2008年12月31日水曜日

Russia's Name

St. Alexander Nevsky Ranked Russia's Most Significant Historical Figure
 2位がPyotr Stolypinで3位がJoseph Stalin。4・5位にAlexander PushkinとFyodor Dostoevskyが並ぶ他はベストテンにずらりと政治的支配者の名前が並ぶ。
 高度な教育を受けた者なら最初からバカにしてこんな投票には参加しないだろうからその点は割引して考えねばならないが、それにしても驚くべき結果である。戦後日本の民主主義教育で育った私などには想像しがたい意識である。
 最近のロシアの国粋主義化と関係があるのかもしれない。年度別の変化を知りたいものだ。

2008年12月29日月曜日

gigapedia

gigapedia.org
 勉強への熱意と経済的不如意を十分に兼ね備えていると自負する者たちに強くお勧めする。本当にすばらしいサイトだ。運営者たちに感謝したい。しかしここもいつ消えて/消されてしまうか誰にも分からない。急いだほうがいい。

きょうのLiaison

1月のフェルデンクライスメソッド

2008年12月28日日曜日

「血液型は何/何型ですか?」

Typecast - Japan's obsession with blood groups
 なぜこのやり取りが初級の日本語教科書に入っていないんだろう?知り合ってから、少し仲よくなり始めた若者たちが必ずと言っていいほど交わす会話なのに。
 日本人と付き合う(予定の)学生諸君はこの会話を覚えてくださいね。でも、血液型を聞かれてもすぐに回答を提供してはいけませんよ。それでは会話が死んでしまいます。コツはニコニコしながら「何型だと思います?」、です。XD

2008年12月27日土曜日

アイデンティティ問題

Islamic Revival Tests Bosnia’s Secular Cast
「神」と「民族」。この二つの幻想が国内外の政治的利害対立と連動して、悲劇を生む。トルコの状況が懸念される中、ボスニアでも再び同様の危機が訪れようとしているようだ。この問題は隣国だけのものではない。ここブルガリアでもそのウィルスは深く静かに増殖を続けていると私は考えている。

Jennifer Haigh

Broken Star
 佳編。

2008年12月25日木曜日

例外状態

"From this perspective, what is happening in ex-Yugoslavia and, more generally, what is happening in the processes of dissolution of traditional State organisms in Eastern Europe should be viewed not as a reemergence of the natural state of struggle of all against all-which functions as a prelude to new social contracts and new national and State localizations--but rather as the coming to light of the state of exception as the permanent structure of juridico-political de-localization and dis-location." (Homo Sacer)
 Giorgio AgambenのいうEastern Europeに1989以後の東欧諸国も含まれるとすれば、少し異なった視点からこれらの諸国を見たほうがいいのかもしれない。これはこれまでまったく思いつかなかった。
 来年は「革命」20周年である。

世論

 というよりも、その多くはその時その時の人々の感情とでも言ったほうがいいのだろう。しかし、その底により深い潮流の変化が起きていることもある。その見極めが難しい。
Ties with U.S. shaky, record-high 28% say

MANEA, Norman

A Lasting Poison
この人はルーマニア人だが、ブルガリアにもこういう普遍性を持つ、英語で書く人が増えてきてほしい。

「クリスマス・イヴ」

 キリスト教徒にとっては大事な日だが、僕には全く無関係の、たくさん勉強できる「休みの日」に過ぎない。
 いろいろな人からメールももらった。それぞれにそれぞれの人生があり、それぞれにそれぞれの12月24日がある。
 いろいろなことを考えさせてくれる日ではあった。

2008年12月24日水曜日

教えることと学ぶこと

「狩野芳涯《かのうはうがい》常に諸弟子《しよていし》に教へて曰《いはく》、「画《ぐわ》の神理、唯当《まさ》に悟得《ごとく》すべきのみ。師授によるべからず」と。一日芳涯病んで臥《ふ》す。偶《たまたま》白雨天を傾けて来り、深巷《しんかう》寂《せき》として行人《かうじん》を絶つ。師弟共に黙して雨声《うせい》を聴《き》くもの多時、忽ち一人《いちにん》あり。高歌して門外を過ぐ。芳涯|莞爾《くわんじ》として、諸弟子を顧みて曰、「会《ゑ》せりや」と。」(芥川龍之介「骨董羹」1920、より)
 芳涯の問いはほとんどの「弟子」には理解されなかったと推察する。それが分かるぐらいの者ならいつまでも誰かから「教えてもらって」などはいない。

Coathanger!

