2007年11月30日金曜日

歴史

"History serves better as the mother of truth, rather than a truth unto itself." (BORGES, Jorge Luis. Pierre Menard, Author of the Quixote)

2007年11月29日木曜日

天の川

(写真クリックで拡大)
こんなの見たことあります?
Hathor

『日本語文型辞典』

 若手教師たちとの勉強会のたびに、改善したい箇所を発見する。少なくとも一回は改訂版を出してから死にたい。

京教大のクスノキ

 「戦友」の一人が送ってきてくれた。撮影者は栄光の京都教育大学職員野球部のホットコーナーを僕から引き継いだ長谷川君だそうだ。未だ人々の間に鮮烈に残る名手駒田の記憶を、スポーツ万能の彼がいかにして乗り越えていくか。楽しみなことである。
 それからなぜ最近子どものことがここに書かれぬようになったのかという質問があったが、特に深い理由はない。それよりも僕の勉強の記録を書くことのほうが大事なだけである。「親子喧嘩」でもない。(そもそも喧嘩をするためには「以前は仲がよかった」という前提が必要である。)
 彼女は毎日楽しく通学している。今日も放課後友人たちと日本の映画(9・10・11月は「日本文化月間」である。)を見に行くそうだ。
 

連合教職大学院

連合教職大学院「京都教育大大学院連合教職実践研究科」
設置決定。感無量。遥かSofiaの空よりエールを送る。

『リアリズムの宿』

 つげ義春の原作とは似ても似つかぬ世界だが、それなりに面白かった。タイトルは同じだが、全く異なる世界と思ったほうがよい。
 「ああ、日本ってこんなだったよなあ。」と観ながら何度も感じている自分を発見して、そのたびに少し狼狽した。日本を出てまだ4ヶ月にしかならぬのに、すでに日本は遠いものになっている。
 表層でのみにぎやかで、やかましくて、コミカルで、しかし実は深く静かに腐食の進む日本。
 主演の3人がよい。特にこの頃(2003)の尾野真千子の不思議な存在感は特筆に価する。

日本人

 ある4年生が言った。
「入学して2ヶ月の1年生たちの殆どは駒田先生以外の日本人を知りません。だから、最大の問題は彼らが日本人はみな駒田先生みたいな人ばかりだと思い込んでいることです。」
 これには笑った。

2007年11月28日水曜日

The Master and Margarita

 読了。
 読み進むに従い当初の興奮が冷めていく、残念な読後感となった。致命的な読み落としをしている可能性もあるので、最終的な評価は再読まで保留しておくが、大多数の人物が類型化されたものに終わる中で、Pontius Pilateのみがひとり忘れ難い印象を残す存在であった。

2007年11月27日火曜日

コメント歓迎

 『ブルガリア語-日本語/日本語-ブルガリア語 フリー・オンライン辞典』作業開始。
 序文にも書いたとおり、20年プロジェクトである。少しずつ、本当に少しずつだが、日々、加筆・修正・改良していく。
 ご遠慮なくどしどしコメントをいただきたい。

隣の芝生は・・・

 hiramieさんのルーマニア語習得が順調のようである。すばらしい。さすが。
 しかし、Sofiaのみなさん、それにひきかえうちの駒田は、というぼやきはご勘弁を。
 ついでと言っては何ですが、亡き父から子どもの頃何千回と聞かされた名言をお贈りします。
 「よそはよそ。うちはうち。」

2007年11月26日月曜日

辻邦生『背教者ユリアヌス』

 読了。
 古代歴史地図帳を傍らに置き、ユリアヌスと共に、ガリアからメソポタミアまでの広大なローマ帝国内を旅した三週間であった。
 自分がローマ帝国に強い関心を持っていること、ユリアヌスが駆け抜けた地域にいま自分が住んでいること、情緒的な人よりは知的な作家を自分が好むこと、等を差し引いて考えようとしても、この作品への私の評価はほとんど損なわれることはない。
 ひょっとしたら、二千年後、「自民族中心主義」や「国境」などが考古学の研究対象となり、叙事詩とは「自民族」の英雄しか扱うことの許されぬジャンルであるというようなちっぽけな考え方が跡形もなく消え去った頃、ユーラシア大陸の東端において日本語という言語で書かれた文学の筆頭にこの作品は置かれることになるのではないか。そこまで大胆な物言いを許すほどの普遍性をこの作品は確かな手応えとして持つ。
 ・・・
 ・・・
 ・・・
 はじめは手放しで褒めておいて、そのうち次々と粗が見えてきて、最後に後悔して終わる、という軽率さが、これまで何度苦杯をなめたか分からぬ私の大きな欠点の一つである。どなたか実際にこの作品を読んで、私の目を覚まさせてくれるような批判をいただきたい。

