2018年8月5日日曜日

「甘い罠」若松孝二(1963)

暴力とエロス。ただただひどい映画と切り捨てる向きも多いだろう。完全版が失われてしまったため最終的な評価は保留しなければならないが、キャストの貧相さを除けば、私はこの作品の過激さを評価する。この激しさはこの時代、世界においても突出していた。高度成長真っ只中の日本の闇の部分を描いたこのデビュー作を皮切りに、若松は世界の映画史の中で独自の世界を切り開いてゆくことになる。

「甘い罠」

谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」

2018年8月4日土曜日

「郷愁」岩間鶴夫(1952)

少し筋の運びに無理を感じる。それから歌謡曲を挿入したのは失敗だと思う。はやり歌を埋め込んだ時点で映画はその時代だけの娯楽と自己限定してしまう結果となる。映画を芸術とは考えていないと宣言するならそれはそれで構わないが。
いくつかの名シーンもあっただけに、いずれにせよ凡庸な作品で終わったのは残念。

郷愁

2018年8月3日金曜日

芥川龍之介「煙草と悪魔」

A snapshot of life in Tokyo???

こういうのを手抜きというのか文化的帝国主義と呼ぶべきなのか。
東京に住む大多数は英語を話さない人々だ。その人たちにろくに話しかけもせずに”A snapshot of life in Tokyo”と銘打つ無知と傲慢。

A snapshot of life in Tokyo

「細雪」阿部豊(1950)

2時間半近くの長編だが、原作が谷崎自身も認める通りやや冗長なものだったから仕方がないだろう。
文化史的な面白さは多分にあるが、芸術としては陳腐のそしりを免れないだろう作品。

細雪

2018年8月2日木曜日

九鬼周造「『いき』の構造」序

醜いという事

この記事を読んで今も鮮明な記憶となっている或る出来事を思い出した。
25歳の時だったと思う、米国の或る大手出版社のエッセイコンテストに入賞して米国に招待された。社長に招待されNY郊外の広大な森の中にある豪壮な本社社屋に連れていかれた。社長のことは全く記憶にないが、その社屋の中の社長室に向かう廊下に超一流の絵画が多数掲げられていたことをよく覚えている。その中にゴーギャンのタヒチ時代の作品が何点かあった。それらに見入っていたら、私たちの案内を担当していた女性社員が突然私に「こんな醜い絵のどこがいいのか?」と質問してきた。私は色彩だと短く答えただけだったが、二つの意味で衝撃を受けていた。まず、ゴーギャン(もしくはそこに描かれたタヒチの女性たち)を「醜い」と一言で切り捨てる人間が、それも米国の一流出版社の社員の中に存在すること。さらに受賞者である初対面の外国人のゲストに向かってそのような素朴、或いは傲慢な疑問を微笑みながら投げかけたこと。彼女がそこまで知っていたかどうかは定かではないが確かにゴーギャン自身の人生は決して褒められたものではないしタヒチ時代の言動は「醜い」としか言いようがない。しかし、芸術としてあの作品群の色彩の美しさは否定しようがない。しかし、以来今日まであの出来事は折に触れ私を立ち止まらせ様々なことを考えるきっかけを与えてきたことは間違いない。
「美」とは何か。「醜」とは何か。この記事が論じる美術史におけるこの眼差しの系譜はあくまでも欧米(特に米国)におけるものである。東アジア、特に日本ではどうであったのだろうか。考えてみたくなった。

Ugliness Is Underrated: In Defense of Ugly Paintings

2018年8月1日水曜日

九鬼周造「『いき』の構造」

堅い本が売れている?