Collinder 399: The Coat Hanger
Credit & Copyright: Processing - Noel Carboni, Imaging - Greg Parker, New Forest Observatory(写真クリックで拡大)
 ハンガー。ははは。なるほどね。

きょうのLiaison

スケジュール帳

2008年12月23日火曜日

社会変革

In parts of Eastern Europe, mentally ill kept under wraps
 このようにジャーナリズムが頑張って声なき声を一つ一つ掬い上げていくことを通して社会は変わってゆく。一歩一歩地道にやっていくことが長い眼で見ると結局は早道なのだと思う。

Polly Toynbee

My Christmas message? There's probably no God
 12月23日のフロントページに彼女の記事を掲載するというのがGuardianのGuardianたる所以であろう。

日本における英語教育

高校指導要領―英語で授業…really?
 私ももう40年近く英語に触れ続けているのに「読み書きはともかく、とんと話せるようにならない。」
 英語帝国主義とか沈黙は金とかぐずぐず言っているうちに、世界は誰もが自分のアクセントを気にせず言いたいことを自由にしゃべるという段階にまで至ってしまっている。それが現実だ。100年後の日本株式会社の命運を左右する鍵の一つが英語であることは言うまでもないことだ。国家として生き残りたければ、英語で自己表現できる国になるべきだ。文部科学省は国益のために動く。「現場」に任せておいても一向に事態が改善しないという彼らのイライラもよく分かる。自分たちができないのは自分たちのせいではなく○○のせいだ、と言いたがるのも人情だ。
 結論だけ言えば、小手先でいくらコチョコチョやっても無駄である。すべての関与者が混乱して疲弊するだけだ。教員養成の段階から構造的に変えていくしかない。構造改革を今すぐ始めたとして、勝負は教員がすべて入れ替わる40年後である。

マグマとの初接触

"First Contact With Inner Earth": Drillers Strike Magma
 これは重要な一歩だ。

lila joy´s `bla bla´ area

You know you are Bulgarian when...
 これ、最高!

凍りつく静寂

Labtayt Sulci on Saturn's Enceladus
Credit: Cassini Imaging Team, SSI, JPL, ESA, NASA(写真クリックで拡大)
ずっと読んでくださっている方は気づいていらっしゃると思うが、僕はEnceladusが好きである。

きょうのLiaison

年末年始営業日のおしらせ

2008年12月22日月曜日

景気停滞

Bulgaria, Romania demand strong in Q3, outlook grim
 ここのところ経済成長を謳歌していた両国にも、何ヶ月か遅れて、深刻な事態が訪れようとしている。
 順調な航海を続けている時の操舵は素人にでもできる。問題は嵐に見舞われた時の舵取りだ。

西田幾多郎「世界新秩序の原理」(1943)

 デカルトの「神」、ハイデガーのナチズム、西田のファシズム、etc。かくまでに鋭敏な知性が、なぜかくまでに致命的な誤謬を犯すのか。
 「時代性」という言い訳が哲学にもなされるのなら、哲学と他の学問領域を区別する根拠は極めて薄弱なものとなってしまう。

大統領

Bulgaria President Lights First Hanukkah Candle at Sofia Synagogue
 Георги Седефчов Първанов。物事の本質を見抜く力を持った男だと思う。私が彼に対し「孤峰」というイメージを抱くのもその辺りに理由があるのかもしれない。
 引退後、真に孤峰となった時にでも、いつかゆっくり話を聞きたい人物である。

2008年12月21日日曜日

ヒトにとって音楽とは何か。

Why music?
 面白い記事だった。様々なことを考えた。
 ここでは一つだけ。実は日本人は実に音楽好きである、というよりも歌うことが好きである。意外に思われるかもしれないが、日本人は実によく歌う。僕のような人間でさえ1時間ぐらいならぶっ続けで歌うことも平気である。これも面白い現象だと思う。

