『Agora日本語読解辞典』が33万ページを超えた。
2018年7月3日火曜日
2018年7月2日月曜日
「発表」というものの恐ろしさ
著作を出版したことのある者でいやしくも自己の限界を知る者は誰でも知っている。
それは末代まで恥をさらすことだ。
それは末代まで恥をさらすことだ。
Sharp by Michelle Dean review – what do Dorothy Parker, Hannah Arendt and Susan Sontag have in common?
2018年7月1日日曜日
2018年6月30日土曜日
Misery helps, so does muddle and loving books, so does leaving home.
どうしても訳の分からない男。だからこそ、私はこの作家に惹かれるのかも知れない。
Figures in a Landscape by Paul Theroux review – a writer driven by divided loyalties
2018年6月29日金曜日
日本ベスト16に進出
報道陣も西野監督も、まるで大敗北後の会見のような雰囲気である。
しかし、これは局地戦での敗北であり、より高次の文脈では勝利なのだ。国際試合、特にワールドカップは「完全に国際法を遵守しつつ遂行する、誰も殺さない完全に合法的な戦争」である。「清く正しく美しい」高校野球の話ではない。局地戦をあえて捨てることにより、逆により高い次元での勝利を志向するというのは当然のことだ。
最後の決め手はフェアプレーポイントだった。これも重要な要素である。日本はこれでワールドカップに出場した20試合のいずれにおいても退場処分を受けていない。20試合連続レッドカードなしというのは現在ワールドカップ記録で、日本はこれを更新し続けているのだ。日本の戦い方が醜いというのは全く当たらないと言わなければならない。
しかし、これは局地戦での敗北であり、より高次の文脈では勝利なのだ。国際試合、特にワールドカップは「完全に国際法を遵守しつつ遂行する、誰も殺さない完全に合法的な戦争」である。「清く正しく美しい」高校野球の話ではない。局地戦をあえて捨てることにより、逆により高い次元での勝利を志向するというのは当然のことだ。
最後の決め手はフェアプレーポイントだった。これも重要な要素である。日本はこれでワールドカップに出場した20試合のいずれにおいても退場処分を受けていない。20試合連続レッドカードなしというのは現在ワールドカップ記録で、日本はこれを更新し続けているのだ。日本の戦い方が醜いというのは全く当たらないと言わなければならない。
【試合後の会見】西野監督 日本×ポーランド
But human excellence is compatible with neither the pursuit of happiness nor the flight from suffering.
39年前、僕のコペンハーゲンでの比較的孤独な1年の留学生活を支えてくれたのは角川文庫の「若き人々への言葉」だった。
僕の奥底にはその時に出遭ったニーチェが今も息づいている。
この記事を読んでそのことに今更のように気づいた。
Friedrich Nietzsche: The truth is terrible
2018年6月28日木曜日
境界の無化、或いはその試み
ゴッホに、またその中でも“Almond Blossom”に僕が最も心を惹かれる理由が何となく分ったような気がする。
それは境界の無化、或いはその試み、である。日本と西洋、人間と自然、外部と内部、遠景と近景。その境界の曖昧化・無化。それは世界の見え方を一変させる。
しかしそれは、果ては正気と狂気との境界の無化にもつながる、人を不安定な位置に宙吊りにする、極めて危険な状態でもある。
Van Gogh’s Japanese Idyll
2018年6月27日水曜日
性と書物
このエッセイの中で僕に馴染みのあるものは図書館と本屋だけだ。その図書館も本屋も、僕にとってはここに書かれているような場所でも毛頭なかった。
新鮮な驚きに満ちた思いで読んだ。
僕は相当に単純な男らしい。
新鮮な驚きに満ちた思いで読んだ。
僕は相当に単純な男らしい。
The Bonds Between Sex and Books
2018年6月25日月曜日
2018年6月24日日曜日
優越者の芸術
ここで「悲劇的」という言葉を使うことは多数者・権力の側に立ち、傍観者としての立場を担保することになるだろう。
最終段落の筆者の慎みのある宣言が力強い。
最終段落の筆者の慎みのある宣言が力強い。
Singing Against the Grain: Playing Beethoven in the #BlackLivesMatter era
2018年6月23日土曜日
2018年6月22日金曜日
2018年6月21日木曜日
2018年6月20日水曜日
「真の人文学」
酷な言い方に聞こえるかもしれないが、「真の人文学」とはそもそもパトロンを求めるものではないのではないか。「内在的価値」を売り物にしようとすることは本来の人文学とはかけ離れているのではないか。極論すれば、霞を食ってでも研究する、というのが本筋ではないか。現代の大学がその価値を認めないのであれば、自らそれを捨ててはどうか。
Stop Trying to Sell the Humanities
2018年6月19日火曜日
In his account, “each step was so small, so inconsequential, so well explained or, on occasion, ‘regretted,’” that people could no more see it “developing from day to day than a farmer in his field sees the corn growing. One day it is over his head.”