一見喜ばしいニュースだが、その背景にあるのは大統領からSNSまであらゆる偽物に満ち満ちた現在世界というわけで、手放しで喜ぶ話でもない。それに人間は馬鹿だから真面目な話はすぐに飽きてしまって、そのうちにまたセレブの自伝ばかり本屋に並ぶようになるよ。

How the ‘brainy’ book became a publishing phenomenon

「うなぎ」今村昌平(1997)

監督・脚本・カメラ・配役が完璧なら間違いのない作品が出来上がるという見本(ただしそのうちの一つでも欠ければ駄目になる)。何度も観た作品で今回こそとあらさがしを試みたが、やはりちょっと文句らしい文句のつけようがない。パルム・ドールにふさわしい名作。同時受賞が「桜桃の味」。この年は当たり年だったということだ。

「うなぎ」

2018年7月31日火曜日

徳富蘆花「草とり」

『Agora日本語読解辞典』において、徳富蘆花「草とり」冒頭部分析完了。

No, you probably don’t have a book in you

こんな分り切ったことを編集者が言って聞かせなければならない人たちがどうやらいるらしい。

No, you probably don’t have a book in you

2018年7月30日月曜日

武田泰淳「流人島にて」

『Agora日本語読解辞典』において、武田泰淳「流人島にて」抜粋分析完了。

有島武郎「クララの出家」

「夜の蝶」吉村公三郎(1957)

巨額の製作費をかけてまで映画にする意味があるのかと疑いたくなる一本。
高度経済成長の離陸期の日本は、ことほどさように浮かれ始めていた。

夜の蝶

2018年7月29日日曜日

「執炎」蔵原惟繕(1964)

説明臭く、主演二人の演技力も水準以下で、すばらしいカメラワークを除けば見るべきところのない作品だと言わざるを得ない。

執炎

複数の世界を持つ重要性

敢えて意識的に他言語を学ぶ事を選択するという筆者の提言(私もそれは正しいことだと思う。)がどこまで受け入れられてゆくか。そして、より重要なことは、その価値をどこまで人々に証明してゆくことができるか。すべてはそこにかかっている。

Behemoth, bully, thief: how the English language is taking over the planet

2018年7月28日土曜日

泉鏡花「照葉狂言」

『Agora日本語読解辞典』において、泉鏡花「照葉狂言」冒頭部分析完了。

Diogenes Laertius

文字数稼ぎなのか、最後の二段落に傲慢さのようなものを感じて鼻白むのは私だけだろうか。
しかし、そこに至るまでは極めて秀逸な書評である。

Lovers of Wisdom

2018年7月27日金曜日

夏目漱石「幻影の盾」

『Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石「幻影の盾」冒頭部分析完了。

「大阪の宿」五所平之助(1954)

敗戦後間もない大阪。社会にも人々の心にも未だ深い爪痕が残る混乱期。しかし、人々はそれぞれのやり方で新しい時代を切り開いてゆこうとしている。当時の映画界も含め、廃墟の中から見事に立ち直った日本のエネルギーのようなものまで感じ取ることのできる秀作。恐らく当時多くの観る人の心を勇気づけたことだろう。
乙羽信子の傑出した存在感と共に女優陣の渋い演技が作品全体を締めている。

An Inn at Osaka - 大阪の宿 - Ôsaka no yado ( Heinosuke Gosho, 1954)

2018年7月25日水曜日

孤立

「孤独」ではない。「孤立」と呼んだ方がより適切だろう。
このような ‘loneliness’の例は米国や英国だけの話ではない。日本にも実に数多く存在する。そして日常的なレベルにおけるテロが毎日のように起っている。さらに在日外国人の数が増えてくれば間違いなく彼らを標的とするテロも増加するだろう。
言うまでもなく単純な処方箋などない。しかし、やはり基本となるのは幼い頃からの教育に帰着するのだろう。
およそ人間世界に関わるもので白か黒かで決めつけられるものなど存在しないこと。人の心は数式のような美しき単純性とは全く異なるものであること。曖昧なこと、どっちつかずであること、引き裂かれていること、自己の裡に葛藤があること、が通常の状態であるだけでなく望ましい状態でさえあること。
これらのことを最もよく教えてくれるものは文学をはじめとする芸術である。
AIの世紀の幕開けによりこれまでとは比較にならぬほど疎外感に苦しむ人間が増加するだろう。そのような時代だからこそ、このような芸術の役割は大切なものになるだろう。

