肩こりから来る頭痛に昨日から苦しんでいる。調子に乗ってすぐやりすぎる。こればかりはなかなか学習しない。
2008年1月31日木曜日
Karl Böhm
今夜のMezzoはベームとウィーン・フィル。練習風景やシューベルトの交響曲7番などをやっていた。
ああ、内省的な哲学者ベームだ、と本当に久しぶりに映像を観ながら懐かしく聴いた。僕の学生時代はカラヤン+ベルリン・フィルと人気を二分していた。特に日本ではカラヤンよりも愛されていたと言ってもよいのではないか。私もベームのほうが好きだった。
いま聴くと、カラヤンが古びていないのに引き換え、どうしても一時代前の音楽という印象を否めない。
時代は移り、私も変わった。
ああ、内省的な哲学者ベームだ、と本当に久しぶりに映像を観ながら懐かしく聴いた。僕の学生時代はカラヤン+ベルリン・フィルと人気を二分していた。特に日本ではカラヤンよりも愛されていたと言ってもよいのではないか。私もベームのほうが好きだった。
いま聴くと、カラヤンが古びていないのに引き換え、どうしても一時代前の音楽という印象を否めない。
時代は移り、私も変わった。
Tony Judt
The 'Problem of Evil' in Postwar Europe
相変わらず鋭い。一読されるよう強くお勧めしたい。
「記憶」の陳腐化と私物化。問題はShoahだけではないし、ヨーロッパに限定されたものでもない。
相変わらず鋭い。一読されるよう強くお勧めしたい。
「記憶」の陳腐化と私物化。問題はShoahだけではないし、ヨーロッパに限定されたものでもない。
「まとめる」?
CASA LUI HIRAMIE(お、いつの間にかLUIに変わってる。ルーマニア語、徐々に上達しているみたいね。)によれば、Hiranieさんは「まとめる」ことがお上手な方のようだ。
へ~~え。。。。。。。。
へ~~え。。。。。。。。
2008年1月30日水曜日
祝優勝
京都教育大学職員野球部年度総会資料を送ってきた奴がいる。
「よそもんにそんなもん送ったらあかんやろ!」(M前監督)
「まあ、ええんちゃいますか。たいしたこと書いてへんし。」(H新監督)
それはそうと、当該資料によれば、2007年度成績は、春の三教育大学定期戦3位(つまり最下位。これは僕も出た。生涯最高の大飛球といういい思い出と共に僕の凡ミスで流れが変わり負けてしまったという苦い記憶もある。)、秋の都チャンピオンシップ4位(つまり最下位)と精彩を欠いたが、秋の三教育大学定期戦では6年ぶりの優勝を飾ったようだ。個人成績表から推測すると、主力の高齢者組が待ちに待った大活躍を見せてくれたようである。ヴェテランたちが復活した以上、今年も期待できるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・。
時・空間的にともに遠くなってしまった世界。
何だかちょっと甘酸っぱい思いもする。
「よそもんにそんなもん送ったらあかんやろ!」(M前監督)
「まあ、ええんちゃいますか。たいしたこと書いてへんし。」(H新監督)
それはそうと、当該資料によれば、2007年度成績は、春の三教育大学定期戦3位(つまり最下位。これは僕も出た。生涯最高の大飛球といういい思い出と共に僕の凡ミスで流れが変わり負けてしまったという苦い記憶もある。)、秋の都チャンピオンシップ4位(つまり最下位)と精彩を欠いたが、秋の三教育大学定期戦では6年ぶりの優勝を飾ったようだ。個人成績表から推測すると、主力の高齢者組が待ちに待った大活躍を見せてくれたようである。ヴェテランたちが復活した以上、今年も期待できるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・。
時・空間的にともに遠くなってしまった世界。
何だかちょっと甘酸っぱい思いもする。
2008年1月29日火曜日
たわごと
Stefan Theil,"Europe ’s Philosophy of Failure"
世間はキッチュに溢れているが、これは相当のものである。
中学1年前期末試験「英語」
「本文中の論理の稚拙な点から主要なもののみ10点を挙げて論じなさい。」
世間はキッチュに溢れているが、これは相当のものである。
中学1年前期末試験「英語」
「本文中の論理の稚拙な点から主要なもののみ10点を挙げて論じなさい。」
「島国根性」
私は日本の新聞は国際問題を取り上げることが少ないという印象を持っている。その中できょうは毎日新聞が社説でイスラエル問題を取り上げた。
社説:ガザ 「強制収容所」を終わらせよう
その姿勢は評価するが、分析に新鮮な切り口があるわけでもなく具体的な提案があるわけでもない。こんな程度の話なら誰でも言える。
私は特に日本国外に住むようになってから、日本の新聞5社の社説を毎日読むようにしている。外国で教壇に立つ以上、日本に関する最低限の分析は続ける必要があるからである。しかし、その質への評価は、日本・日本語研究をする私の周囲の友人たちの評価と同様で「面白くない」の一言に尽きる。それは特に日本列島以外の問題――世界の問題の大半はそれである――に当てはまる。「島国根性」という言葉が死語になる日はいつのことだろう。
短期的にはさまざまな領域から非常勤の編集委員を入れる、長期的には若手を(外国の他のメディアに留学させるなどして)厳しく育てる、そういう提案をしたい。
社説:ガザ 「強制収容所」を終わらせよう
その姿勢は評価するが、分析に新鮮な切り口があるわけでもなく具体的な提案があるわけでもない。こんな程度の話なら誰でも言える。
私は特に日本国外に住むようになってから、日本の新聞5社の社説を毎日読むようにしている。外国で教壇に立つ以上、日本に関する最低限の分析は続ける必要があるからである。しかし、その質への評価は、日本・日本語研究をする私の周囲の友人たちの評価と同様で「面白くない」の一言に尽きる。それは特に日本列島以外の問題――世界の問題の大半はそれである――に当てはまる。「島国根性」という言葉が死語になる日はいつのことだろう。
短期的にはさまざまな領域から非常勤の編集委員を入れる、長期的には若手を(外国の他のメディアに留学させるなどして)厳しく育てる、そういう提案をしたい。
「ムスリムの女性」というフラッシュカード
"The term "Muslim women" is a flashcard that ignites furious arguments that have more to do with political positions and much less with the women themselves."
