2015年2月22日日曜日

「今…テイル」の作例に幸があり

2015年2月2日月曜日

甘え猫膝より降りて冬終わる

2015年1月27日火曜日

「Agora Sofia日本語辞典」の見出し項目数が19万に達した。

2015年1月8日木曜日

巻雲のただ紫に朝焼くる

2015年1月7日水曜日

寒の入り街の歌姫に足を止む

2015年1月3日土曜日

雪道にバッハの高く晴上がる

2015年1月2日金曜日

厳寒もまためでたしと初寝覚め

2015年1月1日木曜日

年立てり雪道に伸ぶ影法師

2014年12月28日日曜日

雪嶺を朝焼けの血に染めにける

2014年12月26日金曜日

猫聖夜骨とおもちゃのプレゼント

2014年12月25日木曜日

幸ひは朝に紛ふる夕目覚め

2014年12月23日火曜日

焼き海苔は大好物よソフィア猫

2014年12月19日金曜日

生きませうあなたの分も残り鷺

2014年12月14日日曜日

義士の日や希臘蜜柑を喰らひつつ

2014年12月9日火曜日

空裂きて枯木の一つ時を待つ

2014年12月6日土曜日

今日もまた猫と分け合ふ冬日向

2014年12月4日木曜日

バルカンに咲いてもみせう冬桜

2014年12月3日水曜日

時雨忌やリヒテルのショパンで仕事する

2014年12月1日月曜日

祖国とふ言葉の未だ無縁なる

2014年11月24日月曜日

本気かい十年早いと枯蟷螂

2014年11月19日水曜日

いつ見しや飛鳥の里の木守柿

2014年11月18日火曜日

いとあをし踏まれつゞくる冬の草

2014年11月16日日曜日

六十路前痛みも善しと球を追う

2014年11月15日土曜日

試合の日猫踏んじゃった蒲団干す

2014年11月14日金曜日

冬はじめ歓びも哀しみもパヴァロッティ
街灯に夜雨もやさし小六月

2014年11月10日月曜日

欄干に落葉ひとつ跨線橋

2014年11月9日日曜日

望月を流るる雲間見てありく

2014年11月8日土曜日

かんと言ふごと立冬に月冴ゆる

2014年11月6日木曜日

吐く息の霧に紛ふて秋深し

2014年11月5日水曜日

聞き分けの悪い子猫と夜寒哉

2014年11月4日火曜日

はつゆきは希臘の火酒をぬくめ酒

2014年11月3日月曜日

何処より香るや古都の土瓶蒸
はらわたを男結びに冬を待つ

2014年11月1日土曜日

古狼ひとつ木の実時雨を駆抜けり

2014年10月28日火曜日

作品のようなもの3点

朝焼けにソフィアの秋の深まれる
初雪や足もと見つつ旅続く
初雪はめでたいものよブルガリア

2014年10月22日水曜日

「Agora Sofia日本語辞典」の見出し項目数が18万に到達した。

2014年8月18日月曜日

第1作『太宰治短編集』に続き、Agora Sofia日本語翻訳シリーズ第2作森鷗外作、アゴラ・ソフィア監修、ニノ・カロヤノフ訳『阿部一族』を発行した。
Втората книга от поредицата „АГОРСКИ КНИГИ” за превод на японска литература  вече излезе от печат. Това е „РОДЪТ АБЕ” под редакцията на АГОРА СОФИЯ и в превод на Нино КАЛОЯНОВ.
Родът Абе
Може да я намерите в офиса на АГОРА, както и първата книга от поредицата – „Провалът на човека и други произведения” от автора Дадзай Осаму. Броят на книгите е ограничен. Побързайте!
Цена:
„Провалът на човека и други произведения” – 15лв
„РОДЪТ АБЕ” – 5лв
При интерес и желание да закупите книга може да се свържете с нас на:
Тел. : 0884 526 419

2014年7月8日火曜日

「Agora Sofia日本語辞典」の見出し項目数が17万を超えた。

2014年4月20日日曜日

16万項目

ブログに報告しなくなって久しいが、「Agora日本語読解辞典」の項目数が16万を超えた。

2014年2月16日日曜日

2013年3月26日火曜日

自害の夢

 自害の夢を見た。記憶にある限り初めてのことだと思う。切腹後も介抱して何とか私を蘇生させようと考えている人々の存在を知る私は、腹を掻き切った後はらわたを掴み出し刀を持たぬ方の左手でそれを握り潰し回復の可能性を自ら断った。実はその夢の続きにおいて私はその後の顛末を見届けるつもりであったのだが、絶命してしまったことで夢を見続けることができなくなり、目が覚めてしまった。夢の中で死んでしまうと夢から追い出されてしまうのである。新しい発見だった。

