2018年11月15日木曜日

縮めるは手帳のみとは言ひ聞かせ

無職の身となり大型の手帳は不要となる。
「縮めるは手帳のみとは言ひ聞かせ」

小林多喜二「工場細胞」

『Agora日本語読解辞典』において、小林多喜二「工場細胞」冒頭部分析完了。

2018年11月11日日曜日

のつそりと湖は朝陽を押し出せり

いつものジョギングルート上の古墳から見下ろす。
「のつそりと湖《うみ》は朝陽を押し出せり」

2018年11月10日土曜日

人も樹も動かず雨の肌伝う

晩秋の雨。
「人も樹も動かず雨の肌伝う」

2018年11月9日金曜日

不可思議の不穏な夢に秋深し

これも記憶の整理か。
「不可思議の不穏な夢に秋深し」

2018年11月7日水曜日

し残したことの悪夢に起こさるる

穏かならぬ目覚め。
「し残したことの悪夢に起こさるる」

貨車走る音の向ふに湖の夜

ベランダにて。
「貨車走る音の向ふに湖《うみ》の夜」

2018年11月6日火曜日

目覚めれば泣きはらした眼で外は晴れ

最初の朝。
「目覚めれば泣きはらした眼で外は晴れ」

雨だれのほか地上には音もなき

日本の夜に戻る。
「雨だれのほか地上には音もなき」

2018年11月4日日曜日

荷造りは下弦の月に見守られ

夜明け前の最終準備。
「荷造りは下弦の月に見守られ」

君のこと落ち葉はらはら忘れない

忘れてはいけない。
「君のこと落ち葉はらはら忘れない」

ゆく秋の最後の空に星一つ

ブルガリアでの11年が終わる。
「ゆく秋の最後の空に星一つ」

2018年11月2日金曜日

2018年10月30日火曜日

日は過ぎぬドタバタとまたジタバタと

この11年は私の人生においてどういう意味を持つことになるのだろう。
「日は過ぎぬドタバタとまたジタバタと」

2018年10月28日日曜日

三島由紀夫「太陽と鉄」

『Agora日本語読解辞典』において、三島由紀夫「太陽と鉄」抜粋分析完了。

日本フォークの夜明け

清新な岡林がここにある。

「岡林信康ファーストコンサート」

十一年括りて干せる大ジョッキ

今日が正真正銘最後の最後の送別会だった。4時間にわたる会の間、何度も目頭の熱くなることがあった。すべての人に感謝する。
「十一年括りて干せる大ジョッキ」

2018年10月24日水曜日

昇れるはソフィア名残の大満月

ベランダにて一服。
「昇れるはソフィア名残の大満月」

2018年10月23日火曜日

思い出の落葉となり積りける

去りがたき思い。
「思い出の落葉《らくよう》となり積りける」

2018年10月21日日曜日

色づきの異なる国へ帰りゆく

紅葉の下にて。
「色づきの異なる国へ帰りゆく」

「黒い太陽」蔵原惟繕(1964)

荒唐無稽そのもの。ディスコミュニケーションによるコミュニケーション。マックス・ローチがすべてを救済する。

「黒い太陽」

別れの宴

宴が続く。
成し遂げたこと。挫折したこと。得た人々。失った人々。遺してゆくもの。故国に待つもの。
11年余のここでの人生を終えるにあったって様々な想いが交錯し、穏かならぬ日々が続く。

2018年10月19日金曜日

佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて」

十年は変わり変わらず秋の風

11年を振り返る。
「十年は変わり変わらず秋の風」

「ろくでなし」吉田喜重(1960)

喜重のデビュー作でまだあまり彼らしさが出ていない。筋書きがあまりに稚拙で、最後まで観ていられなかった。

「ろくでなし」

佐藤春夫「オカアサン」

『Agora日本語読解辞典』において、佐藤春夫「オカアサン」冒頭部分析完了。

2018年10月18日木曜日

花が咲き実結びてのち土に落つ

ブルガリアでの11年余を終える。
「花が咲き実結びてのち土に落つ」

「東京の女 」小津安二郎(1933)

9日間で撮りあげたと言われるやっつけ仕事だけあって完成度は低い。しかし、小津自身がこの頃から画面のポジションが決まってきたと言っているようにカメラは小津らしさが随所に展開する。わずか9日間で並みの監督をはるかに凌駕する世界を創ってしまうのだから、さすがとしか言いようがない。

「東京の女 」

亀井勝一郎「物語の絵画化についてなど」

2018年10月16日火曜日

三島由紀夫「天人五衰」

『Agora日本語読解辞典』において、三島由紀夫「天人五衰」抜粋分析完了。

「按摩と女」清水宏(1938)