加盟2年後のブルガリア国民のEU市民意識

Europe Economy: Bulgarians less optimistic two years after EU membership: poll
 ブルガリアに暮らして1年半、EU国だと一番感じるのが通貨Levaと€間が固定相場だという事実だということが、すべてを物語る。

日本の戦争犯罪

Japan Admits World War II Prisoners Worked at a Mine Owned by the Premier’s Family
 さてこれを契機に日本は正常な歴史意識を持った国家に生まれ変わる道を歩むことができるか。

Solstice at Newgrange

Credit: Photograph by Cyril Byrne - courtesy of The Irish Times(写真クリックで拡大)
 約5000年前に作られたアイルランドのNewgrange。至の朝日が18メートル奥まで差し込むように設計されている。

きょうのLiaison

華空 ミツ 蜜

2008年12月20日土曜日

エイドスとヒュレー

「甘い」・・・εἶδος?
「甘さ」・・・εἶδοςの程度?
「甘み」・・・ύλη?

倹約の美徳

 Frugality: an everyday companion as recession hits Japan
この記者の歴史・文化的知識はお粗末なもののようで現在の経済停滞を唯一の原因であるかのように書いているが、勿論そうではない。日本の歴史において庶民の間で奢侈が流行した期間(最近ではバブル期)はいずれも短く、基本的にあの社会では倹約を美徳とする伝統が息づいている。「お金持ち」という言葉が多かれ少なかれ軽蔑的な含意をもつ社会。この点でも日本は面白い研究対象だと思う。

ええ???

Japan supports Bulgarian community in Serbian town

2008年12月19日金曜日

Ingo Schulze

Estonia, Out in the Country
 これといってそのよさを特定することは、読み終えたばかりのいまの私にはできないのだが、もう少し他の作品も読んでみたくなる作家である。

 今日は、生きていれば父の81歳の誕生日であった。
 最近父の夢をよく見る。まさか私にもお迎えが近づいているとは思いたくはないが、夢の中では彼は、半身不随で言葉もままならぬ状態になる前の、元気な姿でよくしゃべっている。
 私には如何ともし難く父に似た部分がある。それはそれで致し方ないとして、どうしてもあのようには生きたくないと思った部分で、かつ努力によって克服できるのはないかと思えるところとがあった。若い頃の私はそこを乗り越えようと苦闘した。
 私が曲がりなりにもいま何とか生きているのは、その父の負の部分のおかけでもあると言える。

三匹の子犬

 学生諸君のメールによれば、今朝、寮の前に三匹のかわいい子犬がくっついて寝ていたようだ。:-)

歎異抄

 「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕《お》つべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」

虞美人草(1907)

 藤尾の虜にならずにすんだ若者がいるか。102年。藤尾は永遠である。

心身問題

 CHANGING LIFESTYLE CHANGES GENE EXPRESSION
 そもそもこういう説明の仕方をしなければならない、ということ自体が僕には面白い。デカルト問題はそもそもインド以西には存在しないということなのだろうか。そこは絶対神が必要とされない地域でもある。極めて興味深い問題である。

2008年12月18日木曜日

Oily Boy

Fashion Guidance for Aging Japanese Lads
 私はこの編集者たちとぴったり同世代である。すぐ前の世代よりも自由で、すぐ後の世代ほどバカではないと自負する世代である。
 しかし私はPOPEYEは手にとってみたことさえない。
"Unleash yourself. Be free. Do what you want to do."
 同感だ。しかし私は消費の誘惑には乗らない。

2008年12月17日水曜日

時空を超えて

Orion Dawn Over Mount Nemrut
Credit & Copyright: Tunç Tezel (TWAN)(写真クリックで拡大)
 僕が一番心惹かれる類の写真。悠久の時。無限の空間。

