社説では珍しく東京新聞が漫画雑誌の凋落に触れている。
少年漫画誌 斬新作品の提供を望む
これだけなら、売れ行きが10年前の半分になった商品の生き残りの道をメーカーが模索しているだけの話で取り立てて論じる価値もない。珍しくも何ともない話である。
しかし昔は、確かにそうではなかった。ひょっとしたら「文学」に代わり得るものとして、或いはそれを補完する新しい表現のジャンルとして、若い世代が漫画に熱中した時代が、確かにあった。30年ほど前の子どもの頃――大学生になったばかりの頃――一時的にではあるが出入りしていた――もう時効だからいいでしょう、はしかみたいなものです――「過激派」セクトの角棒ヘルメットの先輩たちが「暴力革命」論議の合間に『カムイ外伝』などを熱心に論じ合っていた光景を思い出す。彼らだけでなく、知的な訓練を受けた若者たちの中にも漫画には豊かな可能性があるのかもしれないと考える人が現れ始めてもいた。
しかし、今から思えばそれが絶頂期であった。その後は周知の如く凋落の一途を辿り、「文化」「表現」どころか今やTVゲームとの客の奪い合いなどという次元にまで堕ちてしまっている。生産者たちと受容者たちとの共犯関係の負のスパイラルがここまで進んでしまえば、もう歴史が後戻りすることはないだろう。
老いの繰言だとは思わない。何度となく繰り返されてきた「文化」の歴史の一つである。騒ぐようなことではない。
既に消えてしまった幻影をいつまでも追い求めていても仕方がない。漫画が「商品」として生き延びてゆく道は唯一つ、ホラー・推理・ファンタジーなどのショーセツやTVゲーム、エーガなどと一体となったギョーカイを確立するということだけである。
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