2008年4月29日火曜日

「マーケット」の威力

Why Vote When You Can Bet? Slate's guide to all the political markets.
 政府や「専門家」たちの公的・専門的な予測よりもいわゆる「市場」のほうが実態をより正確に反映することが多いことは、株式市場をはじめあらゆるマーケットにおいて常識に属する。それは端的に「自分の金がかかっている」からだ。
 この記事を読むと、アメリカ合州国においては有権者の投票行動予測においてもそのような状況のようだ。
 「現世的」価値を離れた
宗教等の世界は別として、「この世」における「価値」というものはどういうものなのか、私たちひとりひとりが持つ「私」にとって、その「価値」がどのような意味を持つのか。考えさせられる。

HubbleSite、衝突銀河の写真を公開

このほど18歳を迎えたハッブル宇宙望遠鏡。HubbleSiteがその誕生日を記念して公開した。59枚。いずれも興味深い写真ばかりである。

2008年4月28日月曜日

Matthew Dickman

Grief
 この人はよい詩人である。

2008年4月27日日曜日

日本の教育

 Peter Cave. A Japanese education: persistent myths, changing realities
 
こういうの(もっと批判的に問題点を抉り出してほしいという憾みはあるが)を読むと、きちんとした日本研究のできる人が着実に増えてきているという心強さを感じる。

ハワイがなぜコメディの舞台になりにくいか。

 David Denby. Overripe, Undernourished
 
確かに服を着ていないとコメディにならないんだよなあ。なぜなんだろう。

貧困脱出か文化維持か

 An ancient town in Laos grapples with modernity
 
Laosの古都Luang Prabang。あの街で迎える早朝の空気の独特の爽やかさは忘れがたい。
 UNESCO世界遺産を売り物にした観光による経済的離陸と、あの独特の雰囲気を守ることには、確かに大きな困難が伴う。
 より大きな文脈で言えば、経済的離陸と人々の幸福とのバランスの問題だ。DEFCが主要フィールドとする山岳地帯に住む少数民族の人たちにもそれは同様に当てはまる。
 エコ・ツーリズムや「伝統」の商品化を本当に慎重に慎重に試していくことぐらいしか、道はないのかもしれない。

食いものにされているのは誰か?

 殆どの奴は――勿論僕も含めて――分かり切った事しか言わない。退屈だ。
 山崎元は例外である。
搾取する資本と、搾取される資本

Liaison

Liaison がいろいろな企画でがんばっています。日本のみなさん、応援よろしくね。

2008年4月26日土曜日

「増設メモリ」の価格

 親切な同僚が、これからスーパーに行くが何か買ってこようか、とよく聞いてくれる。僕はその度に「もうちょっと性能のいいメモリがほしい。」と人差し指の先で自分の側頭部をつつく。彼女は呆れて首を振りながら(反応が特大のため息の時もある)立ち去る。
 脳に埋め込むタイプで、他の脳機能に全く悪影響を引き起こさずに短期記憶が2倍になるような、そのような夢のようなチップがあったら、皆さんなら買いたいですか。もしそうなら、いくらなら出しますか。
Gary Marcus. Total Recall

 

なぜ世間にはいい男が残っていないのか?

The Eligible-Bachelor Paradox
 経済学とゲーム理論によると、それは謎でもなんでもないことになる。
 末尾の"Game theory deals with how best to win the prize, but it works only when you can decide what's worth winning."には笑わされた。

2008年4月24日木曜日

ロンドンの「マーサージ・パーラー」

'Local men have a special liking for foreign girls - but they want it cheap'
 何を今さら、とあきれられても、この実態はやはりショッキングである。

組織と人

 山崎元が人と所属組織との関係について書いている。「人は所属組織が何割か?」
 そこでの議論は彼にしては特段ユニークなものだとは感じなかったが、いずれの組織にも所属せず「自営」とか「無所属」などと自分を定義する身分に変わった私は、そこから少し離れたことを思った。
 自分が寄る樹がたまたま大きいものであったりすると、自分までが大きいものであるかのように錯覚して大きな態度を取る者がいる。自分が陰であることに気づいていない。
 身の程知らずはいずれ身を滅ぼす。無論勝手に滅びていけばよいのだが、それにつき合わされているこっちはいい迷惑である。

