イタリアでの休暇でのこと。
Basilica di Santa Maria Maggiore前の広場。夜7時。街頭の下で本を読んでいる私に話しかけてきたアメリカの「詩人」。「古代ローマの神々の神殿の石柱を32本も略奪してきて建てたこのキリスト教会の前で、夜のこんな時間、東洋人の、それもその年齢のあなたが一心に読書している。私にはそれがとてもおもしろい。」と早口で一気にまくし立てて立ち去った。
Santa Maria del Popoloの石段。午後。2時間ほどだろうか、読書と居眠りを繰り返して目覚めると、そばに誰もいなかったはずが、いつの間にか僕の周りに座って(結果 として僕は彼らに護られるような形になっていた)、申し合わせたように読書していた数人。みんなお互いに赤の他人同士。周囲の賑わいとは全く別世界の静か な空間。16時になり、誰も眼差しを交わすこともなく静かに立ち上がり、ひとりひとり教会に入っていく。Caravaggioを観るために。
8時間待たされたFiumichino空港。ベンチで読書している私と子どものために、新しい情報を得るたびに、居場所を探してまで何度も知らせに来てくれたアメリカ人の美術教師。「熱心に読書していたあなたたちの前で私もやはり読書していたんですよ。」もちろん気づいてたよ。あなたはFirenzeの歴史に関するものを読んでいた。
私には同じ「匂い」を持つ仲間が世界中にいる。
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