(Mona Eltahawy, "Caught in the clash of civilizations")
この記事は鋭い洞察に裏打ちされている。その切実さに心を打たれる。
(Mona Eltahawy, "Caught in the clash of civilizations")
この記事は鋭い洞察に裏打ちされている。その切実さに心を打たれる。
2008年1月28日月曜日
Paul Theroux, "Sunrise with Seamonsters"
"As a coward I can expect nothing except an even stronger insistence that I go and fight. Fight whom? A paradox emerges; the coward recognizes no enemies. Because he wants always to think that he will not be harmed (although he is plagued by the thought that he will be), there is no evil in his world. He wills evil out of his world. Evil is something that provokes feelings of cowardice in him; this feeling is unwelcome, he wants to forget it. In order to forget it he must not risk hating it. Indeed, the coward hates nothing just as he loves nothing. These emotions are a gamble for him; he merely tolerates them in others and tries to squash or escape them in himself. He will condemn no one when he is free from threat. (from "Cowardice")
僕はこの人が大好きである。
僕はこの人が大好きである。
若返り
さっき勉強しながら、何気なく左膝をグキッと内側に曲げたら、何と持病の膝痛が治った。ジョイントの問題だったわけである。3年ほど前サッカーで痛めて以来苦しんできた痛みだったから、3年ほどまた若返ったわけだ。
また若くなってしまった。どうしよう。
また若くなってしまった。どうしよう。
Cristian Mungiu "4 Months, 3 Weeks, and 2 Days."
"4 luni, 3 săptămâni şi 2 zile"。すばらしい。胸を抉られる。映画という表現手段がもつmagnitudeを感じさせてくれる。
2008年1月27日日曜日
鷗外「サフラン」
鷗外の内的世界の豊かさをよく示す名文である。長いが引用しておく。
「鉢の土は袂屑のような塵に掩われているが、その青々とした色を見れば、無情な主人も折々水位遣らずにはいられない。これは目を娯ましめようとする Egoismus であろうか。それとも私なしに外物を愛する Altruismus であろうか。人間のする事の動機は縦横に交錯して伸びるサフランの葉の如く容易には自分にも分からない。それを強いて、烟脂を舐めた蛙が膓をさらけだして洗うように洗い立てをして見たくもない。今私がこの鉢に水を掛けるように、物に手を出せば弥次馬と云う。手を引き込めておれば、独善と云う。残酷と云う。冷澹と云う。それは人の口である。人の口を顧みていると、一本の手の遣所もなくなる。
これはサフランと云う草と私との歴史である。これを読んだら、いかに私のサフランに就いて知っていることが貧弱だか分かるだろう。しかしどれ程疎遠な物にもたまたま行摩の袖が触れるように、サフランと私との間にも接触点がないことはない。物語のモラルは只それだけである。」
バチカンの物売り
これまでは、バチカンに行くと城壁外に必ずロマ系の人々のものもらい・スリ・かっぱらいを見たものだった。
2007年末。今回は違う光景に出会った。
城壁外の歩道の縁に座って本を読んでいたときのこと。
アフリカ系の若者たちが城壁に沿って木箱や段ボール箱を置き、その上に安物のかばんや時計を並べている。
ところが、こういう場面でよく見られる、前を行く観光客に一生懸命売りつけようとする姿勢がない。むしろ、品定めする観光客の肩越しに、おどおどと、何かを探しているような視線の動きをしている者が多いことを訝しく思っていた。
