2008年6月30日月曜日

ある変化

 あれほど好きで毎日少しずつ読んでいたKurt Vonnegutにこの一週間ほど読む喜びを感じなくなっている。
 僕はまたすこし変わり始めているのかもしれない。

森鷗外「寒山拾得」

 では豐干は誰だったのだろう。

"Da, da. = Ne."?

 メールで”Da, da.(Yes, yes.)"と返事したら、ブルガリア語ではそれは”Ne.(No.)"と同じ意味になることがあると教えられた。詳しく聞いてみると、確かに英語とも日本語とも異なる用法が存在するようだ。少し性格は異なるものだが、ちょうどきょう読んだジョークを思い出した。
“In some languages,” said the Oxford philosopher J. L. Austin, “a double negative yields an affirmative. In other languages, a double negative yields a more emphatic negative. Yet, curiously enough, I know of no language, either natural or artificial, in which a double affirmative yields a negative.”
“Suddenly, from the back of the hall, in a round Brooklyn accent, came the comment, ‘Yeah, yeah.’”
(Stop Me If You’ve Heard This: A History and Philosophy of Jokes, by Jim Holt (Norton))

2008年6月29日日曜日

Matthew Dickman再び

 僕が彼の詩に惹かれる理由の一つには僕の育った地域や出身階級というものが恐らくあるのだろう。僕自身が彼が詩に描いているような世界を共有していたというわけでは無論ないが、間違いなく僕はそういう環境に取り巻かれて子供時代を過ごしたのである。Matthew Dickman

タルノヴォ

 きのうは新年度ブルガリア日本語教師会の新企画「懇談会」(仮称)と「Sofia日本語研究会」の第7回例会をVeliko Turnovo大学で開催した。全国から10名(ブルガリア人教師のみなさんのほとんどすべて)の参加を得ることができ、大成功だったと言えるだろう。総意で今後の継続開催も決まった。
 Sofiaへの帰途の車中、ブルガリア語ができない駒田大先生をほったらかしてSofia組が歌っていた歌の一つが下記の歌。僕のブルガリア語学習のテクストの一つにしよう。
Тангра - "Богатство"

2008年6月27日金曜日

芥川龍之介「機関車を見ながら」

「喜劇は第三者の同情を通過しない悲劇である。」

リーダーと教養

 決して難しいことではない。社会科学系のどんな科目でもよい、大学の1年生を対象とするような初歩的な概論をまじめに聞いてさえいれば陥るはずのない無知の穴にこれほどどっぷりと嵌り込んでいる「リーダー」が多いのは一体なぜなのだろう。
Italy fingerprint plan criticised

Geisha, Fujiyama, Harakiri, Samurai...

 浅薄なステレオタイプと切り捨てるのも簡単なのだが、いわゆる「日本研究」の領域においてさえも大同小異の視点が散見されることがあることについてはいかがなものかと思うことがある。
Renewed respect as geisha make a comeback - and take to cyberspace

2008年6月26日木曜日

世界はなんとすばらしいのだろう。

 空港で子どもを見送り、帰宅し、Mezzoをつけた。
 Satchmoが歌っていた。
 この曲への想いが変わった。
 Louis Armstrong - What A Wonderful World

2008年6月25日水曜日

今日のBarbara Ehrenreich

Liposuction: The Key to Energy Independence
 彼女の能力を持ってすればこの程度はお遊びだが、それでもすばらしい。悪名高い私の毒舌も彼女の前には児戯に等しい。

2008年6月24日火曜日

芥川龍之介「奇遇」

 このような、「読者」や「文学や「芸術」や自己をも小馬鹿にしたようなメタ物語的な身構え方は、龍之介らしいといえば龍之介らしいものなのだろう。

観ることにより創造される世界

The Reality Tests
 昔からとても関心があるのだが理論が高度すぎてまったく歯が立たない領域の一つである。よくご存知の方に分かりやすく教えてほしい。

「ご近所の力」

Won’t You Be My Neighbor?
 ウェブ社会化の進展に伴い「隣人」の定義も拡大、変容を遂げつつある。この記事で取り上げられている問題も高度資本主義化が進んだ社会における都市化の現われだと考えられる。いずれアメリカ合州国や日本のみの現象だとは言われなくなるだろう。

2008年6月23日月曜日

Vladimir Galaktionovick Korolenko「樺太脱獄記」

 原作もすばらしいのだろうし、鷗外訳も実にすばらしい。ロシア語が使える日本研究者や日本語が使えるロシア研究者のみなさんには、偉大な才能たちのこのような幸福な出会いを入り口として学習や研究に入ってゆく道もあるのだ。うらやましく感じる。