ここにも、そこにも、あそこにも、今その萌芽が現れ始めている。
It Can Happen Here
2018年6月18日月曜日
Tom Waits - Tom Traubert's Blues
何百回繰り返して聴いただろう。これが詩《うた》である。これが歌である。
Tom Waits - Tom Traubert's Blues
2018年6月17日日曜日
思考力
このような精緻な思考ができる知識人が多数生き残っている社会はいずれ立ち直るだろう。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。
Why We Don’t Read, Revisited
2018年6月13日水曜日
Think twice, then, before you head out to the South Seas.
Authenticity。魅惑に満ち、そして人を誤らせる怖ろしい言葉。
What are we?
2018年6月12日火曜日
2018年6月11日月曜日
The work of life is to turn whatever happens to constructive ends.
Michael Dirdaがワシントンポストでこういう書物にこういう書評をしなければならないというところに米国の現在が表れている。
Aristotle’s lisp, why Socrates loved dancing and other tales of ancient thinkers
2018年6月10日日曜日
小林正樹論
非常に水準の高い議論がなされている。難を言えば、技術論に傾きすぎていて、評者に歴史知識がなさそうな点だ(例えばthe sudden tapping of one defendant’s head。叩いたのは大川周明であり叩かれた人物は東条英機である。評者は大川も東条もよく知らないようだ。)。
しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。
しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。
History from a High Angle
Sofia Pride
今年のSofia Prideがさっき私のアパートの下を通り過ぎた。このアパートの前はよくいろいろなデモやパレードが通るが、このパレードの活気は格別だ。今年は外国人らしいドラムグループのレヴェルがとても高く、年々質量ともに上がってきている。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。
2018年6月9日土曜日
ISAIAH BERLIN
In our modern age, nationalism is not resurgent; it never died.そして、人種差別もそうだとバーリンは言う。
移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。
移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。
IN MEMORY OF ISAIAH BERLIN
2018年6月7日木曜日
2018年6月6日水曜日
三島由紀夫「太陽と鉄」
まずこの人は三島の他の作品を読んでいないように見える。また、この人は日本の思想史を知らない(彼の言及した「絶対矛盾的自己同一」も何のことかさっぱりわからないであろう)ばかりでなく西洋思想史でさえこの人にとっては古代ギリシャではなくSusan Sontagあたりから始まっているように見える。
この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。
米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。
ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。
この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。
米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。
ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。
In the Fascist Weight Room
2018年6月5日火曜日
2018年6月4日月曜日
2018年6月3日日曜日
2018年6月2日土曜日
2018年6月1日金曜日
2018年5月31日木曜日
JÜRGEN HABERMAS
例えば彼のような巨人の後継者が今どこかに現れているか?