すると、しばらくして、けたたましいサイレンと共に一台のパトカーがどこからか突っ込んできて、急停車。サイレンを鳴らしてくるのだから、その時には既に若者たちは商品を畳んで(小型のスーツケースのようなものに商品をゴムなどで留めているから、バタンとかばんを閉めればそれで終わり)、一目散に路地路地へと逃げて行った後である。一人などは「Permesso(すみません)!」と言いながら僕を飛び越えるように走り抜けて裏の路地へと逃げ去っていた。
そして、「急襲」したはずのパトカーからは、ゆっくりと、恐ろしくゆっくりと、二人の警官が降りてくる。そして、上の写真のように若者たちが残していった「陳列棚」等を、これまたゆっくりとトランクに積み込んで、去っていく。
そして、ご想像通り、警官が去った2分後には、全く元通りの光景が復活する。いや、警官の「押収」中から、すでに物陰で若者たちは新しい「陳列棚」を抱えて、警官の去るのを待っていたのである。
そして、これまたご想像通り、10分後には同じパトカーの「急襲」が展開する。
私は1時間ほど歩道に座り込んでいたのだが、それが数度繰り返された。当然私はいろいろなことを考えることになる。もう読書どころではない。
警察が本気で摘発するつもりなら、大部隊を動員する、わざわざサイレンを鳴らしながら来ない、それに、何よりも、裏の路地で若者たちに次から次へと「陳列台」や商品を供給し続けているはずの元締めを押さえにかかるだろう。
結論はこうである。
売り上げよりも「捕まらない」事の方が遥かに重要(捕まったとなればあとは命がけで脱出した筈の故郷への強制送還しか残っていない)な若者たちと、下っ端の警官(捕まえたら仕事が増えるという事情もあれば若者たちへの「同情」のような感情もあるのではなかろうか)たちとの間には「演劇関係」のようなものが暗黙のうちに成立しているらしい。
ぼくは、何か温まったような気持ちになり、尻の泥を払いながら立ち上がる。
2007年末。今回は違う光景に出会った。
城壁外の歩道の縁に座って本を読んでいたときのこと。
アフリカ系の若者たちが城壁に沿って木箱や段ボール箱を置き、その上に安物のかばんや時計を並べている。
ところが、こういう場面でよく見られる、前を行く観光客に一生懸命売りつけようとする姿勢がない。むしろ、品定めする観光客の肩越しに、おどおどと、何かを探しているような視線の動きをしている者が多いことを訝しく思っていた。
すると、しばらくして、けたたましいサイレンと共に一台のパトカーがどこからか突っ込んできて、急停車。サイレンを鳴らしてくるのだから、その時には既に若者たちは商品を畳んで(小型のスーツケースのようなものに商品をゴムなどで留めているから、バタンとかばんを閉めればそれで終わり)、一目散に路地路地へと逃げて行った後である。一人などは「Permesso(すみません)!」と言いながら僕を飛び越えるように走り抜けて裏の路地へと逃げ去っていた。
そして、「急襲」したはずのパトカーからは、ゆっくりと、恐ろしくゆっくりと、二人の警官が降りてくる。そして、上の写真のように若者たちが残していった「陳列棚」等を、これまたゆっくりとトランクに積み込んで、去っていく。
そして、ご想像通り、警官が去った2分後には、全く元通りの光景が復活する。いや、警官の「押収」中から、すでに物陰で若者たちは新しい「陳列棚」を抱えて、警官の去るのを待っていたのである。
そして、これまたご想像通り、10分後には同じパトカーの「急襲」が展開する。
私は1時間ほど歩道に座り込んでいたのだが、それが数度繰り返された。当然私はいろいろなことを考えることになる。もう読書どころではない。
警察が本気で摘発するつもりなら、大部隊を動員する、わざわざサイレンを鳴らしながら来ない、それに、何よりも、裏の路地で若者たちに次から次へと「陳列台」や商品を供給し続けているはずの元締めを押さえにかかるだろう。
結論はこうである。
売り上げよりも「捕まらない」事の方が遥かに重要(捕まったとなればあとは命がけで脱出した筈の故郷への強制送還しか残っていない)な若者たちと、下っ端の警官(捕まえたら仕事が増えるという事情もあれば若者たちへの「同情」のような感情もあるのではなかろうか)たちとの間には「演劇関係」のようなものが暗黙のうちに成立しているらしい。
ぼくは、何か温まったような気持ちになり、尻の泥を払いながら立ち上がる。
芥川「じゅりあの・吉助」
奉行「そのものどもが宗門神となったは、いかなる謂れがあるぞ。」
吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」
ユーラシアの吹き溜まりに辿り着いた信仰の一つの姿。
吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」
ユーラシアの吹き溜まりに辿り着いた信仰の一つの姿。
2008年1月26日土曜日
For what else can any of us do?