冒頭のシーン数秒を見ただけで誰の目にもすぐに名作だとわかる。脚本、キャスティング、そして何よりもカメラ。その他すべてにおいて一部の隙もない。私は今までこの作品を知らなかったことを本当に恥ずかしく思う。清水は真の天才である。終生の親友であった小津が静の作り物の天才であったとすれば、清水は動の作り物の天才だ。一本の名作は100万本の凡作に勝る。この二人の作品をもっともっともっと観たかった。

「按摩と女」

2018年10月14日日曜日

「君と行く路」成瀬巳喜男(1936)

成瀬の最大の弱点である作家性の弱さが如実に出ている作品。職人は職人としての仕事に専念すべきで、それはそれとして素晴らしいことだ。しかし職人は芸術性を求められる監督などはしないほうがよい。

「君と行く路」

亀井勝一郎「馬鈴薯の花」

いわし雲私が生まれてきたわけは

空を見る。
「いわし雲私が生まれてきたわけは」

2018年10月13日土曜日

芥川龍之介「開化の良人」

「愛染かつら」野村浩将(1938)

最初期の版を観た。この種のメロドラマは芸術になりにくい。主役ではないが、ここでも桑野道子の存在感は際立っている。

「愛染かつら」

2018年10月11日木曜日

2018年10月10日水曜日

「みかへりの搭」清水宏(1941)

カメラワークと子役たちの躍動ぶりは世界最高レベル。しかしそれだけでは真の名作たり得ない。映画とは、芸術とは、難しいものである。

「みかへりの搭」

辞典の復活

『Agora日本語読解辞典』の作業が再び可能になった。ほぼ3週間ぶりである。ライフワークであるこれに取り組んでいない時の私は死人も同然だ。文字通り生き返った思いである。プログラム自体にまだ大きな問題が残っており、Botのアクセスも厄介だが、とりあえず仕事ができるのは本当にありがたい。いつも献身的なサポートをしてくれるLyuboに深く感謝する。プロというものはやはり大したものである。

2018年10月9日火曜日

哀しみは一生二生秋深し

『みかへりの搭』を観て。
「哀しみは一生二生秋深し」

2018年10月7日日曜日

「しいのみ学園」清水宏(1955)

脚本・キャスティング・カメラ、なかなかよい。現代の視点からすればずれを感じる点もあるが、敗戦後10年、新しい日本を創り出そうという時代の機運が感じられて興味深い。

「しいのみ学園」

2018年10月5日金曜日

「路上の霊魂」村田実(1921)

小山内薫の製作総指揮。当時の日本の演劇・映画界の意気込みを垣間見ることのできる野心作。カメラのすばらしさに加え、内容的にもグリフィスの「イントレランス」の影響さえ感じる深さを持つ。当時の大衆にはさっぱり理解されなかっただろうし、現在でもそうだろう。インテリだけの世界だと批判されようと何だろうと当時の演劇・映画人たちのレヴェルの高さを感じる。日本映画の宝と呼べる作品。

「路上の霊魂」

2018年10月4日木曜日

「那落」平井健太

我慢して半分ほど見たが、とうとう放り投げた。誰がこんなのに製作費出したんだ。頭の悪い奴は監督やってみようなんて気を起こすな。

「那落」

2018年10月3日水曜日

「お琴と佐助 」衣笠貞之助(1961)

原作の耽美さは影を潜め、ひたすら山本及びその衣装の美しさと一琴・三味線の名人たちの芸を楽しむ娯楽作品になっている。

「お琴と佐助 」

2018年10月1日月曜日

「初春狸御殿」木村恵吾(1959)

半分も観なかった。最後まで観る必要はない。人気者を揃えて興行的な成功だけを狙う、という見本のような作品。若尾の魅力満載。

「初春狸御殿」

2018年9月30日日曜日

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」小津安二郎(1932)

小津のカットはすべてがそれぞれ一幅の絵画である。だから「絵本」だ。音声が入らない分、サイレントではそれが一層際立つ。すべてのアングル、すべての構図が計算されつくした上で確定されてゆく小津の芸術だ。名画が観るたびに新たな発見をもたらすのと同様に、この作品にも常に新たな発見がある。
その他、脚本、キャスティング、小道具、謎かけを含むユーモアなど、すべての点において、日本のみならず世界的なレベルにおいてサイレントの最高傑作の一つと言ってよい。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」

2018年9月25日火曜日

「赤線地帯」溝口健二(1956)