きょうのLiaison

手編みレッグウォーマー

2008年12月16日火曜日

ミス

Chinese 'classical poem' was brothel ad
 Max Planck研究所ともあろうものが、であろうが、しかしそれは彼ら自身がは恥ずかしく思えばいいだけの話だ。誰にでもそんな誤りはある。自分のミスが笑われた時にも一緒になって自己を笑うことのできる者だけに人の誤りをも笑う資格がある。

イスラエル、Richard Falk教授の入国を拒否

Israel bars critical UN human rights official
 彼の言説は国際法学者の中では「やや左」といった程度で僕から見れば穏健なものだ。言論に対しては言論で戦うべきで、イスラエルはまた失策を犯した。

Dimitur tovari gimiya-Vulkana Stoyanova

Dimitur tovari gimiya-Vulkana Stoyanova(From “Song of the crooked dance:Early traditionnal bulgarian music”)
 2年ほど前にも他の曲を紹介したが、私はこういうブルガリアの古い旋律に心惹かれる。これはユーラシア大陸を横断してはるか彼方の日本列島にまで通底する古層であるように思うのである。

きょうのLiaision

インドガラスビーズのストラップ

2008年12月15日月曜日

有罪

"Guilt refers not to transgression, that is, to the determination of the licit and the illicit, but to the pure force of the law, to the law's simple reference to something." (Giorgio Agamben, Homo Sacer)
 Agambenも他の箇所で示唆する通り法と言語は通底するところが多い。言語も規則の束という意味で法だから当然である。引用した箇所は、言語使用の過誤がなぜ単なる誤りとして捉えられずに、その言語(の主権/価値)自体への攻撃であるかのように捉えられることがあるかという問いに対する回答としても有効である。

Save the Children

Japan tops child development poll
 こういう数字の類に一喜一憂する考え方を改めるためには、Save the Childrenにしても、言葉だけではなく、途上国の子どもたちへの支援をどれだけ行っているかという指標もランキング計算に含めるなどの工夫をしてランキング上位国に強いプレッシャーをかけ続けることも必要だと思う。

「冷たい」ということ

Bulgaria and beyond
 笑ってしまった。
 私の経験ではトルコ人を冷たいと考えるブルガリア人も結構いる。日本人も、聞いていたのと違ってずいぶん冷たい人もいるんだな、と私と「出会ってしまった」ブルガリアの人たちは思っているに違いない。ブルガリアの人たちにしても、僕からすれば、温かいなあと思うことも多い反面、恐ろしく冷たいなあと感じることも多い。
 文化というものが深く関わるという意味で「冷たい」という概念はこと対人関係においてはとても面白い概念だと思うが、これまであまり考えたことはなかった。これからは少しずつ考えて行こうと思う。

Brain Drain

Only High Pay Can Bring Bulgarian Emigrants Back Home
 すべての大学の4年分の卒業者数に匹敵する数の熟練労働者が国外で働いている。。。これでは、社会の知的水準を上げようにもどだい無理というものだ。もう少しの辛抱である。

the constitutive excess of the signifier over the signified

"there is always a lack of equivalence between the two, which is resolvable for a divine intellect alone, and which results in the existence of a superabundance of the signifier over the signifieds on which it rests" (Claude Lévi-Strauss, Introduction à Mauss, p. xlix)

きょうのLiaison

クリスマスプレゼントfrom Liaison

2008年12月14日日曜日

5,000語到達

 おかげさまで、『ブルガリア語-日本語-ブルガリア語フリー・オンライン辞典』の見出し語数が5,000を超えました。
 記念すべき5001語目はтоксичен(有毒の・中毒性の)でした。XD