2011年9月26日月曜日

思う存分生きて下さい

紀の国の
下寿の母より初めての
拙きメール
おもうぞんぶん
いきてください

2011年9月22日木曜日

四年

タクシーの
ヘイ、ミスターと
呼ぶ声の
止みし頃より
我もまた
いつしかバスに
居眠り始めき

2011年9月7日水曜日

オンライン辞典

オンライン辞典の見出し項目数が80,000に到達。これで目標の4%。

旅人

市電停
話しかけ来し旅人の
ことばはどこか我に似たりき

2011年8月4日木曜日

ピカディリ広場

凍つる眼もて
侍独り
人を縫う

2011年6月23日木曜日

こんな夢を見た。

なだらかな起伏が続く平原。
我々は完全に包囲されている。
私の狼どもが
わが軍の脱出路を見出すべく絶望的な表情で平原を走り回る。
殿はあの林にご無事と知らせる者がいる。
私は敗軍の立て直しを図らねばならない。
殿に会うのはそれからだ。

2011年6月16日木曜日

国立劇場前広場

U'MUNACIDDE
踊りの空に
月欠くる

2011年6月10日金曜日

一句

ヴィトシャ笑ふ
日ごとに緑登り居り

2011年5月14日土曜日

のすたるじあ

はや四年《よとせ》
なほも恋しき
酔芙蓉

2011年4月14日木曜日

春の雪

 春雪に紛ふてジャンキの降りかかる

2011年4月12日火曜日

Facebook。或いはヴァーチャルということ。

 まだ実際に会ったこともない人も多い、Facebook上だけの私の”Friends"。しかし、それはそれで、さわやかで気持ちのよいつきあいも多い。
 きょうは、これもまだ会ったこともないブルガリア人の思春期の女の子から、英語で、日本人の僕が、彼女の過保護な親との付き合い方についての悩みの相談を受ける。こんなことはFacebook以前には決して起こりえないことであったろう。
 そして、珍しいことではないが、きょうもまた一人、素直でまじめな若者とのさわやかな会話が僕に力を与えてくれる。

春

キツツキの巣づくりの音が日に日によりこごもる。
春も深まる。

2011年3月24日木曜日

Graffiti。落書き。

Ancient graffiti begins giving up its secrets
古今東西、庶民の味方の情報ツール。古代ギリシャにしてもローマにしても、当時の庶民のtweetingが落書きだったというよりも、Twitterが現代の落書きだと考えたほうがフェアだろう。
 私も一つ報告を。Варнаの古代ローマ帝国時代の浴場わきの商店街の店先の遺構に残る落書き。船だそうだ。

2011年3月22日火曜日

もう一つの、小さな、小さなニュース

 数日前のこと。私の住むアパートの隣人たちの代表が私のもとを訪れ、みんなからの気持ちだと一枚のカードをくれた。そこには、被災者たちへの、そして私への、とても心のこもった、とても温かいことばが溢れていた。
 このアパートにはもう2年も住んでいるのに、実は私はブルガリア語が話せないし、こういう男だから、隣人たちの誰とも、すれ違う際の挨拶以外は交わしたことがない。その代表の彼はおろか、誰一人、名前さえ知らない。それなのに、である。
 私はきのうAgoraの仲間たちと出演したБНТ(ブルガリア国営テレビ)でこのエピソードを紹介するつもりだった。局の了解も取り付けていた。しかし、NATOによるリビア空爆開始の臨時ニュースのために出演時間がカットされ、紹介する機会を失った。
 こういうニュースも当然日本には届かないだろう。しかし、こういう人々なのだ、ブルガリア人というやつは。

窓

Nadine Gordimer: Windows on the World
 文学も政治もできない私にも、そろそろ自分だけの窓を見つけねばならぬ時が近づいている。

小さな、とても小さなニュース

Плевен医科大学には何人かの日本人学生が学ぶ。そのうちの一人が今回の災害で両親を亡くした。大学は、卒業までその学生の授業料を免除することを決定した。日本にまでは届かないであろう、この小さなニュースをここに記録しておく。

2011年3月15日火曜日

日本。日本人。

この未曾有の危機に、あなたがたは、何と冷静沈着に振る舞い続けているのだろう。
NYTimesもWashington PostもBBCもGuardianもTimeも、極めて冷静にこの大災害を扱っている。それは日本が、日本人が、いかに信頼されているかの証である。
そこにいない同胞として、私はあなたがたを、心の底から誇りに思う。あなたがたがいる限り、あなたがたの国を潰せるものはなにもない。
がんばってください。私もがんばります。

