Once drawn to U.S. universities, more Japanese students staying home
これは、この分析の甘い記事で言うような、企業風土や学費や大学全入時代というような表層の問題ではなく、これもやはり記事の中でインタビューされた若者が使った「草食男子」というはやり言葉に象徴されるような「ポストモダン」の構造的変動なのではないかと思う。上昇・拡大・増加・発展などのキーワードに象徴されるような「近代」の終焉が真っ先に日本に現象として現れてきている、ということではないかと思う。
きのうのここのTVニュースで、上海からここまでリヤカーを引っ張って歩いてやって来た日本の若者を取材していた。ポルトガルまで行くという。しかし、帰りはさすがに飛行機で帰ると言ってスタジオを笑わせていた。この、何気なくさりげなく、遊び心で大きなことをやる「草食男子」もいる。インタビューを受けている態度もそのことばも、そこら辺のオタクと変わらないものだった。昔の「冒険男」たちとはずいぶん違う。
少し前から考えていることだが、世界が大きく変わっていく、その踊り場に今の日本はあるような気がする。だからといって今後日本が世界の未来像だなどというおめでたいことを言いたいのではない。「近代」の終焉を演じ始めた現代の日本を研究していけば、おそらく世界が次に向かうべき方向――それは多分日本の今とも違うものだろう――の様々な可能性が見えてくるのではないかと言いたいだけだ。
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