2019年3月20日水曜日

2019年3月19日火曜日

砂漠

私は砂漠へ行きたい。
街でなく、海でなく、
私は砂漠へ行きたい。

国木田独歩「初孫」

『Agora日本語読解辞典』において、国木田独歩「初孫」冒頭部分析完了。

2019年3月3日日曜日

春北風兵どもの脚重し

長浜城から小谷城本丸まで4時間歩く。
「春北風《はるならい》兵《つわもの》どもの脚重し」

2019年2月27日水曜日

2019年2月19日火曜日

2019年2月5日火曜日

2019年1月26日土曜日

琵琶の湖渡る吹雪も優しげに

初吹雪。
「琵琶の湖《うみ》渡る吹雪も優しげに」

2019年1月23日水曜日

冬空を雲疾く明く翔け居りて

快晴の強風。
「冬空を雲疾《と》く明《あか》く翔《か》け居《を》りて」

淡島寒月「江戸か東京か」

2019年1月12日土曜日

2019年1月3日木曜日

親族

全国から15名が集まってくれた。中には30年ぶりぐらいの者もいる。しかし、親族というものは、没交渉の期間や少々の過去の軋轢などまるでなかったかのように、まるで毎日顔を合わせている間柄であるかのように、再会するとたちまち睦み合えるものであることを改めて感じる。

2019年1月1日火曜日

初日の出息を切らして拝みけり

風邪も治り2週間ぶりのジョギング。
「初日の出息を切らして拝みけり」

初春は星々もまた新たにて

夜明け前。
「初春は星々もまた新たにて」

2018年12月29日土曜日

鳥声も積もれる雪に浸み入りぬ

初雪積もる。
「鳥声《てうせい》も積もれる雪に浸み入りぬ」

2018年12月28日金曜日

湖の西初雪は疾くあたたかく

湖西の初雪。
「湖《うみ》の西初雪は疾《と》くあたたかく」

2018年12月27日木曜日

冬空に堂塔凛と並び坐し

法隆寺。その清澄さは比類なし。
「冬空に堂塔凛と並び坐し」

氣田雅子「ニヒリズムの思索」

『Agora日本語読解辞典』において、氣田雅子「ニヒリズムの思索」抜粋分析完了。

2018年12月24日月曜日

挨拶の遠き過去より届きける

今はもう急速に過去の記憶となりつつある地よりクリスマスカードが届く。
「挨拶の遠き過去より届きける」

京都教育大学総合科学課程日本語・日本文化専攻

「先生」の帰国をダシにした同窓会。思いのほかたくさんの卒業生が集まってくれた。とても懐かしく楽しい会だった。卒業後もそれぞれの人生にいろいろなことがあって、しかし変わらず優しく温かい学生たちばかりだ。今はない専攻だが、日言はやはりすばらしい専攻だったのだ。

2018年12月21日金曜日

二葉亭四迷「エスペラントの話」

『Agora日本語読解辞典』内の広告について

今日から『Agora日本語読解辞典』内の各ページに広告が出るようになった。
オンライン辞典の維持費用は、作った当初はさほどでもなかったのであまり気にしていなかったが、データ量・ページ数が増えるに従ってそれに伴う諸費用が、自腹を切るにしても無視できぬ額に増えてきた。無料の辞典であり続けるためには、少しでもコストを抑えなければならない。ユーザーの方が辞典内の広告をクリックしてくださるだけでほんのわずかずつではあるがコストの軽減につながる。ユーザーのみなさんの温かいサポートをお願いする次第である。