Satoshi Kitamura

Satoshi Kitamura - a life in pictures
「絵」の力、漫画の伝統、そしてクール・ジャパン。幸福な結びつきがここにも一つある。

2011年3月10日木曜日

第24回日本語教育連絡会議

私はいまこの準備で大変忙しい。まだ24時間も経っていないのに、次々と発表の申し込みをいただいている。ほとんどが遠い日本からだ。ありがたい限りである。発表を申し込んでいただいても、もうその時には発表申し込みの受け付けを締め切っているかもしれない。しかし、大会・懇親会参加はまだ余裕がある。関心のある方はkyoushikai.bg@gmail.comかこのコメント欄にお申し込みを。
ーーー
第24回日本語教育連絡会議のご案内
ブルガリア日本語教師会が実行委員会を勤める日本語教育連絡会議に関する最重要事項のみ第1報として発表致します。
その他の情報に関しては、必要に応じて順次お知らせ致します。
教師会会員の皆さん、参加・発表・当日のボランティア、どのレベルでも構いませんので、奮ってご参加の程、宜しくお願い申し上げます。
―――
第24回日本語教育連絡会議のご案内

以下の要領で第24回日本語教育連絡会議を開催致します。
なお、会場の都合上,参加者は先着70名(定員に達し次第締め切り)とさせていただきます。
―――
日時:2011年8月19日(木)、20日(金)両日とも10:00-17:00(昼休み12:00-14:00)
会場:The New Conference Hall(Новата Конферентна зала)・・・Rectorat(学長棟(ソフィア大学本部))(15 Tsar Osvoboditel Blvd, Sofia 1504, Bulgaria)北ウィング2階

http://www.uni-sofia.bg/index.php/eng/the_university/administrative_structure/su_campuses/campus_2_rectorat

参加費:20ユーロ(懇親会ご参加の場合+15ユーロで計35ユーロ)
発表:20本を予定(20本に達し次第締め切り。発表の順番は申し込み順とします。特にご希望がある場合は○○日午前/午後希望と明記して下さい。)
発表時間:20分
質疑応答時間:5分

懇親会:第1日目会議後18時より大学近くのКлуб на Архитекта (Klub na Architekta), ул.Кракра 11.(サイトはありません。)にて行います。会費は15ユーロを予定しています。
参加申し込み:「連絡会議参加申し込み」の件名をつけて,以下の情報をkyoushikai.bg@gmail.comまでメールでお送りください。

ご氏名:
ご所属:
メールアドレス:
発表希望:有 無
懇親会:出 欠
発表希望の場合:題目、使用希望機材

こちらでノートパソコン、プロジェクター、スクリーン、マイク等、発表に必要な機材はご用意しますが、ヴァージョンなどの関係でご心配の方はご自分のノートパソコンをお持ちください。

〈宿泊案内〉
宿泊施設の内容の確認、部屋の予約、空港から/会場までのアクセスその他、すべて参加者の皆さんの責任でお願いします。
ご参考までに、市内の主要なホテルをいくつか挙げておきます。(通貨単位はユーロ)

・会場に近いホテル(近い順)
Radisson Blu Grand Hotel (シングル68~195、ダブル68~215)
http://www.radissonblu.com/hotel-sofia
Grand Hotel Sofia (シングル83~445、ダブル83~454)
http://www.grandhotelsofia.bg/
Arena di Serdica (シングル68~183、ダブル72~200)
www.arenadiserdica.com
Sheraton(シングル100~395、ダブル100~395)
http://www.starwoodhotels.com/luxury/property/overview/index.html?propertyID=186

・その他のホテル(☆☆☆☆☆)
Kempinski Hotel Zografski (シングル65~220、ダブル75~240)
https://secure.kempinski.com/KISA/en/choose_room.html
Hilton(シングル105~274、ダブル115~294)
http://www.hilton.com/Sofia
Holiday Inn(シングル、ダブル60.52~160)
http://www.hisofiahotel.com/
Hotel Anel (シングル270~280、ダブル290~300) 
http://www.hotelanel.com/

・その他のホテル(☆☆☆☆)
Salt Palace Hotel (シングル110~250、ダブル130~250)
http://sofiaplacehotel.com/index.php
Best Western City Hotel Sofia(シングル75~189、ダブル86~189)
http://www.sofiacityhotel.com/en/
Dedeman Hotel Princess (シングル60,04~107,04、ダブル76,23~108,23)
http://www.dedeman.com/us/hotels-resorts/home-page/dedeman-princess-sofia.html
Hotel Central Forum(シングル65~120、ダブル80~140)www.central-hotel.com
Maxi Sofia(シングル96~126,ダブル126~156)http://www.maxisofia.com/maxi_sofia/bg/home.html

James Joyce, Dubliners

A brief survey of the short story part 32: James Joyce
最も愛する短編集の一つだ。しかし私はこれを日本語訳でしか読んでいない。オリジナルを読まなければならない、と改めて教えてもらった気がする。

2011年2月25日金曜日

That explains why the world is in crisis!!!

