「或声 しかしお前は教へてもゐる。
もちろんこんなことは言わずもがなのことだ。紹介したかったのはこっちである。
「僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしつかりとおろせ。お前は風に吹かれてゐる葦《あし》だ。空模様はいつ何時変るかも知れない。唯しつかり踏んばつてゐろ。それはお前自身の為だ。同時に又お前の子供たちの為だ。うぬ惚《ぼ》れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。」
ご存知かもしれないが、これは遺稿である。
「或声 しかしお前は教へてもゐる。
皇 産霊(みむすび)神社の祭りは、午前中は氏子による神事が行われ、参拝者に祝いもちなどがまかれます。この後男たちが、鉢巻・白ふんどし姿で、神社下の神 田に入り豊作を祈願します。またこの年に生まれた赤ちゃんが晴れ着姿で抱かれて、田んぼの泥を額にぬり、健やかな成長を祈ります。(解説:松本治雄氏)
その表れ方は様々だがその底に流れるアニミズムは日本列島各地に豊富に残る。この列島ほどそれが豊かに受け継がれている所は、朝鮮半島や中国南部・インドシナ半島山岳部の少数民族を除くと、ユーラシア大陸では他にあまりないのではないか。
"turtles"はたくさんいるだろう。僕もそうだ。しかし、背負っているものは人さまざまなのかもしれない。VONNEGUTの言う"home"は多義的に捉えるべきものだ。
僕が背負っている甲羅はどういうものなのだろう。いまある自分を形作ってきた様々なものの集積、といったところだろうか。しかし、他の亀たちと同様、好むと好まざるとにかかわらず、それは脱ぎ捨てるという選択肢がそもそも存在しない類のものだ。いつでも着脱可能なものは"home"ではない。
"home"とはそういうものだ。
前任の大学では一人当たりの基本研究費が年間(!)30万円程度だったことを思い出した。そう考えると、特に理系のみんな(僭称者を除く)はよく頑張ってたね。