「先生」が自己を形容する時に用いた「狐疑」ということばが印象に残っている。狐のような猜疑心、懐疑心、といったところだろうか。「先生」そして漱石を理解するための重要な鍵概念の一つであろう。
『こころ』は30年ほど前から何度も読み返しているが、この作品だけは読み返す度に、募る苛立ちの度合いが強くなる、私にとっては稀有な作品である。それがお前の限界だと言われようが何だろうが、私には「先生」が「遺書」の中でさえ青臭く感じられて仕方がなくなり始めている。
漱石さえ読んでいればよいのだと公言していた時代を私は持っている。鷗外はどうもつまらないと高言していた時代が確かに私にはある。
本当に私は変わり始めているようだ。
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