Stef Penney, "The Tenderness of Wolves"
比較的平易な英語で書かれていて、なかなかに読ませる。僕にしては一気に読んだ部類だろう。僕の英語のレヴェルにはありがたかった。
このようなレヴェルの読書経験を積み重ねていけばもう少し日常的な英語も使えるようになるのかもしれない。しかし、一方で僕の内面は内容的にかなりの手ごたえのある作品を要求し、その種の作品はたいてい英語が難しく、すぐに放り出したくなる。
なかなかうまく行かないものだ。
比較的平易な英語で書かれていて、なかなかに読ませる。僕にしては一気に読んだ部類だろう。僕の英語のレヴェルにはありがたかった。
このようなレヴェルの読書経験を積み重ねていけばもう少し日常的な英語も使えるようになるのかもしれない。しかし、一方で僕の内面は内容的にかなりの手ごたえのある作品を要求し、その種の作品はたいてい英語が難しく、すぐに放り出したくなる。
なかなかうまく行かないものだ。
個別宗教の属性とその間の関係
キリスト教文化圏のジャーナリストたちがチベット仏教やヒンドゥーの宗教指導者の前で合掌して「祝福」を受けている映像はよく見る。
しかしその彼らがイスラム教指導者から祝福を受けている映像は見た記憶がない。どなたかそういう映像をご存知なら教えてほしい。
問題はそれだけではない。
イスラム教指導者から祝福を受ける「異教徒」、ユダヤ教指導者から祝福を受ける「異教徒」、キリスト教指導者から祝福を受ける「異教徒」、等々。そういう場面は圧倒的に少ないのではないかと思う。
なぜか。そこにも「宗教」を考える一つの鍵がある。
しかしその彼らがイスラム教指導者から祝福を受けている映像は見た記憶がない。どなたかそういう映像をご存知なら教えてほしい。
問題はそれだけではない。
イスラム教指導者から祝福を受ける「異教徒」、ユダヤ教指導者から祝福を受ける「異教徒」、キリスト教指導者から祝福を受ける「異教徒」、等々。そういう場面は圧倒的に少ないのではないかと思う。
なぜか。そこにも「宗教」を考える一つの鍵がある。
隠者鍋
以前からこのブログを読んでくださっている方はKOMATO Soupをご存知であろう。
絶品スープとして好評を得てきた同スープであったが、2,3ヶ月前、ふと、厳冬に備え栄養価も高めようと、鶏のレヴァーを入れることを思いついた。
近所の店で一番安かった1キロの冷凍ものを買った。当然カチンコチンに凍っているので、分割するのがめんどくさくて全部鍋に入れた。
その日からなぜかこのスープは誰にも食べてもらえなくなった。私を除いて。
ところが、である。きょう、これも思いついて、きょうの分を小鍋にとって、снрене(白チーズ)をひとかけら溶かし入れた。
すると、なんと、再び絶品スープとなった。まさに魔法である。
既に数ヶ月、実に様々なもの(詳細は書かないほうがよいだろう)を溶かし込み、煮込まれてきたこのスープを、本日「隠者鍋」(断じて魔女鍋ではない、念のため)と命名する。
絶品スープとして好評を得てきた同スープであったが、2,3ヶ月前、ふと、厳冬に備え栄養価も高めようと、鶏のレヴァーを入れることを思いついた。
近所の店で一番安かった1キロの冷凍ものを買った。当然カチンコチンに凍っているので、分割するのがめんどくさくて全部鍋に入れた。
その日からなぜかこのスープは誰にも食べてもらえなくなった。私を除いて。
ところが、である。きょう、これも思いついて、きょうの分を小鍋にとって、снрене(白チーズ)をひとかけら溶かし入れた。
すると、なんと、再び絶品スープとなった。まさに魔法である。
既に数ヶ月、実に様々なもの(詳細は書かないほうがよいだろう)を溶かし込み、煮込まれてきたこのスープを、本日「隠者鍋」(断じて魔女鍋ではない、念のため)と命名する。
株式会社大学
「株式会社大学 きちんと教育をしているのか」(読売新聞社説)
まともな大学人は、この動きが始まろうとしていた頃からずっと危惧・反対してきた。何をいまさら、と感じる人も多かろう。
大学というものには、このグローバリゼーションの時代に最低限の経営感覚さえ持ち合わせない時代遅れの「センセー」も要らないが、教育研究をビジネスの観点からしか考えられない「マネージャー」も要らない。それはスタッフだろうが教員だろうが同じことである。
まともな大学人は、この動きが始まろうとしていた頃からずっと危惧・反対してきた。何をいまさら、と感じる人も多かろう。
大学というものには、このグローバリゼーションの時代に最低限の経営感覚さえ持ち合わせない時代遅れの「センセー」も要らないが、教育研究をビジネスの観点からしか考えられない「マネージャー」も要らない。それはスタッフだろうが教員だろうが同じことである。
2008年1月25日金曜日
They’re quite nice really.