なお意気軒高な彼の言説を聴いていて、逆に「哲学の死」のようなものをひしひしと感じざるを得ないのは私だけだろうか。
なお意気軒高な彼の言説を聴いていて、逆に「哲学の死」のようなものをひしひしと感じざるを得ないのは私だけだろうか。
JÜRGEN HABERMAS: “FOR GOD’S SAKE, SPARE US GOVERNING PHILOSOPHERS!”
2018年5月30日水曜日
David Graeber
現在の世界が重大な問題を抱えていることはよくわかっている。そしてその解決策として現在提唱されている理論のいずれにも問題があることもよくわかっている。本当に一度大崩壊しないと突破口は見つからないのだろうか。
Bullshit Jobs: A Theory by David Graeber review – the myth of capitalist efficiency
2018年5月29日火曜日
Barbara Ehrenreich
死のその瞬間まで闘いをやめない人がここにいる。
“It’s one thing to die into a dead world and, metaphorically speaking, leave one’s bones to bleach on a desert lit only by a dying star. It is another thing to die into the actual world, which seethes with life, with agency other than our own, and at the very least, with endless possibility.”
“It’s one thing to die into a dead world and, metaphorically speaking, leave one’s bones to bleach on a desert lit only by a dying star. It is another thing to die into the actual world, which seethes with life, with agency other than our own, and at the very least, with endless possibility.”
Mind Control
2018年5月28日月曜日
藤田嗣治(つぐじ)、藤田嗣治(つぐはる)、Léonard Foujita、Fujita、レオナール・フジタ、レオナルド・フヂタ・・・
若い頃から私はなぜか彼に惹かれてきた。その多彩な作品はその一つ一つがそれぞれの意味で私の胸を打ってきた。
精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。
しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。
激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。
精神的にも物理的にも西と東とを激しく往還した男。日本人なのかフランス人なのかという乱暴な問題の立て方は無視するとしても、それにしてもその往還が果して大きな結実をみたと言えるのか否かがもう一つはっきりしない男。
しかし日本しか知らなかった若い頃には気づかなかったことなのだが、私はようやく最近になってその作品のすべてに共通する或る種の「哀しみ」のようなものがあるように思えてきた。
激しくダイナミックに躍動する華やかな生。しかしそこには自分にも分らぬ何かを追い求め続けてなお得られぬという哀しみはなかったか。由来も内実も出口も見えない、それが哀しみというものであるかどうかさえ自覚されない、そのような言葉にならぬものはなかったか。
Foujita: Imperial Japan Meets Bohemian Paris
2018年5月27日日曜日
2018年5月26日土曜日
Roland Barthes
学生時代に何度もチャレンジした思想家の一人だった。よく理解できず悔しい思いをしたのを覚えている。
In the Snatches of Free Time: On Collecting Roland Barthes
2018年5月25日金曜日
井上尚弥
また勝った。10年以上無敗だった相手チャンピオンがまるでアマチュアのように見える試合だった。
これで3階級制覇。数年前この人が初めて世界チャンピオンになった時に私はここで予言した。今後10年、世界にこいつを倒す者は出ないだろうと。そして、その予測をはるかに超える力強さでこの人は進化し続けている。
全17階級の全ボクサーの実力を格付けする「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」最新版では第5位に上がった。まだ上はある。しかしその前に、今年の秋に開催される、世界の四つのボクシング主催団体の各級のトップ選手がトーナメントで世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)でチャンピオンになる必要がある。楽しみはまだまだ残っているのだ。
当初「怪物」という呼称を嫌っていた彼は、さっきの試合後のインタビューで初めて自らを「怪物」と呼んだ。確かに、文字通り「怪物」以外の形容が思いつかない。ご覧あれ。