芥川龍之介「奇怪な再会」

 私は何かを読んでいるうちにこれほど何度も鳥肌の立つ思いをしたことがない。

2008年6月22日日曜日

生きる哀しみ

Michael Agresta, Mugger and Mouse get married
 僕の好きな簡潔な文体で書かれていることもあるのだろうか、いい短編だと思う。
 "They live happily ever after."で結ばれているが、僕にはこの短編の中には哀しみのようなものがずっと流れているように思えてならない。
 それがこの作品の魅力でもある。

豊かさとは何か

This Land Is Their Land
 Barbara Ehrenreichの告発は現在のブルガリア、特にリゾート地の乱開発にも完全に当てはまるような気がする。

2008年6月21日土曜日

Realpolitik

Awaiting Japan's global vision
 哲学もなければ文化への理解さえ持ち合わせぬ時代遅れの大国中心主義から見れば日本はこのように見えるらしい。

2008年6月20日金曜日

(Click the pic.to enlarge)
Solstice Moonrise, Cape Sounion Credit & Copyright: Anthony Ayiomamitis (TWAN)
 ギリシャのCape Sounionにあるポセンドン神殿に上がる夏至の満月。私の古代史好きをくすぐる映像である。

2008年6月19日木曜日

京都教育大学職員サッカー部

 久しぶりのメールをもらった。
 今年も新人が若干名入部し順調な様子である。
 それにしても、京教にいた頃にはこのメールの主には無駄口を叩かぬ硬派だという印象を持っていたのだが、そのメールに限っては以前もらったメールにもまして無駄口の見本のようなメールだった。おもしろいものである。
 特に用がなくても時折りさりげなく便りをするということは存外大切なものなのかもしれないということを教えてもらった。僕には真似ができないことだ。
 僕のことを覚えてくれている(その思い出がよいものかどうかはともかく)人が日本に大勢いて、またここSofiaにもたくさんの仲間ができた。
 齢を重ねるということはこういうことでもあるのだろう。

2008年6月18日水曜日

Esma Redzepova

 また一人すばらしい歌い手を見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=n2QVUo7QOmU

2008年6月17日火曜日

芥川龍之介「世之助の話」

 龍之介のエロチシズム。

ゲイの人々を正当に理解すること

 このような研究がもっと進んで、無知故の不当な偏見がなくなる日が来ることを望む。
Gay men and heterosexual women have similarly shaped brains, research shows

2008年6月16日月曜日

2008年6月15日日曜日

差別との闘いと言論の自由

Hate speech or free speech? What much of West bans is protected in U.S.
 ここではカナダとの比較が取り上げられているが、同様にアメリカ合州国と共通の価値観を持つと考えられることの多い他の国々とアメリカ合衆国との大きな違いの一つがここにある。

2008年6月12日木曜日

なぜドングリのような栄養に富むものの栽培作物化に人類はこれまで失敗し続けてきたか。

 要約するのがめんどくさいのでそのまま引用する。Jared DiamondのGuns, germs and steelはこのような面白い発見に満ち満ちている。
"It turns out that oak trees have three strikes against them. First, their slow growth would exhaust the patience of most farmers. Sown wheat yields a crop within a few months; a planted almond grows into a nutbearing tree in three or four years; but a planted acorn may not become productive for a decade or more.
Second, oak trees evolved to make nuts of a size and taste suitable for squirrels, which we've all seen burying, digging up, and eating acorns. Oaks grow from the occasional acorn that a squirrel forgets to dig up. With billions of squirrels each spreading hundreds of acorns every year to virtually any spot suitable for oak trees to grow, we humans didn't stand a chance of selecting oaks for the acorns that we wanted. Those same problems of slow growth and fast squirrels probably also explain why beech and hickory trees, heavily exploited as wild trees for their nuts by Europeans and Native Americans, respectively, were also not domesticated.
Finally, perhaps the most important difference between almonds and acorns is that bitterness is controlled by a single dominant gene in almonds but appears to be controlled by many genes in oaks. If ancient farmers planted almonds or acorns from the occasional nonbitter mutant tree, the laws of genetics dictate that half of the nuts from the resulting tree growing up would also be nonbitter in the case of almonds, but almost all would still be bitter in the case of oaks. That alone would kill the enthusiasm of any would-be acorn farmer who had defeated the squirrels and remained patient."