そしてこの中にさえブルガリアは入れてもらえないこと、そのことを笑い飛ばせるのがブルガリアのユーモアなのだ。
どうだ、まいったか? :)
ーーー
That explains why the world is in crisis!!!
Official European Joke
European paradise:
You are invited to an official lunch.
You are welcomed by an Englishman.
Food is prepared by a Frenchman and
an Italian puts you in the mood and
everything is organized by a German.
European hell:
You are invited to an official lunch.
You are welcomed by a Frenchman.
Food is prepared by an Englishman,
German puts you in the mood but, don't worry,
everything is organized by an Italian.

The above joke was proposed by a Belgian as the Official European Joke, the joke that every single European pupil should learn at school. The joke would improve the relationship between the nations as well as promote our self humor and our culture.
The European Council met in order to make a decision. Should the joke be the Official European Joke or not?
The British representative announced, with a very serious face and without moving his jaw, that the joke was absolutely hilarious.
The French one protested because France was depicted in a bad way in the joke. He explained that a joke cannot be funny if it is against France.
Poland also protested because they were not depicted in the joke.
Luxembourg asked who would hold the copyright on the joke.
The Swedish representative didn't say a word, but looked at everyone with a twisted smile.
Denmark asked where the explicit sexual reference was. If it is a joke, there should be one, shouldn't there?
Holland didn't get the joke, while Portugal didn't understand what a "joke" was. Was it a new concept?
Spain explained that the joke is funny only if you know that the lunch was at 13.oo hrs, which is normally breakfast time.
Greece complained that they were not aware of that lunch, that they missed an occasion to have some free food, that they were always forgotten.
Romania then asked what a "lunch" was.
Lithuania and Latvia complained that their translations were inverted, which is unacceptable even if it happens all the time.
Slovenia told them that its own translation was completely forgotten and that they do not make a fuss.
Slovakia announced that, unless the joke was about a little duck and a plumber, there was a mistake in their translation.
The British representative said that the duck and plumber story seemed very funny too.
Hungary had not finished reading the 120 pages of its own translation yet.
Then, the Belgian representative asked if the Belgian who proposed the joke was a Dutch speaking or a French speaking Belgian. Because, in one case, he would of course support a compatriot but, in the other case, he would have to refuse it, regardless of the quality of the joke.
To close the meeting, the German representative announced that it was nice to have the debate here in Brussels but that, now, they all had to make the train to Strasbourg in order to take a decision. He asked that someone to wake up the Italian, so as not to miss the train, so they can come back to Brussels and announce the decision to the press before the end of the day.
"What decision?" asked the Irish representative.
And they all agreed it was time for some coffee.

2011年2月20日日曜日

村上龍の問い
「現在の日本では、「政府には頼らない」という姿勢は重要だと思われます。かなり曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必要とされるものは何なのでしょうか。」
に対して、山崎元が応える。

「たとえば公的年金について考えると、現行の制度が維持されたとしても、将来年金を受け取る世代は受け取る年金の使いでが現在の年金受給世代を大幅に下回る仕組みになっています。加えて、現行の仕組み以上の調整を行わなければ制度自体が維持できなくなる可能性もあり、「政府には頼らない(=頼れない!)」ということの自覚は「逃げ切り世代」未満の国民全てに必要な心構えでしょう。

文字通り「政府に頼らない」ためには、日本国からの精神的な独立や、外国に順応できる言語能力その他の順応性なども必要でしょうが、最も必要なのは、経済的に自立する能力でしょう。

それでは、政府をあてにせずにすむ経済力を持つには、何が一番大切でしょうか。理想的には、政府に全く関係なく、自分にとって十分なお金を稼げるか、十分な資産を持ってるか、という状態を作ることですが、多くの人の政府からの自立を考えると、
「稼ぎ方」よりも、「自分にとって十分」に注目することが現実的だと思います。つまり、生活の合理化に目処をつけて、状況が悪くなったときにも充実した人生を送ることができるようにすることです。「もっとも必要とされるもの」というご質問に対しては、「合理的生活の技術だ」と申し上げましょう。