これで3階級制覇。数年前この人が初めて世界チャンピオンになった時に私はここで予言した。今後10年、世界にこいつを倒す者は出ないだろうと。そして、その予測をはるかに超える力強さでこの人は進化し続けている。
全17階級の全ボクサーの実力を格付けする「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」最新版では第5位に上がった。まだ上はある。しかしその前に、今年の秋に開催される、世界の四つのボクシング主催団体の各級のトップ選手がトーナメントで世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)でチャンピオンになる必要がある。楽しみはまだまだ残っているのだ。
当初「怪物」という呼称を嫌っていた彼は、さっきの試合後のインタビューで初めて自らを「怪物」と呼んだ。確かに、文字通り「怪物」以外の形容が思いつかない。ご覧あれ。
本物と偽物
本物と偽物。
この記事を読んで、恥ずかしい、しかしとても興味深い出来事を思い出した。
ほぼ40年前、コペンハーゲン大に留学中だった私はデンマーク政府奨学金から毎月少しずつ貯めた少額の金を持って1か月のヨーロッパ貧乏旅行に出ていた。ほとんどの食事はパンとチーズと水だけ、宿をとる金もなくほとんどの夜を国際夜行列車での移動で過ごす旅だった。しかし、ちょうどソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった時期で多くのNATO軍兵士とコンパートメントを共有して色々な議論をしたことをはじめとして、後にも先にもあれほど数多くの貴重な体験を積んだ旅はなかった。
その中のウィーンでの記憶である。地図もガイドブックも持たず旅を続けていた私は、行きずりのバッグパッカー仲間からいい美術館があると聞いてそこへ出かけることにした。ウィーン美術史博物館というような名称だった。
中を歩き始めて仰天した。文字通り立ち去り難い思いにとらわれるような作品に満ちていた。芸術に触れて感動に打ち震えるという経験が本当にあるのだと感じた。
しかし、何しろ実質的には生れて初めてのヨーロッパ美術との出会いである。美術の教科書で見た名作の数々を見て回るうちにふと疑問が生まれてきた。これほどの名作群がこんなところ(その時点ではこの美術館の名声を知らなかった。その上極寒の2月、開館直後の時間で他の入館者はほとんどいなかった。)に一堂に揃っているはずはない、「美術史」博物館という名称から考えてここは美術の歴史を学ぶようなところでこれらは模作なんだろうと考えたのだ。模作でもこれだけの感動を覚えるのだから本物に出会ったときにはどんなことが起こるんだろうと、急遽その後の旅程をルーブル・プラド・ローマ・アムスなどに変更したほどだ。
あの名作群は本物だったのだと知ったのは旅の後コペンに戻って図書館で(まだインターネットはない時代だった。)調べた時である。
あのウィーンでの感動は、本物の作品だったからなのか?もしあれらがこの記事に出てくるような極めて精巧な模作ばかりだったとしても同じ感動をもたらすのだろうか?
それはわからない。しかし唯一つ言えることは、あの出来事以降、どんな芸術に接する際にも、他者がほめるものであってもけなすものであっても、私は自分の眼や耳だけを信じて目の前の作品に向き合うようになったという事だ。
この記事を読んで、恥ずかしい、しかしとても興味深い出来事を思い出した。
ほぼ40年前、コペンハーゲン大に留学中だった私はデンマーク政府奨学金から毎月少しずつ貯めた少額の金を持って1か月のヨーロッパ貧乏旅行に出ていた。ほとんどの食事はパンとチーズと水だけ、宿をとる金もなくほとんどの夜を国際夜行列車での移動で過ごす旅だった。しかし、ちょうどソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった時期で多くのNATO軍兵士とコンパートメントを共有して色々な議論をしたことをはじめとして、後にも先にもあれほど数多くの貴重な体験を積んだ旅はなかった。
その中のウィーンでの記憶である。地図もガイドブックも持たず旅を続けていた私は、行きずりのバッグパッカー仲間からいい美術館があると聞いてそこへ出かけることにした。ウィーン美術史博物館というような名称だった。
中を歩き始めて仰天した。文字通り立ち去り難い思いにとらわれるような作品に満ちていた。芸術に触れて感動に打ち震えるという経験が本当にあるのだと感じた。
しかし、何しろ実質的には生れて初めてのヨーロッパ美術との出会いである。美術の教科書で見た名作の数々を見て回るうちにふと疑問が生まれてきた。これほどの名作群がこんなところ(その時点ではこの美術館の名声を知らなかった。その上極寒の2月、開館直後の時間で他の入館者はほとんどいなかった。)に一堂に揃っているはずはない、「美術史」博物館という名称から考えてここは美術の歴史を学ぶようなところでこれらは模作なんだろうと考えたのだ。模作でもこれだけの感動を覚えるのだから本物に出会ったときにはどんなことが起こるんだろうと、急遽その後の旅程をルーブル・プラド・ローマ・アムスなどに変更したほどだ。
あの名作群は本物だったのだと知ったのは旅の後コペンに戻って図書館で(まだインターネットはない時代だった。)調べた時である。
あのウィーンでの感動は、本物の作品だったからなのか?もしあれらがこの記事に出てくるような極めて精巧な模作ばかりだったとしても同じ感動をもたらすのだろうか?
