2008年3月23日日曜日

「慣れる」こと

 hiramieさんの海外生活に慣れること―異文化適応に関する一考察その1-
を読んで考えた。それにしても彼女はよく色々な事を考えさせてくれる、いい教師である。学生たちのためにも、もっと頻繁に更新していただきたいものである。
 さて、考えてみると、僕は「ブルガリアでの生活にはもう慣れましたか?」という彼女(の場合はルーマニアだが)がよくされるという質問を、この8ヶ月で数えるほどの人からしかされたことがない。それも殆ど初対面の人か、普段深い付き合いがない人ばかりからだ。
 これにはいくつかの理由が考えられる。
 まず、僕の付き合いの範囲が狭いこと。
これはブルガリアに始まったことではないが、ここに来てから一度でも言葉を交わした人の数は100人を超えないのではないか。
 それから、どうも僕はここではそもそも「慣れる」ということを期待されていないのではないか、ということ。それがなぜなのか美しい理由が思いつかないが、僕のことよりも「子どもさんはいかがですか。もう慣れましたか。」と子どものことを聞かれるほうが多いということが一つの傍証ではある。
 最後に、二つ目とも関連するが、僕自身がここに「慣れよう」としていないのではないかということ。hiramieさんのルーマニア語の能力と比較することさえ無意味なほどの僕のブルガリア語の「能力」(とさえ呼べないレヴェル)は我ながら感動的でさえある。これは端的に意欲の欠如が原因であると言われても仕方がない。
 しかし、僕はここの社会が、街が、人が、とても好きなのである。好きなのに相手を深く理解しようとしていないのはなぜか。
 「ノマドだからでしょ。」というキエフ辺りから聞こえてきそうな、簡単かつかなり肯綮に中りそうな解答は別として、少数の心ある人々を不審がらせているであろう疑問を、実は僕も共有しているのである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いつも拙い私のブログに反応してくださり、ありがとうございます。think aloudの方法で日頃の独り言を書いています。こうした自分自身の体験を認識しておくことが、学生を理解するのに役立つのではないかと思って。駒田先輩(さんではおこがましく、先生は研修でやめましょうと言われたので。。。)のような方々と同じ任務を全うするには、経験知で足りない部分を、すべてのリソースで補わないと。。。

それにしても、どうして慣れようとしないでいられるんでしょう。本当に自分でも不思議です。期待されていないという事実にも、多面性がある気がしてなりません。