2008年4月23日水曜日

芥川龍之介「三つの窓」

君看双眼色

不語似無愁

きみみよそうがんのいろ

かたらざればうれいなきににたり

2008年4月22日火曜日

「カッコに入れる」?ナニソレ。

 Eric Gibsonが現代美術の言説と「普通の人々」との間の乖離を論じている。The Lost Art of Writing About Art
 問題は現代美術にとどまらないだろう。使用言語や理解言語の乖離、という問題は単なる表層の問題ではなく、インテリ嫌い、エリート嫌い、読書離れ、学問蔑視、など現代日本にも蔓延する症候群とも通底する問題だろう。

「ミス地雷」

Miss Landmine: exploitation or bold publicity for the victims?

 ここで反対している人たちの議論にはかなりの説得力があると思う。かといって、次の開催予定地となっているカンボジアやその他のインドシナ半島諸国ではなかなか意識啓発や偏見解消が進んでいないことも一方では事実だ。

 ひとつの打開策として、「ミス」にせず、ビューティコンテストにせず、性別、年齢を問わず、地雷や不発弾で障害を負いながらもそれに負けずに強く生きている人たちを顕彰し励ます、というあり方があるだろう。

宗教及び「不協和音」

Leon Wieseltier, Ring the Bells
多文化主義はそもそも不協和音に満ちており、そこにこそ美がある。

2008年4月21日月曜日

哲学科トップ10!

Brian Leiter's Top 10 Philosophy Programs in America
 哲学科までランキングされる時代である。回答者が専門家に限られるという点と、所属・修了大学を選んではいけないという条件が特徴である。
 色々議論がある問題だが、きれいごとを言わないとすれば、自分が受験生ならやはり参考資料の一つにするだろう。

2008年4月20日日曜日

リーダー

 "The Daily Show's"のJon Stewartは現在私を笑わせてくれるごく少数の人の一人である。
 その彼が、先日「私たちが選ぼうとしているのはアメリカ合州国の大統領だよ。その人物は我々よりもとんでもなく優れた人物でないと困る。」という意味のことをいつもながらの軽妙な言い方で述べていた。もちろん、かの国(実はあそこだけではないが)に蔓延する「エリート嫌い」を批判しているのである。
 ユーモアにやわらかく包まれた彼の批判精神にはいつも感心しているのだが、先ほどの話をMeghan Daum
がきちんと展開して書いているのを見つけてうれしかった。
 
Still with stupid?

「平伏陶酔」

東京新聞社説「週のはじめに考える さらば黄門さまのとき」 
 絶対神・教祖・王・独裁者・・・。絶対視できる存在を作り出し、それを祭り上げ、その前にひれ伏したいという欲望、そしてそれをうまく利用した者が支配者の地位を維持できるという構造は、人類史を通して一貫して再生産されてきたものであると思う。
  僕は学生時代競馬場などでガードマンのアルバイトをしていたことがあるが、その時の「閲兵式」の際に感じた一種独特の感覚に我ながら驚いたことが忘れられ ない。そんなちっぽけなものでさえあんな陶酔をもたらすのだから、ファシズムに取り込まれた人々の感情はどれほどのものであったろう。
 その「平伏陶酔」願望が、日本列島に住む人々の場合には、「おかみ」という言葉に象徴される、天皇をはじめとする種々の支配者(層)への無根拠の崇拝に具現化されてきたということだろう。 
 これを克服するのは並大抵のことではない。

男だというだけで

 えらそうにする権利があると思い込んでいる(僕も含む)あなた。
 あなた、嘲笑されてますよ。Men who explain things
 Rebecca Solnit。小気味よい啖呵を切る、またその資格のある人をまた一人見つけることができた。

ふう。

 今日は「Sofia日本語研究会」「日本思想史読書会」の二つをやった。参加者のみなさん、お疲れ様でした。僕も疲れたけどとても勉強になりました。

Aimé Fernand David Césaire逝去

Liaison日記でAimé Fernand David Césaire逝去を知った。
僕にとっても一種の感慨を催すニュースだった。
 4,5年前、セゼールをよく知る人たちと交わっていた。領域や国境を越えて問題意識を持つということを初めて実質を伴って経験する機会だった。

2008年4月18日金曜日

「自国防衛」

Japan vaccinates bird flu workers
 その効果のほどは素人にはわからない。WHOは首を傾げているようだ。
 納税者を守ることは政府の義務である。しかし、このグローバリゼーションの時代にそれだけで済む話ではない。この実験が成功するようであれば、近隣諸国への援助を拡大してゆくことを通して世界に貢献してゆくことをお願いしたい。

アメリカ合州国におけるホテルの誕生

 「よそ者」が「ゲスト」に変わった時代。
Huzza for Commerce!