Penguin Cafe Orchestra

Beethovenで疲れた時の息抜き、もう一つ。
Penguin Cafe Orchestra
クラシックはちょっと、という方にもお勧めです。

2008年12月13日土曜日

誰に仕事を与えるか。

Most Likely to Succeed
 内容自体(分かる奴には既に気づいていることばかり、分からない奴には何のことかさえ分からないことばかり、という取り付く島もないようなテ-マ)よりも、今は別の点について書きたい。
 Malcolm Gladwellに関しては評価の分かれる点もあるようだが、しかしすぐれた書き手であることはこの文章からも分かる。
 すぐれた書き手・文章には大別して2種類あると思う。まず、読者の既に知っていることは全体の5%しかなく、残りの95%を読者の知らないことを教えることに費やすタイプ。研究論文がその典型。そうでない論文はそもそも論文ではない。もう一つはその逆のタイプ。Gladwellは後者である。この記事の場合は内容の95%は私はよく知っている。珍しい話でもなんでもない。しかし5%という小さな部分でうまくそれらを連関させ、最後にこちらをもう一度スタートラインに、或いはもう一つ異なった次元に放り出して、突然、終わる。読者が既に知っていると思い込んでいたことは実は全然分かってはいなかったのだ、と読者を突き放し、読者に今度は自分の力だけで問題を掘り下げてゆくよう要求し、はい終わり。
 いい文章には2種類あるが、高等教育におけるいい教師には後者のタイプしかないと思う。なぜなら前者のタイプの教師と付き合うぐらいなら、書物を読んだほうがあらゆる意味で意義があるからだ。
 Malcolm Gladwellはいい教師でもある。

García Márquez is writing new novel?!

Magical and real: García Márquez is writing new novel, says friend
 待ち遠しいねえ。

きょうのLiaison

ガザ封鎖の解除を求める署名をよびかけます
世界人権宣言

2008年12月12日金曜日

これも面白そう。。。

Unraveling a 15th-Century Whodunit

Zhang Huan

Made in China
 このような荒々しい、ある意味では下品で野蛮な表現はもう日本からは消えた。個人的にももう好感は持てなくなった。それがいいことなのかどうかは分からない。

ブルガリア人意識調査

22% of Bulgarians Feel They Belong to Europe
 どの数値も私の印象と一致する。しかしサンプル数1600は少なすぎる。これではデータとして使えない。

「日本株式会社」

Japan harnesses commuters' stamping for power
Japan learns from history: Focus on the future
 Corporate Japanという言葉ももう何十年も前から使われている言葉だが、法人「日本」とは言い得て妙である。日本というところには社会全体が企業・法人のように動いているところがある。東京駅の改札付近ではそのアイデアを知った通学生徒たちが何十人も「その場足踏み」をして発電に協力しているであろうし、これだけ非正規雇用者がクビになっているのに暴動はおろかストさえ起きないのは、どこかで法人「日本」内の配置転換(有給部署から無給部署へ!)のような感覚が解雇された当事者たちにもあるのではないかとさえ思わせる。
 1990年代の「失われた10年」でいやというほど学習した日本が現在着々と進めている先行投資状況を見ていると、今から10年後、恐らくあの国は再びJapan as No.1の称号を取り戻すと思う。
 しかし、この小さくなった地球で「一人勝ち」は物理的にも不可能になったし、またこの「法人」の中に生きる人々が果たして幸せな人生を送るか、ということになると、それはまた別問題である。

2008年12月10日水曜日

世界人権宣言

 ちょうど60年前の今日、宣言された。
 もう60年、ではない。まだ60年、である。
 人間という奴は、そんなに短い期間ではこれっぽっちも成長しないもののようである。

2008年12月9日火曜日

Andrea Bocelli

 この精神性。。。
 Nessun Dorma
 canto della terra
 con te partirò
 Andrea Bocelli & Sarah Brightman - Time To Say Goodbye
 Adeste Fideles
 Andrea Bocelli and Luciano Pavarotti Medley
 Andrea Bocelli & Judy Weiss Vivo Per Lei
 Besame Mucho
 Andrea Bocelli & Zucchero - Miserere
 Andrea Bocelli cinema paradiso
 Rapsodia
 Panis Angelicus
 Vivo por ella. Andrea Bocelli & Martha Sanchez
 Melodramma
 Sarah Brightman - Time to Say Goodbye feat. Andrea Bocelli
 Katharine McPhee and Andrea Bocelli - Somos Novios (Duet)
 ...ad infinitum...