芥川龍之介「寒山拾得」

 若い頃読んだ時にはなんだかよく分からない短編だと思った記憶がある。
 いま読んでみると、「虚実皮膜」の世界に生きているいまの私の生も似たようなものかもしれない、とも思う。

これはひどい・・・

 Kyle Gradyのopen letterを読んだ。An open letter to the editors of lifestyle.bg and Mr. Tihomir Dimitrov
 極めて冷静で知性的な批判である。批判の対象になっている記事自体はブルガリア語だが、Gradyの言う通り、掲載された写真を見ればブルガリア語がわからずともそのひどさが分かる。Дискриминират ме. Протестирам!
 所詮どこかの酔っ払いの戯言だと無視することもできるが、それにしてもひどすぎる。小学校で習うべき知的活動の基礎さえできていない。

2008年6月11日水曜日

夏目漱石『それから』

「其上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出した。其不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質であつた。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるといふ事を発見した。」
漱石の見抜いたこの日本のこの面は今も変化していないと思う。

森鷗外「夏目漱石論」

 鷗外らしいスタイル。公平かつ冷静。鷗外の「立派」さがよく分かる文章。

日本の労働者の意識の変化

 NYTimesが続けて記事を掲載している。後世の歴史家は「失われた10年」が日本社会の変動の引き金となったと指摘するのかもしれない。
In Shift for Japan, Salarymen Blow the Whistle
Standing Up for Workers’ Rights in Japan

芥川龍之介「寒さ」

 佳編。龍之介の繊細な神経が高い文学性を獲得した好例。

2008年6月9日月曜日

生活慾と道義慾

「代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得てゐた。

 この二つの因数(フアクトー)は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較べる日の来る迄は、此平衡は日本に於て得られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯ゝる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。」(夏目漱石『それから』)

 社会がその各成員の内面に落とす影の濃さを思う。それは100年前も現在も同じである。

 また漱石がここで「人類の一人として」という表現を二度も用いていることに注意が行くが、このことも少し分析していく価値がありそうな気がする。

Anonymity

John MullanAnonymity: A Secret History of English Literatureに関するTerry Eagleton書評を読んだ。Unhoused

もちろん文学理論に疎い僕にはそのことを云々する資格も能力もなく、ただただおもしろく読んだとしか言えない。お読みになった方と議論をしてみたい。

昼寝

 大学も試験期間に入り、閑散としてきた。実に静謐な環境となり仕事も勉強もよく捗る。
 疲れてくるといすを三つ並べてその上で仮眠する。京都教育大学時代に自分の研究室で「暮らし」ていた頃の記憶が蘇る。
 周りの誰もが呆れるほどの粗食ぶりもブルガリアに来ても同様だし、どこに行っても僕のやることはかわりばえがしない。

2008年6月7日土曜日

Desaliento

Patricia Engel. Desaliento
 すばらしい短編。最近こういう良質の現代作品を読むことに喜びを覚えるようになってきた。

Charles Dickens "A Christmas Carol"