我々の生活を、高度成長期以前の過去や発展途上の他国と比較すると、現在のわれわれの多くの生活は、彼らよりも豊かですが、同時により大きなコストを掛けています。端的に言って、自分の生活のコストをどれだけ下げることが出来るか、どのよう
な生活レベルと生活スタイルを自分の生活のベンチマークとするかが重要です。これができるとの確信があれば、たとえば、将来予想以上に増税されたり、年金給付が現状の計算以上に削減されるようなことがあるとしても、心配せずに済むでしょう。

生活の大きな不安要因は、「医・職・住」の三つでしょう。先ず、これらに関する態度を決めましょう。

医療については、一人一人が健康に留意することと共に日本の医療保険制度を崩壊させないことが重要です。サービスや商品の内容、コストに大きな情報の非対称性がある医療は民間の保険には馴染みません。医療に関して「アメリカのような国にしない」ことを心掛けるべきでしょう。

雇用の問題は今後も残りそうです。量的レベルの失業問題も残るでしょうし、正社員と非正規社員、高齢者と若者の不当な条件の差も簡単には解消しないでしょう。長期的に、差別を解消し、労働市場の自由度を高める改善が必要です。賃金は、国際的な競争の下で業種によっては実質的に現在よりも、もっと下がるでしょう。自分がどの分野で働くか、何が出来ると有利なのか、どのようにキャリアプラン(職業人生計画)を立てたらいいのか、個人個人が戦略意識を持つ必要があります。

住居のコストが高いことは、日本で生活することの大きな弱点の一つです。個人の置かれた環境(職業や家族や)にもよりますが、住居のコストを下げること、低コストな住居で快適に暮らすことは、重要な「技術」です。経済力から見て過大な負担の住居を購入し、金融機関にも稼がれながら、住宅ローンの奴隷となるような生活スタイルは、それ自体が損であることに加えて、変化に対する対応力も乏しい。

教育も問題ですが、教育に関しては、大人自身の教育も、子供に対する教育も、今後、徹底的にインターネットを利用する学習の技術を磨くべきでしょう。現在、ネットの世界には、世界的に見て優れた教材が増えつつあります。これらの体系的な利用
方法がまだ十分に開発されていないように思えますが、時間と共に体系的な方法が開発され。普及するでしょう。大人が地元で大学院に通ったり、資格試験の講座に通ったり、あるいは子供が塾に通ったりするよりも、ネットを使うと高品質な教育をローコストで得ることが出来るようになるでしょう。

教育、娯楽などに関して、極力インターネットを利用して質を上げつつコストを落とすこと、都会暮らしでは自動車を持たず、生命保険に(民間の医療保険にも)入らず(ある程度の金融資産を作ると不要な場合が多い)、衣料品、家電などは新興国で生産されたローコストな製品を利用し、食事はシステマティックに健康的でローコストな自炊を中心にする、といった具合に、日々の生活コストを下げる技術は、まだまだ工夫の余地がありそうです。あわせて、高価格な商品・サービスの「マーケティング」を「解毒」する知識と心構えも重要です。

私自身は、現在、大変無駄の多い生活をしています。生活を効率化する技術を知り、これを身に着けることを大いに心掛けたいと思っています。

最後に、老若・男女・内外の多様な友人を持って、精神的に「日本」に依存しないで(愛国心の有無とは一応無関係の、依存の有無の問題です)、楽しく暮らせば、「政府に頼る」気分と無縁でいられるように思いますし、自分の生活に自信を持てば、他人に対しても優しくなれるのではないでしょうか。」([JMM623M-3])

このように、極めてまっとうなことを、しかも敵を作ることを恐れずに、発言できる人が本当に少なくなった。

2011年2月7日月曜日

アゴラ・ソフィア、新天地。
バルカン通り4番地。
ここは地獄の3丁目。
行きはよいよい帰りはこわい。
怖いながらも、通りゃんせ、通りゃんせ。

2011年1月8日土曜日

冬に想う

言うまでもなく、春は待ち遠しい
特に今年のような厳しい冬には特にそう感じる
しかし、毎日少しずつ異なる千変万化の雪質の道を歩いていると気づくことがある
どうせ凍るならマイナス10度以下の厳しい寒さのほうがよい
凍結しているか否かがはっきりしない、あるいは凍結している所もいない所もあるような
氷点前後の中途半端な寒さが
私はもっとも苦手だ