「学生の日」

 Gotse Delchevの山小屋で一泊合宿。
 「学生の力」を見せていただいた。特にMartiを筆頭としたリーダーたちの献身ぶりに心を打たれた。役割分担などを整備してさらに組織力を高めることができるようになれば、教師たちはおろかすぐ上の先輩たちをも凌駕する粒ぞろいの人物たちに育つ可能性を秘めた者たちである。
 「子どもとは遊ばない」と冷たい態度を取り続けてきた私の見方を変えてみせた彼らに対し敬意を表する。次の機会にはぜひ私が土下座して謝罪するほどのものを見せて、国境を越えて活躍できる逸材ぞろいであることを証明してほしい。

きょうのLiaison

1208
12月のフェルデンクライス メソッド
華空 ミツ 蜜

2008年12月7日日曜日

常用漢字

常用漢字 IT時代踏まえ議論深めよ(12月7日付・読売社説)
 日本語教師のくせに、と言われるだろうが、実は僕は上のような議論はあまり本質的な議論ではないと思っている。
 近いところでは電子技術の発展、より大きな枠組みでいえば「啓蒙時代」の終焉により、「漢字が書ける/をたくさん知っている」が「教養」の重要な要素の一つであった時代は完全に息の根を止められた。この惑星の上では、そんなことよりひらがな、あるいは日常語ばかりでもいいから、さらに言えばどんな言語でもいいから、とにかく意味のあることを言え/書け、という時代になりつつあると思う。
 ・・・
 実はいま上に長々と漢字・文字・「教養」・教育・文化などに関して駄弁を弄していたのであるがすべて削除した。僕はときどき下らぬことで長々としゃべり続ける悪い癖がある。
 結論だけ書く。
 国籍を問わず日本語を使う/学ぶ人に多く認められる最大の欠点は、表層の知識にのみ囚われていて、そこからより基底的な地層へ掘り下げてゆくという永遠に終わることのない運動にまで入っていく余裕がない/ができない/が存在することさえ知らない、ことである。そこから脱却したければ「文化」と「記号」とを分けて考える思考を導入するしかない。簡単に言えば、漢字を含む「文化」はそれとして大切に護ればよろしい。しかしそれ以外の領域においてはあらゆる文字を「記号」として扱い、より本質的な諸問題に関してより深みへと掘り返して思考し感じることのできる子どもを育てるべきだ、ということである。

きょうのLiaison

トウフクロ2009Calender
はからめ 月のカレンダー

2008年12月6日土曜日

スイスでの「スキー」の思い出

 36 hours in Zermatt, Switzerland
 これを読んで思い出した。
 29年前、デンマーク留学も終わりに近づいた2月。留学中少しずつ貯めた10万円程度でひと月ヨーロッパを回った。Bernの友人のところに寄ったときのこと。「ちょうどスキーに行こうと思っていたところだ。お前の腕前はどれぐらいだ。」「そうだな。中級の下といったところかな。」「それならいい所がある。そこに行こう。」、というわけで、出かけた。
 山の名は覚えていない。標高2999メートルだったということと、生まれて初めて雪崩というものを見て空恐ろしくなったことを覚えている。
 標高差約2000メートルを一気に滑り降りる。途中で休憩しながら2、3時間かけてゆっくり下まで行くから大丈夫、と彼は言う。
 滑降開始。
 。。。
 もちろん結果は言うまでもない。日本の優しいゲレンデの「中級」はアルプスの「中級」と同義ではないということが骨身に沁みてよく分かったという結果しか残らなかった。
 しかし、アルプスでは極めて珍しいという360度雲一つない真っ青な空の現実感の乏しい美しさも、隣接するアイガー、ユングフラウなどの名だたる山々の頂上を手の届きそうな距離に感じた興奮も、これは死ぬまで忘れない。
 Jürg Born。Social Workerを目指すと言っていた彼はいまどうしているだろうか。

加藤周一逝く

 加藤周一が亡くなった。戦後日本の民主主義のオピニオン・リーダーの一人として極めて重要な人物であった。高度な理論にとどまることなく市民との対話を常に心がけていた人でもあった。今も彼の声や話しぶりは私の耳にも残っている。
 ご冥福をお祈りする。