Frank Furedi

The truth about music
 問題は音楽にとどまらず、文学、絵画その他の芸術全般に当てはまるだろう。
 また一人、優れた学者を見出すことができた。

2008年4月17日木曜日

"One Hundred Years of Solitude"

...Melquíades talked to him about the world, tried to infuse him with his old wisdom, but he refused to translate the manuscripts. “No one must know their meaning until he has reached one hundred years of age,” he explained...
 その時が来るまで、その意味を知ってはならぬことがある。

春

 Vitoshaはまだまだしっかりと冠雪しているが、少しずつ春らしくなってきた。
 ブルガリア日本語教師会も新体制となり、「Sofia日本語勉強会」「Sofia日本語研究会」もそれぞれメンバーが増え、土曜にはまた一つ新しい「日本思想史研究会」(仮称)も発足する。
 また一つ春を迎え齢を重ねて、私自身も人生の新しい局面に入ってきたことを実感する。

2008年4月16日水曜日

"One Hundred Years of Solitude"

Colonel Aureliano Buendíaが死んだと思っていたら、奇跡的に一命をとりとめた。

意気消沈しているあなた、そして腹を立てているあなたのために。

(Click the photo to enlarge)
Sky Delights Over Sweden

Credit and Copyright: P-M Hedén (Clear Skies, TWAN)

2008年4月13日日曜日

"One Hundred Years of Solitude"

Colonel Aureliano Buendíaが死んだ。

日本(語)の価値

 日本というのは、日本語というのは、果たして学ぶ価値のある対象なのだろうか。

評価

 評価というものは難しい、厄介な、苦しいものである。
 評価されるのは被評価者だけではない。評価すること・過程・結果を通して実は評価者自身も評価されるという性格のものだということを評価者自身が忘れていることが多い。

2008年4月12日土曜日

芥川龍之介「黄粱夢」

 私はこの盧生に好感を持つ。

涙

 情緒的な涙には――タマネギの時の涙と全く異なり――マンガンが含まれる。落ち込んだ状態にある人からは高レヴェルのマンガンが検出される。よって、情緒的な涙には体内のマンガン量を減らし落ち込みを和らげる効果があるのだという説を読んだ。
 ある種の高等生物に認められる「思い切り泣いたら少し落ち着いた」という現象はこの説を裏付けるものなのかもしれない。

焼き魚

 子どもがスーパーで安売りだったと言って魚(名称不明)の冷凍を買ってきて、上手に焼き魚を作ってくれた。
 私はもともと焼き魚は好きではない。日本でもあまり食べなかった。
 ブルガリアに来て以来食べた魚はアルトコに連れて行ってもらったリラで食べたマスのフライだけである。海水魚も焼き魚も初めてだ。
 マスもうまかったが今日の魚もうまかった。身体が魚を求めていたようだ。
 米の飯と焼き魚と味噌汁の夕食。子どもは6月に大学受験準備のために帰国の予定であるが、その前に魚のうまい焼き方を教えておいてもらわななければならない。

2008年4月11日金曜日

2008年4月10日木曜日

神かイサクか

Fake divorce to get school places
 宗教指導者がいくら"Now a marriage contract in Spain has less strength than a business contract."と嘆こうとも、それは契約間の優先順位の変化を述べているに過ぎないわけだから、大して意味のあることを言っているわけではない。
 おもしろいのは、これがカトリック的価値観が強固に残っていると僕が――これも無知ゆえに――思い込んでいたスペインで広がっているという事実である。

誕生日

 本日私は誕生日をこのソフィアの地で迎えた。51歳になった。これから何年ここでこれを繰り返すことができるのだろう。
 ブルガリアの人たちは温かい。言葉に尽くせぬほど温かい。そのいつもに倍する温かさにきのうから驚きどおしである。
 鬼の目にも涙とはこのことだ。
 問題は当の鬼に一向に改心の気配が見えぬことである。