「自由意志」

 アケメネス朝ペルシャにおいて、恐らくゾロアスター教から齎された、人類への最大の贈り物。

2007年11月25日日曜日

「後期TIZIANO, Vecellio展」

 こういう、絶対に観ねばならぬ展覧会をある程度余裕をもって前もって知らせてくれるサイトなどはないのだろうか。誰か知っていたら教えてほしい。いつも気づいた時には遅すぎた、という愚を繰り返しているのである。

http://www.nytimes.com/2007/11/22/arts/design/22titian.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin

2007年11月24日土曜日

濃霧

 ここ数年、今頃から12月中旬まではSofiaはほぼ毎日霧が立ち込めるようになっているそうで、「今日も霧だ」という台詞は殆ど実質的意味を失っていることが分かった。だからもう言わない。

Veliko Tarnovo

 出張から帰った。
 仕事のあと歩いた街々は、美しい小道と坂に溢れていた。今回はそれらを楽しむことに徹し、写真は次回に期す。
 ごく最近発掘され、見たいと思っていた中世教会跡も見ることができた。

2007年11月23日金曜日

Saskia SASSEN

 いつもながら鋭い。一般にももっと読まれて然るべき人である。我々が生贄の山羊に甘んじることを潔しとしないならの話だが。
"Pakistan's two worlds"
"Lahore: urban space, niche repression"

中国・ラオス関係

 イデオロギーや地政学的位置等から歴史的に緊密な関係を保ってきた両国の更なる接近が顕著になってきた。
 支配的位置にあるラオ族とはイデオロギー的な共通性から、周縁に追いやられているモン族などの少数民族とは地政学的・民族的親縁性から、中国は絶好の位置にある。
 ヴェトナムやタイとの密接な関係も加速している。ミャンマーよりはるかに政治的柔軟性を持つラオスが最貧国グループから脱却する条件はほぼ整った。10年でASEANの中核国の一つになるだろう。

Maurice BEJART死す。

 思えば若い頃、彼のおかげで、身体芸術というものに関心を持つようになったことを思い出す。
 芸術は文学、絵画、音楽の専売特許ではないことを世界に教えてくれた一人だった。

濃霧。更に濃き。

 今日は日帰り出張でВелико Търново大学へ行くので3時起床。窓外は(二十数年前に山で遭難しかかった時を除き)これまで見たことのないほどの濃霧。片道3時間のバスの旅なんだけど、運行するとしてもこれでは3時間では済みそうにないな。

2007年11月22日木曜日

ONE HUNDRED YEARS OF SOLITUDE

 「百年の孤独」。Demonoidで英訳がダウンロードできて、ようやく、本当にようやく、読み始めた。思えばこれも、10年前Adelaideの知人に「Garcia Marquezをまだ読んでいないとは。それもあのONE HUNDRED YEARS OF SOLITUDEを・・・」と絶句された因縁のある作品である。
 まだ数ページ(それも英訳だが)読んだだけだが、冒頭から「文学の力」とも呼ぶべきものを感じさせる強度を持った作品であることがわかる。
 また一つ楽しみが増えた。

濃霧

 今日は朝から晩までSofiaは濃い霧にすっぽりと包まれた一日であった。
 われわれ徒歩組はともかく、ドライヴァーたちは大変だったようだ。
 今日もずいぶん事故があったんだろうな。

ネット依存症

aozoraさん(http://bemberski.blogspot.com/)とRoger Cohenは意気投合しそうである。
http://www.iht.com/articles/2007/11/21/opinion/edcohen.php?WT.mc_id=newsalert

『ブルガリア語-日本語/日本語-ブルガリア語フリーオンライン辞典』

 いよいよ壮大なプロジェクトがスタートした。現時点では編纂者の間だけのアップだが、近いうちに自分たちのサーバーを取得して正式に発足させる。お楽しみに。

オスロ・プロセス

 に関する記事。
http://www.opendemocracy.net/article/globalisation/institutions_government/cluster_bomb_disarmament

2007年11月21日水曜日

ダンス

 NGC 3808及びその伴銀河のNGC 3808A(写真クリックで拡大。提供:NASA, ESA, and the Hubble Heritage Team)

完全武装

 今朝は帽子とマフラーの完全防備で出勤した。
 帽子(ラオスの女性たちの草木染)もマフラー(20年前にエディンバラで買った安物)も今日ほどありがたいと思ったことはない。
 もっとも昼間は気温がかなり上がった。月末にかけて暖かさが戻ると予報では言っており、次の寒波到来は12月始めだそうだ。

2007年11月19日月曜日

カラスの舞

 授業の合間、窓を開けてタバコを吸っていると、一羽の小型のカラス(たぶんハシボソガラスの仲間)が妙な動きをしているのに気づいた。
 よく見ていると、何か白っぽいものを咥えて急上昇し、ある高さまで来るとそれを離す。それからそれが落ちていくのを急降下して追いかけ、地上すれすれで追いついて咥えなおし、再び急上昇。それを何度も何度も繰り返す。
 咥えているものが何かは分からなかったが、明らかに「一人キャッチボール」をして遊んでいるのだ。
 降りしきる雪の純白の中、美しい黒の舞であった。