それはわからない。しかし唯一つ言えることは、あの出来事以降、どんな芸術に接する際にも、他者がほめるものであってもけなすものであっても、私は自分の眼や耳だけを信じて目の前の作品に向き合うようになったという事だ。
2018年5月24日木曜日
2018年5月23日水曜日
2018年5月22日火曜日
沈黙と饒舌
私の辞典は世界で最も饒舌な辞典になろうとしている。
それは「声」に満ち満ちている。膨大なテクスト群が産み出す喧騒。
一方、それを編む私の中の緊張に満ちた静謐。
この逆説。
それは「声」に満ち満ちている。膨大なテクスト群が産み出す喧騒。
一方、それを編む私の中の緊張に満ちた静謐。
この逆説。
People crave silence, yet are unnerved by it
2018年5月21日月曜日
Philosophically, intellectually—in every way—human society is unprepared for the rise of artificial intelligence.
テクノロジーが哲学を必要とする時代の到来。それはAIに始まったことではない。人類が遺伝子操作と原子力を手に入れた時から始まっている。
How the Enlightenment Ends
2018年5月20日日曜日
原点0
森山 威男 Quartet, jazz inn LOVELY, 2012年8月10日, My Favorite Things
森山威男のドラム。私は普段クラシックしか聴かないが、名演にはジャンルを超えて人を原点0に立ち帰らせてくれる力がある。
2018年5月19日土曜日
2018年5月18日金曜日
The tools we use to help us think—from language to smartphones—may be part of thought itself.
The Mind-Expanding Ideas of Andy Clark
とても難しい。しかしとても面白い。私はこれまで『Agora日本語読解辞典』を私の生きがいであるとか命であるとか人生そのものであるとかいうような言い方で位置付けてきた。しかしどんな言い方をしようと、これではこの辞典を自己とは別個の他者として前提していることに変わりはない。
ところが、私は掛け値なしに目覚めている時間のほぼ90%をこの辞典に使っているし、夢の中でもほぼ毎日この辞典を作っている(そして目覚めのまさにその瞬間「セーブ」をしていなかったことに愕然とするということを繰り返している)。文字通り寝ても覚めても私の脳は辞典に占められている。今や私の生は他者や外的世界はおろか「自己」と向き合うことよりも質・量ともに圧倒的にこの辞典と向き合うことに占められているのだ。こうなってくると「向き合う」という自他関係の中にこのことを位置づけることに自ずと不自然さが生まれてくる。
「私」が、私の脳が、この辞典と内的に――外的にではなく――リンクし始めている。いま私はその原始的・萌芽的段階に入りつつあるとさえ言えるのかもしれない。私の脳そのものがインターネットに直接接続すれば辞典づくりはもっと楽になるだろう。この記事を読んでふとそんなことさえ想像した。
2018年5月17日木曜日
The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary
辞書を創るということは一つの自立した新しい世界を創造しようとするかのような幻想である。怖ろしく魅惑的な幻想である。それは眩暈のするような誘惑に満ちている。しかし、どこまで行ってもそれは最後まで幻想のままである。そのことを忘れてはならない。
The Nationalist Roots of Merriam-Webster’s Dictionary
2018年5月16日水曜日
“I believe it is very likely that men, if they ever should lose their ability to wonder and thus cease to ask unanswerable questions, also will lose the faculty of asking the answerable questions upon which every civilization is founded.”