2008年4月9日水曜日

「祝福要求」

 「明日の私の誕生日に先生から祝福をいただけることを楽しみにしています。」
 これは文化なのか。個性なのか。
 いずれにしろこんな要求が受け取ってもらえるのはかわいい(特別の含意はない。教え子はみんなかわいい。念のため。)教え子からのものぐらいだろう。

中国とラオス

 両国の更なる関係緊密化と中国主導のラオスの経済的離陸の道筋はほぼ確立した。次の課題は環境汚染・経済格差・民族摩擦の三つだろう。
China moves into laid-back Laos

2008年4月8日火曜日

森鷗外「伊沢蘭軒」

「・・・これに似て非なるは、わたくしが渋江抽斎のために長文を書いたのを見て、無用の人を伝したと云ひ、これを老人が骨董を掘り出すに比した学者である。此の如き人は蘭軒伝を見ても、只山陽茶山の側面観をのみ其中に求むるであらう。わたくしは敢て成心としてこれを斥ける。わたくしの目中の抽斎や其師蘭軒は、必ずしも山陽茶山の下には居らぬのである。」
 この作品を、不明の語をきちんと調べながらしっかりと読み通した人は、鷗外ファンを除いてどれほどいるのだろう。まだお読みでない方は、一瞥されることをお勧めする。
 こんな作品を長々と書いてしまって平気でいるこの人は、本当に底知れない人である。

朝日新聞社説

クラスター爆弾―日本も廃絶の決断を

2008年4月7日月曜日

芥川龍之介「往生絵巻」

 五位の入道は龍之介である。

背の高い兵士は生き残りやすい?

 二つの世界大戦期には男児出生率が女児のそれと比べ高いという事実は専門家の間では常識だったそうだが、その原因は不明とされてきた。
 この研究では、第1時世界大戦の英国兵士を対象とした調査で生存者の平均身長が戦死者のそれより1インチ以上も高かったこと、アメリカ合州国民男性を対象とした調査で身長の高い男性の子どもは男児のほうが多いこと、ここから、戦争で生き残る低身長の兵士数の減少により、結果として大戦期に男児出生率が高まるという説を提唱する。
 戦争時になぜ高身長の兵士が生き残りやすいのかは不明だという。
(Satoshi Kanazawa,
Big and tall soldiers are more likely to survive battle: a possible explanation for the ‘returning soldier effect’ on the secondary sex ratio, Human Reproduction, Volume 22, Number 11, November 2007)

信仰と経済格差

KEISTER, Lisa A. (2008) Conservative Protestants and Wealth: How Religion Perpetuates Asset Poverty, American Journal of Sociology (March, 2008)
 アメリカ合州国民の約25%を占める保守的プロテスタント系の人々の平均所得は全国民平均の半分にも満たないという。
 彼らは教会へ進んで寄付し、高学歴を求めず、早い段階で家庭を作り、それも大家族を作り、女性は外で働くことを望まない、などの傾向が認められるという。確かにこれらは低所得と正の相関がありそうな要素である。
 論者は、信仰する宗教の違いが合州国における経済的不平等のかなりの部分を説明できるのではないかと結論付ける。
 データ上これだけの有意差が出るとかなりの説得力がある。

2008年4月6日日曜日

呼び戻すこと

She wanted to comfort her sister, for Cecilia had always loved to cuddle the baby of the family. When she was small and prone to nightmares—those terrible screams in the night—Cecilia used to go to her room and wake her. Come back, she used to whisper. It’s only a dream. Come back. (Ian McKewan, Atonement)
 呼び戻すこと。取り戻すこと。決して帰らぬものをもう一度取り戻すこと。

芥川龍之介「三つの宝」

 幼稚。しかしその痛々しさが心を打つ。

2008年4月5日土曜日

芥川龍之介「三つのなぜ」

 これも読む者に痛々しさを覚えさせるだけの作品。

Takashi MURAKAMI

・Art With Baggage in Tow
・Murakami's giant world of whimsy arrives in New York
 LAからNYへ。
 前にも言及したことだが、日本の伝統的な美意識からアニメ・マンガ、そして"KAWAII" cultureへの系譜を体現する能力のある彼のアートは間違いなく日本研究の一領域を確立するのに寄与することになるだろう。
 ニセモノの氾濫する数十年を経て、ようやくまじめに考えることのできる対象が現れた感がある。