厳冬突入

 きょうはこの冬一番の寒さなのではないか。出勤時、街を歩くに従い、露出している顔の部分がだんだんこわばってくるのがわかった。大学に着いた時には、大げさに言えば、唇と下あごが「凍って」動かなくなっていた。
 早々に帰宅したいまも、外はもの凄い音を立てて吹雪いている。
 八つぁん「まだ11月19日だよ。これからどうなるのかねえ。」
 熊さん「てやんでえ。上等じゃねえか。どっからでもかかってきやがれってんだ。」

クラスター爆弾禁止条約

 毎日新聞が社説できわめてまっとうなことを述べている。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071119k0000m070128000c.html

しかしまあ

 よく降るもんだ。
 雨、雹、雪、雨、雹、雪・・・
 この1週間ずっとこんな調子である。
 こうやって、ゆっくりと、これから待ち受ける本当に厳しい冬に向けての心構えができてゆくんだな。
 N.B. まだSofiaはましなほうで、ベオグラードでは雪のために土曜のヨーロッパチャンピオンズカップの試合が延期になったし、トルコやギリシャの各地では洪水や土砂崩れが報じられている。

2007年11月18日日曜日

THE ANALYTICAL LANGUAGE OF JOHN WILKINS

 ボルヘス。
 「中国の百科事典」"Celestial Empire of benevolent Knowledge"。
 大笑いしながら読み終え、おもむろに『言葉と物』に取り掛かるミシェル・フーコー。
 

Spencerian anarchist

 としての、或いは空前絶後のコズモポリタンとしてのBORGES, Jorge Luis。

Persona

 BERGMAN, Ingmar、1966年作品。
 20世紀にしか、1960年代にしか作ることのできなかった映画。
 ベルイマンを見てない奴はまともな学生仲間として扱われなかった時代が、確かにあった。

2007年11月17日土曜日

青木栄瞳『野性のセロリ』(1999)

 あまり詩集などは読んだことがないのだが、これはとても気に入っている。日本語という言語もなかなか捨てたものではない。

2007年11月16日金曜日

『南京新唱』

 會津八一、大正十三年作品。
 読み進めるうちに、春日野の鹿を詠んだ歌のところで、胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じ、驚く。

This Is Your Brain on Politics

 こういうのを、脳科学の進歩と言うべきか、蛸壺研究者がよく陥る「蟻地獄」と呼ぶべきか、ただのお遊びなのか。素人の私にはよく分からない。
http://www.nytimes.com/2007/11/11/opinion/11freedman.html?th&emc=th

Μια αιωνιότητα και μια μέρα

 ANGELOPOULOS, Theo、1998年作品。アンゲロポウロスにしては珍しく分かりやすい作品。それを「成熟」と取るか「妥協」と取るかは見方の分かれるところだろう。私としては前者と捉えたいが。
 しかし、私は、この作品に関しては、身につまされて――私という人間をよく知る人には頷けることだろう――何度見ても冷静な分析ができない。
 私も間違いなくこの種の最期を迎える人間だ。
 「明日」というものはどれほど続くものなのか。
 「永遠と一日」。

 今週はずっと曇天が続き、寒くなっている。
 今、屋根でカラカラ音がする。確かめずとも分かるようになった。雹である。
 長期予報通り、今冬が厳しいものになることは間違いなさそうだ。

電子文藝館:招待席

 日本ペンクラブが運営している。特に若い人や、日本語書籍が豊富に手に入らない所で日本語を学んで/読んでいる人たちにどんどん読んでもらいたい。日本語の文章世界は、一般に考えられているよりも、はるかに広く、深い。下記ページ最下部に「総目次」へのリンクもある。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/home.html#Mokuzi

2007年11月15日木曜日

會津八一「石」

 ある種の感懐で書き出し、古代中国の故事を引き、余韻を残しながら情緒的に結ぶ。
 ああ、日本の「随想」というのはこういうものだったな、とある種懐かしく思わせる趣のある文章。

2007年11月14日水曜日

『ファラデーの伝』

 愛知敬一1923(大正12)年作品。
 著者がマイケル・ファラデーの学問だけでなくその人生にも深い共感を寄せていることが読み取れる。
 日本史上稀有のリベラルな時代の空気をも感じ取れるように思うのは気のせいか。

「難民映画の人類学・地域学」

 お近くの方はどうぞ。
ーーーーーーーーー
【日本国際民間協力会(NICCO)】
京都大学、UNHCR、NICCO等の主催により「難民映画の人類学・地域学」が3日間にわたって開催されます。
世界の様々な難民を描いた映像の上映と共に、地域研究者、難民支援に関わる実務家等が、難民を取り巻く状況について語り、共に考えます。