2018年12月18日火曜日

2018年12月17日月曜日

2018年12月14日金曜日

針山孝彦「生き物たちの情報戦略—生存をかけた静かなる戦い」

冬来たる長雨を集め湖黯し

夜明け前の琵琶湖を見下ろす。
「冬来たる長雨《ながめ》を集め湖《うみ》黯《くろ》し」

藤田嗣治展

会期末ぎりぎりに行くことができた。「没後50年 藤田嗣治展」。
以前にもここに書いたが、彼の作品には多かれ少なかれ「哀しみ」がつきまとうものが多い。そのことの内実を今回は考えることができた。
感じたことを急いで書き留めるために今回は走り書きにとどめる。
女。猫。他者。無表情。静。理解不可能性。理解不能な他者への関心。自画像さえ例外ではない。彼にとっては自己も他者だ。
郷愁。日本。フランス。ルネサンス。神。手に入らぬもの・場所・時への郷愁。
上記の二つの側面はどうやら一つの絵の中には共存せぬもののように見える。それが最もよくわかるのは名作「カフェ」だ。フランスへの郷愁に満ちたこの作品の女性には珍しく「人間」がある。言い換えればこの作品の女性は「他者としての女性」ではなく、敢えて言えば藤田自身なのかもしれない。構図にしても色彩にしても、極めて工夫に富んだこの作品をゆっくりと間近に観ることができただけでもこの展覧会は大きな意味があった。
他者は理解不可能である。その他者へ関心を向けざるを得ないことの中にある哀しみ。
いくら望んでももはや二度と得られぬものがある。そこへの断ち難き郷愁の中にある哀しみ。
いずれにしても、到達不可能な対象への愛と執着。到達不可能ゆえの哀しみ。それがダ・ヴィンチにもピカソにもなれなかった藤田の中に漂う哀しみではなかったか。

2018年12月6日木曜日

仕事せり桜紅葉を傍らに

故郷にいる幸福。
「仕事せり桜紅葉を傍らに」

2018年12月5日水曜日

三島由紀夫「孔雀」

『Agora日本語読解辞典』において、三島由紀夫「孔雀」冒頭部分析完了。

曇るほど鶴翼山はのびやかに

昼のジョギング。対岸を望む。
「曇るほど鶴翼山はのびやかに」

戦友

昨夜本当に久しぶりに昔の「戦友」たちと呑んだ。同じ知り合いでも、昔ともに最前線で「戦い」生き残った仲間は格別である。たがいに異なる国に住み11年の没交渉の期間があったにもかかわらず、昔通りにたがいに遠慮会釈なく言いたいことを言い、笑い合う。みな事務方で、もう今は偉くなってしまっているが、腹を割って話し合える関係は昔と変わらない。いや、むしろ親密さを増していることに気づく。いい酒だった。また今日から頑張ろうと思う。

2018年12月4日火曜日

2018年12月2日日曜日

師走なり日の出を見んと駆け上がる

ジョギング最後の難所。
「師走なり日の出を見んと駆け上がる」

2018年11月21日水曜日

初雪と遠き地よりの便りあり

ソフィアは遠くなりにけり。
「初雪と遠き地よりの便りあり」

倉田百三「愛と認識との出発」

秋雲の中を金環の日の出かな

今朝のジョギングは格別に美しいものだった。
「秋雲の中を金環の日の出かな」

2018年11月18日日曜日

風土

人は風土に生きている。
11年間のブルガリア時代はリヒテルのショパンに魅せられていた。ブルガリアに行く前はその甘ったるさが趣味に合わなかったショパンだが、冬のソフィア、凍えるアパートでの毎日の生活の中では、リヒテルの名演により、彼らの中にあるスラブの哀愁、哀しみのようなものが日々の生活に極めて似つかわしく感じられ、その美しさにのめりこんでいたものだ。
そして日本に帰国して2週間。スラブ的なものがまったくと言っていいほど感じられないこの地では、生れてはじめてシューベルトの愛らしい悲しみが心に響くことに驚く。ブルガリアを経験する前の日本時代にもブルガリア時代にもやはりその甘さが好みではなかったシューベルトなのに、日本とブルガリアを経験した今の第2の日本時代の私には、初めてシューベルトが自分の音楽の一部になった感があるのである。その背景には風土そのものだけでなく各々の風土の中に生きる/生きた私自身の存在のあり方が深くかかわっていることは言うまでもない。
もちろんこのシューベルトの場合もリヒテルの演奏でなければならない。

Schubert Klavierstuck D.946 n.2