2008年4月4日金曜日

イスラムと日本

 主としてイデオロギー的な理由から異質さが強調されることが多い両者だが、試みにWikipediaのIslamic Artの項目をご覧あれ。Behzād(1494-45)の絵画をはじめとする美術の数々に日本の伝統美術との親近性を見出すのは容易である。
 ユーラシアは連続している。

伝統との葛藤

 基本的にはブルガリアにも当てはまる話ではないかと思う。
In Poland, 'green' fields besieged

2008年4月3日木曜日

「衛生強迫神経症」

Bath and Body Works
 既に日本研究のパラダイムの中では一定量の研究が出てきているテーマだが、ここで書評されているようなアプローチを持つ研究者たちにも是非日本を研究対象に加えてもらいたい。恐らく現在世界で最も「清潔さ」に取り憑かれている――そしてそれをビジネス化している――社会の一つが日本であるだろうからだ。家の窓や車(のタイヤまで!)を毎日(!)磨き立てる事がそれほど「異常」でない社会はそうあるものではない。

2008年4月2日水曜日

国際交流基金日本語教育ネットワーク

 このほどソフィア大学が世界の18の拠点大学の一つに選定されました。
 現在の大学、日本大使館等の関係者諸氏のご努力は言うまでもなく、故人を含む先人たちの数十年の営みの歴史の賜物と考えます。
 関係者のみなさんに心からのお祝いを申し上げると共に、その喜びを分かち合うことのできる名誉を与えられたことを感謝します。

2008年4月1日火曜日

春。胎動。

 昨年から職場で無線LANが可能になっていたのだが、対応するPCを購入し、今日めでたく開通。この投稿も職場で打っている。
 日本からも次々と春の便りが届く。ブルガリアも春。Sofia大学は後期の真っ最中だが、春の到来とともに次々と新しい動きが見え始めている今日この頃である。

2008年3月30日日曜日

芥川龍之介「猿蟹合戦」

 「厭世的」という言葉にも馴染まない、何か得体の知れぬ、底知れぬ暗さを感じ取るのは私だけだろうか。

Washington, D.C.の桜

 ポトマック河畔の桜も満開のようである。
 100年近く前、日本の桜の美に魅せられた一人のアメリカ人女性ジャーナリストの努力により移植され、以来、大変な時代もあったが、日米両国民の友情の証とされてきた。今年もアメリカのニュースでもとても温かく紹介されている。
 陳腐だ何だと言われようが、桜と富士山の二つが醸し出す優しいイメージが日本をいかに救っているかということを実感する。
 あ、僕も救われてます。あんな美しい国の人なんだから、あれでも根は優しい人なんじゃないの、とか。

“Can you believe it! He hadn’t even heard of Pushkin!”

これは笑える。
It’s Not You, It’s Your Books

歴史。ほんの少し前の。

Out of East Germany via Bulgaria

サマータイム開始

先ほどサマータイムに入った。時計を1時間進めた。

ブルガリア語-日本語-ブルガリア語フリーオンライン辞典

 ドメインを取得しました。新しいURLはhttp://jiten.eu/select_modeです。まだ日本文字が文字化けする問題などが残されていますが、一歩一歩着実に発展しています。

研究会また一つ

 気鋭の研究者たちに促され、ソフィアにまた一つ研究会が生まれる。まず丸山眞男の「歴史意識における〈古層〉」を読む。
 ソフィアに日本研究の新しい波が生まれようとしていることを喜びたい。関心のある方はご連絡いただきたい。ただし使用言語は日本語である。

螺旋銀河NGC 2841

(Click the pic.to enlarge)
Credit & Copyright: Johannes Schedler (Panther Observatory)

2008年3月29日土曜日

夏目漱石『こころ』

 読了。「お嬢さん」への思慕をKが「私」に告白するあたりからの急流のようなダイナミズムは日本文学の中でも白眉だろう。
 
それにしても、今回はこれまでのどの時よりも、まるで自分自身が穿たれているような想いで読み進んでいたことに、我ながら驚いている。

Leaving Las Vegas

FIGGIS, Mike(1994)作品。
ふだん公言している好みとは異なる傾向の作品なのだが、この作品は何度見ても惹かれる。芸術的にどうこうというレヴェルの話ではない。大げさに言えば、いつも「のめりこんで」見てしまう。僕の持っている「弱さ」のどこかの部分に触れるところがあるのかもしれない。
脚本を手に入れたので読んでみる。