日時:11月15日(木)・16日(金)・17日(土) (時間は下記参照)
場所:京都大学吉田南1号館 共311講義室(3F)
入場無料

1日目: 11月15日(木) 18:30-20:30
1.「ジョージ・クルーニー ダルフールへ行く」
2.「レフュジー・オールスターズ」
解説:栗本英世 (大阪大学グローバル・コラボレーションセンター長)

2日目: 11月16日(金)18:30-20:30
1.「サイクリスト」
解説:萩原宏子(NICCOインターン/京都大学総合人間学部4回生)
折居徳正(NICCO事務局長)

3日目: 11月17日(土)15:00-18:00
1.「インビジブル・チルドレン」
2.「さまよえるスーダン難民」
3.UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)製作シリーズ
「アフガニスタン-故郷での平和な暮らし」13分
「リベリア-新たなる闘い」9分30秒
「スーダン南部-解決に向けて」8分
解説:上月光(国連難民高等弁務官事務所)

パネルディスカッション
司会:阿部健一(京都大学地域研究統合情報センター)

パネリスト:
村尾るみこ(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 大学院生)
上月光(国連難民高等弁務官事務所)
折居徳正(NICCO事務局長)
宗田勝也(京都三条ラジオカフェ(FM79.7)『難民ナウ!』)
高松幸司(ジャパンプラットフォーム事務局長/ 京都大学地域研究統合情報セ
ンター)

主催:
大阪大学グローバル・コラボレーションセンター
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)
京都三条ラジオカフェ(FM79.7)「難民ナウ!」-世界の難民速報-
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
京都大学地域研究統合情報センター
科学研究費補助金基盤研究(B)「地域研究におけるメディエーションの実証
的研究」
映像なんでも見る会
京都大学「生態人類学」特別講義
※パネリストに変更の可能性があります。

お問い合わせ:
京都大学地域研究統合情報センター 阿部健一研究室 飯塚宜子
TEL: 075-753-9611 forum@cias.kyoto-u.ac.jp

朝の風景

 6時半起床。朝食及び弁当を作る。コーヒー・白チーズと蜂蜜のサンド・ソーセージサンド・ヨーグルト・ゆで卵。昇ってくる朝日を眺めながら身支度・朝食・メールチェック。
 7時45分出発。凍てつく道を転ばぬようしっかりと踏みしめながら歩く。ここで転んで頭を打って一巻の終わりでは、何のためにはるばるSofiaまで来たのか分からない。
 足下ばかりに集中していてもだめである。一度、樹上の雪をバサッと頭から被ったことがある。晴天だから、今降っていないから、と安心してはいけない。
 8時前大学着。守衛さんと挨拶を交わし3階の職場へ。すぐに湯を沸かしコーヒーを淹れて体を温める。掃除に入ってきたAlbenaと朝の挨拶を交わしながら授業準備。
 そして8:15授業開始。
 これが朝の私である。

2007年11月13日火曜日

 奇妙な夢を見て目覚めた。記録しておく。

 ところは中南米かアフリカ大陸。殖民者と思しき船員風のやくざ者二人。傲岸不遜な振る舞いはいずれ先住民たちの怒りを買うだろうという(どこからかは明瞭ではない)忠告に対し、「俺たちは白人だ。俺たちには銃がある。何人来ようが平気だ。」と嘯く。
 そして、軋轢は頂点に達し、戦いが始まる。殖民者は銃を乱射し、先住民は将棋倒しに斃されててゆきながらも、数的優位を活かし徐々に侵略者たちを追い詰めていく・・・

 ・・・と、ここまではありきたりの安っぽい殖民地解放・独立戦争物語風。
 夢はここからこれまで余り経験したことのない種類の展開を見せる。
 この手の「物語」風の夢を見る時、私はほとんどの場合超越的な立場に立ってその物語を見下ろす立場から見るか、ここはこう描写しよう、と作家の立場からその物語を物語る構造になっている。
 しかしさっきの夢では、私がある時は殖民者、ある時は先住民、と主体を交換しながら夢に参加していた。ある瞬間はテレビゲームよろしく先住民をなぎ倒しているのだが、次の瞬間には極めて弱い武器(何か紙のような武器とは呼べぬほどの代物だが、相手に触れると若干のダメージは与える)を用い、ジャングルという地の利を活かしながら二人の殖民者を「狩って」いる。そして最後の戦い。それは激しいものだった。私はきっと寝言と歯軋りと寝返りでベッド上でも暴れ回っていたのではなかろうか。その最後の戦いにおいても瞬間、瞬間において私は主体を交換していた。最後に、突然腹部に何らかのダメージを受けながらも、反撃して相手を斃し、しかし激痛(最初の腹部のダメージのものか、その後反撃されて斃された側の痛みなのかは判然としない)の余り私はそのまま意識を失う・・・
 そして、2週間後に意識を回復した時には、野戦病院の粗末なベッドの上。どうやら戦いは終わり、深手を負いながらも生き残ったらしい私は半身の姿勢で「夢」を振り返っている・・・

