経っていないしこれといって明確には言えないのだが、どうも日本で生まれ育った者とここの人たちとの腸は他の点でも色々異なるところがこれからも発見されるような予感がする。

井上ひさし逝く

井上さん逝く―築いた言葉の宇宙に喝采
 また一人、戦後日本は大切な人を失った。私の先生たちが次々と旅立ってゆく。おまえ、もうちょっと頑張れよ、と言いながら。

 私は幼い頃から、何か/誰かから逃げる夢を数多く見てきた。それは恐ろしいものだったり、巨大なものだったり、極めて困難な課題だったりで、その苦しみで夜中に目覚めることも数多くあった。
 ここ半年ばかり、その種の夢をばったり見なくなっていた。新しい生き方に慣れ始め、おや、これは穏やかな老境が待っているのかもしれないぞと半ば期待し始めていた。
 ところが、ここ1週間ほど、再び、邪悪な、巨大な、強力な敵に追われる夢が続いている。
 また昔の自分に戻りつつあるのか、と思いきや、分析してみると、実は、そうではない。
 以前の苦しい夢との違いは2点。ひとつは、最初から敵が敵として存在しているわけでなく、はじめは友好的であった存在が突如邪悪なものに変身し、突如私に襲い掛かってくる、というパターンに変わったこと。もうひとつは、極めて苦しい闘い(この苦しさ自体は変わらない)の末、最後に私は敵を倒し、自由を勝ち得たところで、ほっとして目が覚める、というパターンに変わってきたことだ。
 私は年を重ねるごとに強力な存在になりつつあるようだ。XD

2010年4月9日金曜日

誕生日!

今日は私の誕生日だった(そうだ)。思い出させてくださった本当にたくさんの方々、どうもありがとう!
ちなみに、今年の白眉は、
「駒田先生、お誕生日おめでとうございます。これからも300年、よろしくお願いします。」

「We remembered you fondly.」
だった。