"We're quite nice really"
イギリスの人々の「成熟」を感じる。オリジナルの”British Social Attitudes: the 24th Report"を買おうかと思ったが、£50。やめた。
イギリスの人々の「成熟」を感じる。オリジナルの”British Social Attitudes: the 24th Report"を買おうかと思ったが、£50。やめた。
ローマの伝統
2008年1月24日木曜日
龍之介「カルメン」
この作品に出てくる「イイナ・ブルスカアヤ」はロシア・グランドオペラの花形だったというIna Burskayaのことであろう。少なくとも二度は訪日して、「カルメン」を一度は演じている。
作品中では、彼女を追いかけて東京までやってきたロシアの侯爵が、彼女が既にアメリカ人実業家の「世話」になっていることを知り、ホテルで首を縊る。
虚実の境界はどこにあるのだろう。
作品中では、彼女を追いかけて東京までやってきたロシアの侯爵が、彼女が既にアメリカ人実業家の「世話」になっていることを知り、ホテルで首を縊る。
虚実の境界はどこにあるのだろう。
2008年1月23日水曜日
Joseph E. Stiglitz
現在世界が持つ数少ない「まっとうな学者」の一人である。
"How to Stop the Downturn"
「まっとうな学者」というのは、専門知識がない素人にも、なるほど言われてみればその通りだな、と納得させ、凡百の「専門家」たちのお喋りの世界から解放し、新しい世界観を与えてくれる学者のことだ。
しかし最大の問題は、いつの時代も、どこにおいても、他ならぬ権力者たちに限って、そのまっとうな学者たちを理解する能力がほとんど備わっていないことである。
"How to Stop the Downturn"
「まっとうな学者」というのは、専門知識がない素人にも、なるほど言われてみればその通りだな、と納得させ、凡百の「専門家」たちのお喋りの世界から解放し、新しい世界観を与えてくれる学者のことだ。
しかし最大の問題は、いつの時代も、どこにおいても、他ならぬ権力者たちに限って、そのまっとうな学者たちを理解する能力がほとんど備わっていないことである。
2008年1月22日火曜日
夢
客がいる時は僕はソファで寝るのだが、その僕の横で勉強している子どもによれば、最近僕は寝ている時ニコニコ笑うことが多いそうだ。時には声を上げて笑うという。それも毎晩。
そういう楽しそうな夢に限って、覚えていない。
そういう楽しそうな夢に限って、覚えていない。
2008年1月21日月曜日
鷗外「うたかたの記」
他人の褌で相撲をとるばかりか権力に阿り金儲けに走る、大学人にあるまじき見下げはてた誰かさんに教えてもらわずとも、日本語の音の美しさは、このような良い作品を朗読してみれば誰にでもすぐ分かる。
本当に美しい作品である。
本当に美しい作品である。
"allophilia"
Those people: What if our prejudices could be transformed into a force for good? A Harvard scholar suggests a new way to think about social relations.
Boston Globeらしいアカデミックな記事で、なかなか面白かった。
集団間だけの話ではないだろう。僕の根本的な欠陥――もう直らないだろうし、直そうという気も失せてしまった欠点――を思い出させてくれた点でも面白かった。その欠点は何か、だって?そんな暇のある物好きな方はご自分で記事をお読みになって推測してください。
Boston Globeらしいアカデミックな記事で、なかなか面白かった。
集団間だけの話ではないだろう。僕の根本的な欠陥――もう直らないだろうし、直そうという気も失せてしまった欠点――を思い出させてくれた点でも面白かった。その欠点は何か、だって?そんな暇のある物好きな方はご自分で記事をお読みになって推測してください。
あごひげ
に白いものが混じるようになった。
ある人が、頭の白髪はともかく、ひげはこまめに剃ったほうがいいと忠告してくれた。ひげの白髪は頭のよりも老いて見えるということのようだ。
面白いね。何でだろうね。なぜひげの白髪のほうが老いて見えるんだろう。
しかし、そもそも毎日「ちゃんと」ひげを剃らない、ということ自体が問題なんだろう(あ、お洒落で伸ばしている人とイスラム教徒は除く)けどね。あ、それにもう3ヶ月ほど散髪してないことも。
ある人が、頭の白髪はともかく、ひげはこまめに剃ったほうがいいと忠告してくれた。ひげの白髪は頭のよりも老いて見えるということのようだ。
面白いね。何でだろうね。なぜひげの白髪のほうが老いて見えるんだろう。
しかし、そもそも毎日「ちゃんと」ひげを剃らない、ということ自体が問題なんだろう(あ、お洒落で伸ばしている人とイスラム教徒は除く)けどね。あ、それにもう3ヶ月ほど散髪してないことも。
2008年1月20日日曜日
ガーゴイル
Ai Khanoumは現在のアフガニスタン北部にあった、往時はGreco-Bactrian Kingdomの主要都市の一つ。まさに東西文化の混じり合う地だった。Hindu-kushを越えればバミヤンでありガンダーラである。
British IslesからJapanese islandsまで、この写真を見たユーラシア人で、これは明白に我々の文化とは全く異質のものであると断言できる者が果たしてどれほどいるだろうか。
このガーゴイルはまさにユーラシア人である。
British IslesからJapanese islandsまで、この写真を見たユーラシア人で、これは明白に我々の文化とは全く異質のものであると断言できる者が果たしてどれほどいるだろうか。