 ・・・と、ここで(恐らく)本当に目が覚めた。
 瞬時に主体を交換しながら夢を「生きて」いたこと。「夢中夢」的な入れ子構造の夢であったこと。これらの、それぞれ稀にしか経験したことがない二つのタイプの夢の共起が今回は興味深かった。
 
 ・・・だからといって、別にどうということはないんだけどね・・・

先ほどコメントをくれたNAGAI君への事務連絡

 メルアドがなかったのでここに書きます。
 君の送ってくれたコメントはご希望通り非公開にしましたが、それではもったいない(それに読者が数人しかいない孤独なブログなのでちょっとばかし「にぎやかし」がほしいという下心もある。)ので、固有名詞をイニシャルにするか○○先生に変えて、再度コメント投稿してくださいよ。

2007年11月12日月曜日

ほんとにどうでもいいことだけど、

 KusturicaのUndergroundを観ていた時に、「地下基地」でのBlackyの演説の中の"Last month we made 200 light weapons."と英語字幕では示された台詞の中に一箇所"komada"と聞こえる単語があった。
 これは数ヶ月前このブログでTonyaがモンテネグロで見つけたと報告してくれた"komada"と同じものじゃないの?軽火器を200ピース製造した、という、その"pieces"に当たるセルビア語(複数形)でしょ?違う?

Trilogy: The Weeping Meadow

 ANGELOPOULOS, Theodoros作品(2004)。
 アンゲロポウロスの作品はみんな好きだが、これもとても波長が合う作品だ。
 いつか詳しく論じたい。

2007年11月11日日曜日

朝焼け

(写真クリックで拡大)

2007年11月10日土曜日

Емир Кустурица

 昨日から2本続けて見た。Underground (Подземље: 1995)とBlack Cat, White Cat (Црна мачка, бели мачор:1998)。
 前者は最後の20分ほどで一挙に批判的な普遍性を獲得している。すばらしい作品だと思う。
 後者は最後まで救われない。独立して見ればそれなりに楽しめるのだろうが、
Undergroundを観た者の眼には物足りなさだけが残ってしまう。
 しかしいずれにしてもクストリッツァの作品はドタバタの面白さだけを目当てに見る者も満足させてくれることも事実。
 評価の高い初期の作品群も観てみるつもりである。

 この冬(ともう言っていいだろう)二度目のまとまった雪。今朝の降りかたなら、京都では十分「吹雪」だね。アルトコや学生たちと行く予定だったスケートも中止。
 心配してくれる人もいるんだけど、デンマークで一冬、福井で四冬経験している僕はこの程度なら何ともないよ。これから、となると、Sofiaの冬は初めてだからちょっと分からないけどね。

Norman Mailer死す

 帰宅したら1時間前にBBCから号外メールが来ていた。Wikipediaに行ってみたら、なんともう死亡日(つまりきょう)と共に死亡事実が記載され、BBCとNYTimesのObituariesがリンクされていた。そこらへんのメディアよりもよっぽど仕事が早い。あっぱれWikipedia。(とここまで書いたら今NYTimesからも号外が来た。Washington PostもBoston GlobeもLATimesもまだ何も言って来ない。ひょっとすると、号外の価値なしと判断しているのかもしれないが。)

Afghanistan: I Tesori Ritrovati

 すごい展示である。行けなくて残念だがお近くの方は是非。http://www.fondazionearte.it/afghanistan/index.php

ラオスの染織

LIAISON (http://homepage2.nifty.com/ft-liaison/)で下記の二つの催しが開かれる。お近くの方はどうぞお越しいただきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「珠玉の布-ラオスの染織展-」
日時:11月23日から12月4日(木曜定休、12時から20時)
場所:神戸市東灘区岡本5-2-4 フェアトレードショップLiaison
○テーマ東南アジアの桃源郷とも謳われる豊かな自然と人々の優しさに満ちた癒しの国、ラオス。多種多様な民族がそれぞれに育んできた繊細かつ力強い染織の知恵と技術をお楽しみください。
○展示内容・ラオ族族の伝統衣装:「シン」と「パー・ヴィアン」・絹織物:ショール、スカーフ、飾り布・綿織物:ショール、スカーフ、飾り布、儀礼用布(変更の可能性あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
談話会「ラオス農村の暮らしと染織、女性たち」
日時:11月24日13時から14時 (14時からは有料ですが、草木染ワークショップがあります。詳しくはhttp://liaison.way-nifty.com/
場所が狭く定員10名につき予約制にさせていただきます。
参加費無料。
お申し込み・問合わせ:fairtrade.liaison@gmail.com
○タイトル「ラオス農村の暮らしと染織、女性たち」
○内容優れた染織の伝統を持つ農村に1年間余り滞在した発表者が、 人々とともに過ごすなかで学んだ暮らしの知恵、 そして染織に励む村の女性たちの生き方をご紹介します。
☆発表者プロフィール:吉田香世子(ヨシダカヨコ)岩手県出身。「好きになってしまった」ラオスの社会・文化について学ぶべく、研究の道を志す。2003年から2005年までラオスに留学。北部の農村でフィールドワーク中に 女性たちの染織技術に感銘を受け、村おこし的な共同事業を試みる。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科在学。在日ラオス人との交流を深めつつ、ラオスの魅力をより多くの人々に伝えたいと試行錯誤の日々を送る。
078-431-2410 Liaison