溝口の遺作。名声を得るためであるかのような一連の作り物から離れ、ようやく自分の撮りたかったものを撮った感があるというのが第一印象。脚本、セット、小道具、お得意のロングショットをはじめとするカメラワーク、そして何よりも女優陣の生き生きとした名演。文句なしの名作。

「赤線地帯」

2018年9月23日日曜日

『レモンのような女』「私は私 ―アクチュアルな女―より」実相寺昭雄(1967)

テレビドラマ故制約も多かろう。キャストも含めひどい出来。映像だけがずば抜けて面白い。奇才実相寺の面目躍如。

『レモンのような女』「私は私 ―アクチュアルな女―より」

2018年9月21日金曜日

Googlebotその他

現在『Agora日本語読解辞典』の作業がほとんど止まっている。もう四日目になろうとしている。Googlebot、それからMicrosoft・Bing・Semrushなどのボットのアクセスがずっと続いているからだそうだ。いい迷惑である。しかたなくオフラインの仕事に専念しているが、アップデートが進まないのは実に困る。それだけこの辞典の価値が認められてきた証拠だと慰めてくれる人もいるが、Googleなんかに教えてもらわずともこの辞典の価値は作っている当人が十分に知っている。
この辞典は100年先を見据えて作っている。検索ランキング上位になど来なくてよいし、今の時代の人に理解されたいとも、またできるとも思っていない。
検索でもAIでも何でも勝手にやればよいが、おおもとにいる人間の100年計画の邪魔をするな。

「残菊物語」溝口健二(1939)

世界的に極めて評価の高い作品だが、私はもう一つ感心しなかった。筋書きがありきたりなのは時代を考えると仕方がないが、まず主役が大根であることは致命的。全体に歌舞伎を見せておけば外国人はじめ素人はみんな騙せるとでも思っているかのような安直さのようなものを感じる。金と腕力ででっち上げた大作というのは言い過ぎか。お得意のワンシーンワンショットをはじめとするカメラワークと、森赫子をはじめとする脇役陣の名演は評価できる。

「残菊物語」

2018年9月18日火曜日

「名刀美女丸」溝口健二(1945)

出来不出来の落差のはげしい溝口のなかでも最悪の部類に入る作品。敗色濃厚の戦争末期という事情はあるにせよ、およそ芸術的なところが認められない。それをすべてわかっていてそれでも作ってしまうところが溝口らしいといえば溝口らしい。僅かに三木のカメラと山田の存在感が救い。

「名刀美女丸」

2018年9月17日月曜日

三島由紀夫「盗賊」

『Agora日本語読解辞典』において、三島由紀夫「盗賊」抜粋分析完了。

「一人息子」小津安二郎(1936)

今日感じたことを一つ。
この作品に限らず小津の作品にはいずれも「自然」がない。狭義の「自然」、人物の言動、どこにもありのままの自然さが存在しない。すべて、小津という芸術家が切り取り、配置し、動かし、しゃべらせている。ここでは人物も「風景」なのだ。
ありのままの「自然」を楽しみたければそこに直接向かえばよい。視覚的・聴覚的な快楽はそこから得られる。一方で「芸術」が芸術家が「自然」と向き合い、対話するところから生まれてくるものだとすれば、絵画も音楽も映画も文学もその作家が「自然」との対峙から新たに生み出すものである。そこにこそ芸術の存在価値がある。
小津の映画作品は紛れもなく芸術である。小津には駄作がない。モーツァルトやピカソに駄作がないのと同じだ。それは創るものすべてが芸術作品だからである。彼の初のトーキー作品である本作は、そのことを最も如実に物語るものという点においては、彼の最高傑作である。

「一人息子」

2018年9月16日日曜日

「鶴八鶴次郎」成瀬巳喜男(1938)

私は成瀬はまだあまり観ていないので大きなことは言えないのだが、邦画四天王の一人と言われるにしては、他の3人が抜きん出ていて、成瀬には今のところこれと言ったところが見当たらない。この作品にしても長谷川・山田・藤原の名優トリオの水際だった演技に圧倒され続けてそれで終わりという印象だ。ただ誰かがどこかにこの作品では「並ぶ」という言葉がキーワードだと書いていたように思う。それを頭に置いてもう一度観るとなるほどと思う。ここまで手が込んでいるとすれば成瀬は意識的にそれをやっているのかもしれない。私はもう少し成瀬に関して勉強するべきかもしれない。

「鶴八鶴次郎」

2018年9月13日木曜日

「瀧の白糸」溝口健二(1933)