2008年3月28日金曜日

芥川龍之介「猿」

 これも、深奥に届きそうでありながら、最後まで焦点を絞りきれずに終わってしまうもどかしさのようなものを残す、龍之介に散見される作品の一つである。

Svetlikをはじめとする折り紙ファンの皆さんへ

Origami planes may blaze path for new spacecraft

今日の混沌。美。

(Click the pic. to enlarge)

2008年3月27日木曜日

虹

ブルガリア・ソフィアの町にかかる虹

 色々探したがこの写真が一番よかった。
 24
日月曜日。本物の虹は、同じ建物で講義中の同僚がそれを中断してこれも授業中の私に知らせに行こうかと迷ったというほど美しいものだったようだ。私も学生たちも全く気づかなかった。私たちのいた講義室から見えない方角だったのだろう。
 私の学生たちのためにも、彼は知
らせに来てくれるべきだったと思う。

混沌。美。

(Click the pic.to enlarge)
The NGC 3576 Nebula
Credit & Copyright: Ken Crawford (Rancho Del Sol Observatory), Macedon Ranges Observatory

Да не знаеш

нищо е по-добре от това да знаеш малко.(Aozora)
 そして、不幸中の幸いは、自分が何も知らないということを知っていることである。

2008年3月26日水曜日

森鷗外「伊沢蘭軒」

「・・・要するに、折衷に満足して考証に沈潜しない。学問を学問として研窮せずに、其応用に重きを置く。即ち尋常為政者の喜ぶ所となるべき学風である。
 蘭軒が豊洲の手を経て、此学統より伝へ得た所は何物であらうか。窃に思ふに只蘭軒をして能く拘儒
たることを免れしめただけが、即ち此学統のせめてもの賚ではなかつただらうか。」

 御用学者も衒学者もどちらも駄目だ。それをこういう所にさらりと書く。鷗外らしい。

(Click the pic. to enlarge)
Credit: Rainer Zmaritsch & Alexander Gross
 左に見えるM81銀河と右のM82銀河は過去十億年に渡って「重力戦争」を続けているそうだ。食うか食われるか。あと二、三十億年後にはどちらか一方しか残っていないだろうという。
 この写真を、どこかの取るに足らぬちっぽけな星の上で殺し合っているクズどもに贈る。

春

 京の都から、桜の便りが、卒業の報告が、次々と届く。
 Sofiaも春だよ。今日は霙だけどね。厳しい冬を乗り越えての春は喜びも一入だよ。

京都教育大学日本言語文化専攻卒業生諸君

 卒業おめでとう。京都は開花したそうですね。
 霙の降りしきるSofiaの空から皆さんの前途を祝します。

2008年3月25日火曜日

芥川龍之介「煙草と悪魔」

 彼はなぜこれほどまでに「悪魔」にとり憑かれているのだろうか。

「知識人」

Tom Wolfe: an intellectual is a person knowledgeable in one field who only speaks out in others.
Richard Posner: a successful academic may be able to use his success to reach the general public on matters about which he is an idiot.
 これらの一見もっともらしいポピュリズムを私は軽蔑する。
 私は決して「知識人」ではないが、かと言って「民主派」でも「庶民派」でも「プロレタリアート」でもない。

東大卒の「人生格差」 100人の転職、年収…

『AERA』2008年3月17日号
自由課題にするので、Sofia大学の学生で希望者はこの記事に関するレポートを提出してください。

2008年3月24日月曜日

「慣れる」

 ユーラシアのここから少し東北のほうから、以下のような意味のコメントをいただいた。今Bloggerのコメントシステムは少しおかしいらしく、メールでいただいたものを転載する。

1.好きなことを自由にできるようになった者は
、いつもどんな場所にも早く慣れることができる
2.
自分のしたいことがはっきりしていると、「周囲に慣れる」ことなんかを考えている暇がない