2007年11月9日金曜日

Barton Fink

 COEN Brothers (1991)作品。
 私は自分がなぜ彼らやDavid Lynch、Luis Bunuelなどの映画作家にこれほど惹かれるのかに興味がある。ブラック・コメディと一括りにしていいのかどうか分からないが、その類のものが好きなこの私は一体どういう人間なんだろう。

Tres versiones de Judas

 BORGES, Jorge Luis (1944)作品。
 人類の真の救済者としての「裏切り者ユダ」。
 ボルヘスは言う。
"The ascetic
, for the greater glory of God, degrades and mortifies the flesh; Judas did the same with the spirit. He renounced honour, good, peace, the Kingdom of Heaven, as others, less heroically, renounced pleasure."

 けさ、裏山のVitoshaも遠くのバルカン山脈も冠雪していることに気づいた。
 短かった秋もこれで完全に終わったな。

Boum

" The echo in a Marabar cave...is entirely devoid of distinction. Whatever is said, the same monotonous noise replies, and quivers up and down the walls until it is absorbed into the roof. ‘Boum’ is the sound as far as the human alphabet can express it, or ‘bou-oum,’ or ‘ou-boum,’ -utterly dull. Hope, politeness, the blowing of a nose, the squeak of a boot, all produce ‘boum.
A crowd gathers with Mrs. Moore in the cave, and in the darkness, their cheerful voices produce a deafening and meaningless ‘boum.’ “The crush and the smells she could forget, but the echo began in some indescribable way to undermine her hold on life. Coming at a moment when she chanced to be fatigued, it had managed to murmur, ‘Pathos, piety, courage-they exist, but are identical, and so is filth. Everything exists, nothing has value."
-- from FORSTER, E.M. A passage to India.

「蔵書」

 私のハードディスクにはすでに200GB以上の「蔵書」が蓄えられている。文書が半分、映画を含む映像が半分、といったところだろうか。これまで10年ほどかけて、価値があると判断した文章を蓄えてきた。Sofiaに来て、直接・間接的にPetkoのおかげで3ヶ月という短期間に急に20GBほど増えた。論文中心だった僕の「蔵書」に特に映画と文学が増えたことに大きな意味がある。
 映像はともかく、文書のほうは死ぬまでに全部読めない量に達してしまったことは、これは間違いない。
 希望者にはいくらでもあげますのでご遠慮なく。ただしうちに来られる人で、かつメディアは持ってきてね。
 

辻邦生

 『背教者ユリアヌス』。最近寝る前にベッドで読み続けている。
 名前はよく聞いていても、なかなか縁がなく読んでいない作家がある。辻もその一人だった。成熟した静かな知性を感じさせる、日本には他にちょっといないタイプの作家である。他の作品も読んでみたくなった。

2007年11月8日木曜日

晩秋

 Sofia。
 風の朝。
 黄葉の散華。
 紺碧の空に。

 

2007年11月7日水曜日

問題の根源

 一昨日付のSofia Echoの記事の一部を転載する。
"Fukuda said that in Japan, Bulgaria was famous as country where people live long due to the yoghurt and the Bulgarian rose products. As a result, Japanese people consumed big quantities of yoghurt, he said."
(http://www.sofiaecho.com/article/2009-bulgaria-year-in-japan/id_25959/catid_68?bulletinstat=1)

 根源は奈辺に在りや。通訳能力? 取材能力? 編集能力? 側近のブリーフィング能力? 話し手の知性?
 ???

掃除事件

 月曜日の朝8時。
 いつもセンター中を丁寧に掃除してくれているАлбена(いつものАлбенаとは別人。念のため。)が今朝も職員室にやって来た。寝ぼけまなこの僕にいつもの元気のいい挨拶をしてくれて掃除開始。まず小さめの柄付モップで机や本棚の拭き掃除。
 僕の机はその朝いつも以上に資料で散らかっていたので今朝は拭いてくれなくてもいいなと思った僕は彼女に僕の机を指差して、ブルガリア語(らしき言葉)で
 「ココ、イイエ、アリガト。」
 「ヘンなガイジン」の多い職場で働き、(たぶん僕も含めた大半の教員よりも)異文化間コミュニケーション能力の高い彼女は、すぐさま、
 「机や棚を拭くモップと床を拭くモップはちゃんと別にしているから机を拭いても汚くならない。」
 と思しきことを、実物を使い、身振り手振りをふんだんに用いて、一生懸命話す。(彼女はたとえ「理解」できなくても「わかる」種類のブルガリア語を話す、すばらしい使い手である。)
 能力の低いこっちは、
 「ハイ。ハイ。モチロン! イツモ、アリガト。」
 と能のない返事しかできぬ。
 あれからも、いつ顔を合わせてもこれまでどおりニコニコ挨拶してくれているが、彼女を知っている人、誤解を解いておいていただけるとありがたい。
 言語も文化も異なる地での仕事は誤解・曲解・すれ違いが日常茶飯事でもう慣れっこになっていて、めんどくさいのでちっぽけなことはほとんどほったらかしにしてあるが、彼女のような人とはできればそういうことは引きずりたくない。