このガーゴイルはまさにユーラシア人である。
同類
イタリアでの休暇でのこと。
Basilica di Santa Maria Maggiore前の広場。夜7時。街頭の下で本を読んでいる私に話しかけてきたアメリカの「詩人」。「古代ローマの神々の神殿の石柱を32本も略奪してきて建てたこのキリスト教会の前で、夜のこんな時間、東洋人の、それもその年齢のあなたが一心に読書している。私にはそれがとてもおもしろい。」と早口で一気にまくし立てて立ち去った。
Santa Maria del Popoloの石段。午後。2時間ほどだろうか、読書と居眠りを繰り返して目覚めると、そばに誰もいなかったはずが、いつの間にか僕の周りに座って(結果 として僕は彼らに護られるような形になっていた)、申し合わせたように読書していた数人。みんなお互いに赤の他人同士。周囲の賑わいとは全く別世界の静か な空間。16時になり、誰も眼差しを交わすこともなく静かに立ち上がり、ひとりひとり教会に入っていく。Caravaggioを観るために。
8時間待たされたFiumichino空港。ベンチで読書している私と子どものために、新しい情報を得るたびに、居場所を探してまで何度も知らせに来てくれたアメリカ人の美術教師。「熱心に読書していたあなたたちの前で私もやはり読書していたんですよ。」もちろん気づいてたよ。あなたはFirenzeの歴史に関するものを読んでいた。
私には同じ「匂い」を持つ仲間が世界中にいる。
Basilica di Santa Maria Maggiore前の広場。夜7時。街頭の下で本を読んでいる私に話しかけてきたアメリカの「詩人」。「古代ローマの神々の神殿の石柱を32本も略奪してきて建てたこのキリスト教会の前で、夜のこんな時間、東洋人の、それもその年齢のあなたが一心に読書している。私にはそれがとてもおもしろい。」と早口で一気にまくし立てて立ち去った。
Santa Maria del Popoloの石段。午後。2時間ほどだろうか、読書と居眠りを繰り返して目覚めると、そばに誰もいなかったはずが、いつの間にか僕の周りに座って(結果 として僕は彼らに護られるような形になっていた)、申し合わせたように読書していた数人。みんなお互いに赤の他人同士。周囲の賑わいとは全く別世界の静か な空間。16時になり、誰も眼差しを交わすこともなく静かに立ち上がり、ひとりひとり教会に入っていく。Caravaggioを観るために。
8時間待たされたFiumichino空港。ベンチで読書している私と子どものために、新しい情報を得るたびに、居場所を探してまで何度も知らせに来てくれたアメリカ人の美術教師。「熱心に読書していたあなたたちの前で私もやはり読書していたんですよ。」もちろん気づいてたよ。あなたはFirenzeの歴史に関するものを読んでいた。
私には同じ「匂い」を持つ仲間が世界中にいる。
Simon Rattle
Mezzoでベルリン・フィルの2007年ジルベスター・コンサートを聴く。
寸分のスキもない「特別な」音楽を創り上げていることに驚く。ラトルのベルリン行きの時から大きな期待はあったが、まさかこのような高みにまで到達していたとは。それぞれが出会うことによってさらに輝きを増したラトルとベルリン・フィルとの間の相思相愛は本物である。
鑑賞する者に全身で「生きる喜び」を感じさせる芸術というものはそうそうあるものではないのだ。
指揮者としてこれからますます円熟していくであろうラトルと手を携え、既にこれまでも「特別」であったベルリン・フィルは、さらに格段の進化を遂げ、世界の他のどのオケとも比較することが意味を失うまでに、本当に「特別な」オーケストラになってゆくのかもしれない。
寸分のスキもない「特別な」音楽を創り上げていることに驚く。ラトルのベルリン行きの時から大きな期待はあったが、まさかこのような高みにまで到達していたとは。それぞれが出会うことによってさらに輝きを増したラトルとベルリン・フィルとの間の相思相愛は本物である。
鑑賞する者に全身で「生きる喜び」を感じさせる芸術というものはそうそうあるものではないのだ。
指揮者としてこれからますます円熟していくであろうラトルと手を携え、既にこれまでも「特別」であったベルリン・フィルは、さらに格段の進化を遂げ、世界の他のどのオケとも比較することが意味を失うまでに、本当に「特別な」オーケストラになってゆくのかもしれない。
2008年1月19日土曜日
The Story can resume...
Atonement。最後の浜辺のシーンが陳腐な点を除き、ちょっと文句の付けようのない作品。すばらしい。いい映画がまた一つ誕生した。
これでIan McEwanの原作も絶対に読まなければならなくなった。
これでIan McEwanの原作も絶対に読まなければならなくなった。
2008年1月18日金曜日
the Guardian
以前高く評価していたメディアなのだが、いつの頃からかどうもおかしくなってしまったという印象を持つのは私だけか。最近よくあるオーナー交代でもあったのだろうか。
例えばWhy men and women find longer legs more attractive。
これで科学欄なのだから恐れ入る。日本のTVのワイドショーじゃないんだからね。
例えばWhy men and women find longer legs more attractive。
これで科学欄なのだから恐れ入る。日本のTVのワイドショーじゃないんだからね。
Ivlia Avgvsta Agrippina
ローマ帝国の栄光をまっすぐに駆け抜けた45年の生涯。Tacitus, Suetonius, Cassius Dio...。それぞれの史家により彼女への好意の有無/程度、事実解釈に大きな違いは見られるが、いずれにせよ稀有の人生であったことに変わりはない。