「慣れる」ということの意味を本源的に考えるためのいいヒントになる発言だと思う。今日は時間がないが、またゆっくり考えよう。他の方からもご意見をいただきたい。

ユーラシアの記憶

 一昨日のПърва пролет。
 めでたいだけでなく、紀元前の遥か昔、ゾロアスターにまで遡る由緒正しき伝統らしい。もう少し調べてみるが。

春

いつもながら東京新聞社説のこういう浪漫主義はなかなか魅力的である。
週のはじめに考える 春の風が吹いていたら

芥川龍之介「煙管」

 龍之介にしては完成度が低い。もっと緻密に書ける人である。

2008年3月23日日曜日

奇説、しかし壮大な

 傀儡子とロマ系の人々とが起源を同じくする人々だとする説があるようだ。
 しかし、残念ながら現時点では資料が少なすぎて、研究対象にならない。
大江匡房の『傀儡子記』と、あとは『今昔物語』や『十訓抄』等に残る記述ぐらいしか資料らしい資料がない。
 所詮は「お話」のレヴェルだが、しかし夢のある話ではある。

Roberto Bolaño

The Insufferable Gaucho
なぜ僕はこれほど彼に惹かれるのだろう。

内田光子

 ウィーン・フィルとの競演。
 ラトル+ベルリン・フィルとの時にも感じたことだが、現在この人ほどオケとの「協」奏で真価を発揮するピアニストはいないのではないか。
 ますます磨きのかかってきた感のある確かなタッチと叙情性から成る構築力も本当にすばらしい。
 モーツァルトの長調の持つ「哀しさ」を現在ここまで表現できる人は他にはいない。

「慣れる」こと

 hiramieさんの海外生活に慣れること―異文化適応に関する一考察その1-
を読んで考えた。それにしても彼女はよく色々な事を考えさせてくれる、いい教師である。学生たちのためにも、もっと頻繁に更新していただきたいものである。
 さて、考えてみると、僕は「ブルガリアでの生活にはもう慣れましたか?」という彼女(の場合はルーマニアだが)がよくされるという質問を、この8ヶ月で数えるほどの人からしかされたことがない。それも殆ど初対面の人か、普段深い付き合いがない人ばかりからだ。
 これにはいくつかの理由が考えられる。
 まず、僕の付き合いの範囲が狭いこと。
これはブルガリアに始まったことではないが、ここに来てから一度でも言葉を交わした人の数は100人を超えないのではないか。
 それから、どうも僕はここではそもそも「慣れる」ということを期待されていないのではないか、ということ。それがなぜなのか美しい理由が思いつかないが、僕のことよりも「子どもさんはいかがですか。もう慣れましたか。」と子どものことを聞かれるほうが多いということが一つの傍証ではある。
 最後に、二つ目とも関連するが、僕自身がここに「慣れよう」としていないのではないかということ。hiramieさんのルーマニア語の能力と比較することさえ無意味なほどの僕のブルガリア語の「能力」(とさえ呼べないレヴェル)は我ながら感動的でさえある。これは端的に意欲の欠如が原因であると言われても仕方がない。
 しかし、僕はここの社会が、街が、人が、とても好きなのである。好きなのに相手を深く理解しようとしていないのはなぜか。
 「ノマドだからでしょ。」というキエフ辺りから聞こえてきそうな、簡単かつかなり肯綮に中りそうな解答は別として、少数の心ある人々を不審がらせているであろう疑問を、実は僕も共有しているのである。

2008年3月22日土曜日

記憶

 きょう、ふと思いついてやってみた。
 パンを小さくちぎり、皿に敷いた砂糖に押し付けて食べる。
 砂糖をできるだけたくさんつけたくて力任せに押し付ける。食パンの側の接触面を舐めるズルをすると汚いと言い合って兄弟げんかになる。
 幼稚園から小学生時代にかけて、うちでは贅沢なおやつだった。
 そのような時代の記憶を共有する者がどんどん減っていき、その記憶が単独性を強めていくこと。これも老いということなのかも知れぬ。
 すぐに言い足さねばならないが、これは決して今私が弱っているという報告ではない。断じてない。

「ノスタルジア」

 最近我ながら意外に感じているのは江戸期の文芸・演劇・版画への「更新された愛着」である。他の時代や、江戸期でも他のジャンルに対しては上記のものほど惹かれない。
 この意識も分析してみると面白いかもしれない。
・Fleeting Pleasures of Life in Vibrant Woodcut Prints
・Diversions and Delights From the Floating World

Was he pretending to be jealous to conceal the fact that he was?