The Philosopher in Dark Times
思想が世界を動かす力を失って半世紀。もう永遠にそれは戻らないのだろうか。2018年5月15日火曜日
A dead body or a statue cannot be set up in the upright posture without support. You must live even to stand.
How Posture Makes Us Human:The philosophy and science of standing up straight.
東洋思想の主流にはこのような視線は存在しない。古代インドには存在したのだろうか。「姿勢」と人間性。私はこれまでほとんどこの角度から考えたことはなかったが、これは西洋思想と東洋思想との間にある大きな相違点の一つだろう。2018年5月14日月曜日
Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar
Agent Kristeva:The covert and overt sins of a celebrated scholar
10年前なら驚いたであろうが、10年ブルガリアに住んでみて、さもありなんと思う自分に気づく。刻印を拭い去ることは可能であるかもしれない。その時間が残されていさえすれば。
2018年5月12日土曜日
2018年5月11日金曜日
2018年5月10日木曜日
2018年5月9日水曜日
Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo
Bulgarian Diplomat Found Dead in Tokyo
1.使用している写真に問題がある。
(1)使用されている写真が交通機動隊のものである。
(2)映っている機動隊員は警視庁ではなく京都府警である。
こんな幼稚園レベルのミスをJapan Todayが犯すはずはないので、これはブルガリアメディア側の問題である。
2.「The police supposed that it was a suicide, local police reported.」こんなことを警視庁が軽々に言うはずはないので確認が必要であるにもかかわらず行っていない。
3.ブルガリア外務省への確認取材を行っていない。
ブルガリアが報道の自由を獲得して30年近くになる。しかし、よく思うのだが、この国にジャーナリズムが生まれるのは一体いつのことになるのだろうか。
よその国の国内問題なのであるからほっとけばいいという考え方もあるのかもしれないが、こと日本に関する無知は国際関係の観点から看過するわけにはいかない。1.と2.に関しては在ブルガリア日本国大使館が指摘すべき事柄である。
よその国の国内問題なのであるからほっとけばいいという考え方もあるのかもしれないが、こと日本に関する無知は国際関係の観点から看過するわけにはいかない。1.と2.に関しては在ブルガリア日本国大使館が指摘すべき事柄である。
2018年5月8日火曜日
2018年5月6日日曜日
2018年5月5日土曜日
2018年5月4日金曜日
2018年5月3日木曜日
2018年5月1日火曜日
2018年4月29日日曜日
A Man Threatens People with a Gun in the Borisova Garden
私のジョギングコースには当たっていないようだが、まったく物騒な話だ。この話はこの記事できょう初めて知ったのだが、無闇に発砲する奴が公園内を徘徊しているというのに、注意を促す掲示も見当たらなければ警戒に当たる職員も警察官も一人も見かけていない。これも彼らの無能さをよく表している話だ。
護身用に私はいつも棒切れとペッパースプレーを持ってジョギングしているが、無闇に銃をぶっ放すこんな奴が相手ではたまったもんじゃない。
頼むから公園内のジョギングぐらい安心してやらせてくれ。
A Man Threatens People with a Gun in the Borisova Garden