2008年1月17日木曜日
見学者
「先生が、いつもの冗談を、あの頃の私たちに対してでなく、今このSofia大学の学生たちに向けて、言っている。
あの頃の私たちのためでなく、いま、この学生たちのために、あの頃と同じように、一生懸命日本語の表現について説明している。
いろいろなことを想いながら観ていました。」
教室というものは、ハコではなく、何よりも人と人とが創り出す関係性の束である「共同体」である。そのことを思い出させてくれる、このようなコメントをもらうと、恥を忍んで授業を公開する意味も少しはあるのかな、とも思う。
あの頃の私たちのためでなく、いま、この学生たちのために、あの頃と同じように、一生懸命日本語の表現について説明している。
いろいろなことを想いながら観ていました。」
教室というものは、ハコではなく、何よりも人と人とが創り出す関係性の束である「共同体」である。そのことを思い出させてくれる、このようなコメントをもらうと、恥を忍んで授業を公開する意味も少しはあるのかな、とも思う。
2008年1月16日水曜日
モナリザのモデル
ハイデルベルグ大の歴史研究者が発見したという有力な文献資料によりモデル問題が決着を見たのではないかという速報を今BBCが流している。
私としては、最も「異様な」説である、あれはレオナルドの自画像であるという説をそれでも支持したいという気持ちに変わりはないが。
私としては、最も「異様な」説である、あれはレオナルドの自画像であるという説をそれでも支持したいという気持ちに変わりはないが。
2008年1月15日火曜日
めぐみの「雪」
この十日ほど雪がそれほど降らぬ上ずっと氷点下が続いていたために、固まった雪が凍って歩道はカチンコチンの状態だった。危険この上なかった。
だから、いま降り続いている雪は僥倖なのである。靴との間の摩擦係数が上がって、転んで死ぬ危険が減少する、誰にとっても。
ものは考えよう、である。
だから、いま降り続いている雪は僥倖なのである。靴との間の摩擦係数が上がって、転んで死ぬ危険が減少する、誰にとっても。
ものは考えよう、である。
The Cocoon Nebula from CFHT
(Click the picture to enlarge. http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/astropix.html)
2008年1月14日月曜日
「暖かい」朝
今朝は本当に久しぶりに、頑張れば帽子もマフラーもなしに歩ける朝だった。凍ったのは両耳の上端だけだった。
しかしそれも朝だけの話。午後再び雪が降り出した。2週間溶けない雪の上にさらにしんしんと降り積もる。
しかしそれも朝だけの話。午後再び雪が降り出した。2週間溶けない雪の上にさらにしんしんと降り積もる。
郵便
現在機能していない。1ヶ月以上も前に日本を出た(はずの)郵便物がいずれもこちらに届いていない。外国郵便だけではない。市内の遅配でさえ1ヶ月をゆうに超えた。
12月初めに発送されたクリスマスプレゼントがユリウス暦のクリスマスの1月7日を過ぎても届かないという悲喜劇があちこちで見られる。
しかし45日ほど前に日本を出た郵便物が届き始めたという情報もある。やきもきされている方々、ご安心を。
12月初めに発送されたクリスマスプレゼントがユリウス暦のクリスマスの1月7日を過ぎても届かないという悲喜劇があちこちで見られる。
しかし45日ほど前に日本を出た郵便物が届き始めたという情報もある。やきもきされている方々、ご安心を。
「子どもの病気」
芥川龍之介、大正12年作の小品。たまたま藤村の「嵐」に続けて読んだので、その違いを面白く感じた。
こと子どもに関しては自分そっちのけで心に掛ける毎日を送る「嵐」の「私」と、無頓着を装うのだがその実子どもの病気が気になって仕事も手につかぬ龍之介。
子どもを持つある友人に一読を勧めようと思ったのだが、唯物主義者のくせに子どものこととなると途端に迷信深くなる私は、何かゲンでも悪くなるのではないかとその勇気が出ずにいる。
こと子どもに関しては自分そっちのけで心に掛ける毎日を送る「嵐」の「私」と、無頓着を装うのだがその実子どもの病気が気になって仕事も手につかぬ龍之介。
子どもを持つある友人に一読を勧めようと思ったのだが、唯物主義者のくせに子どものこととなると途端に迷信深くなる私は、何かゲンでも悪くなるのではないかとその勇気が出ずにいる。
2008年1月13日日曜日
藤村の日本語
改めて感じるのは、その日本語の現代性である。
二葉亭を嚆矢とする近代日本語のスタイルは、近代日本人の間で広く愛読された藤村の日本語によって、現代へと続くスタイルを獲得したと言える部分もあるのではないか。この事はあまり指摘されていないような気がするのだが。
二葉亭を嚆矢とする近代日本語のスタイルは、近代日本人の間で広く愛読された藤村の日本語によって、現代へと続くスタイルを獲得したと言える部分もあるのではないか。この事はあまり指摘されていないような気がするのだが。
「『遊蕩文學』の撲滅」
2008年1月11日金曜日
2008年1月10日木曜日
耐性
気温が-10℃を下回った日はさすがに寒いと感じる。
-5℃なら「ああ、今日は暖かい。帽子はいらないかな。」と考える。
そして何かの間違いで±0℃あたりまで上昇しようものなら、汗をかきかき歩く羽目になる。
これが、私がもうすっかりSofiaっ子に生まれ変わったという判断の根拠である。
-5℃なら「ああ、今日は暖かい。帽子はいらないかな。」と考える。
そして何かの間違いで±0℃あたりまで上昇しようものなら、汗をかきかき歩く羽目になる。