2010年12月24日金曜日

生きる

ざくざくざく
なほ雪道を
歩みをり

2010年12月13日月曜日

ロンドン・フィル

ロンドンフィル史上初のソフィア公演。
ピアニストの名前は失念したが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲4番の第2楽章は涙の出るほど美しいものだった。これがヨーロッパにいるということ、ヨーロッパで暮らすということなのだと実感する幸福なひとときだった。
Vladimir Jurowskiの歯切れのよい指揮も印象に残る。

2010年12月10日金曜日

憧憬。ノスタルジア。

"I am a poor lost woof from the kennel of Fate looking for a dog to belong to."
(Saul Bellowの書簡より)
 詩的なようで、しかしユーモラスな雰囲気も併せ持つ。気に入った。

Rodope

夜明け前。
針葉樹の森。

ハスキーがぴたりと寄り添う
分け入るに従い彼は導くように先に立つ
向かう方向を変える
彼もいつの間にか私の先を歩いている

森も闇も深さを増す

無意識に小屋への方向を取る
もっと奥へと彼は鼻を鳴らす

森も闇も深さを増す

踝までめり込んだ足を止める
森を渡る風にどこかで枝が軋む
足元にうずくまる彼も何も言わない

いつしか
星々は消え
闇は消え
我々は解けた魔法を森に残す

2010年11月21日日曜日

一首

 なにといふこともなき日をありがたくおもふよはひに我も入りにき

2010年11月20日土曜日

更年期?

 ここ十日ばかり、これまで経験したことのない心身の不調があちこちに出ている。詳細を書くことは控えるが、まさにぼろぼろだ。今日などは20分と続けて目を開けていられないひどさだ。更年期障害は男性にもあるという。それかもしれない。
 さすがの僕も少々弱気になっている。

2010年11月12日金曜日

50,000

「ブルガリア語-日本語-ブルガリア語 フリーオンライン辞典」の収録項目数が5万を超えてきた。5万と言えば普通なら中辞典並みの一人前の辞典なのだが、この辞典だけはそうは行かない。項目数の増加に伴い構想もどんどん膨らみ、入門者にも使いやすくどこからひいても解説に辿り着けるような辞典に、というような思想で作るようになってきたので、最終的には恐ろしく項目数の多い辞典になるのである。日本語・ブルガリア語合わせて200万項目辺りが一つの目安になるのではないかとラフな計算をしている。

速報

 今秋の三教育大学野球対抗定期戦は大阪教育大学グラウンドで開催され、我が京都教育大学は3位入賞を果たしました。今後さらに上位を狙うためにはさらなる守備力の強化が求められると言えるでしょう。

2010年11月6日土曜日

Denis Diderot

 極論すれば『百科全書』しか残さなかった男。何ら体系的な哲学を残さなかった男。しかし、最近私はこの男のことが妙に気になって仕方がない。

2010年11月1日月曜日

テロ

Monday, November 01, 2010
New Delhi, October 31: A mob of about a hundred people arrived at my house at 11 this morning (Sunday October 31st 2010.) They broke through the gate and vandalized property. They shouted slogans against me for my views on Kashmir, and threatened to teach me a lesson.
The OB Vans of NDTV, Times Now and News 24 were already in place ostensibly to cover the event live. TV reports say that the mob consisted largely of members of the BJP’s Mahila Morcha (Women’s wing).
After they left, the police advised us to let them know if in future we saw any OB vans hanging around the neighborhood because they said that was an indication that a mob was on its way. In June this year, after a false report in the papers by Press Trust of India (PTI) two men on motorcycles tried to stone the windows of my home. They too were accompanied by TV cameramen.
What is the nature of the agreement between these sections of the media and mobs and criminals in search of spectacle? Does the media which positions itself at the ‘scene’ in advance have a guarantee that the attacks and demonstrations will be non-violent? What happens if there is criminal trespass (as there was today) or even something worse? Does the media then become accessory to the crime?
This question is important, given that some TV channels and newspapers are in the process of brazenly inciting mob anger against me.
In the race for sensationalism the line between reporting news and manufacturing news is becoming blurred. So what if a few people have to be sacrificed at the altar of TRP ratings?
The Government has indicated that it does not intend to go ahead with the charges of sedition against me and the other speakers at a recent seminar on Azadi for Kashmir. So the task of punishing me for my views seems to have been taken on by right wing storm troopers.
The Bajrang Dal and the RSS have openly announced that they are going to “fix” me with all the means at their disposal including filing cases against me all over the country. The whole country has seen what they are capable of doing, the extent to which they are capable of going.
So, while the Government is showing a degree of maturity, are sections of the media and the infrastructure of democracy being rented out to those who believe in mob justice?
I can understand that the BJP's Mahila Morcha is using me to distract attention from the senior RSS activist Indresh Kumar who has recently been named in the CBI charge-sheet for the bomb blast in Ajmer Sharif in which several people were killed and many injured.
But why are sections of the mainstream media doing the same?
Is a writer with unpopular views more dangerous than a suspect in a bomb blast? Or is it a question of ideological alignment?
Arundhati Roy
October 31st 2010