異文化不適応

 異文化間心理学はそれもプロセスの一つだと教える。乗り越える者は乗り越える、そのための方法はこれこれだ、と。
 しかし、その渦中にある者にはそれらは所詮ことばでしかない。当事者たちが苦しんでいるのは実存のレヴェルだ。
 これは結構タフなものである。

2008年12月5日金曜日

クラスター爆弾

 東京新聞も社説で取り上げた。
集束爆弾禁止 この流れ定着させたい

坊主頭

 頭を剃った。
 京教大時代(の前半)の僕を知る人にはああ、あのツルツル頭か、と思い当たるであろう。そうです、あれです。
 なに、特に理由はない。あの頃と同じ理由である。髪が伸びたから、である。それと気分転換。
 ただ、厳冬を迎えようとしているこのソフィアで、なんでよりによって今、とみんなに言われるだろう。そうだね、寒いね。いま室内なのに帽子をかぶっています。
 しかしこれでこの冬風邪をひいたら正真正銘のバカである。くしゃみ一つしようものなら、ほらあ、せんせえ、とからかわれるに決まっている。
 緊張の冬が始まった。

2008年12月4日木曜日

LAの夜空

Credit & Copyright: Dave Jurasevich (Mt. Wilson Observatory)(写真クリックで拡大)
 大きく見える天体は上から木星・金星・月、である。
 心身ともに疲れている時にはこういう景色がどうしようもなく恋しくなる。

2008年12月3日水曜日

「クラスター爆弾禁止条約」今日オスロで調印

 毎日新聞も社説で取り上げた。
クラスター爆弾 地球で使えない兵器となれ
 対人地雷禁止条約の際にその力が認められたNGOたちの実力が今回も実を結ぼうとしている。後世の歴史は、このような胎動をきっかけに世界は400年ほど自らを呪縛していた国民国家中心思考から脱却し始めたと記述するだろう。

きょうのLiaison

スリランカのウバ紅茶

2008年12月2日火曜日

Yahoo百科事典

 新しいサービスがスタートします。Yahoo百科事典。『日本大百科全書』が全部入っています。
 いい時代になりました。学生諸君も『ブルガリア語ー日本語ーブルガリア語フリーオンライン辞典』の編集者のみなさんもどんどん活用してください。

学者たち

 科学アカデミーのブルガリア-ハンガリー文学理論国際シンポジウムにご招待いただいた。2日間にわたるものなので大きなものだと予想して気軽な気持ちで行ったら、とんでもない、僕が行った今日の午前の部では僕の他には全部で9名しかいない極めて高密度のものであった。ハンガリー側4名ブルガリア側5名の両国を代表する文学理論家たちの、極めて高レヴェルの議論が展開された。Радосвет Коларовが仕切り、そもそも学会なぞ馬鹿にして人前にさえ出てこないというАнгел Ангеловがどの発表に対しても厳しいが的確な批判を展開する、というような、「身内の研究会」と言ったほうがよさそうなものだった。
 温かく迎えていただいたとは言うものの場違いも甚だしい。発表言語も議論で使用される言語も英語だとは言えそもそも専門外の議論なのだから最初からオブザーバーとしての参加であっても一言も言えず(そもそも当てにもされていないしその資格も持たない)完全に「お客様」である。
 しかし、である。面白かった。自分でも恐ろしさのようなものを感じるほど知的な興奮を経験した。今日言及された理論や引用された学者の多くに関して全く知らないわけではない。しかしここまで高度な議論の真っ只中に座るのは恥ずかしながら私の人生でも初めてである。ヨーロッパの知的伝統の一端を垣間見る思いであった。
 本務とぶつかるので今回は半日だけしか参加できないが、人文・社会系の学会・研究会でこのレベルのものにはこれからも声をかけてくれるという。
 ヨーロッパで、それも学問が日々息づく高度な知的環境の中でまた一からゆっくり勉強したいという若き日に抱いた夢が今ようやく実現し始めていると本当に実感できた日であった。
 私の人生は、これまでも大変だったし、今も大変だし、これからはもっと大変だろう。
 しかし、残された人生の根拠をここに移動させるという選択は基本的には(つまり自分の実存だけを考慮すれば)正しかったと今は確信をもって言うことができる。