黒レンジャー?

 ブカレストのhiramieさん(http://blog.livedoor.jp/hiramie/)からバトンが来た(黒レンジャー?何それ。あ、説明しなくてもいいですよ、知りたいと思ってるわけじゃないから。)。関西で「ええ年こいて・・・」と言われる類の遊びだと想像されるが、他ならぬhiramieさんからだから特別に書いてあげる。でも、hiramieさん、こんなので「素顔」なんて分からんよ。自分でも理解できず、また覗き込みたくもない「素顔」の深淵。まして他者に分かってもらえるはずもない。

★身長は?

 161cm。

★身長に比べて体重は多いほう?

 標準。或いは少し痩せ気味。45才で始めたサッカーのおかげで、完璧な肉体を誇る。見たい?  

★体型は?

 同上。 
 
★髪型は?

 ボサボサハリネズミヘアー。
 
 ほとんど散髪に行ったことがなく、自分で学童バサミで風呂場で手探りで(格助詞「で」の用例一覧になったな。)切る。鏡を見ながらやるより安全なので「手探り」をお勧めする。危険といっても中指第2関節が血だらけになる程度。
 はさみを使うなんぞ年をとってずいぶん堕落してしまったが、以前は髭剃りでつるつるに剃っていた。このほうがもちろん簡単。
 櫛もブラシも整髪料も持っていないことからも「髪型」はご想像いただけると思う。

★目について語って

 自慢じゃないがこれほど目つきの悪い奴にはちょっとお目にかかったことがない。上記のつるつる頭のときは、出エジプト記よろしく、道を歩いていても人波がきれいに二つに割れたものである。
 
★顔について

 もう何年も鏡を見ていないので、ちゃんと覚えていない。
 
★誰に似てる?

 誰にも似ていない。しかし、3日間しかいなかったタシケントで何人もの人にジャッキー・チェンに間違えられた。それはいまだに謎。
 
★好みのものは?

 書物・音楽・絵画・映画(ただし最上質のものに限る。評価は限りなく厳しい。)


★涙を流す(流しそうになる)ものは?

 上記の好みのものにめぐりあえた時。だからこれまでほとんどない。

★自分の心に響いた話は?

 「心に響く」という言葉は無意味な言葉。だから回答不可能。
 
★一日で一番好きな時間は?

 上記の好みのものと一緒にいるとき。

★自分でどんな人に見えると思う?

 冷酷。我儘。そして、言うまでもなく、「滑稽」。
 
★このバトンを回す人

 「すみません、先生。「バトンを回す」の意味がよく分かりません。「バトンを渡す」は辞書にも載っていましたが。」

2007年11月5日月曜日

Сталкер

 Андре́й Арсе́ньевич Тарко́вский、1979年作品。
 魅力的な作品だが、私には少し観念が先走りしすぎているような気がする。
Ностальгия(1983)を超えるタルコフスキーにまだ私は出会えていない。

2007年11月4日日曜日

日本、クラスター爆弾の部分的禁止を提案へ

 えっと。。。2008年までに全面禁止するというオスロ・プロセスのほうはどうするの?
http://search.japantimes.co.jp/mail/nn20071104a3.html

Sommaren med Monika

 Ingmar Bergman 、1953年作品。
 夫の出張中に浮気相手と会うMonika。カメラがクローズアップ、背景は闇に変わる。画面いっぱいに大写しされたMonikaの、 こちら側の観る者をじっと見つめるあの眼差し。この作品を一度でも見て、あの眼差しを忘れることができる者はいないだろう。
 ゴダールがどこかに書いていた。
「女たちに愛されながらも憎まれる男たち。男たちに憎まれながらも愛される女たち。彼らを映画にできるのはベルイマンだけだ。」

愛すること

"Aimer à loisir, aimer à mourir."
("L'Invitation au Voyage", Baudelaire "Fleurs du Mal")

