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さして教養があるとも思えない私ではあるが,9年前に着任した現在の職場は,今や化石となりつつある「教養学部」という大学組織なので,教養とは何か,ということを他人から問われたり,考えさせられたりする機会が少なくない.
私は,教養学部に入ってくる新入生に,こんなことを言ってきた.──皆さんが入学した学部の「教養」を,私たちは英語でliberal artsと表現していますが,liberalとは何でしょう.
受験の英単語では「自由な」という訳語が,まず最初に来るかもしれませんが,この英語には「寛大な」「私利私欲にとらわれない」という意味もあって,皆さんにまず覚えてほしいのは,こちらの意味です.liberalというのは,つまり,自分とはさまざまな意味で異なる他者に対しても,心を開き,想いをはせることのできる生き方や想像力のことであり,それらを培うことこそが,皆さんがこの学部で身につけるべきliberal arts(教養)なのです,と.
教養とは,お高くとまったり,物知りを鼻にかけることではない.
相手が東大生だから,私はこのことを強調する.「東大生もフツーの若者なのに」と言うなら,嘘をつけ,と私は言ってやる.同世代の仲間を何人も蹴落として入学してきた連中が,フツーだとは私は思わない.「それは裏返しのエリート主義だ」と言うなら,半分は同意する.
実際,文部官僚も「教養学部は,東大レベルにだけ残せばいい」と思っているようだから.
しかし,エリート主義が,裏返りもしなかったら,どうなるのか.選抜された連中が,選抜されなかった同胞に何ら想いをはせず,自分のことだけを考えるように仕向けたいのか.
私は,それは間違っていると思う.他者への想像力は,一握りの人間だけがもてばいい,という考え方と同じくらいに間違っている.
書物というのは,他者への想像力を培うための,唯一の,では決してないが,一つの重要な回路である.分かりづらい書物を読む(書く,ではない!)ことほど重要なのだ.
なぜなら,他者は常に分かりづらいものだから.
分かりやすい本は,よく売れるけれども,そこで人が出会うのは自分か,自分に似ているものだけである.そこで人が手に入れるのは,他者へと身を開いていく教養ではなく,どこか排他的なナルシシズムである.
書き手や作り手だけで,書物を復権させることはできない.他者へと身を開いていく勇気と想像力をもった読者が,そこにいなければならないのだと私は思う.
私は,教養学部に入ってくる新入生に,こんなことを言ってきた.──皆さんが入学した学部の「教養」を,私たちは英語でliberal artsと表現していますが,liberalとは何でしょう.
受験の英単語では
教養とは,お高くとまったり,物知りを鼻にかけることではない.
相手が東大生だから,私はこのことを強調する.「東大生もフツーの若者なのに」と言うなら,嘘をつけ
実際,文部官僚も「教養学部は,東大レベルにだけ残せばいい
しかし,エリート主義が,裏返りもしなかったら,どうなるのか
私は,それは間違っていると思う.他者への想像力は
書物というのは,他者への想像力を培うための,唯一の
なぜなら,他者は常に分かりづらいものだから.
分かりやすい本は,よく売れるけれども,そこで人が出会うのは自
書き手や作り手だけで,書物を復権させることはできない
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