読了。結局、最終的に代助はどうなるのか。
漱石は「予告」において書いている。「色々な意味に於て「それから」である。「三四郎」には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事を書いたから「それから」である。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後の男であるから此点に於ても、「それから」である。此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何うなるかは書いてない。此意味に於ても亦「それから」である。」
若々しい三四郎が近代日本の希望だとすれば、その矛盾と挫折とを体現しているのが代助だという解釈もできるのだろうか。
しかし、それにしても、漱石の作品に出てくる男たちの多くは、女たちに比べ、ひどく魅力がない。それだけ明治日本のヨーロッパとの葛藤と矛盾が深刻だったのだと言われても、魅力がないという事実は変わらない。
若い頃に比べ、自分の好みが漱石から鷗外へと大きく傾いてきていることを改めて想う。
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