2010年10月28日木曜日

無題

何を求める風の中ゆく
(種田山頭火(1882-1940))

2010年10月27日水曜日

言論の自由

 Arundhati Roy faces arrest over Kashmir remark
I Pity The Nation That Needs To Jail Those Who Ask For Justice
Arundhati Roy: The debater of big things
 原理的に、私は全面的にRoyを支持する。それが他の基本的人権を侵すものでない限り、思想・信条・表現の自由は最大限擁護されなければならない。
 功利主義的にも、インドが中国と今世紀の覇権を争うつもりなら、今が彼我のの違いを見せる時である。

2010年10月20日水曜日

自然と筆

Hickory Rain
 Klinkenborgの文章を読むたびに思うのは、筆力のある者がもっとこういう環境に暮らしながら文章を紡ぐ道を選ぶか、あるいは、こういう環境に生きる者で筆力のある者がどんどん書いてくれるか、そういう事が日本語の文章の世界でももっと起こってほしい、ということだ。
 残念だがどちらの資格も持たぬ私のような者には、こういう名文を味読させてもらえる事は二重の意味で幸福なことなのである。

2010年10月16日土曜日

2010年10月13日水曜日

近代

「道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後れてはいない。腰の後部でスカートを軽く撮んで、踵の高い靴が曲るかと思うくらい烈しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍目も触らず、ひたすらにわが志す方へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉は深く鎖している。鼻は険しく聳えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往来は歩くに堪えん、戸外はいるに忍びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生涯の恥辱である、かのごとき態度である。」
 漱石の見た19世紀末のロンドン。それはまた、ブルガリアの野良犬が見る現代日本の大都市でもある。

2010年10月1日金曜日

リメイクということ

Time誌がTop 10 Hollywood Remakesなるものを発表した。
ハリウッドのリメイクなんぞにもちろん関心はないが、その中に黒澤の「七人の侍」と「用心棒」のリメイクが入っていることに気付き、少し考えた。
考えてみればこの2作品もJohn Fordのリメイクみたいなものだ。リメイクというものも定義によって様々だろうが、基本的に、真似ができるということは、その対象そのものがそれだけのものであることを証明している、と考えてよいだろう。リメイクしやすいものを誰かがリメイクし、それをまた誰かがリメイクする、という循環だ。黒澤が小津などと比べてはるかに一般受けしている理由はそこにある。
小津も戦前のハリウッド映画に大きな影響を受けた。戦後の小津にはそれが明示的には見えなくなっている。
キアロスタミの、画面を大きく斜めに横切る線のフォルム。その何気ない1カット。そういうものに出会うたびに、私はキアロスタミの小津に対する尊敬の深さを感じる。
それは、いかなる意味においても、リメイクではない。

2010年9月26日日曜日

リズム

My Missing Barber
 そう。ことはそれほど簡単ではない。
 自分のリズムで生きている、そしてそのような生き方でしか生きているという実感が持てない種類の人間がいる。そしてリズムというものは厄介なことに自分だけでは形づくることができない。人間も含めた周囲の環境との相互作用を通じてしかできあがってこない種類のものだ。その人や環境を目の前から失うと、たとえ自分では依然として自己を安定して保っていると思いこんでいても、実は微妙なところでバランスを失い、リズムがおかしくなってきていることに気付く。
 では、新しいリズムを作り出すか。しかし、KLINKENBORGは今日も名言を吐く。
Above all, you want to be able to find the shop when you go looking for it.

2010年9月9日木曜日

小澤の復活

Conductor Ozawa Makes His Way Back
 音楽が何も分かっていない記者が音楽家にインタビューすべきでない証拠として使えるほどひどい記事ではある。
 しかしこの小澤の顔はどうだ。
 鬼気迫ると言ってよいほどの素晴らしい面構えである。
 一度死んだ男には、もはや恐れるものはない。
 天下分け目の最後の合戦への準備を万端整えた男の顔がここにある。
 これからの彼の音楽が楽しみだ。

2010年9月2日木曜日

Saving the sea: Maldives cabinet meets underwater!