護身用に私はいつも棒切れとペッパースプレーを持ってジョギングしているが、無闇に銃をぶっ放すこんな奴が相手ではたまったもんじゃない。
頼むから公園内のジョギングぐらい安心してやらせてくれ。
A Man Threatens People with a Gun in the Borisova Garden
2018年4月28日土曜日
2018年4月27日金曜日
2018年4月26日木曜日
2018年4月25日水曜日
ジジイ
私は61だ。もういいジジイである。しかしやってることは20、30の小僧と寸分変わらない。あの頃は何でもやりたい放題言いたい放題でやっていた。それでよかった。青二才が、と、心ある人からは相手にされなかったからだ。無視されている間は大きな問題にはならない。
しかし、残念ながら61ともなるとそうもいかないようだ。自分の言動がいちいち周囲の意外に多くの人を巻き込んでしまっているらしい。いい意味でならそれも結構なことなのだが、おそらく望ましくない意味でそうなってしまっている場合の方が多い。まさか自分の一挙手一投足がこんなにも周囲に様々な波紋を及ぼしているとは。実に愚かなことだが、最近になってようやくそれに気がつき始めた。本当にこれまでそんなことは意識していなかったのだ。誰にも信じてもらえないだろう。しかし、本当にそんなことは一度も考えたことがなかったのだ。これもほとんど大学の世界しか知らない人生だったせいかもしれない。「学問の鬼」の話を以前書いた。しかし全くもってそんな立派な話ではないのである。
心身ともに枯れてくれば自然におとなしくなってゆき、それはそれでおさまりがついてゆくのだろう。しかし幸か不幸か私は還暦を過ぎてますます元気である。最近の鍛錬の甲斐もあって、身体能力は二十歳の頃と同等のレベルに戻りつつあるとさえ言いたくなる。もしこれで煙草をやめたら一体どこまで元気になるのだろうと恐ろしくなるぐらいだ。「老いてますます盛ん」どころか、まだそれ以前の段階なのだ。
肉体的にも精神的にも発展段階はまだ30の若造なのである。しかし実際には私は61で、そしてその年齢が要求する振舞い方を知らないと来てる。一体どう折り合いをつければいいというのか。
まあいいや。グダグダ言ってても埒があかない。少なくともこれ以上世間様に迷惑をかけまいとするなら、やはり黙々と本来の自分の仕事にひとり専念することだ。
しかし、残念ながら61ともなるとそうもいかないようだ。自分の言動がいちいち周囲の意外に多くの人を巻き込んでしまっているらしい。いい意味でならそれも結構なことなのだが、おそらく望ましくない意味でそうなってしまっている場合の方が多い。まさか自分の一挙手一投足がこんなにも周囲に様々な波紋を及ぼしているとは。実に愚かなことだが、最近になってようやくそれに気がつき始めた。本当にこれまでそんなことは意識していなかったのだ。誰にも信じてもらえないだろう。しかし、本当にそんなことは一度も考えたことがなかったのだ。これもほとんど大学の世界しか知らない人生だったせいかもしれない。「学問の鬼」の話を以前書いた。しかし全くもってそんな立派な話ではないのである。
心身ともに枯れてくれば自然におとなしくなってゆき、それはそれでおさまりがついてゆくのだろう。しかし幸か不幸か私は還暦を過ぎてますます元気である。最近の鍛錬の甲斐もあって、身体能力は二十歳の頃と同等のレベルに戻りつつあるとさえ言いたくなる。もしこれで煙草をやめたら一体どこまで元気になるのだろうと恐ろしくなるぐらいだ。「老いてますます盛ん」どころか、まだそれ以前の段階なのだ。
肉体的にも精神的にも発展段階はまだ30の若造なのである。しかし実際には私は61で、そしてその年齢が要求する振舞い方を知らないと来てる。一体どう折り合いをつければいいというのか。
まあいいや。グダグダ言ってても埒があかない。少なくともこれ以上世間様に迷惑をかけまいとするなら、やはり黙々と本来の自分の仕事にひとり専念することだ。
2018年4月24日火曜日
2018年4月23日月曜日
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