 「この人は、自分が嫉妬しているということを隠すために、わざわざ嫉妬しているふりをしていたのだろうか。」
 私はこういう一文にコロリと参ってしまう。
 Ian McEwan, Atonement.

Първа пролет

 今日はПърва пролетだそうである。訳すと「春の最初の日」になるのかな。それとも「春の始まり」のほうがいいのかな。
 昨日が春分だったから(それともGood Fridayだったから?)その翌日の今日が春の始まりということかな。
 いずれにしてもめでたい日である。

芥川龍之介「永久に不愉快な二重生活」

「元来芸術の内容となるものは、人としての我々の生活全容に外ならないのだから、二重生活と云ふ事は、第一義的にはある筈がないと考へます。

 が、それが第二義的な意味になると、いろいろむづかしい問題が起つて来る。生活を芸術化するとか、或は逆に芸術を生活化するとか云ふ事も、そこから起つて来るのでせう。」

生と切り離された何ものも意味あるものと認めないこと。

龍之介が死なねばならなかったのも、彼がこれほど人々に愛されているのも、その理由の一つはこれである。

2008年3月21日金曜日

芥川龍之介「影」

 読者が作家を哀れに思わねばならぬ作品は読んでいてつらい。余りにも痛々しい。

N. D.

World's best-known protest symbol turns 50.
ある人々にはその青春と不可分に結びついた表象であり、ある人々にはその存在さえ認知されていない「マーク」。50年。

「無態度の態度」

 我儘勝手な道を行けばよい。道に迷ってもよい。進退窮まったら棄てればよい。意に任せて縦に行き横に走る間に、いつか豁然と視野が開けるかも知れぬ。
 要するに行き当たりばったり。このようないい加減なやり方を
 「これを無態度の態度と謂ふ。」
 と、苦虫を噛み潰したような顔のまま、しらっと言う。
 わたしは、鷗外のこのような一般には理解してもらえぬであろう独特のユーモアを愛する。

取り戻すこと

 Ian McEwanのAtonementは全編「取り戻すこと」をめぐって展開する。

 既に壊れてしまい、二度と元には戻らぬものを取り戻すこと。
 既に過ぎ去ってしまい、二度と取り戻せぬ過去を取り戻すこと。
 既にこの世になく、二度と生き返らぬ人を取り戻すこと。

 絶対に不可能なことを可能にすること。

 そしてそれは文学にのみ可能であるとMcEwanは確信しているかのようである。

2008年3月20日木曜日

浅田次郎

 先日は少し褒めすぎたかもしれない。短編集『姫椿』を読了したが、光っていたのは「マダムの咽仏」ぐらいで、残りはすべて「いい話」「ほろっとさせる話」の次元に留まっている。文学でなく、TVドラマのレヴェルである。

「運」読了。

提案。公務が終わったのちに創設する計画のAgora Sofia(仮称)では、芥川と彼が拠った『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などとを読み比べる読書会もやりたくなってきた。もちろんお遊びでなく、まともな学者に来てもらってだよ。

雪

 この街に暮らしていると雨や雪を好きになる。
 ロマンチックな理由だけではない。空気中の埃や土煙、排気ガスなどを除去してくれるという実利的な理由もある。喉(だけ)が弱い私にはありがたい存在だ。
 特に雪は、ゆっくりと、この世の穢れのすべてを一身に引き受けながら地上に降り立ってゆく、その姿がよい。

2008年3月19日水曜日

積雪

 もう春だと思っていたが、甘かった。

「世界」

 ミトロヴィツァの流血。
 現在の原油価格さえ把握していない大統領の夜中の3時のタップダンス。
 
ラサの流血。
 「セレブ」どもの離婚慰謝料争い。
 ガザの流血。
 生臭坊主の政治的駆け引き。
 バクダッドの流血。

2008年3月17日月曜日

芥川龍之介「芋粥」

 名品。同じように憐れな小役人たちを描いたドストイェーフスキイの短編群との比較研究(それぐらいあるだろう)を読んでみたくなった。