結末こそ原作より一般向けに改変しているが、原作の泉鏡花「義血侠血」の魅力を十分に生かした展開になっている。脚本・撮影・キャスティング・スピード。どれをとっても最高水準。サイレント時代の溝口の代表作で、世界的にもサイレントの最高峰の一つに位置付けるべき作品である。
それにしてもサイレントの大女優入江たか子の存在感は圧倒的である。

「瀧の白糸」

2018年9月12日水曜日

「淑女は何を忘れたか」小津安二郎(1937)

小津のトーキー2作目。サイレント時代から徐々に形成されてきた小津ならではの世界がほぼ確立し始めてきた感がある。このあと小津は出征する。
脚本、カメラ、キャスティング、衣装、小道具、すべてにおいてちょっと文句のつけようがない。戦後の小津のより有名な作品群の方がかえっておとなしくまとまって見えてしまうほどのインパクトをこの作品には感じる。

「淑女は何を忘れたか」

2018年9月11日火曜日

大坂なおみ

全米オープン優勝の快挙。試合中も試合後も真のチャンピオンとして振舞ったのは彼女の方だった。女子テニス界は完全に時代が変わったのだということを印象づけた一日だった。それにしても米国はどんどんおかしな国になってきている。

『Agora日本語読解辞典』34万ページ

『Agora日本語読解辞典』が34万ページを超えた。

2018年9月10日月曜日

「螢火」五所平之助(1958)

この類のものは原作の魅力に寄りかかり過ぎて映画そのものの力に欠けるものが多いので、これもあまり期待せずに見たのだが、予想以上に完成度の高い作品に仕上がっているように思う。五所唯一の時代劇作品らしいが、もっと撮ってほしかった。それから、何といっても淡島千景の名演が印象に残る。

「螢火」

芥川龍之介「蜜柑」

『Agora日本語読解辞典』において、芥川龍之介「蜜柑」冒頭部分析完了。

2018年9月9日日曜日

ファシズムと高等教育

米国が以前からこのような勢力を胚胎していることは知られているが、しかし、現実に事態がこのような所まで来てしまっていることは極めて憂慮すべきことである。

Fascism and the University

2018年9月8日土曜日

「怒りの街」成瀬巳喜男(1950)

舞台劇がそのまま映画になっているというのが第一印象。わざわざ映画作品にする価値があるのかは疑問。戦後間もない世相を垣間見ることの出来る資料的価値はある。

「怒りの街」

徳富蘆花「熊の足跡」

『Agora日本語読解辞典』において、徳富蘆花「熊の足跡」冒頭部分析完了。

2018年9月7日金曜日

「ふるさとはどこですか」

これを聴くたびに眼がしらが熱くなる。私だけかも知れない。

「ふるさとはどこですか」

音楽と快楽。音楽の快楽。

完全に袋小路に陥っている。脳科学の発展を待つしかないのかもしれない。

Musical pleasures

2018年9月6日木曜日

森鷗外「大塩平八郎」

『Agora日本語読解辞典』において、森鷗外「大塩平八郎」冒頭部分析完了。

想ひ出は地層の如し国離る

帰国を決意して。
 想ひ出は地層の如し国離る

「黒い雪」武智鉄二(1965)

一見不条理劇のようで、巧みにまとめられていてわかりやすい。軍用機のジェット音が非常に効果的に使われる。

「黒い雪」

顧みて悔いばかりなり秋は来ぬ

発つ時を考え始めて。
 顧みて悔いばかりなり秋は来ぬ

戻らぬは戻らぬものと夏過ぎぬ

一つの時代の終わらんとするにあたりて。
 戻らぬは戻らぬものと夏過ぎぬ

2018年9月4日火曜日

「宴 」五所平之助(1967)

最初の挿入曲を聞いた瞬間に凡作とわかる作品。キャスティングは相当豪華だが、2.26事件をロマン主義的に描く常套手段に終始する。原作・脚本がひどいとこうなってしまう。岩下志麻の存在感だけが収穫。

「宴 」

2018年9月3日月曜日

「13号待避線より その護送車を狙え」鈴木清順(1960)

ドタバタアクション。筋立てもキャスティングもひどいもので、清順も初期にはこんな程度だったのかと認識した。ただし、タイトルのつけ方(内容とはそぐわないが)、様々な移動手段の駆使、何か所かの映像の新規さ、とややユニークさは認められる。

「13号待避線より その護送車を狙え」

2018年9月2日日曜日

Samuel Huntington

これもFRANCIS FUKUYAMAの議論の明快さの一例。

Huntington’s Legacy

「女のみづうみ」吉田喜重(1966)

筋立ても運びも支離滅裂。しかし、映像と音楽は文句なく素晴らしい。これぞ喜重のヌーヴェルヴァーグ。

「女のみづうみ」