Saving the sea: Maldives cabinet meets underwater!
 モルジブ大統領Mohamed Nasheedのパフォーマンス。こういうのをジョークとして笑えた時代があったんだな、と後世の人々は思うのだろう。

2010年9月1日水曜日

Theodore Dalrymple

 一言でいえば彼は「甘っちょろさ」が嫌いなんだろう。そういうものへの嫌悪は私の中にもある。彼の書くものを読んでいてある種の心地よさを感じる瞬間があるのも、そのせいかもしれない。しかし、これは別の意味では危険なことである。このような態度から生まれてくる可能性のあるものはいくつかあるだろう。しかしその中でも最も危険なものはファシズムである。

2010年8月30日月曜日

バーチャルな戦争の始まり

Contemplating Death From Above
 テレビゲーム的な意味でのバーチャルな殺人は既に70年前に始まっていた。

パラドックス

“the comical absence of the comical,” which allows a fictional character to be welcomed “noisily” into the “world of humorless laughter, where we are condemned to live.
 クンデラがドストエフスキーの作品に認めるパラドックス。

Oscar Milosz

a “nostalgia that is expressed, grammatically, not by the past but by the future: the grammatical future of nostalgia” for “the heartbreaking sorrow of a promise that can never be realized.

死刑制度

Shedding light on death penalty
 法務省が死刑執行室を一部報道陣に公開した。日本人の85.6%が積極的/消極的に死刑制度を支持している事実は重いが、千葉法相の言うように、こういうことなどを契機にして議論が深まっていけばと思う。

2010年8月24日火曜日

福井で3百年前のアイヌ語集発見 禅僧が記録

福井で3百年前のアイヌ語集発見 禅僧が記録
 まだこういうことがあるのだ。素晴らしい。ぜひウェブ上にデータを公開していただきたい。

2010年8月23日月曜日

Milan Kundera

 彼はどこかで言っている。「小説家にとって、所与の歴史的状況は、「人間存在とは何か?」という基本的な問いを探究する文化人類学的な実験室である。」
 その「実験室」における研究から生み出された「現実」を叩きつけるかのようにして初めて突きつけられたのは私が20代の後半の頃だったと思う。そしてそれは私が今ブルガリアに生きている「現実」ともどこかでつながっている、と今は思う。

2010年8月21日土曜日

THE WORLD'S BEST COUNTRIES

Newsweekが発表したTHE WORLD'S BEST COUNTRIES
 我がブルガリアは38位。日本は9位。この種のランキングにはその選定基準の適否を含め必ず異論が出るものだが、今回のランキングは僕の愛する国がどちらも僕の主観的評価よりも相対的に高めに位置づけられているので、少なくとも僕は文句をつけないことにする。XD

2010年8月20日金曜日

自文化中心主義

Smile and Smile: Turkey's Feel-Good Foreign Policy
 洒落としては面白いし、読みながら私も何度か笑わせてもらったのだが、それがこと文化論や国際政治学の話に短絡的に結びついていくにつれて鼻白まざるを得なかった。
 文化間の相違は厳然としてあるし、それが滑稽な失敗や大小の悲劇を毎日生んでいることは、異文化の中に暮らす私にもよく分かる。しかし、客観的に双方の視点から平等に観るという文化人類学的な素振りを見せつつも、結局は「他者」をどうしようもなく自文化中心主義的なまなざしで見つめる、という「いつか来た道」に収斂してゆくのだとすれば、それは滑稽だし、さらにははた迷惑である。強い自戒を込めて、そう思う。

2010年8月18日水曜日

長生きするということ

 例えば300年前のイギリスの男の平均寿命は35歳だった。
 今、その2倍以上の平均寿命を誇る国はかなりある。
 ならば、もう少しましな世界にしたらどうか。長く生きていればいいというものではない。

2010年8月9日月曜日

Edward I. Koch

Koch, at 85, Wages a New Campaign
 もう四半世紀以上も前のNY市長室。私が生まれて初めて握手をした政治家だった。恐ろしく大きく、分厚い右手だった。そうか、政治家というものはこういう手をして、こういう握手の仕方をするのか、と感嘆した記憶がある。もう少し英語がうまければ秘書の一人にしてやってもいいんだがな、とからかわれた。
 いくつになってもずっと前だけを見つめて走り続けている、というのは素晴らしいことである。私もがんばろう。

2010年8月8日日曜日

2010年8月7日土曜日

どっちもどっち

Bulgarian Business vs. Japanese Business
 これはブルガリア人にも日本人にも笑えない冗談である。ゲラゲラ。