2009年7月12日日曜日

幸福の相対性或いは絶対性

アリョーシカももどる。お人好しというのか、彼は、他人におごってばかりいて、自分でなんの内職かせぎもできない男だ。
『食べなよ、アリョーシカ!』ビスケットを一つ、彼にやる。
アリョーシカはにこりとする。
『ありがとう! 自分の分がなくなるでしょ!』
『食べなったら!』
おれたちは、なくなればなくなったで、またかせぐだけの話だ。
そして自分は、ひときれのカルバサを口へほうりこむ---口へ! それを歯で嚙む。歯で! 肉の香りがする! 肉の汁、ほんものの肉汁だ。それが、喉を通り、腹へはいっていく。
それで---カルバサはおしまい。
あとは、あすの集合前にとっておこう。シューホフはそう決めた。
彼は、薄っぺらい、垢じみた毛布を、すっぽりと頭からかぶった。やがて、寝台のあいだの通路に、点呼を待つあちらの大部屋の囚人たちがいっぱいにあふれたが、もうそのもの音に耳をかそうとはしない。
シューホフは、満ちたりた気持ちで眠りに落ちていった。きょう一日、彼はまったくついていた。営倉にも入れられなかった。班が《社生団地》へまわされることもなかった。昼食のときには、うまくカーシャをごまかした。班長はパーセント査定をうまくやってくれた。たのしく壁積みができた。身体検査で鋸のかけらがひっかからなかった。夕方にはツェーザリにかせがせてもらい、たばこも買えた。病気にもかからず、なんとか乗りきれた。
なんの影に曇らされることもない、いや、ほとんど幸福とさえいえる一日が過ぎたのだ。
(ソルジェニツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』)

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