これが、私がもうすっかりSofiaっ子に生まれ変わったという判断の根拠である。
2008年1月8日火曜日
修理
どこでどう分かったのか、今日の掃除の日、暖房装置をすべて元通りに直してくれた。
なぜこの故障に大家さんが気づいたのか。いくつかの可能性が考えられるが、明日あたりには判明するだろう。いずれにせよ、たくさんの人々に見守られながら生きている身、これぐらいの不思議では驚かなくなった。
なぜこの故障に大家さんが気づいたのか。いくつかの可能性が考えられるが、明日あたりには判明するだろう。いずれにせよ、たくさんの人々に見守られながら生きている身、これぐらいの不思議では驚かなくなった。
寒さ緩む
積もっていた雪が今日の昼間少し溶けた。気温が氷点上に上がったらしい。寒気がこの程度緩んだだけでこれだけうれしいのだから、春が来た時の喜びはいかばかりかと思う。
もっとも、少し暖かくなったらなったで、また別の苦労も生まれる。今度は屋根や軒のつららや氷の塊が頭上に落ちてくるのを警戒せねばならぬ。直撃されれば、へたをすれば、一巻の終わりである。
頭上と足元に注意しながらそろそろと歩く日々はまだまだ続く。
もっとも、少し暖かくなったらなったで、また別の苦労も生まれる。今度は屋根や軒のつららや氷の塊が頭上に落ちてくるのを警戒せねばならぬ。直撃されれば、へたをすれば、一巻の終わりである。
頭上と足元に注意しながらそろそろと歩く日々はまだまだ続く。
2008年1月6日日曜日
雪のSofia
数日来の積雪がまったく溶けずに残る。空気中の水蒸気が凍結しているので空気が白っぽい、というのも京都から来た者には新鮮である。市内中心部に蛇口から温泉が出る汲み場があるのだが、数十ある蛇口がきのうは満員の盛況だった。同年齢の人たちに「連帯」感を感じながら肩を並べて1ℓビンに温泉補給。アイスクリームを持って帰るにはリュックに入れるより外気にさらして持った方が溶ける心配がないのだという「発見」も。
家の暖房装置がだんだんおかしくなってきていて、四つのうち今や一つしか動いていないけれども、それなりに元気に過ごしている。
きのう青空市場のЖенски Пазарでビーツを二つ買って30ストティンキ(約26円)。店のお兄さんは笑って代金を受け取らない。
また、凍てつく街角で地図を覗き込んでいると、必ずすぐ誰かが立ち止まって助けてくれる。
寒いけれども、温かい街である。
「淑気(しゅくき)」という季語をSofiaの街に捧げたい。
家の暖房装置がだんだんおかしくなってきていて、四つのうち今や一つしか動いていないけれども、それなりに元気に過ごしている。
きのう青空市場のЖенски Пазарでビーツを二つ買って30ストティンキ(約26円)。店のお兄さんは笑って代金を受け取らない。
また、凍てつく街角で地図を覗き込んでいると、必ずすぐ誰かが立ち止まって助けてくれる。
寒いけれども、温かい街である。
「淑気(しゅくき)」という季語をSofiaの街に捧げたい。
2008年1月5日土曜日
2008年1月3日木曜日
David(1504完成)
Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、弱冠26歳で制作開始、29歳で完成。
台座を入れれば高さは5メートルを超える。よく指摘される上半身と下半身のバランスの悪さも、真下から見上げれば完璧なプロポーションとなり、なるほどそういう狙いかと納得もする。
色々な考え方があり得る。しかし、これとCappella Sistinaの天井画(1512完成)の二つを観る時、彼が何よりも「それ自体としての人間」とも呼ぶべきものを賛美して已まぬ人だったと、私は感じる。
台座を入れれば高さは5メートルを超える。よく指摘される上半身と下半身のバランスの悪さも、真下から見上げれば完璧なプロポーションとなり、なるほどそういう狙いかと納得もする。
色々な考え方があり得る。しかし、これとCappella Sistinaの天井画(1512完成)の二つを観る時、彼が何よりも「それ自体としての人間」とも呼ぶべきものを賛美して已まぬ人だったと、私は感じる。
2008年1月2日水曜日
2008年1月1日火曜日
明けましておめでとうございます。
去年今年貫く棒の如きもの(虚子)
昨年は50年の私の人生で最も激動の年となりました。大江の言葉を借りれば「人生の習慣」のあり方を大きく変えた年だったと言えるでしょう。
今年はその質を高める年にします。
読者の皆さんにとってよい年となりますように。
帰宅
ローマのFiumicino空港を8時間半(!)遅れて離陸。
アドリア海上空を飛んでいる時に年が替わった。機長のアナウンスが流れたとたん機内はお祭り騒ぎと化した。もう十分アルコールが入っている者、歌い出す者、踊り出す者、そのすべての条件を満たす者。。。
ローマで離陸予定時間が次々と(少なくとも5回は)変更され続けていた時、あれほど激昂して機長や係員を吊るし上げていた、あの人たちが、である。
ともあれ夜中の2時、無事ソフィアの我が家に辿り着く。
たくさんの勉強ができた、実り多い休暇だった。
しかし疲れた。
寝る。
アドリア海上空を飛んでいる時に年が替わった。機長のアナウンスが流れたとたん機内はお祭り騒ぎと化した。もう十分アルコールが入っている者、歌い出す者、踊り出す者、そのすべての条件を満たす者。。。
ローマで離陸予定時間が次々と(少なくとも5回は)変更され続けていた時、あれほど激昂して機長や係員を吊るし上げていた、あの人たちが、である。
ともあれ夜中の2時、無事ソフィアの我が家に辿り着く。
たくさんの勉強ができた、実り多い休暇だった。
しかし疲れた。
寝る。
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