In extremis

谷崎潤一郎「痴人の愛」

『Agora日本語読解辞典』において、谷崎潤一郎「痴人の愛」冒頭部分析完了。

2018年7月24日火曜日

「綴方教室」山本嘉次郎(1938)

80年前の日本。その日の食べ物にもこと欠く階層があった。「綴り方」という支えがあった正子はそれを乗り越えてゆこうとしている。しかし、そのようなものを持たぬ子どもたちは一体どうやって耐えてゆけたであろうか。
もう一つ、憾むらくは、正子を支えたものがなぜ「綴り方」であったのか。「綴り方」そのものの持つ力をもっと描いてもよかったのではないか。なぜ「綴り方」でなければならなかったのか。なぜ絵画や音楽やスポーツでないのか、という事である。悲惨な状況の中で何か子どもたちを支えるものが必要だというだけなら、支えられるものでさえあればそれは何でもよいということになり「綴り方」そのものの価値を訴える力に乏しいことになるのだ。
しかし全体に映画作品としては、子役時代の高峰秀子の名演をはじめとして脇役陣もよく、よくできた作品だと言えよう。

綴方教室(1938)

Vincent van Gogh

時に芸術はその作り手の生の悲劇性の度合いと反比例するかのようにその芸術を享受する者に幸福を与える。ゴッホもその一人である。

Vincent van Gogh: The Struggling Artist

2018年7月20日金曜日

武田泰淳「風媒花」

『Agora日本語読解辞典』において、武田泰淳「風媒花」抜粋分析完了。

作者の死

30年前の個人的ノスタルジアの話は別にして、今の私にはポストモダニズムへの関心はもはやない。
しかし、絵画や音楽と異なり「ことば」そのものを扱うという宿命から、文学にはことばに関するチマチマした些末な論争が付きまといがちだ。
その宿痾から自由にならぬ限り、絵画や音楽が永遠に保つであろう価値を文学は早晩失うことになるだろう。

The Author Is Not as Dead as Claimed

2018年7月17日火曜日

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」

渇望

私の場合を考えた。
中学生の時だった。私は外国の思想・芸術(特にクラシック音楽と西洋絵画)と後にはキリスト教に関心を持ち、憧れ、好きになろうと努めた。
その年齢の私自身、周囲の大人たち、また広く日本社会に対する失望から抜け出し、未来の自分を築いてゆくためには、(当時明確に言語化できていたわけではないが)「普遍性」の世界の中に生きなければならないというようなことを感じていた。そして当時の私は漠然と「普遍」への鍵はそれらの物事であるように感じていた。
「外国の思想・芸術、特にクラシック音楽とキリスト教」というのは端的には「ヨーロッパ」ということだろう。
現在私はヨーロッパの片隅に住み、宗教は別として、45年ほど前に私が思い描いた「未来の私」にかなり近い状態にある。そして、依然としてそれ以上のレベルの価値あるものを見出していない。付け加えるとすれば、そこにヨーロッパ思想・芸術と日本思想史・日本文学・日本画などとを比較対照する視点ぐらいだろう。
確かに、それらは長い過程において私が自分で選び取ってきたものだ。そして、それは中学生当時の私の言葉で言えば「なりたい自分」というようなものを追い求めてきた歴史の結果なのだろう。
私はこのままでよいのか。私にはまだ「なりたい自分」というものはあるのか。どうやらそのような感じがしなくもない。しかし、それはまだ何ら具体的な形をとっていないのも事実である。

Desiring to desire

2018年7月14日土曜日

夏目漱石「倫敦消息」

『Agora日本語読解辞典』において、夏目漱石「倫敦消息」冒頭部分析完了。

「Shoah」Claude Lanzman(1985)

様々な議論がある。あり得る。
あなたは「ショア―」を観たか?「イスラエルのアイヒマン」を読んだか? 人はかくも簡単に「悪」に手を染めてしまう。すべてはそこから始まる。

