久しぶりのメールをもらった。
今年も新人が若干名入部し順調な様子である。
それにしても、京教にいた頃にはこのメールの主には無駄口を叩かぬ硬派だという印象を持っていたのだが、そのメールに限っては以前もらったメールにもまして無駄口の見本のようなメールだった。おもしろいものである。
特に用がなくても時折りさりげなく便りをするということは存外大切なものなのかもしれないということを教えてもらった。僕には真似ができないことだ。
僕のことを覚えてくれている(その思い出がよいものかどうかはともかく)人が日本に大勢いて、またここSofiaにもたくさんの仲間ができた。
齢を重ねるということはこういうことでもあるのだろう。
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