2008年5月1日木曜日

批評の終焉?

 LATimesのPatrick Goldsteinがゲーム・映画・音楽の各領域において愛好者たちの多くがそれぞれの領域の専門家たちの「批評」をせいぜい販売会社の宣伝と同程度にしか尊重していない実態を紹介している。
The end of the critic?
 この傾向はおそらく愛好者層の平均年齢や教養度、そしてマーケットにおける商品化度などに並行するものなのだろう。この傾向は引き続いて文学(日本ではショーセツと呼ばれ始めている)や美術(これもアートと呼ばれ始めている)に及んでいく。そして最後の牙城の「学問」というやつも安閑としてはいられなくなるだろう。
 もちろん大半の「批評家」はGoldsteinの言うように読者から乖離してしまっている。それのみならず私は「専門家」たちの実力が実は自分たちが信じているほど大したものではないということが「世間」に見抜かれてしまっていることにも一因があると思う。私の知っていた「評論家」の器の矮小さや"pundits"たちの恐るべき無知などを思い出すと、世間の味方になりたい誘惑にも駆られる。
 もちろん、社会・世界・地球レヴェルの問題を考えることのできる人間を育てる、という視点から見れば、この傾向が破壊的な効果しかもたらさないだろうことは明白だ。いつか(100年後か200年後か知らないが)人類がその愚かしさに気づく日が来ることを祈りたいが、その選択も彼らの能力の範囲の話だから祈ったからといって何かが変わる種類の問題でないことも明らかだ。
 日本占領軍司令官のマッカーサーが退任演説の際に言った"Old soldiers never die,...just fade away."という言葉がある。
「老兵は消え去るのみ」と訳されて日本では一般には諦念を表す慣用句としてよく使われる。しかし彼自身が意味したことを敷衍して考えれば、諦めでも失意でもなく、誇りをもって隠遁生活を選択するという道があり得ると思う。

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