"Clear away! There was nothing they wouldn't have cleared away, or couldn't have cleared away, with old Fezziwig looking on. It was done in a minute. Every movable was packed off, as if it were dismissed from public life for evermore; the floor was swept and watered, the lamps were trimmed, fuel was heaped upon the fire; and the warehouse was as snug, and warm, and dry, and bright a ball-room, as you would desire to see upon a winter's night.
In came a fiddler with a music-book, and went up to the lofty desk, and made an orchestra of it, and tuned like fifty stomach-aches. In came Mrs Fezziwig, one vast substantial smile. In came the three Miss Fezziwigs, beaming and lovable. In came the six young followers whose hearts they broke. In came all the young men and women employed in the business. In came the housemaid, with her cousin, the baker. In came the cook, with her brother's particular friend, the milkman. In came the boy from over the way, who was suspected of not having board enough from his master; trying to hide himself behind the girl from next door but one, who was proved to have had her ears pulled by her mistress. In they all came, one after another; some shyly, some boldly, some gracefully, some awkwardly, some pushing, some pulling; in they all came, anyhow and everyhow. Away they all went, twenty couple at once; hands half round and back again the other way; down the middle and up again; round and round in various stages of affectionate grouping; old top couple always turning up in the wrong place; new top couple starting off again, as soon as they got there; all top couples at last, and not a bottom one to help them. When this result was brought about, old Fezziwig, clapping his hands to stop the dance, cried out, 'Well done.' and the fiddler plunged his hot face into a pot of porter, especially provided for that purpose. But scorning rest, upon his reappearance, he instantly began again, though there were no dancers yet, as if the other fiddler had been carried home, exhausted, on a shutter, and he were a bran-new man resolved to beat him out of sight, or perish.
"Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs. Fezziwig."
There were more dances, and there were forfeits, and more dances, and there was cake, and there was negus, and there was a great piece of Cold Roast, and there was a great piece of Cold Boiled, and there were mince-pies, and plenty of beer. But the great effect of the evening came after the Roast and Boiled, when the fiddler (an artful dog, mind. The sort of man who knew his business better than you or I could have told it him.) struck up 'Sir Roger de Coverley.' Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs Fezziwig. Top couple, too; with a good stiff piece of work cut out for them; three or four and twenty pair of partners; people who were not to be trifled with; people who would dance, and had no notion of walking. But if they had been twice as many-ah, four times- old Fezziwig would have been a match for them, and so would Mrs Fezziwig. As to her, she was worthy to be his partner in every sense of the term. If that's not high praise, tell me higher, and I'll use it. A positive light appeared to issue from Fezziwig's calves. They shone in every part of the dance like moons. You couldn't have predicted, at any given time, what would have become of them next. And when old Fezziwig and Mrs Fezziwig had gone all through the dance; advance and retire, both hands to your partner, bow and curtsey, corkscrew, thread-the-needle, and back again to your place; Fezziwig 'cut'-cut so deftly, that he appeared to wink with his legs, and came upon his feet again without a stagger."


 名文。少し長いが、多くの人に読んでもらいたいので引用した。

鷗外の遺書

「余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリコヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス」
 過去何千・何万という人々を鼓舞してきたであろう単独者「石見人森林太郎」の矜持。

2008年6月6日金曜日

トヨタ自動車の強さ

Corporate Culture: The J Factor
 工場内の雰囲気をそれほど努力せずともイメージできるのは、多分僕が日本で生まれ育った人間だからだろう。「改善運動」の底流にある思想は日本列島の通奏低音として古来から響き続けてきたものだ。
 しかしトヨタが成功している事実がこの方式の万能性をアプリオリに証明しているわけではない。そうであれば日本の国際競争力が25位などと低迷しているはずがない。日本の多くの企業がトヨタの真似をしているからだ。
 可能なアプローチは常に複数存在する。最善のアプローチを求めるのではなく、ある一つのアプローチをいかに十全に働かせるか。それが重要なのだと思う。

Maria Callas

 今Mezzoで特集をやっていた。
 彼女はいつ何を聴いてもすばらしい。
 音楽を聴く喜びを無条件で与えてくれる音楽家はそういるものではない。
 やはり不世出のソプラノである。

森鷗外「伊沢蘭軒」

 とうとう諦めて今回は投げ出すことにした。不明語を一つ一つ調べながら勉強のつもりで読んできたのだが、読み始めて3ヶ月も経つのにまだ四分の一程度にしか辿り着いていないことにとうとう嫌気がさした。
 鷗外の全作品を読み終えたあともまだ僕が生きているようであればまた戻ってくることもあろう。
 こんな怪物とは軽々に付き合えるものではない。

豪雨

 ヨーロッパ各地に被害をもたらした前線がSofiaに到達した。午前中の豪雨も生まれて初めて見るものだったが、この時間になって強風を伴ったまさに「嵐」となった。「横殴りの雨」というが、目測でも30度程度の鋭角で雨が窓を叩く。サッシのたてつけの悪い部分や天井がガラスになっている所からは大量の雨漏りがするし、ロックしていなかった窓は強風のために勢いよく開き、部屋中を水浸しにした。
 今はちょうどバラ祭りの季節で仲間たちの多くは観光ツアーのガイドのアルバイトでブルガリア中部にいる。みんな大丈夫かなあ。

