Abbas Kiarostami、1997年作品。
何度見ても魅力尽きない作品だが、今回は、クルド人兵士、アフガニスタン人の神学校生徒、トルコ人教授とのそれぞれの対話を経て、主人公のイラン人が結局は自殺を思いとどまったのではないかと観る者の内にかすかな期待を生じさせて終わるという設定の中に、監督が込めた「希望」を見た。
これは「つくりもの」ですよ、といういつものメタ・メッセージの伝え方がこの作品では特に顕著なのも面白い。それは本当にこの作品が「つくりもの」だからだ。
この人やAngelopoulosの作品を観るといつも、人間の相互理解において「映画」という媒体は実に魅力的な媒体だと思う。
学校で「国際理解」だの「異文化理解」だのの授業でつまらないことばかりやってないで、彼らのような優れた映画作家の作品をもっともっと子どもたちに見せればよいのに、といつも思う。「世界史」「地理」「倫理」等の科目でもよい教材になるはずだ。そのためには教師も勉強しなければならない――そしてそれが最大の困難なのかもしれない――が、まず教師の側が内的に成長していないくせに子どもたちにだけ成長を要求してもそれは土台無理な話なのである。
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