Homage to Lanzmann

2018年7月12日木曜日

Cultural Appropriation論議の前提

私はブルガリアに住み、高度専門労働者としてEU圏のいずれにおいても自由に労働することを保証された61歳の日本人男性である。
「ブルガリア」は「ヨーロッパ」か否か。「日本」は「アジア」か否か。「日本人」は「先進国民」か「後進国民」か。「ヨーロッパ」や「アジア」は強者の側なのか弱者なのか。etc, etc.
私は多数派か少数派か。私は強者の側にいるのか弱者の側にいるのか。
そのアイデンティティのダイナミズムの中でアイデンティティポリティクスは展開する。

The Evils of Cultural Appropriation

2018年7月11日水曜日

HINOMARU

歌詞も曲も稚拙で、しょせん子どもの鼻歌だ。論ずるに値しない。右派・左派両方から賛否両論これで大騒ぎしている国はやはり平和な国である。

Radwimps - HINOMARU Subtitulada al Español

デジタル時代における人類

結局のところ、何か建設的なことを言ってるかというと、何もない。「西洋の没落」がいよいよ現実のものとなるのかもしれない、という、ありがたくもない暗い読後感が残る。
東浩紀がどこかで言っていたように思う。人類はまだインターネットを使いこなせるだけの進化段階に達していないというような意味のことを。それはこういうことを指しているのかもしれない。

Great Books in a Digital Age?

2018年7月10日火曜日

萩原朔太郎「青猫」

『Agora日本語読解辞典』において、萩原朔太郎「青猫」冒頭部分析完了。

「暴力の街」山本薩夫(1950)

社会派の山本薩夫が興行的にも成功した最初の作品としても有名。
敗戦後わずか5年。当時の日本のエネルギーが垣間見える。

「ペン偽らず 暴力の街」

2018年7月7日土曜日

「夜の女たち」溝口健二(1948)

敗戦後3年しか経っていないという混乱状況のせいか少々説教臭いのが気になるが、溝口はいつも強烈な印象を残す。カメラも素晴らしい。
Yoru no onnatachi (1948) Women of the Night

谷崎潤一郎「春琴抄」

『Agora日本語読解辞典』において、谷崎潤一郎「春琴抄」冒頭部分析完了。

終わりの始まり

史上最大の瓦解の危機を迎えているEU或いはヨーロッパ全体のムードのなせる業かと考えるのは穿ちすぎだろうか。

Habsburg culture is back in vogue

2018年7月6日金曜日

2018年7月4日水曜日

浅田次郎「地下鉄《メトロ》に乗って」

私は時々朗読を聞きながら仕事する。
しかし、この作品はながら仕事ができない。朗読者のレベルも高い。強くお勧めする。

朗読 浅田次郎「地下鉄に乗って」

絵文字の研究

明白なことは、まだ何もまともなことが明らかになっていないということだ。

ACADEMICS GATHERED TO SHARE EMOJI RESEARCH, AND IT WAS 🔥

2018年7月3日火曜日

ベスト8ならず

三度目の正直はならなかった。悔しい。世界のトップはまだ遠い。
しかし、優勝候補のベルギーをあわやというところまで追いつめた。日本は着実に強くなっている。この悔しさをバネにまた4年後に向けて準備を積み重ねればいい。
しかし、やはり悔しい。悔しくて悔しくて眠れそうにない。日本代表を讃えつつ今夜は久しぶりに酔っぱらうことにする。

『Agora日本語読解辞典』33万ページ

『Agora日本語読解辞典』が33万ページを超えた。

2018年7月2日月曜日

「発表」というものの恐ろしさ

著作を出版したことのある者でいやしくも自己の限界を知る者は誰でも知っている。
それは末代まで恥をさらすことだ。

Sharp by Michelle Dean review – what do Dorothy Parker, Hannah Arendt and Susan Sontag have in common?

