「狩野芳涯《かのうはうがい》常に諸弟子《しよていし》に教へて曰《いはく》、「画《ぐわ》の神理、唯当《まさ》に悟得《ごとく》すべきのみ。師授によるべからず」と。一日芳涯病んで臥《ふ》す。偶《たまたま》白雨天を傾けて来り、深巷《しんかう》寂《せき》として行人《かうじん》を絶つ。師弟共に黙して雨声《うせい》を聴《き》くもの多時、忽ち一人《いちにん》あり。高歌して門外を過ぐ。芳涯|莞爾《くわんじ》として、諸弟子を顧みて曰、「会《ゑ》せりや」と。」(芥川龍之介「骨董羹」1920、より)
芳涯の問いはほとんどの「弟子」には理解されなかったと推察する。それが分かるぐらいの者ならいつまでも誰かから「教えてもらって」などはいない。
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