常用漢字 IT時代踏まえ議論深めよ(12月7日付・読売社説)
日本語教師のくせに、と言われるだろうが、実は僕は上のような議論はあまり本質的な議論ではないと思っている。
近いところでは電子技術の発展、より大きな枠組みでいえば「啓蒙時代」の終焉により、「漢字が書ける/をたくさん知っている」が「教養」の重要な要素の一つであった時代は完全に息の根を止められた。この惑星の上では、そんなことよりひらがな、あるいは日常語ばかりでもいいから、さらに言えばどんな言語でもいいから、とにかく意味のあることを言え/書け、という時代になりつつあると思う。
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実はいま上に長々と漢字・文字・「教養」・教育・文化などに関して駄弁を弄していたのであるがすべて削除した。僕はときどき下らぬことで長々としゃべり続ける悪い癖がある。
結論だけ書く。
国籍を問わず日本語を使う/学ぶ人に多く認められる最大の欠点は、表層の知識にのみ囚われていて、そこからより基底的な地層へ掘り下げてゆくという永遠に終わることのない運動にまで入っていく余裕がない/ができない/が存在することさえ知らない、ことである。そこから脱却したければ「文化」と「記号」とを分けて考える思考を導入するしかない。簡単に言えば、漢字を含む「文化」はそれとして大切に護ればよろしい。しかしそれ以外の領域においてはあらゆる文字を「記号」として扱い、より本質的な諸問題に関してより深みへと掘り返して思考し感じることのできる子どもを育てるべきだ、ということである。
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