Marriage Lines

Julian Barnes, Marriage Lines
 この人には読む者の内的世界を―気づかぬほどに少しずつ少しずつ―拡げるような力量があるように思う。

芥川龍之介「蛙」

 龍之介のキリスト教嫌い。

Copenhagen Consensus 2008 Conference

 アイデアはこうである。
 世界の10大問題に関して、過去2年にわたって50人の専門家が30種類の解決策を提案し、その中で5人のノーベル賞受賞者を含む8人の経済学者が優先順位を付ける。
 第1位は、ヴィタミンAと亜鉛の欠乏に苦しむ1億4千万の子どもたちの80%にそれらを提供すること。年間6千万ドルのコストで、健康・認知的改善の点で10億ドル以上の経済効果がもたらされるという。
 第2位は、ドーハ・ラウンドの遵守によって自由貿易を拡大すること。そこからは3兆ドルの経済効果が生まれ、そのうちの2.5兆ドルが発展途上国にもたらされるという。
 天国への通行手形や神のご利益を信じていない人々に対して道徳や人類愛などのお題目を聞かせても効果は疑わしい時代となってきた。そういう時代には、このような功利主義的な議論を仕掛けるのも一つの考え方だと思う。
The Top Ten Solutions to the World's Biggest Problems

WINSTON NILES RUMFOORD

"There is no reason why good cannot triumph as often as evil. The triumph of anything is a matter of organization. If there are such things as angels, I hope that they are organized, along the lines of the Mafia."
— WINSTON NILES RUMFOORD
 私は、このように嘯く―しかし悲しげに―ラムフォードを愛する。

年度終了

 Sofia大学での私の最初の年度が終了した。来週から試験期間に入るので学生はまだまだ大変だが教師の仕事量は大幅に減る。
 長く慣れ親しんだ日本の大学とは大きく異なる環境での初めての一年。本当にあっという間だった。予想通りだったことよりも、来る前の予測が完全に外れたことのほうが実ははるかに多かった。概ね大過なく済んだということは言えるだろう。しかしうまく行ったのかどうか。それはよくわからない。

芥川龍之介「世の中と女」

 女性の社会進出に関して彼は次のように言う。
 「又世の中の仕事に関与するとなると、女に必然に女らしさを失ふやうに思ふ人がある。が、私はさうは思はない。成程、在来の女らしい型は壊れるかも知れない。しかし、女らしさそのものは無くならない筈だ。
 かう云ふ例を使つては女性に失礼かも知れないけれども、狼は人間に飼はれると犬になるには違ひない。しかし、猫にならないことは確である。在来の女の型は失つても、女らしさは失はれないことは、猶、犬が泥棒を見ると食ひ付くやうなものであるだらうと思ふ。 しかし、これは大義名分の上に立つた議論である。もし夫れ私一人の好みを云へば、やはり、犬よりは狼が可い。子供を育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼が可い。」

 家庭に留まらず社会に出て職業を持つ女性が「犬」に譬えられ、そうでない女性は「子どもを育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼」だと言う。これは仕事を持つ女性に対する現代日本におけるイメージとはむしろ逆のイメージではないだろうか。大正十年当時の社会に一般的な捉え方なのか、龍之介独自の見方なのか。興味深い。

2008年6月5日木曜日

Stone Henge

 一段と解明が進んだと評価してよいだろう。
Stonehenge Was Cemetery First and Foremost, Study Says (National Geographic)
Stonehenge yields one of its secrets (International Herald Tribune)
Stonehenge 'a long-term cemetery' (BBC)

芥川龍之介「貝殻」

 「六 東京人」。これが龍之介の時代の東京人、日本人なら、そこから、現代の日本人は、とりわけ僕のような人間は、いかに隔たってしまったのだろうと思わずにはいられない。
 むしろ「東京人」の「東京」を「ブルガリア」に変換して読んでもらったほうがいいかもしれない。少なくともいま僕の相手をしてくれている心優しき、遠慮深き仲間たちは、そのような人たちばかりである。

 それにしても、この作品は全体としてもすばらしい出来である。龍之介の最良の部分がよく出ている。

正義と多様性のために

アイヌ国会決議―これを歴史的な一歩に
 生活保護受給率3倍、高等教育進学率三分の一。日本国憲法が保障する基本的人権が守られていない。
 「愛国心」をお題目のように唱えるはるか以前の段階で、まず第一にその国家を愛する価値のあるものにすることが公僕の義務である。

tip-of-the-tongue experience

 日本語なら「ここまで出かかっているんだけど・・・」と言って喉の最上部を指す。そしてこのように何かの名称(のみ)を思い出せないことを表す表現はあらゆる言語に普遍的な現象だという。
What's that name?

2008年6月3日火曜日

「暗き河」

(Click the Pic. to Enlarge)
The Dark River to Antares
Credit & Copyright: Máximo Ruiz
中央のパイプ銀河と左上のアンタレスとを結ぶ「暗き河」。宇宙は暗さをも美しく見せる魅力を持つ。