ワセリン

小津が、すべてを計算し掌握し映画を撮っていたことを物語る。

小津安二郎監督 伸ばした手で何を?

2018年6月30日土曜日

2018年6月29日金曜日

芥川龍之介「きりしとほろ上人伝」

日本ベスト16に進出

報道陣も西野監督も、まるで大敗北後の会見のような雰囲気である。
しかし、これは局地戦での敗北であり、より高次の文脈では勝利なのだ。国際試合、特にワールドカップは「完全に国際法を遵守しつつ遂行する、誰も殺さない完全に合法的な戦争」である。「清く正しく美しい」高校野球の話ではない。局地戦をあえて捨てることにより、逆により高い次元での勝利を志向するというのは当然のことだ。
最後の決め手はフェアプレーポイントだった。これも重要な要素である。日本はこれでワールドカップに出場した20試合のいずれにおいても退場処分を受けていない。20試合連続レッドカードなしというのは現在ワールドカップ記録で、日本はこれを更新し続けているのだ。日本の戦い方が醜いというのは全く当たらないと言わなければならない。

【試合後の会見】西野監督 日本×ポーランド

But human excellence is compatible with neither the pursuit of happiness nor the flight from suffering.

39年前、僕のコペンハーゲンでの比較的孤独な1年の留学生活を支えてくれたのは角川文庫の「若き人々への言葉」だった。
僕の奥底にはその時に出遭ったニーチェが今も息づいている。
この記事を読んでそのことに今更のように気づいた。

Friedrich Nietzsche: The truth is terrible

2018年6月28日木曜日

境界の無化、或いはその試み

ゴッホに、またその中でも“Almond Blossom”に僕が最も心を惹かれる理由が何となく分ったような気がする。
それは境界の無化、或いはその試み、である。日本と西洋、人間と自然、外部と内部、遠景と近景。その境界の曖昧化・無化。それは世界の見え方を一変させる。
しかしそれは、果ては正気と狂気との境界の無化にもつながる、人を不安定な位置に宙吊りにする、極めて危険な状態でもある。

Van Gogh’s Japanese Idyll

2018年6月27日水曜日

性と書物

このエッセイの中で僕に馴染みのあるものは図書館と本屋だけだ。その図書館も本屋も、僕にとってはここに書かれているような場所でも毛頭なかった。
新鮮な驚きに満ちた思いで読んだ。
僕は相当に単純な男らしい。

The Bonds Between Sex and Books

2018年6月24日日曜日

優越者の芸術

ここで「悲劇的」という言葉を使うことは多数者・権力の側に立ち、傍観者としての立場を担保することになるだろう。
最終段落の筆者の慎みのある宣言が力強い。

Singing Against the Grain: Playing Beethoven in the #BlackLivesMatter era

2018年6月20日水曜日

「真の人文学」

酷な言い方に聞こえるかもしれないが、「真の人文学」とはそもそもパトロンを求めるものではないのではないか。「内在的価値」を売り物にしようとすることは本来の人文学とはかけ離れているのではないか。極論すれば、霞を食ってでも研究する、というのが本筋ではないか。現代の大学がその価値を認めないのであれば、自らそれを捨ててはどうか。

Stop Trying to Sell the Humanities

2018年6月18日月曜日

Tom Waits - Tom Traubert's Blues

何百回繰り返して聴いただろう。これが詩《うた》である。これが歌である。

Tom Waits - Tom Traubert's Blues

2018年6月17日日曜日

樋口一葉「たけくらべ」

『Agora日本語読解辞典』において、樋口一葉「たけくらべ」冒頭部分析完了。

娘よりメール来りて父の日を知る

父の日。

思考力

このような精緻な思考ができる知識人が多数生き残っている社会はいずれ立ち直るだろう。
問題はそのような社会が将来いくつ生き残っているかという事だ。

Why We Don’t Read, Revisited

2018年6月12日火曜日

死とどのように向き合うか

良い書評である。いろいろと考えさせてくれる。現代の日本人はどのように死を捉えているのだろう。

Have we forgotten how to die?