2007年11月2日金曜日

時間割

 大学に行かない日の過ごし方を聞いてきた人がいるので書く。
 業務・生活時間を除くと、たとえば昨日は、順に「日本文学(今は青空文庫を片端から)読解」「ブルガリア関係記事・論文読解」「ユーラシア史関係記事・論文読解」「哲学(今はアリストテレス『Metaphysics第5巻』)読解」「文学(今はボルヘス『
Three Versions of Judas』)読解1」「文学(今はブルガコフ『Master and Margarita第2部』)読解2」「人文学・社会科学関係記事・論文読解」「日本関係記事・論文読解」「科学関係記事・論文読解」、それに各科目の合間に気分転換を兼ねて『ブルガリア語‐日本語オンライン辞典』作業。仕上げは一日のご褒美に映画(昨日は『の森』)かスポーツ番組か音楽番組鑑賞
 上記科目を各1時間以内に区切ってやる。もっと続けたくてもぐっと我慢して次の科目に移る。一日完全に自由に使える日なら、上記9科目は必ずワンラウンドやる。偏らぬように、視野狭窄に陥らぬように。

訂正

 京教大のメールシステムに入れなくなったのはヴァージョンアップに伴う一時的なものだったようだ。(元)相棒が親切に教えてくれた。
 このアドレスに来るのはもはやほとんどジャンクメールばかりなのだが、しかし今見たら僕の新しいアドを知らないらしい他専攻の昔の卒業生からアド変更連絡が送られてきていた。
 使えないよりは使えたほうが、やはりまだいいのである。

また一つ。。。

 日本での痕跡が消えた。
 きょう京都教育大学のメールソフトにログインできなくなった。退職してちょうど7ヶ月。登録抹消である。 
 10年間毎日大量のメールを駆使して仕事をしていた愛用アドレスともこれでお別れである。
 やはり少し寂しいものである。

『殯の森』

 河瀨直美監督作品。忘れ難い印象を残す。と言っても、恐らく「俳句のようだ」と評する批評家がたくさんいると予想されるような、分かりやすい作品ではない。しかしよく観れば――そして日本のことをよく知っていれば――分析のための材料はすべて盛り込まれている。むしろ説明しすぎているきらいもある箇所がいくつもある。
 私にとってこの作品は、最後の10分、原生林を行く二人を追うハンドカメラの動きに尽きる。作品の総体としては決して高い芸術性を獲得しているとは言い難い。
 前から感じていることだが、カンヌ(の審査員たち)の好む(これは今年のグランプリ。河瀨は10年前には『朱雀』でカメラドールを受賞している。)種類の作品は概ね私の好みにも合う。要は、分かりやすさや親しみやすさ等よりも――たとえそれが部分的なものであっても――芸術としての普遍性を有するかどうか、である。

2007年11月1日木曜日

Alan Johnston

 HARDtalkのスタジオに戻ってきた。
 いつもはゲストに対して情け容赦のない質問をこれでもかこれでもかと浴びせる冷酷非情で鳴るStephen Sackurが、今回はまったく様子が違い、心の底から尊敬している相手と対しているという様子がありありとこちらに伝わってきて、それがまず面白かった。いつも通りのSackur節を出そうと努力しているのだが、如何せん相手はJohnston、質問も声も話しぶりもいつものあの鋭さが明らかに見られない。彼と再会できた喜びが、その無理のある渋面から垣間見える。
 そして、Johnstonのこれまでの取材に接してきたすべての人々の思いも同様であっただろう。私も例外ではなかった。いつもはこの番組はPCで仕事をしながら傍らのテレヴィからほとんど音声だけを聴いているのだが、今日だけは最初から最後まで見入り、聴き入った。
 誠実・率直・正直・自己抑制・気配り・批判精神・内省力、などの概念が具現化したような彼のいつもの姿がそこにあった。
 通常はいかなる時にも批判精神を失わぬよう努めている私だが、ちょっとこのインタヴューだけは数少ない例外になってしまった。
 4ヶ月もの間、生死の瀬戸際に立たされ続けるという尋常ではない日々を経験したAlan Johnstonは明らかに一際精彩を放つ存在となった。もはや、世界最高のジャーナリスト、という程度の男ではない。
 疑う方はいずれ下記にアップされるであろう収録をご覧になるがよい。
http://news.bbc.co.uk/1/programmes/hardtalk/
 彼は次に何をするのだろう。これからの仕事が本当に楽しみである。

いずこも同じ

 今から思えば、京教大での最後の2年間はGPと教職大学院のことしか考えていなかったような気がする。
 Sofia大でも、そういう仕事が始まった。変わったのは「競争的資金」獲得の宛先が文部科学省から外務省や国際交流基金になったことと、「戦友」たちの顔ぶれ、そして、所詮はお雇い外国人の身、直接の当事者にはなれずあくまでもお手伝いしかできないこと、ぐらいである。

新大使レセプション

 琴欧洲のお父上はさすが見上げるようなご立派な体格で手も大きく、握手も実に力強いものでした。
 よくテレビに出ている(とPetkoが教えてくれました)タレントも見ることができました。
 今日はミーハーでいってみました。