2018年6月11日月曜日

2018年6月10日日曜日

小林正樹論

非常に水準の高い議論がなされている。難を言えば、技術論に傾きすぎていて、評者に歴史知識がなさそうな点だ(例えばthe sudden tapping of one defendant’s head。叩いたのは大川周明であり叩かれた人物は東条英機である。評者は大川も東条もよく知らないようだ。)。

しかし、全体的にはよく整理された議論であり、米国における日本映画研究の水準の高さを喜びたい。

History from a High Angle

Sofia Pride

今年のSofia Prideがさっき私のアパートの下を通り過ぎた。このアパートの前はよくいろいろなデモやパレードが通るが、このパレードの活気は格別だ。今年は外国人らしいドラムグループのレヴェルがとても高く、年々質量ともに上がってきている。
数年前に初めて3階のベランダからこのパレードを見下ろしていた時、たまたまその中の一人の参加者が私に気づき手を振ったので私もちょっと手を振り返した。
そして、それが毎年繰り返されるうちに、このちょっとした交歓は徐々に大きくなってきた。どうやらVasil Levski大通りのRaifenzen Bankの隣のアパートから毎年手を振り返してくれるアジア人のお年寄りがいるという話が参加者の間で少しずつ広がっているのではないか。こんな反応をしてくれる人は他にあまりいないのかもしれない。どうもそうとしか思えない。なぜなら、今年はとうとう、まだ私のアパートの前に来るかなり前からすでにパレードの真ん中あたりの数十名が最初から私のベランダの方を見上げて手を振り旗を振り歓声を上げながら近づいてきたからだ。私がベランダに出るとボルテージは一段と上がり、周りの人も巻き込んで百名以上の人が一斉に私に向かって歓声を上げ、手や旗を振り、踊り始めた。おかげで私も今年は20秒ほど手を振り続けなければならなかった。降りて来い降りて来いと誘う人も何人かいた。
なんか毎年の行事のようになってきた。特に今年は照れ臭かった。私はこういうのは苦手だ。私にはちょっと限度を超えてる。来年のSofia Prideはもうベランダに出るのやめようかな。

2018年6月9日土曜日

ISAIAH BERLIN

In our modern age, nationalism is not resurgent; it never died.そして、人種差別もそうだとバーリンは言う。

移民として、少数者として、ノマドとして、彼は思考し続けた。

IN MEMORY OF ISAIAH BERLIN

2018年6月7日木曜日

「不毛地帯」

山崎豊子の原作は言わずと知れた名作である。

このドラマもかなり良くできている。私は17時間休みなしにぶっ通しで最後まで観た。

外国に住む日本研究者の卵たちはこの辺りから入るのも一つのやり方だ。切り口がたくさん見つかるだろう。

不毛地帯

2018年6月6日水曜日

三島由紀夫「太陽と鉄」

まずこの人は三島の他の作品を読んでいないように見える。また、この人は日本の思想史を知らない(彼の言及した「絶対矛盾的自己同一」も何のことかさっぱりわからないであろう)ばかりでなく西洋思想史でさえこの人にとっては古代ギリシャではなくSusan Sontagあたりから始まっているように見える。

この一文は書評でも何でもなく、自分の言いたいことを言うために三島を悪用したに過ぎぬように見える。

米国の現在の批評の一般的水準がこの程度のものではないことを願いたい。

ただしあくまでも主観的感想である。間違っているかもしれない。

In the Fascist Weight Room

2018年6月5日火曜日

気がつけば猫探しをり夏の宵

ゴラは今、よりよい飼い主を求めてトライアルお泊り中。

2018年6月2日土曜日

アリストテレス

現代におけるアリストテレスの意義。学生時代によく読んだ。もう一度読み直してみたい。

Why read Aristotle today?

2018年6月1日金曜日

Stephen Greenblatt

ますます健在のようだ。読んでみたい。

Uneasy Lies the Head

Tyrant: Shakespeare on Power